カルロスゴーンが言うには日本には正義がないとのことで、レバノンに逃亡したらしいですね。
ただこのレバノンには本当に正義があるにでしょうか?
そこで今回はこのレバノンという国とカルロスゴーンの関係について簡単に説明していこうと思います!
さてレバノンと聞いてもどこだよ!という人も多いでしょう。
このレバノンはイスラエルやヨルダンの北側、トルコの南側に位置しています。
この位置関係だけでもやばそうな雰囲気がプンプンしていますよね!
さてこのレバノンは位置からわかるようにもともとオスマントルコの領土でした。
しかしオスマントルコは19世紀〜20世紀にかけて弱体化し、フランスの影響をめちゃくちゃに受けることになるのですね。
これがのちにレバノンを修羅の国にする要因になるわけです!
その要因というのが現在のレバノンに位置する土地に住んでいたマロン派のキリスト教徒です。
フランスはレバノンでの影響力を増すために、マロン派に援助を実施するのですね。
フランスは革命後はライシテという政教分離を国是にしてはいましたが、国民の多くはカトリック教徒でしたので国民感情としてもマロン派への援助は容易だったのではないでしょうか。
さてこのように、フランスはマロン派へ援助を実施することでレバノンへの影響力を増していったのですがその影響力を決定的にする事件がおきます。
そう、第一次世界大戦です!
イギリスの芸術的な外交政策(笑)である3枚舌外交によって、フランスはなんとレバノンの支配権を獲得するのです!
さてこのようにしてレバノンはフランスの支配下に置かれることになったのですねー。
ただ、このフランスの支配はレバノンの多数派であるキリスト教徒との友好関係に負うところが大きいものでした。
この関係がのちにレバノンを修羅の国へと変えていくことになるのです。
さてこんな感じでレバノンはフランスの保護のもと、キリスト教徒が政治的リーダーシップを発揮して国を収めてきました。
一方でムスリムや他の宗派のゲループにも議会の議席を一定数与えるなどして国内の分裂の予防もしっかりされていました。
こんな感じで多数派のキリスト教徒がレバノンを支配していたので、第二次世界大戦後のイスラエルの建国とそれに伴う第一次中東戦争でどんぱちしている中でもレバノンはある程度の平和を維持していました。
これだけ見るとレバノンが修羅の国とは思えませんよね。
実際、首都のベイルートは中東のパリと言われるほど繁栄を謳歌していたのですねー。
しかし、この平和をぶち壊す出来事が影で進行したいました。
それがイスラム教徒の増大と政治の腐敗です。
先ほどから説明していたようにレバノンの政治は多数派であるキリスト教徒がリードしてきました。
しかし時代の流れとともにムスリムの数の増大し、キリスト教徒が強い政治力を持つことにムスリムが反感を持つようになっていたのですねー。
また議会に議席をムスリムの多くは地元の名士でした。
そのため自分の地域や自分の利益を増大させるような政策を多数派や他の少数派とグルになって実行していたので、国内の政治は腐敗し切っていたのです。
このような政治的腐敗と非エリート階級のムスリムの意見が無視されている状態が続いた結果、レバノンでは国民の政治的不満が無視できないほど大きくなっていたのでした。
そして、とうとうこの不満が1975年に爆発し内戦に突入することになるのです!
さてこの内戦ですが最初はレバノンのキリスト教徒対ムスリムで戦っていたのですが内戦の悲しい運命か、外国勢力が容赦なく突っ込んでくるわけですね。
しかもこのレバノンが内戦を行うに当たっては国の場所と時期が非常に最悪なものでした。
レバノンは先ほども確認したように周りにイスラエルやヨルダン、シリアとなどのやベー国に囲まれています。
その位置関係におかげかイスラエルやヨルダンからパレスチナ難民が内戦が始まる前からレバノンに流入していました。
しかもこの難民は基本的にムスリムなので、レバノン在住のムスリムの数が増えるわけです。
この難民の流入がレバノンの人口構成に影響を与えたことは言うまでもありませんねー。
さらにこのレバノンにやってきたのはパレスチナ難民だけではありませんでした!
第三次中東戦争の影響でヨルダンから追放された、パレスチナの解放のためには実力行使をためらわないパレスチナ解放機構もやってくるのです。
パレスチナ解放機構としてはイスラエルをぶちのめすために必要な安全な基地を、レバノンが内戦で混乱している間にレバノン国内に作ってしまえということでムスリム側に立って積極的に内戦に参加していくわけですね。
これだけで地獄のような内戦と言えるのですが、レバノンに介入する外国勢力はまだまだいるのでした。
さてそんな感じでレバノンではパレスチナ勢力が拡大するのですがさらに参戦者が増えていきます。
まずは隣国のシリアそしてイスラエルが侵攻が発生するのでした。
イスラエル絶対潰す宣言をしているパレスチナ解放機構をぶっ潰したいイスラエルは、レバノンの中にパレスチナ解放機構の基地ができることは許せることではないのですね。
ですのでイスラエルはレバノンのマロン派の武闘派と手を組んでレバノンへ進撃してくるのですね。
そしてこの侵攻の際に、イスラエル軍がパレスチナ難民を虐殺した事実がのちに発覚しイスラエルも大変なことになるのですねー。
さて以上のようにレバノンの内戦はパレスチナ難民、イスラエルといった外国勢力の影響で収拾がつかなくなるのです。
ただ最終的には1989年にサウジアラビアのタイーフでレバノン国内で戦闘を行っていた各集団のリーダーたちが妥協を重ねて和平が実現しました。
ですがこの和平で構築された新たな選挙制度と、その後の制度の変革で選挙の区割りは恣意的なものとなっておりました。
選挙制度そして各グループの利害関係によって作られているレバノンの政治も決して正義があるとは言えないでしょうね。
さて話題のカルロスゴーンですが国籍を3つ持っています。
一つがフランス、もう一つがブラジル。
そして今回逃亡先として名前が出ているレバノンです。
カルロスゴーンがレバノンの国籍を持っている理由としては彼の祖父がレバノン人だったので、その関係でカルロスゴーンもレバノンのパスポートを所持しているのですね。
ですのでレバノン旅券を所持しているカルロスゴーンはレバノンの保護を求めて、レバノンに向かったのでしょう。
さてこんな感じのレバノンに帰国したカルロスゴーンですが、彼は今後どうなるのかを予想していこうと思います。
まずカルロスゴーンはレバノンに帰国したことで、日本の法律はほぼほぼ影響力を持たなくなりました。
日本政府としてはレバノンに対してカルロスゴーンの身柄引き渡しを要求するでしょうが、それが実現するかは怪しいものがあります。
一方でカルロスゴーンはその莫大な資産を元にレバノンの権力者と親密な関係を構築しているはずです。
先ほど見てきたように現在のレバノンの有力な政治家達は内戦を経験し、自身にとって都合の良い政治体制を構築してしまうような人が少なくありません。
カルロスゴーンの資金が尽きるなど、ゴーン利用価値がなくならない限りは日本に引き渡されることはないでしょう。
地獄の沙汰も金次第とは言いませんが、グローバルエリートのなんでもありっぷりはすごいですね。
]]>そのような場面ではナショナリズムは自国第一主義と同一視されることが多く、悪い思想と見なされることは少なくありません。
一方で、あまり語られませんがナショナリズムには重要なメリットや利益を現代社会が生まれてくる際に、国や国民にもたらしてきた事実もあります。
そこで今回は、ナショナリズムについて深堀していこうと思います。
さて様々な議論を生むナショナリズムはそもそもなぜ生まれたのでしょうか?
そこで最初は近代ナショナリズムが生まれた歴史を簡単にたどって行こうと思います。

ナショナリズムはフランス革命によって生み出されたと言われています。
よく知られているようにフランス革命によってブルボン家によるフランスの統治が終了しました。
ただ、この動きを見てプロイセンやオーストリアといった周辺の王政国家は革命の影響が自国に及ぶことを恐れてフランスに対しての同盟を組んで対抗していくことになります。
ですがこの革命フランスと諸王国との亀裂は戦争という形に落ち着くことになります。
戦争の初め頃はフランスは革命のゴタゴタで戦線では不利な立場に置かれていました。
しかし革命を経てフランスは主権が国民にあるということで、フランス人は自分たちの権利を守るためにも勇敢に戦っていきます。
一方でオーストリアやプロイセンの兵士は絶対王政国家の兵士なので、フランス兵と比べても国家に対しての忠誠は高くありません。
結果としてはこうした兵士の質の違いによってフランスは戦争で勝利することになるのです。
その後、フランスはナポレオンが皇帝に即位しヨーロッパ制覇を目指すことになります。
しかしヨーロッパの他の国々はナポレオンに敗北したからこそ、自国への愛国心に目覚めた集団が生まれていました。
結局、ナポレオンはナショナリズムに目覚めたヨーロッパ諸国によって追放されることになりました。
ここでフランスはフランス人の国家、ドイツはドイツ人の国家であるという認識がフランス革命からナポレオン戦争を通して作られたのです。
このように今まで見てきたことからわかるように、ナショナリズムとは〇〇と行く気には〇〇人の国という国民と国家の同一性、一体性を重要視する国家観と言えますね。

