ザアカイの場合
エリコの町でイエスが出会われたザアカイは、徴税人のかしらであり、裕福な人物でした。しかし、多くの人から嫌われ、孤独を抱えていました。そんなザアカイにイエスは呼びかけられました。
「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」(ルカによる福音書19章5節)。
この出来事の中に、私たちの教会が大切にしている「宣教の5つのサイクル」の原則を見ることができます。日本の、そして世界中のアドベンチスト教会が「One Voice 27」に向けての準備をしています。イエスが示してくださった方法から学び、備えていきたいと思います。
宣教の5つのサイクル
1.土の準備
ザアカイは、それまでイエスに会ったことがありませんでした。しかし、すでにイエスに心が惹かれていました。
エレン・ホワイトは、このように書いています。「ザアカイは、イエスのことを聞いていた。……この取税人のかしらのうちには、もっとよい人生をあこがれる思いがあった。……自分の心に望みをもたらしてくれたことばを語られたイエスのお顔を見たいと熱望した」
ザアカイは、人々から退けられていた自分にも希望を与えてくださるお方として、イエスに会いたいと強く願っていたのです。表面には見えなくても、彼の心の中ではすでに変化が始まっていました。いちじく桑の木の下で出会う前から、イエスは彼の心の土を耕しておられたのです。
2.種まき
今年4月、私は鹿児島教会に赴任し、三育幼稚園での働きに加えていただきました。そこで驚いたことがありました。園児たちが出会ったばかりの私のことを「いとうしげるせんせい!」とフルネームで呼んでくれたのです。鹿児島に来たばかりの私の名前を覚え、呼んでくれたことが本当にうれしく、「ここで受け入れてもらっている」と感じました。
憧れのイエスから「ザアカイよ」と名前を呼ばれたとき、ザアカイはどれほど嬉しかったことでしょう。イエスは彼の名前を呼び、彼の家を訪ね、個人的に関わられました。そのようにして蒔かれた福音の種は、力強く芽を出していったのです。
3.育成
イエスは木の下でザアカイに言葉をかけただけでなく、彼の家を訪れ、さらに深い交わりを持たれました。その食卓でどのような会話があったのか、詳しいことは分かりませんが、イエスとの交わりによって、ザアカイの心に大きな変化が起こったことは確かです。
種が育つために時間が必要なように、人の信仰も一日で成長するものではありません。継続的な聖書研究や祈り、励まし合いの交わりが、人の心を育てていくのです。
4.収穫
やがて収穫の時が訪れます。ザアカイは「立ち上がって」(ルカによる福音書19章8節)自らの決心を言い表しました。それまで木の上で隠れるようにイエスを見ていた彼が、信仰を公に言い表したのです。
「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」(同節)。
彼は、イエスを「主」と呼ぶ新しい生き方を選びました。するとイエスは、「今日、救いがこの家を訪れた」と宣言されました。ザアカイの心に蒔かれた福音の種は、新しい生き方への決心という実を結んだのです。
5.定着
ザアカイのその後について、聖書には何も書かれていません。初期の教会に残された言い伝えでは、ザアカイが後にペテロから教会の監督に任命されたという記述もあるそうですが、真相は定かではありません。
しかし、このように彼の名前がルカによる福音書に記されていることを思うと、ザアカイはこの後も信仰の歩みを続け、教会に定着して大切な役割を果たしたのではないかと想像します。ザアカイの悔い改めは、その場限りの感動では終わりませんでした。そこから新しい人生が始まったのです。宣教は、バプテスマで終わりではありません。弟子として成長し続けるところまで続いていきます。
イエスの模範
エレン・ホワイトは、次のように記しています。
「人の心を動かすには、キリストの方法だけが真の成功をもたらす。人間として歩まれた間、救い主はその人たちの利益を計られ、同情を示し、その必要を満たして信頼をお受けになった。そして『わたしについてきなさい』とご命令になった」
イエスは私たちに、どのように神の愛を伝えていくのか、模範をお示しになりました。私たちは、単なる手段としてこの方法に倣うのではなく、イエスの愛を祈り求めつつ、託されている方々と関わっていきたいものです。私たちの周りにも、ザアカイのように神を求めながら、まだ教会の外から様子を見ている人がいるかもしれません。その人は家族かもしれませんし、友人や職場の同僚かもしれません。
私たちは、すべてのサイクルを一人で担う必要はありません。土を耕す人もいれば、種を蒔く人もいます。育てる人もいれば、収穫や定着に携わる人もいます。しかし、どの働きもイエスから与えられた尊い働きです。
大切なのは、自分に与えられた役割を忠実に果たすことです。そして、そのすべての働きの中心にはキリストの愛があります。
「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのである」(ルカによる福音書19章10節)。
私たちもまた、失われた人を捜し求める主の働きに招かれています。今日、神は私たちに、どのような役割を担うように招いておられるでしょうか。
〈脚注〉
1. 『各時代の希望』文庫版、中巻476~478ページ
2. 『新聖書注解・新約1』いのちのことば社、396ページ
3. 『ミニストリー オブ ヒーリング』新装版、88ページ
*聖句は©️日本聖書協会