さてナショナリズムは国民と国家間の絆を強調する考え方ということを見てきました。
冒頭で、そしてナショナリズムが生まれた歴史を見たようにナショナリズムは戦争と緊密な関係を持っています。
ですから知識人の中にはナショナリズムは悪だと考える人もいます。
しかしナショナリズムにはそうした人が指摘しないメリットもあります。
そこでここからはナショナリズムのメリットについて見ていこうと思います。

ナショナリズムのメリットの一つとして公用語の成立が挙げられます。
先ほどから見てきたようにナショナリズムは〇〇国は〇〇人の国家という考え方です。
そうなればある国に住んでいる国民は同じ民族ということになり、その国の中では同じ言語を使われていることが自然と考えられます。
ですから政府は公用語を制定し、学校教育の中で言語の統一を図ることになるのです。
この公用語があることで国内ならコミュニケーションを取ることで困ることはないというメリットを甘受できるようになるのですね。
例えば日本国内で関東は日本語、東北ではフランス語、北海道ではロシア語、関西ではドイツ語、九州では中国がしゃべられている状況でしたら他の地方に行ったら不便でしょうがありません。
しかし、日本なら全国どこでも日本語で意思疎通を取ることができるので非常に便利です。
このようにナショナリズムによる言語政策は便利さを提供してくれているのですね。

ナショナリズムは先ほど見たように言語の統一政策が取られます。
そしてこの言語の統一政策は経済的にもメリットがもたらされます。
なぜなら国内で同じ言語が使われていることで機械の操作法や仕事の進め方といったマニュアルをその国で使われている国の言葉で作れば、あとはその国に住んでいる人なら誰でも読んで理解することができます。
こうなれば新人を教育する手間も大幅に何もないよりは大きく省くことができるようになります。
ですから事業の規模を大きくすることが容易になり、経済発展も見込めるようになるのですね。

ナショナリズムの根本であり最大のメリットが国と国民の間に連体感が生じることでしょう。
なぜ国民の間に連体感が生まれることがメリットになるのかというと、国と国民の間で連体感があれば政府としては国民のためになると国民が納得した国家政策の実現を目指す際には国民にある程度の痛みが生まれても国民は協力することになります。
こうした反対が大きそうで難しい政策を実現しようとしても、ある程度は実行することができるようになるのがナショナリズムの最大のメリットと言えるでしょう。

さてここまではナショナリズムのメリットを見てきました。
メリットがあれば当然デメリットもあります。
デメリットとしては妥協ができなくなるという点でしょう。
ナショナリズムが強まれば強まるほど他国や他民族に対して強圧的な態度を選ぶことが珍しいことではなくなったりします。
また二度に渡る世界大戦やその後の民族紛争はナショナリズムの影響を受けていないものはありません。
このように過激なナショナリズムは妥協を拒否する傾向になりがちなので、知識人が指摘するように戦争の原因になることは間違ってはいないのですね。

ある国は〇〇人の国と思われていても、実はその国の中にはそうではないと思う少数派がいるということは珍しいことではありません。
そうなれば、少数派としてはナショナリズムに基づいて自分の国を持とうと主張、行動を開始することが当然にあります。
そうなってしまえば、中央政府としては基本的には分離独立運動は許すことができないので懐柔から弾圧までなんでもするということは不思議なことではありません。
実際、分離独立運動はイギリスでのスコットランド独立運動などをみればどういったものかを理解できると思われます。


ナショナリズムは18〜19世紀に登場し、20世紀で完成したと言えます。
ただ現在では移動手段の発達やSNSの登場でナショナリズムの性格は大きく変わらざるをえないでしょう。
かつてであれば移動手段が限られていたので移民の数やその行き先は限られたものでした。
しかし現代は飛行機の発達で移動は過去と比べて非常に容易になりました。
ですので生まれはアジアや中東でも今は北アメリカで生活している人の数はかつてとは比べられないほど多くなっています。
さてここで問題になるのが今回のテーマのナショナリズムです。
生まれは別の土地だけど、今は別の場所で生活しているとなれば、その人の帰属意識はどうなるのでしょうか。
交通手段が発展する前なら自国に帰属意識を持つことは容易だったかもしれません。
しかし交通手段が発達し、海外に居を移していればその人の帰属意識はどこに向かうのかがわからなくなります。
その人が今住んでいる土地に帰属意識を向ければ、元住んでいた土地の人から反感を買うかもしれません。
また逆の場合も十分に考えられます。
それだけでなく、その土地に住んでいた人の中には新しくきた人間が別の土地に帰属意識を持っていれば反感を持つ人もいるかもしれません。
このように時代が変わっていく中でナショナリズムも変化していくのでしょう。
]]>ただこのポピュリズムという言葉についてメディアは基本的には否定的な立場をとります。
しかし、この批判は本当に正しいのでしょうか。
そこで今回はポピュリズムについて簡単に見ていこうと思います。
さてポピュリズムという言葉を大手メディアがよく海外の政治を説明する際に使ったりします。
ポピュリズムがなんぞや?と簡単に説明してしまえば、国内のエリート層とその他の集団間に対立を作りそれを煽ることで権力を獲得しようとする手法と言えますね。
ただ、こうした二項対立をブチあげるだけでそう簡単に人気を獲得できるのと不思議に思う人もいるでしょう。
そこでなんでポピュリズムがなぜ受けるのか、その原因を詳しく見ていこうと思います。
その人気の理由は実は結構単純だったりするのです。
こうしたポピュリズムが受け入れられている国には基本的に二つの土壌が存在しています。
それが
1.経済格差
2.既存の政党、政治への不信感
ですね。

グローバル化の進展に伴い、安い労働力を求めて国外に工場を作っていった企業の数は決して少なくありませんでした。
そのため今まで国内の工場などで働いていた人はクビになったり、給料が安くなってしまったのです。
国内のブルーカラー層は没落する一方、ホワイトカラー層は従来以上の富を蓄積することが可能になったのです。
その理由としては高いレベルの教育を前提としたホワイトカラー層の仕事は、賃金が安い国外に移転することができなかったからです。
製造業などの比較的単純な仕事では高度な教育を必要としないからこそ、簡単に賃金が安い第3国に移転することができました。
しかしホワイトカラーの仕事をするには高度な教育を受けた人材を必要としていたので、そう簡単には移転できませんでした。
なぜなら賃金が安い国ではそうした高度な教育を受けた人が少ないか、そもそも高度な教育を行える環境が整っていなかったりするからですね。
結果としてホワイトカラーの仕事は国内に残りことになったのです。
さらにはホワイトカラーの仕事はインターネットの本格的な登場や安い労働力を容易に確保できるなどグローバル化の恩恵を非常に多く得ました。
そのためホワイトカラー層はより裕福になり、ブルカラーの仕事は国内から消えたことで貧困に追い込まれてしまったのです。
このような経済格差が無視できないほど大きくなった際に、この解消を叫びポピュリズムが出てきたのです。

さてもう一つの理由として既存政治への不信感があります。
ソ連が崩壊して以降、欧米各国では右派と左派の違いがほとんど見分けがつかないようになっていました。
例えばフランスではコアビタシオン(保革共存)と呼ばれる、大統領と議会の多数派が異なる状況が生まれたり、ドイツでは右派の最大政党であるキリスト教民主同盟と左派のそれであるドイツ社会民主党による大連立政権が成立する状況がありました。
こうした状況になったことで国民は政権につくのが右派だろうが左派であろうがそこまで大した違いはないのでは考え流ようになっても不思議ではないですよね。
またヨーロッパでの冷戦後のU拡大からわかるように右派も左派もグローバル化には賛成という立場でした。
そのため国際的な経済活動も活発に行われるようになっていたのです。
ここで問題になるのが先ほども触れた非熟練労働者といったブルーカラー層の雇用が問題になるわけです。
政府は国際的な政策、志向を強めていったことで国際化は良いことということで、それによって生じている国内のブルーカラー層の経済的弱体化を見ていないか、気がついていない状況だったのですね。
このように右派も左派もほとんど同じような状況でかつ、両者から見捨てられていると感じたらどうなるでしょうか?
結果として国内で見捨てられたと感じ、政治に対してどうしようもないと無力感を持った人々は既存の政治、政党に対して完全に不信感を抱いても不思議なことではないでしょう。
このようにポピュリズムの出現が叫ばれる国の多くでは、以上の理由から政治に不信感を抱く人の数が決して少なくない有様だったのです。

さてこうした無残な政治環境で姿を表したのがポピュリズムなのですね。
ポピュリズムは冒頭で説明した通り、エリートと虐げられた国民の二項対立を煽ることで人気を獲得し、政権の獲得を目指す政治手法です。
先ほど触れたような政治への信頼もへったくれもないような環境で、「みんなの辛さは理解できる」、「自分はこんな悲惨な状況を改善することができる」、「今の環境が悪いのは政治家やエリートが好き勝手にやっているせいだ!」、「無視された自分たちの正しい声を政治に反映させよう」といった感じの主張をする政治家が現れたらどうなるでしょうか。
現状に深い失望を抱いている人であればこうした人をぜひとも応援したいと思う可能性が十分に高くなるでしょうし、そこまで不満を抱いていなくとも既存の政治家やエリートにギャフンと言わせたいと思っている人や自分たちの意見が政治に反映されていなかったことが不正義だと感じていた人は、そうした主張をする政治家に投票しても不思議ではないですよね。
このように民主主義のはずなのに、それがないがしろにされている!庶民の意見は無視され少数のエリートの意見しか政治に反映されていないと不満を持っていた人たちには、ポピュリズム政治家の見事なまでにエリートへの不満や怒りをぶちまける姿勢が突き刺さったのですね!
しかも現在ではSNSで簡単に人と繋がれるのでこうしたポピュリズムに訴える政治家の意見は簡単に拡散しますし、その政治家と繋がれるのでシンパシーを感じることは容易になっています。
ですから現代はより一層ポピュリズムが拡大しやすい状況にあると言えるのではないでしょうか
こうして不満を抱いている国民の意見をすくい取り、それが達成されないのは既存の政治家や社会のエリートが権力を独占していると主張することがポピュリズムの真髄と言えるでしょう。

さてポピュリズムは基本的にメディアからは批判の対象として扱われます。
理由としてはやはりポピュリズムが移民や難民の規制、イスラーム教を真正面からぶった切るような主張をするからでしょう。
ただこうした一面だけを見てポピュリズムを悪だと断じてしまうのは難しいかもしれません。
なぜならポピュリズムは既存のエリートから意図的に無視されてきた国民の意見を政治に直接反映させることを目的にしている面もあると説明しました。
こうした国民の声を政治に反映させるという主張だけをみれば、民主主義にかなっているじゃんと思えますよね。
無視されてきた国民の意見をポピュリスト母政治家が汲みあげたことで、既存のの政治家もそうした意見について真剣に考えるようになったのです。
ある意味でポピュリズムが民主主義の活性化につながったという点では評価をすることが可能なのではないでしょうか。

さて先ほどはポピュリズムが民主主義の活性化につながる点は評価できると触れました。
こうしたメリットがありますが、それ以上のリスクが見え隠れします。
それは全体主義的な傾向が政治に持ち込まれる可能性が十分にあることです。
ポピュリズムは国民の意見を政治に反映させることを掲げていると説明しました。
この国民の声を政治に反映させた場合時には少数派の権利や自由が制限されてしまう危険性があるのです。
こうした少数派の権利などが危険にさらされる可能性があるという負の一面があるくせして、民主主義を時には活性化させるという正の面も併せ持つのでポピュリズムは非常に厄介な存在と言えるのですね。


さて最後に日本でのポピュリズムの動きについて考えていこうと思います。
さんざんですがポピュリズムは既存の政治家、官僚、マスコミ、大企業といったいわゆる勝ち組に対しての怒りをぶちまける政治行動と見てきました。
そしてメディアは今回の参議院選挙でNHKから国民を守る党や山本太郎のれいわ新撰組がある意味での奇跡的な勝利を収めたことの要因と分析しています。
さてそれは本当でしょうか?
個人的にはれいわはの政策をざっとみれば大きな国家を志向しており、候補者も多様性にとんでいます。
これだけみればリベラルな政党に見えますね。
ただ今回れいわはSNSを利用し、ある意味で耳障りのいい政策を訴えてきました。
こうした政策は生活を苦しく思っている人や既存の政治に不満を持つ人には魅力的に映ったことでしょう。
(個人的に奨学金関係の観点から個人的にですが共感を感じました…。)
ですが彼らが主張する政策が実現可能かと考えると疑問に思える点もあります。
そして先ほども触れたようにSNSで耳障りが良い政策を主張し、国民からの支持を取り付ける点をみればポピュリズム的とも言えるかもしれません。
しかし、個人的にはれいわはまだ二項対立的な主張をしていなかったのでポピュリズム的な性格を現在、本当に持っているのかと聞かれれば疑問に思えます。
つまりれいわは現在はまだポピュリズムではないと思えます。
今後どうなるかを見ていく必要があるでしょう。

さて一方のNHKから国民を守る党を考えていきましょう。
彼らもSNSである意味でハチャメチャなウケを狙ったような広報戦略をぶっ放してきました。
そしてその主義主張はNHKをぶっ壊す、ただそれだけです。
これをみればある意味でNHKとその受信費を払いたくない層との対立構造を作ろうとしている点に目がいき、ポピュリズムじゃんと言いたくなります。
ただ個人的には疑問に思えます。
NHKから国民を守る党はとにかくアンチNHK、NHKをぶっ壊すただそれだけしか主張していません。
ポピュリズムはより包括的にエリートとその他の国民の対立を煽ることで政治権力の獲得を目指します。
ただNHKから国民を守る党はとにかくそんなの関係ねぇとNHKしか見ていません。気持ち悪いほどです。
ですのでポピュリズムではないと思います。
仮に政治的なカテゴリーで分析しようとするのでしたらリバタリアニズムに近いのかもしれません。
国家による不本意な富の収奪に反対するリバタリアニズムですので、ある意味で放送法によって視聴料を回収することが認められたNHKに対して反対の立場をとるNHKから国民を守る党はこれに当てはまるのかもしれませんね。

特に選挙が近くなると、「ある政党はリベラルな勢力だ」などと説明されるので耳にする機会がさらに多くなります。
ただリベラルとかリベラリズムと言ってもニュースや新聞がその意味を伝えることはあまりないように感じます。
そこで今回はリベラリズムの意味を解説するとともに、今の日本では賛同する人がそれなりに多いかもしれないリベラリズムに対しての批判の一つとして生まれたリバタリアニズムの考えも紹介していこうと思います。

まずは最初にリベラリズムの考え方を簡単に説明していこうと思います。
リベラリズムにおいて重視されるのが精神の自由です。
精神的自由の具体的な内容としては宗教を信仰する自由、逆に信仰を強制されない自由、ある特定の思想を持ったりそれを自由に広めることができることを言います。
他にも自分の生き方を決めたり、どういった思想を信じるかといったことも精神的自由の内に含まれます。
ただこれだけを見ても精神的自由とは何かあまりピンとこないこともあるかもしれません。
精神的自由があるとはどういったことかを理解するには逆に、それがない状況とはどんなものかを知ればよく理解できると思います。
精神的自由がないとはどういった状況かは中国や北朝鮮を考えれば分かるでしょう。
例えば北朝鮮で指導者を批判すれば過酷な罰を受けるでしょうし、中国では共産党による一党制支配の正当性を傷つける天安門事件などのニュースは政府によって握りつぶされています。
このように表現が国に規制されていたり、ましてや思想が国によって強制、制限されている状況を精神的自由がないと言えますね。
逆に精神的自由が認められている日本では総理大臣を徹底的に批判しようとも逮捕もされませんし、ましてや死刑になることもありません。
つまり精神的自由とは大まかに言えば、国家に管理されることなく自分の意見や主張をもち、それを外部に表現できる自由と言えるでしょう。

さてリベラリズムには重大な特徴がもう一つあります。
それは国家による富の再配分があることです。
富の再配分とは簡単に説明すれば税金ですね。
リベラリズムは先ほども説明したように個々人の精神的自由を重視しています。この精神的自由を達成するにはある程度の経済的な保障が必要です。
その日の暮らしや食事に困っているようでは自分の生き方や思想に意識を向けることなんてできませんよね。
ですからそうした必要最低限の生活を保障するために、リベラリズムは国家による富の再配分を認めているのですね。
つまりリベラリズムは精神的自由のためには国家がある程度は個人から財産を収奪しても良いとしている立場と言えますね。
| 経済的自由 | 精神的自由 |
| 制限される | (基本的に)制限なし、しゃべり放題プラン |


リベラリズムと同じようにリバタリアニズムも精神的自由の尊重するという点では重なり合う部分があります。
しかし経済的事由になるとリベラリズムとリバタリアズムは全く違う立場をとります。
リベラリズムは経済的自由に制限を設けることを是としましたが、リバタリアニズムではそれを否定します。
つまり国家からの富の再配分を拒否する点に特徴があると言えるでしょう。
ではリバタリアニズムの富の再配分に反対するのでしょうか。
その理由としてはリバタリアニズムの財産観にあると言えます。
リバタリアニズムの考えでは個々人が稼いだ給料や財産はその人が無から生み出したから、それはその人に帰属すると考えます。
例えばあるミュージシャンが楽曲を発表し、ファンがそれを聞いたり利用するための代価として費用を支払います。
このミュージシャンに代価と支払われた費用は、ミュージシャンが自分で生み出した楽曲から手に入れたものとして所有が正当なものとみなされます。
一方でリバタリアニズムが問題とする富の再配分はここで問題となります。
リバタリアニズムでは自分が生み出したものと、その対価として正当な形で支払われたものに対して個人の所有の絶対性を認めています。
ですからリベラリズムの正当化する富の再配分は、リバタリアニズムにとって個人が正当に取得した財産を不正に収奪する行為と映るのです
また政府が富の再配分を行うことは人々が働いて手に入れた財産をかすめ取る行為であり、ある意味では国が国民をタダ働きさせていることと同義ではないかとリバタリアニズムは批判を行っているのです。

さてここまではリバタリアニズムとリベラリズムの違いをはっきりさせるために両者のもっとも立場を異にする財産観を見てきました。
ただリバタリアニズムの考えは財産以外にも重視するものがあります。
それは個人の判断です!
それだけを聞くと精神的自由を重視する立場のリベラリズムと変わらないじゃないのかと思うかもしれません。
しかしリバタリアニズムはリベラリズムよりもより自由を重視する立場にあります。
つまりリベラリズムでは禁止されていることもOKともなす傾向が高いです。
例えば麻薬や売買春もそれを行うのは個人の勝手なのだから国家が口を出すべきではないということで容認する人が多いのですね。
このようにリバタリアニズムはリベラリズムと比べてより個人の自由を広範囲で認める立場と言えます。
ですから政府が行えるのは契約執行の保障、警察機能の提供、国防など本当に最小限のものに限られ、富の再配分など福祉国家的な性格を持つ政策は許されないのです。
つまりリバタリアニズムの立場では究極的に必要最低限な機能しか持たない国家だけが存在を許容されるのです。
ここがリベラリズムとリバタリアニズムの分かれ目と言えるでしょう。


さてここまでリバタリアニズムの立場を見てきましたが、結局アナーキズムと同じものじゃないかと思う人もいるでしょう。
さてアナーキズムは国家権力からの解放を求めるが故に、その解体を求めます。
一方でリバタリアニズムは先ほどから見えきたように精神的自由とともに経済的自由の最大化を求める立場です。
そしてそれらを最大化するための手段として政府の存在を認めているのですね。
例えば契約が遵守されなければ、経済的な自由は達成されません。また人を殺してもそれが裁かれなければ、社会はホッブスのいう万人の万人に対する闘争状態となってしまいます。
そうなってしまえば経済的自由も精神的自由もあったものではありません。
そこでリバタリアニズムでは必要最低限の社会機能を維持するために政府の存在を認めています。
つまり政府は必要悪な存在として認められているのですね。
これがアナーキズムとリバタリアニズムの最大の違いです。
つまり政府の存在を認めるか認めないかで両者は区別できるわけですね。
]]>ただマイケルサンデルの白熱教室が話題になった際に、このリバタリアニズムという言葉も以前よりは世間に知られるようになったとも言われています。
しかし、だからと言ってこんな言葉を知っている人はそこまで多くないでしょう。
そこで今回はリバタリアニズムをどんなものか簡単に説明していこうと思います。

このリバタリアニズムは何かと問われれば、簡単に言ってしまえば政治哲学の一種といえるでしょう。
つまりリバラリズムや保守主義のように政治においての立場の一つと言えますね。
さて肝心のその内容はどう言ったものかというと、一言で説明してしまえば「国家権力や支配からの徹底的な開放」を求める立場といえるでしょう。
国家権力からの開放と聞くとリベラリズムいわゆるリベラルと同じ立場じゃんと思う人も多いでしょう。
リベラリズムの立場については以下の記事でまとめてみたので参考にしてみてください。


リベラリズムとリバタリアニズムの間には大きな違いがあります!
それはリベラリズムは国家によって行われる富の再配分に対してより肯定的な姿勢をとるのに対して、リバタリアニズムはそれに対して否定的な見解をとっています。
リバタリアニズムの基本姿勢としては個人の所有権の絶対性を認めるところに価値を置いています。
ただ国家による富の再配分がどうとかこうとか言われてもイメージがわかない人もいるでしょう。
ですから簡単に説明していこうと思います。さてまずは国家による富の再配分機能は何かと言うところから見ていこうと思います。
国家による富の再配分機能を簡単に言ってしまえば税制や公的医療制度のことですね!
基本的に税制や公的医療制度の目的としては富裕層からそうでない国民に富を移転し、国民全てに対してある程度の生活水準を保証するところにあります。
現在日本での累進課税や公的年金は国家による富の再配分機能の代表的な例としてあげることができるでしょう。
このように国家によって持てる者から持たざる者への富の再配分機能に肯定的な立場をとるのがリベラリズムの基本姿勢なのです。

さて、ここからが本題であるリバタリアニズムの姿勢を見ていきます。
先ほども挙げたようにリバタリアニズムの立場としては国家の再配分機能に対して否定的な立場をとっています。
つまり簡単に言ってしまえばリバタリアニズムは課税や公的年金に対しても基本的には反対の立場と言えるのですね。
これだけをみると年金とか社会保障がなくなると大変なのにそれを支持するリバタリアニズムの考えは理解しにくと思う人もいるでしょう。
しかしリバタリアニズムの大家でありハーバート大学で哲学教授だったロバートノージックの考えを見てみるとリバタリアニズムの考えも一理あるように思えるかもしれません。

お金を得るオーソドックスな方法としては、フルタイムの仕事に限らずアルバイトなど様々な労働の対価として獲得することですよね。
しかし税金は必死に稼いだお金の一部をを情け容赦なく分捕っていきます。社会人ですと毎月の額面と手取りの間にやるせない気持ちを持つ人もいるでしょう。
ここでノージックは政府による税の徴収は人々が生み出した価値を巧妙に掠めとる許し難い行為であり、人々を強制労働に従事させていることと同等だと強く非難しています。
強制的に徴収された税金の行き先について疑問や不満を感じている人であれば課税行為は強制労働と同じと言う考えに賛成派できなくとも、理解はできるのではないでしょうか。
このようにリバタリアンの考えでは税金や社会保障のための強制的な負担は国家よって行われるこそ泥行為と言えるのです。
個人の意思を最大限に尊重するリバタリアニズムの考えに沿えばもし政府が社会保障などのために資金が必要となれば強制的な課税によってではなく、個人の自発的な意思によって提供された資金(例えば寄付など)によって達成されるべきとなるのです。
(つまりこのリバタリアニズムの考えからすれば見る気もない放送局から受信料を強制的に徴収されることは甚だ不当といえるのですね…)
そして実際に累進課税制度によって重い税負担を負っているが再配分機能の恩恵を実感する機会が少ない高所得者にとっては、このリバタリアニズムの考え方はより魅力的に感じられるのですね。
また高所得者だけでなく税負担を重く感じているのにその見返りが少ないと感じられる人にとってもこのリバタリアニズムの考え方に一理あると感じられるでしょう。

さてここまではリバタリアニズムの考えを見てきました。もしかしたらリバタリアニズムって最高じゃん!と思っている人も多いかもしれません。
しかしリバタリアニズムにも強く批判される問題がそれなりに含まれています。
そこでここからはリバタリアニズムが抱える問題はどんなものかを簡単に見ていこうと思います。

さて限度は人によって様々ですが、先ほど確認したようにリバタリアニズムによると国家は小さければ小さい方が良いことになります。
そうなると社会保障機能も弱体化、極端な場合ですと廃止が正しいとされます。
そしてリバタリアニズムの問題点としてはまず第一にこの社会保障機能が著しく弱体化する点です。
なぜ社会保障の弱体化が問題なのかは、実際に社会保障が廃止ないし著しく弱体化した社会を想像してみればよくわかると思います。
社会保障の著しい弱体化の問題の一例として医療が非常に高額になる点を指摘できるでしょう。
現状の医療保証制度においてはガンなどの治療において国が財政的にバックアップを行っています。
しかし社会保障が消滅、または大幅に削られるとこのような国家による金銭的支援も同じように消滅、削減の道をたどることが予想できます。
そうなってしまえば従来はガンの治療などでもそこまで患者にコストがかからなかった時代は終わり、患者は治療のために非常に大きい支出を強いられます。
そうなると今までは医療を受けることができた人でも費用が出せないから医療を受けることができない状況に陥ります。
結果として極端な話ですが、高額な医療が必要となる病気になってしまえば富裕層以外は死ぬしかない社会になってしまうのです!
このように人が医療を受けられずバタバタ死んでいく社会が望ましいかと問われれば多くの人は否定するはずです。
他にも社会保障がなくなると教育制度や労働環境の大幅な悪化が起こりえます。
このようにリバタリアニズムは社会環境の破壊を引き起こしかねないと批判することができます。

リバタリアニズムに対しては次のような批判もあります。
それは富裕層やリバタリアニズムの賛同者はこれまで再配分機能の恩恵を受け取ってきたのにそれを縮小、廃止することは社会保障のタダ乗りではないかつまりフリーライダーではないかと言う批判です。
リバタリアニズムを信奉する人でもこれまでの人生で教育を受けたり、病院に通ったことがないという人はいないはずです。
こうした教育や医療の恩恵を受ける人が支払う金銭的対価は小さいものです。
なぜ恩恵を受ける人の金銭的支出が少ないかというと、国家が課税行為によって集めたお金をそこに投入しているからです。
実際に今の日本では義務教育は無料ですし、医療費も本人の負担は3割に止まっています。
こうした制度が機能しているのは政府による再配分が機能しているからなのです!
もしリバタリアンが主張するように政府の再配分機能を弱体化させたら、それから先の時代の国民は低負担で済む教育や医療の恩恵を受けることは難しくなります。
こうなると将来の国民としては昔の世代は安く教育や医療を受けていたのに、自分たちはそれを得ることができないのは不公平だと不満を持つことが予測できますよね。
こうした将来世代からの不満が噴出するであろうことが予知できるからこそ、リバタリアニズムの考えは社会保障のタダ乗りだと批判することができるのです。
このようにリバタリアニズムは良いと思われる側面もあれば、肯定できない側面も持っています。
しかしあまり日本では話題になることがないリバタリアニズムという考えがあると知っているだけでも今の政治的にも経済的にも閉塞したように思われる空気を吹き飛ばせるような気を持つことができるのではないでしょうか。
]]>さてユダヤ人が迫害された理由を究極に単純化すると、教科書通りの説明になりますが第一にヒトラーがユダヤ人を嫌悪し彼らの絶滅を己の使命と確信していたこと。
第二に当時のドイツ社会の経済状況の脆弱さと、ドイツ社会とユダヤ人の歴史をあげることができるでしょう。
ただホロコーストという虐殺まで行き着いたユダヤ人迫害の原因をここまで単純化してしまうと非常に重要な要因を見失ってしまいます。
そしてこの重要な要因は現在の日本で生きる自分たちにも決して他人事とは言えないことです。
知っているだけでも自分の身を守ることに役に立つはずです。
そこで今回はユダヤ人迫害のこの二つの原因を詳しく見ていこうと思います。
さてナチスによるユダヤ人迫害の原因はヒトラーがユダヤ人を嫌っていたことを原因とする説明は少なくありません。
しかし、なぜヒトラーはユダヤ人を最終的には虐殺するほどまで憎んでいたのでしょうか?

さてヒトラーがユダヤ人を嫌悪するようになったのはオーストリアの首都ウィーンで過ごした青年期にあると言われています。
当時のウィーンはハプスブルク帝国(オーストリア帝国)の首都であり、その人口構成は非常に複雑なものでした。
なぜなら当時のハプスブルク帝国はヨーロッパ一と言っていいほどの多民族国家であり、その首都ともなれば人種構成は多様なものであっても不思議ではありませんよね。
そしてこのような多様な人種、民族を抱えていたウィーンにも多くのユダヤ人が生活を送っていました。
このようにユダヤ人が数多く生活するウィーンの中でヒトラーは青年期を過ごしていたのです。
ただヒトラーにとってこの青年期を過ごしたウィーンでの生活は決して幸福なものではありませんでした。
もともとヒトラーは画家を目指しウィーンの美術学校を受験しました。

しかし、受験の結果は不合格という形で終わってしまいます。
ヒトラー本人は合格を確信していたのですから、受験の失敗による精神的ダメージは相当大きかったでしょう。
受かったと思った試験で落ちれば悔しいと感じる人は多いでしょう、ましてや第一志望の学校に落ちたとなれば誰もがその辛さや悔しさを理解できると思います。
(そして、現代の日本で美大に落ちた独裁者としてネタにされている…)
伍長閣下→正確な呼称じゃない云々
元浮浪者のおっさん(56)→元ネタを知らないと分からない
美大落ち→9割がたヒトラー
虐殺おじさん→他にもいる— KJ (@x3892555) 2019年1月6日
一方、美術学校の講師からヒトラーは建築の才能が認められ建築学校の入学を進められます。
この勧めによりヒトラーは建築学校の進学を希望するようになるのですが、ヒトラーは小学校を卒業後に進学した実技学校を中退していたので建築学校の受験資格を持っていませんでした。
そして希望の進路を取れなかった青年は浮浪者生活に突入することになるのです。
官吏の息子として育ったヒトラーにとってこの極貧浮浪者生活は苦しいものでした。
このように希望する進路は不可能となり、さらにホームレスとしての生活を営むこととなった街と青春時代を苦々しく感じられても不思議ではないでしょう。
ただ、ウィーンで失敗したからと言ってなぜユダヤ人を憎むようになったのでしょうか?
その理由としてはヒトラーは不遇の時代をウィーンで過ごしている間の経験をあげることができるでしょう。

一つは当時のウィーン市長が反ユダヤ思想の持ち主であり、その主張を様々な場面で公言していたことです。
市長はユダヤ人は国際資本を独占し、経済を我が物にしているので排除する必要があるといった主張を行っていました。
不遇な時期にこうした情報に触れたヒトラーはユダヤ人に対してのより興味、関心を向けるようになり街中に溢れるパンフレットなどを買漁るなどしてユダヤ人に対しての思想を構築していくことになったのです。
このようにヒトラーはユダヤ人についての情報を集めいていくなかで、時には浅ましい議論や偏見とも言えるユダヤ人に関する情報に触れ一時は反ユダヤ主義に対して懐疑的になることもあったとも言われています。
しかし、ヒトラーは最終的には反ユダヤ的思想・世界観を形成することを選択しました。
また当時のウィーンにはポグロムと呼ばれるロシアでのユダヤ人迫害から逃げてきたユダヤ人がたくさんいました。

そのようなユダヤ人は元からウィーンに住んでいたユダヤ人とは異なり身なりも汚いだけでなく、時には売買春など怪しい仕事を行っていました。
このような異質な存在に対して従来のウィーン社会においては反感を抱くものは少なくありませんでした。
そして反ユダヤ的な空気が存在するウィーンで、ヒトラーはそうした街で人生のどん底を過ごしていたのです。
それまでの人生においてもっとも不遇の時期を過す中で社会が反感を持っている集団に対して、憎しみを持つようになり反ユダヤ的な世界観を形成しても不思議ではないでしょう。(無論、ユダヤ人としては勝手に恨んできて虐殺してくるなんてふざけるなと言う話でしょうが…)

さてユダヤ人が迫害、虐殺されたのは今まで見てきたようにヒトラーが個人的に嫌っていたからと結論付けることもできるかもしれません。
実際にヒトラーは「我が闘争」の中でユダヤ人を延々と批判し、彼らが危険であるということを主張し続けています。
こうした事実を鑑みると、第一次大戦後のドイツで絶対的な権力者となったヒトラーが個人の信念に基づいてユダヤ人の虐殺を行ったのか思えてしまいます。
ただ、独裁者といえども国内にいる一定の集団をそう簡単に虐殺することができるのでしょうか。
例えばヒトラーの権力や独裁に反対する人間にとって、この過激な主張や行為はヒトラーを権力の座から引きずり落とすために有用な宣伝材料等として使うことができますよね。(しかし実際にはヒトラーはベルリン陥落が目前に迫り、自殺を選択するまで権力を握り続けることができましたが…)
このように考えてみると、ヒトラーの個人的な趣向だけで虐殺を行うのは難しいのではないでしょうか。
そうなると、ユダヤ人虐殺(ホロコースト)が実行されていったのはヒトラー個人的思想以外にも原因があると言えるでしょう。
それが第二の理由としてあげることができる、当時のドイツの状況と歴史です。

さてドイツは第一次世界大戦後、敗戦国として尋常ではない程の賠償金を筆頭に戦争の責任を負うことになります。
こうした過酷な戦争責任を負うことになったドイツ社会はフラストレーションのはけ口が求められていました。
その対象となったのがユダヤ人だったのです。
なぜならユダヤ人はマイノリティーでありながら、戦後のワイマール共和国でも社会的に重要な地位を占めていました。
このようにマイノリティーだが重要な地位にあるということでユダヤ人に対しての反感がドイツ社会を覆っていたのです。

さらにユダヤ人は古くから社会のマジョリティーから排除されていた歴史もあり、より反ユダヤ的な空気が生まれていたのですね。

そしてヒトラーはこうした社会情勢にうまく乗り権力を獲得していったのです。
ヒトラーは自身の思想としての反ユダヤ主義と、国民の中に燻る反ユダヤ主義と不況に対する不満を利用することで選挙に勝利し、独裁者への道を切り開いていきました。
これは当時の国民が、言い換えれば民主主義が国内に存在する特定の集団を排除・虐殺を可能にしたと見ることができるのではないでしょうか。
無論、この見方は民主主義を貶めるための非常にシニカルな考え方と批判することもできます。
ですが民主主義が結果として歴史的な悲劇を招く一因となったということも否定することはできません。
さて、以上からホロコーストが起きたのは民主主義の中で少なからずユダヤ人に対しての迫害政策が支持されたという事実も一要因として言えるでしょう。
ただし、ヒトラーが政権を獲得してすぐにユダヤ人の虐殺を始めたのではないことに注意が必要でしょう。
なぜなら政権を獲得してすぐに特定の集団の虐殺を始めれば、自分も殺されるのではと国民が考えヒトラーの政権に対して拒否を示すことが予想できるからです。

しかし実際にはヒトラーは徐々に徐々にユダヤ人から権利を奪うという形で迫害をすすめていきました。
最初は公務員への就任権の剥奪、大学への入学制限から始め、次第に財産の制限、没収とユダヤ人を社会から排除していき、最終的にはホロコーストに行き着くのでした。
このようにヒトラーのユダヤ人迫害は小さな制限を課し、制限を増やしていくという形をとったのです。
そのため国民としては文字どおり他人事にしか感じられず、ヒトラーのユダヤ人迫害政策に対して積極的に反対する空気が生まれにくい背景がありました。
つまりナチスによるユダヤ人迫害は国民の意識に上らないように行われたと指摘することもできるかもしれません。
ただし、ヒトラーは反ユダヤ的な態度をとったから国民の支持を得ることができたということは忘れてはいけないでしょう。
以上から、ヒトラーがユダヤ人を迫害できた理由としては①反ユダヤ的な思想を形成したヒトラーが、ユダヤ人迫害を己の使命と確信し②その思想を受け入れる空気がドイツ社会に存在しており③ユダヤ人迫害政策が急進的に行われず、国民から断固拒否されない程度に迫害が進んでいったからではないのでしょうか。

さてここまではヒトラーによるユダヤ人迫害を見てきました。
こうしてみるとユダヤ人迫害の原因はヒトラーの狂気が当時のドイツに受け入れられる下地があったこと、そして迫害政策が段階的に引き上げられていったことではないかと思われます。
そして何か不都合だったり、不利益になりそうなものは段階的に行われているということが実は現在でも起きているかもしれませんよね。
そうなるとユダヤ人迫害はある意味で決して他人事と言えないのではないでしょうか。
ですので何か例え小さいことでも自分の不利益になりそうな事案が起きたら、その背後関係を考えてみることは自分の身を守るのに役立つかもしれません。
]]>しかしなぜリベラリズムはこのように胡散臭かったり、エリート主義感が満載で気に食わないと感じられるのでしょうか。
そこで今回はリベラリズムとは何か、そして人々がリベラリズムに対して不信感を持つのかを簡単に説明していこうと思います。

さてリベラリズムと言っても実は使う場面によってその意味が変化します。
ですので色々な人がその時の文脈によってリベラリズムという言葉、思想を利用している現状があるのです。
そのため使っている人や、使われている場面によってリベラルという言葉の意味が変わることは少なくないのです。
こうした理由からリベラリズムに一貫した意味を感じられないということがあるのです。
つまりベラリズムという言葉が持つ意味の多さや、それを使う人の説明不足や理解の浅さがリベラルという言葉を胡散臭いと感じさせているのではないでしょうか。
さてここからはリベラリズムの意味について簡単に説明していこうと思います。
リベラリズムは基本的には次の文脈によって意味が変わってきます。
第一に政治哲学、国内政治で使われる場合。第二に経済面で使われる場合。
そして国際政治で使われる場合に意味を使い分けることができるでしょう。

さてリベラリズムという言葉は政治哲学や国内政治における理論武装として使われるようになったのが始まりです。
他の二つの意味つまり経済的なものと国際的なものは、これから派生していったと言えるでしょう。
さて肝心の政治哲学としての意味を簡単に言ってしまえば、「国や権力による強制から自由」ということができるでしょう。
つまり個々人が国家権力から何かをすることを強制されない、自分のやりたいことを権力に邪魔されないことの保証を求めるのがリベラリズムといえますね。
ただ好きなことができるとあれば、盗みを働いたり人を殺す自由も保証されるのでは…と思う人もいるかもしれません。
もちろんリベラリズムではそのような人に多大な迷惑をかけるような行為を保証しているわけではありません。
つまり他人に危害を与えないという括弧付きでの自由を認めているという点がリベラリズムにおいて重要なところです。
迷惑をかけない限り自由を享受することができるという考えにもちゃんと理由があります。
それはリベラリズムが生まれた時代背景を考えるとわかりやすいと思います。
リベラリズムはもともと18世紀のヨーロッパで生まれた概念です。
当時のヨーロッパでは啓蒙主義が高まっていたとは、知識人を含めたヨーロッパの人々はキリスト教の教えの元にありました。
そしてキリスト教の教義から万人の平等という思想を導くことが可能だったのですね。
平等であればこそ同じ立場の誰かから財産を力ずくで奪うことや信仰を強制したり、否定することは許されません。
であればこそ、生命と財産権の保証(私有財産制の保証)や信仰、表現の自由の保証が導き出すことが可能なのです。
こういうわけでリベラリズムは他者の権利を侵害しない限りにおいて、何をするかの自由、何を信じるかの自由を保証したものと言えるのです。


さてリベラリズムにおいてもう一つ重要な考えがあります。
それは国家の権力の抑制です。
個人の自由を尊重するという考えをリベラリズムと説明してきたので、急に国家権力の抑制という話が出てくれば話が違うのでは感じるかもしれません。
しかし、この国家権力の抑制は実はリベラリズムという神話を構成する上で重要な意味を持ってくるんですね。
繰り返しになりますが、リベラリズムは個人の自由(その自由は精神的なものだけでなく、経済的なものを含んでいます)を尊重するドグマです。
考えてみると国家は個人と比べて非常に強力な権力を持っていますよね。
しかもこのリベラリズムという考えが生まれたのは16世紀頃のヨーロッパです。
その当時のヨーロッパではある程度は制限があったとはいえ、国王や領主の権力は非常に強力なものでした。
なぜなら国王や領主は現在の立法、行政、裁判に関する権限を一手に握っているような状況ですね。
このような状況ですと国王や領主といった権力者=国家は国民に対して立法、裁判、行政の権力をすべて活用することができるので、国民の自由は簡単に制限されてしまうものと言わざるをえません。
ですから国民が自由を獲得したいと考えるのなら、国家権力の制限が必要となってくるのです。
そしてこの国家権力の制限こそが社会とかで習ったであろうモンテスキューの三権分立、権力分立として結実したのです。
以上からリベラリズムとは人々が国家権力から邪魔されることなく、かつ他人の権利を侵害しない限りにおいて自分の利益を最大化することを是とする思想と言えます。


ここからは経済におえるリベラリズムについての説明をしていこうと思います。
さて先ほども説明したようにリベラリズムでは個人の利益を最大化することを正しいものとしています。
ですので経済的なものですととにかくお金を稼ぐということも正しいと考えられていたのですね。
しかし、この経済的なリベラリズムの考えは修正されることになるのです。
産業革命を経たヨーロッパでは経済格差が無視できないほど大きなものになり非常に問題になっていました。
実際、マルクスの共産主義がこの頃生まれたことから経済格差の拡大がよくわかりますよね。
そしてリベラリズムは経済格差の原因として攻撃されるわけなのです、
リベラリズムはこうした攻撃を受けて思想の修正を迫られたわけです。
そしてリベラリズムは国家が経済分野に介入することを是とするようになったのです。
この経済における介入において国家は個人の経済的自由や所有権の制限を認められるようになったのです。
ただし全面的に介入が認められるわけではなく、教育や健康、雇用、住居など国民の生活の基礎をなす分野に介入が正当化されたのです。
こうした介入を認められた分野に国家が積極的に関与し、国民の生活の向上を図るのであれば経済的自由や所有権の制限が認められるようになったのです。
そしてこの考え方をアメリカの政治学者であるロールズが正義論という形で論理化したのです。
この理論が今のアメリカでのリベラリズムを意味し、民主党の政策のバックボーンになっているのです。


さて、最後に国際政治においてのリベラリズムの役割を簡単に見ていこうと思います。
国際社会は主権国家から構成されています。
そしてこの主権国家の関係は平等なものとなっています。
たとえアメリカのような超大国とナウルのような太平洋上の小国家も国際社会では名目上といえども対等な存在として扱われます。
そして複数の主権国家同士で何か国際的な問題を解決しようとした際に国家同士で協力できればすぐに解決できるのは当然に思えますよね。
一方で協力できなければその解決が難しいのは地球温暖化などの問題を考えてみればすぐにわかりますよね。
このことから分かるように主権国家は対等として扱われるので国際社会で何か問題を解決したいと思っても、その問題を解決するには互いに協力することができなければ難しいのです。
これは国内の状況と比較すると、その違いがよくわかると思います。
なぜなら日本国内で私人間で何か問題が発生しても最終的には裁判で問題を強制的に解決することができます。
例えば日本国内で誰かが交通事故にあった際に、その被害者は加害者に対して損害賠償を裁判を通して強制的に得ることができますよね。
しかし、国際社会では先ほども見たように何か問題が発生しても強制的に解決してくれる存在はありません。
国連が解決するのではと思う人もいるかもしれません、しかし国連でも主権国家間の平等が担保されています。
なので国連も国家間に問題を解決するように注文することはできません、またそもそも国連は国家間の寄り集まりという性質があります。
ですので国際社会は国内と違って強制的に問題を解決する存在がないですね。
そこでこうした強制的に問題を解決することができない国際社会への処方箋の一つとして出てくるのがリベラリズムなのです。
国際社会は先ほども述べたように、国家に対して問題を強制的に解決させるような権力もパワーも持っていません。
そうした状況に状況に対して、リベラリズムでは国際規範を作ることで国家間が協調するようになり問題が自然に解決されるようになると信じられているのです。
規範ができたからといって問題がそう簡単に解決されるはずがないと思えるかもしれません。
しかし、次のように考えてみれば納得することができるかもしれません。
自分以外の人が何かしらのルールを守っている中で自分だけがそれを守っていなかったら何かしら決まりの悪いものがありますよね。
そして国際社会でも他の国々は特定の規範に従っているのに、ある国だけがそれを守っていないという状況を考えてみましょう。
そうした状況ですと、規範を守っていない国に対して他の国はいい感情を持たないでしょう。
もしかしたら規範を守っていない国に対してある国が独自の経済制裁を課して他の国もそれに追随するかもしれません。
そうなれば規範を守らないことが国にとって逆に不利益になると考えて規範に従う可能性は十分にありますよね。
このように規範を守らないことに対しての批判が起きたりして国の不利益になると判断するようになれば、規範に従う方が得だとなり問題が自然胃解決されるようになるかもっしれません。
このように国際的な問題が解決されると考えるのがリベラリズムの考え方です。

ただ一方で「イスラーム原理主義」とは何かを詳しく説明されていません。
そこで今回はイスラーム原理主義がなぜ生まれ、そしてここまで影響力を持つようになったのかを深堀していこうと思います。

そもそも原理主義とはどう言ったものなのでしょうか?
原理主義とういう言葉からすれば、何だか基本的なルールを守らせることを強制させるような響きがありますよね。
さて、この「原理主義」という言葉はもともとアメリカで生まれた言葉です。
この言葉は「聖書」に書いてある言葉は神のものであり、間違いあるわけがないというものを指しています。
フランス革命、産業革命を経て欧米世界では世俗に対してキリスト教の影響力は格段に弱まっていました。

そうした中で「聖書」も神学的なものではなく、歴史的な書物として研究しようとする研究者が現れてきました。
そして研究者により聖書に収められている聖典の中には、科学的立場から否定されるもものが出てきたのです。
一方で、こうした聖書を科学的な研究対象とすることへ反対する立場の聖職者が当然のように現れます。
そうした聖職者の中から後に「fundamentalism」、つまり原理主義と呼ばれる聖書の中身は神のことばであり絶対に正しい、無謬性を解くグループが現れたのです。
こうした原理主義者は聖書が説くように同性婚の反対や、進化説の否定といった立場をとるようになるのです。
そして原理主義者は時には裁判や政治的行動を起こして、アメリカ政治に自分たちが望むような宗教的影響を与えようとしてきたのです。
つまり原理主義はもともとはキリスト教における用語の一つだったのですね。

ここまで見てきたように、原理主義はアメリカにおけるキリスト教の聖書解釈から生まれた言葉ということが分かりました。
こうしたキリスト教の言葉がなぜ、イスラームと結びついていったのでしょうか。
さてアメリカで生まれた「原理主義」という言葉は、聖書は絶対に正しいと信じる熱心なクリスチャンを指すものでした。
ただ原理主義という言葉に対して、悪く言えば狂信者とか融通の利かない宗教バカと言ったニュアンスがありました。
そうした中で、第二次世界大戦後の資本主義世界の親玉になったアメリカは否が応でも国際政治の舞台で重要な役割を背負うことなりました。
そして、当然ですが中東においてもアメリカは影響力を行使していました。
そんな中で1979年のイラン革命、アフガニスタンのタリバーン、パレスチナのファタハ、そして9.11テロの実行組織であるアルカイダ、イスラム国と言ったイスラームの教え、コーランを絶対視しこれを政治に反映させようとする組織が生まれてきます。


アメリカとしては自国にいる「原理主義者」のイスラームバージョンだろうとということで彼らを「イスラーム原理主義者」と呼ぶことにしたのですね。
これがイスラーム原理主義という言葉が生まれた経緯です。
さて、肝心のイスラーム原理主義とはなんなのでしょうか?
はっきりと言ってしまえば、先ほども説明したように
コーランの教え通りに政治運営をしようとする主義主張
ですね。
そして後にイスラーム原理主義はコーランによる統治を実現するために、多くの人が知るように様々なテロ行為を活発に仕掛けていきます。
さて、ここまではイスラーム原理主義とは何かを簡単に見てきました。
ただその残虐性と一時とはいえ既存の国家体制を破壊し新しい秩序を生み出したことで名を挙げたイスラーム国のようなグループの中枢的な思想となる、このイスラーム原理主義はなぜ生まれたのでしょうか。
異教徒とはいえ人を嬉々として殺したり、自爆テロなんでもござれ一目見てもヤベー思想を受け入れるなんて難しい、無理と考える人が多いと思いまし。
しかし、そうした思想を簡単に受け入れる人もいたりします。
そこで、ここからはなぜイスラーム原理主義が生まれ、それが受け入れられたのかを簡単に確認していこうと思います。

イスラーム原理主義が生まれたそもそもの理由としては19世紀におけるオスマン帝国、アラブ社会の西洋への植民地化が大元と言えるでしょう。
イスラーム社会において自分たちが西洋の隷属状態に置かれた理由は何かと考えるようになりました。
そうした中で有力な原因とされたのがムスリムの信仰が弱くなったからだというものです。
西洋の隷属状態から抜け出すには信仰を再度取り戻す必要があると説かれたわけですね。
さてそうした中で第二次世界大戦後アラブ世界では、欧米社会と異なる政治体制が求められるようになっていました。
そこで有力だったのがアラブ主義と、今回のテーマたるイスラーム原理主義なのです。


この二つの新しい思想においては当初はエジプト大統領であるナセルが主導するアラブ主義が有力でした。
しかしアラブ主義は次第にその魅力を失っていきます。
第一にアラブ主義に旗手であったナセルの権威が失われていったことです。
エジプトは数度にわたるイスラエルとの中東戦争での敗北していました。
そうした中でナセルがエイジプと大統領として指導した第三次中東戦争において、エジプトはシナイ半島をイスラエルに占領される形で終結した。
これによってアラブ主義の正当性は大きく傷ついたのです。
第二にアラブ主義を唱える国家内での格差と腐敗です。
さてアラブ主義を採用していたエジプトでは、特にアラブ社会主義ということで国家が大きな権力を握っていました。
そのため大規模な農地改革や大規模な国営工場と大規模な軍隊が存在しており、当然のように多量の富が国家や軍に流れ込んでいたのです。
ただこうした富と権力の集中は次第に軍、政治、官僚、富裕層が結びつかせ、政治を腐敗させ国家の富の再配分機能が麻痺するようになったのです。
こうして国家のエリートはエリートのままであり一層の豊かさを得る一方で、貧困層はそのまま貧困層に縛り付けられ貧しいままでした。
こうした社会に貧困層は今の政治、経済状況を提供するアラブ主義に次第に幻滅していくことになるのです。

そんな中で輝きを増していったのが後にイスラーム原理主義と呼ばれる、もう一つのコーランを統治の中心に据えるという考えです。
このコーランを統治の中心に据える、つまりイスラームの教えに回帰するという考えが支持されるようになったのは二つあります。
一つは先ほども説明したようにアラブ主義の魅力が失われたこと。
第二にイスラーム原理主義は行動を実際に起こしたことです。
エジプトではイスラームの教えに基づいて活動を行うムスリム同胞団が1920年に生まれ、貧困層に対して教育、医療の提供などをコーランの教えに基づいて行っていました。
なので、病気になってもお金がなくて病院に行けないようなエジプトの貧困層は彼らを強く支持するのは当然ですよね。
そうした中でアラブ主義が没落して行ったので、対照的にイスラーム原理主義の社会を変えるかもしれないという魅力は大きくなっていったのです。

このようにイスラーム原理主義の一部を見ると貧困層に施しをしていて良い人たちに思えますよね。
ただ一方でテロを行うなど非常に暴力的で危険な側面を有しています。
なぜ彼らがそのような暴力性を身につけて行ったのでしょうか?
その理由としては彼らの思想と政府の弾圧があげることができるでしょう。
そもそもイスラーム原理主義はコーランが絶対であり、つまるところ主権者は神であり決して政府や国民ではありませんでした。
そのため政府としては、自分たちの主権を致命的に脅かすイスラーム原理主義者は是が非でも潰したい存在と言えます。
結果、エイジプとのムスリム同胞団は政府に対して弾圧されるようになったのです。
そうした中で、原理主義者の中から弾圧の報復と自衛のために政府をぶっ潰せという主張が出てくるわけです。
そして、コーランは神を主権者としているので原理主義者は政府への暴力行為を簡単に正当化することができました。
政府はイスラームに反しているということでジハードの対象であり、政府を潰すための攻撃は正しいということですね。
実際、9.11テロを起こしたビンラーディンは祖国サウジアラビアはアメリカの従属しておりイスラーム的に正しくないと批判していたところ、国外追放されました。

このようにムスリムが大半を占める国家にとっても自分の権力を奪うことを正当化するイスラーム理論は非常に恐ろしいものだと教えてくれますよね。
しかも政府への攻撃、テロ活動は神の道に沿っているジハードなのだから報酬として死後の楽園が約束されれているということで、熱心な原理主義者がテロ活動に従事しても不思議とは言えないでしょう
これが原理主義者が政府、つまり既存の地上の権力者に対しての暴力性を獲得した理由と言え、政府が何が何でもイスラーム原理主義を潰したい理由と言えるでしょう。
無論、政府が弾圧に力を入れれば入れるほど原理主義者も過激になるというなんとも嫌な袋小路に陥っているとも言えますが…。

そしてこの自国の不信心な政府に対してのジハードが正当化された理論が、次第に自分たちの信仰の邪魔になる外国政府を攻撃しても良いという理論いわゆるグローバルジハード論を生み出していくのです。
このグローバルジハード論の実践者がアルカイーダの指導者であるビンラーディンであり、実際に既存の国家体制を破壊しカリフ制の再興を唱ったイスラム国であると言えるでしょう。

さてつまるところイスラーム原理主義が力を得た理由としては、第一に既存の体制に幻滅していた人間をうまく掬い上げることができたこと。
第二にそうした人たちに自分たちの行動を正当化できる大義名分と、死後といえども魅力的な報酬を提示できた点にあると言えるでしょう。
]]>この問題に対して多くのメディアは原因として、バルフォア宣言を原因と指摘しています。
しかし、バルフォア宣言のそもそもの原因はあまり知られていません。
そうなると本当にバルフォア宣言だけが原因なのかが疑わしくなります。
そこで、今回はエルサレム問題の根本的な原因を深堀していこうと思います。
さてエルサレム問題の原因としてバルフォア宣言がよく学校の授業やマスメディアに指摘されることは少なくありません。
ただバルフォア宣言っていちいち覚えている人なんて受験生か中東に興味を持っている人くらいしかいないと思います。
そこでまずは簡単にバルフォア宣言ってどんなものかを確認していこうと思いますよ〜。
さて肝心のバルフォア宣言の内容はというと、一言で言えば20世紀にイギリスがユダヤ人に今現在のイスラエルに当たる土地を与えるという約束です。

そして今回の主要なテーマであるエルサレムもイスラエルの範囲内にかぶさってくるのですね。
ただ当時エルサレムそしてイギリスがユダヤ人に与えると約束した土地は第一次世界大戦まではオスマン帝国が支配しいました。
しかしイギリスはオスマン帝国に関係なくユダヤ人に土地を与えると約束したのです!
よそ様の土地を勝手に与える約束をするイギリスがものすごく傍若無人に感じられますね…。(ただ帝国主義真っ只中の時代ですからイギリスにとっては当たり前のことだったのかもしれませんね)
さてパレスチナ、エルサレムはイスラム教を国教とするオスマン帝国が支配した土地ですから、当然その土地には数多くのイスラム教徒が住んでいました。
さてユダヤ人はバルフォア宣言という大義名分を得たことでパレスチナに大量の移民として向かうことになりました。
ただユダヤ人の人口が急に増えたことで、もともと住んでいた人(ムスリムなど)から反感を買うことになってしまったのです。
これが今のパレスチナ問題に続いていくのですね。

さてバルフォア宣言の中身が実行されれば、その土地に混乱が生じることは簡単に予想することができますよね。

しかし、イギリスはそれを承知で実行しました。
それはなぜなのでしょうか?
それは①イギリスの第一次世界大戦の戦略とその後の政策にかなったものであったこと②ナショナリズムとユダヤ人の関係性が考えられます。(特に後者はパレスチナ問題、エルサレム問題の中でも無視できぬ原因だと思ったりしています!)
さて、ここからは以上の理由をもっと詳しく確認していこうと思います。
当時のイギリスは第一次世界大戦中ということで戦争の真っただ中にありました。
ですのでイギリスは戦争により財政がガタガタになりやべー状況でした。
そのため豊富な財産を持つユダヤ人から資金援助を得るための見返りとして、パレスチナの地を与えると約束したのです。
また、現在イスラエルがある土地は地図などで確認してもらえばわかるようにスエズ運河のすぐ近くにあります。
当時のイギリスは植民地帝国でもあり、その財政はインドからの巨万の富に負うところが非常に大きなものでした。
なのでインドのの航路は非常に重要であり、その航路中でも大切だったなのがスエズ運河なのです。
そしてイギリスは航路の安全のみならず帝国の安全を確保するためにも、運河の近くに変な国やライバルのフランスに支配されることは非常に嫌うことになるのですね。
ですからイギリスは、まだ信用できるユダヤ人にイスラエルを与えて自国の安全を確立しようとしたのです。
こうしたイギリスの国家戦略があったからこそバルフォア宣言が出されたわけなのです。

第二の理由としてはナショナリズムを上げることができるでしょう。

当時はフランス革命以降の流れで国民国家体制が形作られ、完成している状態でした。
そのため多くの国(ほぼヨーロッパの国ですが…)は一つの民族は一つの国家を持つという意識がもたれるようになっていました。
例えば、フランスはフランス人のみが主権を持つとされ、イギリスはイギリス人のみが主権を持つというわけですね。
そういった状況になるとある問題が出てくるわけですね。
その国の主権者はその国の国民とされたものだけとなると、そうでないものは自動的に主権から排除されることになります。
そしてユダヤ人は、排除される可能性が高かったのですね。

一方でフランス革命の産物の一つの人権宣言で万民に人権が認められるということになりました
それによりユダヤ人もまた人権が保障されるようになります。ただし、フランスの支配圏のみですが…。その後1848年革命などの動きを受けてユダヤ人の解放はヨーロッパに広がっていきます。
そしてユダヤ人の中にはその国の国民として意識や国家への忠誠を誓う人も出現し、国民として統合されるものも出てくるのです。
しかし、各国の国民の中にはユダヤ人は同じ国民と認めることができない人もいました。
そのため反ユダヤ運動が起こったりしたのですね。そして、反ユダヤ運動として決定的となったのがロシアのポグロムやフランスのドレフュス事件でしょう。
こうした事件を受け最初は国民国家の一員となることが可能と考えていたユダヤ人も、そうした考えを捨てていくことになるのです。
そしてユダヤ人の中から自分たちの国を持つことを主張する運動が起こるのです。こうしたユダヤ人の自分たちの国を求める運動をシオニズムと言います。

ユダヤ人国家建設運動はナチスのホロコーストでより強く、そして正当なものとして認識されるようになり、この運動こそが現在のイスラエル建国につながっていくのです。
こうして考えるとエルサレム問題は各国の国民になることを拒否されたユダヤ人が、自分たちの国を求めざるをえなくなったことが原因と言えるのではないでしょうか。
]]>当初はその勝利はイラクに民主主義と平和をもたらすと信じられていました。
しかし全くそうとは信じられない現状が広がっていますよね。
そこで今回はイラク戦争の結末と、それが何をもたらしたかを深掘りしていこうと思います。

さて、そもそもイラク戦争は9.11テロ後のアメリカによるテロとの戦いの一環として行われたものでした。
このイラク戦争は2月もかからずに終戦し、アメリカの責任のもとでイラクはそのまま自由と平和を享受しながら復興するかと思われました。
しかし実際はそうではありませんでした。
戦後イラクでは国立博物館が火事場泥棒の被害にあったり、土地の所有問題が発生してもそれを解決する裁判所、法律が機能しない現実があったのですね。
またこうした経済的な問題だけでなく、国連の事務所に爆破テロが起こるなど生命の危機に関わる数々の事件を阻止することができませんでした。
このようにイラクは戦争が終わった後、社会秩序という点では戦前よりも酷いと言える状況になったと思えます。
ではなぜイラクは戦後このような無秩序、混沌とした状況になってしまったのでしょうか。
その理由としては次の点が挙げることができると思います。
・アメリカがイラク復興の具体的な計画を持っていなかったこと
・軍と公務員の公職追放
・イラク国民の新しい支配者への不信感
さて戦後イラクが大きく混乱した理由は様々あります。

ただ根本的な理由としては戦後イラクを統治する主体となったアメリカが、そのイラク再建にあたっての具体的な計画を練り上げることができなかったことでしょう。
アメリカとしては戦後イラクの統治にあたっては、フセイン政権下で亡命した知的エリートのイラク人に政治を任せる案の他にもイラク軍人によるクーデター政権を考えるなど様々なものがありました。
そして、こうした戦後イラクを統治するにあたってどの案を採用するかは残念なことに戦争が終わるまでに決着がつきませんでした。
そのためアメリカは戦後イラクをどのように統治していくかという青写真を持たないまま復興を主導していくことになるのですね。
このような状況では当然イラクの復興政策は一貫性がなくなりますよね。

またこのようにアメリカによって集められた在外イラク人の間にも様々なグループ、例えばクルド人、王制派、共産党と多種多様なものが存在しました。
そのため在外イラク人の間でも戦後のイラク統治に関する決定的な合意ができるような状態ではありませんでした。
以上のように戦後統治の主体たるアメリカにも在外イラク人にも確かな戦後の復興計画を持ち合わせていませんでした。
こうした無計画性がイラクの国家再建を大きく遅れさせることになったのですね。
イラク人としては戦争が終わったのだから早期に国家が再建されると思っていたら、全然再建が進まないとなりフラストレーションが大きくためアメリカに失望することになるのですね。
こうした失望や怒りはアメリカの戦後統治に悪影響を与えていくのは不可避なことでした。
さてイラクの混乱の第二の理由としては公務員と軍人、警察の公職追放でしょう。

イラクに民主主義を植え付けることが重要な目的の一つでした。
そのためイラク戦争前から公職にいた人間(特に与党バアス党の党員)は、独裁政権の協力者として職から追放されることになるのですね。
無論こうした公務員の追放はフセインのバアス党一頭支配からの脱却には必要だったのでしょうが、この追放は今まで行政に関わっていた人間が省庁からいなくなること意味します。
つまり、それまで国家を実質的に動かしてきた人々が官庁から消えたことで国家の再建と運営に必要な人間がすっかりいなくなってしまったのです。
こうなってしまえば国家の再建は難しいと言えますね。

また追放されたのは公務員のみならず軍人や警察も当然に追放ということで職を失うことになりました。
今まで治安維持を担っていた軍人や警察がいなくなったことで戦後イラクの治安は当然に悪化しました。
それだけでなく首になった元警官や軍人はイラク戦争前後の給料が支払われていないことに対してデモを起こしたのですが、米軍がデモ隊に向かって発砲するという事件が起きてしまいます。
これによってデモ隊側に死者が発生しまい米軍に対する不信感や憎しみが一気に高まることになるのでした。
さて今まで見てきたように戦後イラクを統治することとなったアメリカは、戦後復興を上手く進めることが出来ずイラク人に失望されるだけでなく、おおっぴらに憎まれるようになりました。
こうした対米不信と憎しみが戦後イラクのテロを爆発的に加速させ、戦後の政治的、治安的混乱を大きくしたと言うことができるでしょう。
この対米不信によって生まれた混乱は、やがてイラク国内に大きな亀裂を打ち込んでいくことになるのです。
その亀裂こそが宗派的な対立であり、民族的な対立と言えます。
この対立がやがてはイラクのみならず中東全域にそして全世界に強力な打撃を与えるのですね!
そして、この打撃の最終的な形がイスラム国なのです…。
