山崎エリ 1995年 米子生まれ米子育ち 小学生の頃にチアダンスを習い始め、踊ることが大好きになる 高校卒業後上京、芸能系専門学校に入学し、舞台経験を積む。そこで出会った仲間の影響でK-POPに出会い魅了される。卒業後も東京で活動を続け、2018年に地元で「K-POPカバーダンス教室YUMYUM」を開講する。
私は生まれも育ちも米子で、高校卒業後は上京して、芸能関係の専門学校でダンスをしていました。
専門学校に2年間通って、卒業後は小さなプロダクションに入ってダンスの活動を続けてたんですけど、
それが一旦落ち着いて「田舎の空気でも吸いに帰るか〜」と思って車の免許を取りに帰って来たんです。
そのタイミングでダンスのイベントが米子であって、知り合いから「出ない?」と誘われて、免許を取りに戻ってきてなんやかんやの流れで今に至ります。
帰って来た時は今後何しようかとか考えていなくて、だから逆に何やってもいいかなと思って。

現在はK-POPのカバーダンスを専門に教えるダンス教室「YUMYUM」と、
教室とは別のところで自分が他のチームとして、大阪とかで行われているダンスのイベントに出たりしています。
ダンス以外のことは全然してないです。
教室だと週に10本くらい、それに加えて個人で頼んでくれる方も何組かいるので、その方達に合わせたプログラムも行なっています。
結婚式の余興で頼んでくれた方も居て、一緒に振り付けを考えるのとか楽しかったです。
去年の4月から始めて1年半くらいになるけど、ここまで規模を大きくするつもはありませんでした。
教えることは初めてだったから、最初は1回500円でやってて、自分の勉強というか今後の自分の活動のためになればと思って教室をやってたんですけど、きてくれる生徒さんと関わっていく中で得るものがすごく多くて、続けてみたいなと思って今も続けることができています。
「K-POP好きだからきました!」
って言ってくれる人もいるし、これまで関わってきた人たちだけど、特に連絡も取っていなかった友達も、ダンス教室を始めたって聞いたから遊びに来てくれることがあったり。
自分の中で「YUMYUM」は人と会う場所になっていて、それが今も教室を続けている理由です。
ダンスを始めたのは小学校1年生からで高校3年生までの12年間同じ教室に通って、そこでずっとやってたことが今の活動の土台になっています。
気持ちもだし、身体の動かし方とかも含めて。
私が通っていたダンスの先生が、母が通っていたエアロビクスの教室の先生で、その頃から私も混じってエアロビクスをやっていたみたいで。
当時から踊ることに対して抵抗もなくて、「先生がダンス教室をやってるから行ってみたら?」と母に言われたことが、ダンスを始めたきっかけです。
ダンスを始めようと思って始めたわけではないけど、ダンスが楽しかったのでずっと続けていました。
その先生のことがとても好きで、先生がやるレッスンの時間が本当に楽しいし、居心地が良くて。
子供の頃は真面目で、高校生までずっと真面目ちゃんでやってたけど、そこだけは唯一自分が弾けることができる場所でした。

今の教室は100%自分の好きなことで、100%自分のペースですることができているので不満もないし、充実感もあります。
人と関わる仕事だからどうしても人間関係で悩むことはあるけど、特にそれが障害とも思わない。
楽しいし、嬉しいことばかりだから来てくれる生徒さんには本当に感謝しかないです。
私は本当に大きな経歴もないし、地元で何か成し遂げたとかでもないから、私のことを知らない人がレッスン来てくれて通ってくれるのが自分の中では大きい。
元々私のことを知っていて仲良いから遊びに来てくれるのではなく、本当にはじめましてでレッスンに来てくれて、レッスンを受けて、「楽しかったですまた来ます」って言って帰ってくれるんです。
何者かわからない人にお金を払ってレッスンに来てくれるんだ、って自分の中では本当に感動します。
正直免許とって東京に戻ろうと思ってたんだけど、なんか居てもいいかなあって。

今は100%好きなことでやれてるけど、東京にいた時は逆で、芸能の世界の競争率も高いし、それで収入を得ることは難しかった。
上り詰めないと自分の芸でご飯は食べれないから、もちろんバイトもしないといけないし、そうすると24時間のうちに自分が好きなことにかけることができる時間が本当に少なくなってしまいます。
生きていかなきゃいけないけど自分の夢も追いたい、そのギャップが結構辛かったかなあ。
学生の時はみんなで頑張ろうねった感じだったけど、学校を卒業してからは1人でやらなきゃいけないし、卒業してからの2年間は精神的にしんどかったです。
卒業してからもダンスの活動を続けていたんですけど、自分のやりたいことと違ったり、着たくない衣装を着たり思ってたのと違うなって。
まあでも好きなダンスはできてるし、お金をもらうことはできないけど、人前に立たせてもらうことができてるから、これでオッケーにしようって自分を納得させて押し込める感じでした。

自分の機嫌をとるときはK-POPを聞いてニヤニヤしたり、今やりたいことは今やるようにしています。
後回しにせずに、今やりたいことを今やるというか、自分の出来る範囲のわがままは全部聞きます。
変に制限をつけるよりかは、好きなことを可能な範囲でやるのがいいかなって。
24歳になって、あと何年かで30歳なんだ、あと何年かで40歳なんだと考えると、自分が若いうちに本当にやりたいことを全部やってしまいたいんです。
24時間のうちはほとんどダンスのことをしています。
自分の教室のこと、レッスンやその準備、イベントに出る時は作品作ったりとか。
ダンスはもちろん好きなんだけど、K-POP愛が強すぎて、勝手に考えちゃうんです(笑)
極めたいとかそういうのではなくて、日常の一部で、ただ自分が整うというか、リセットできるみたいな感じです。

身体が資本だから健康には気をつけています。
1年前くらいは今よりも7キロくらい太ってたんです(笑)
今気にしていることはタンパク質の摂取で、植物性のプロテインを飲んだり、体重落としたい時は鶏肉生活をします。
ささみは無理だけど、胸肉を主食にして食べるようにして、ポン酢かけたり、塩かけてとか、細かく刻んで納豆と混ぜたり。
普段はダンスですごく動くので、エネルギー不足にならないために、炭水化物はカットしないように気をつけています。
たくさんは食べないけど、白米を摂取するようにしてるし、でもそういうモードの時はお菓子はあまり食べないかなあ。
上京したての頃は寮母さんのご飯を食べてたんだけど、卒業したあとは一人暮らしを始めて、コンビニ飯ばっかりでした。
コンビニでバイトしてたので廃棄品をすごい食べてたし、店長さんに可愛がられてたからケーキとかかってくれたり(笑)
あと、私お酒飲むから、ビールが好きだし、しみるよね(笑)
でも、すごく太ってる人にダンス教えてもらいたくないなって思うし、K-POPもしてるから細くてすらってしてるのをイメージしてみんな来てくれると思うんです。
だから、そう考えたらみんなの期待を裏切るのはなんかなあと思って、「YUMYUM」を始めてから意識は高くなりました。
がっかりされるんだったら自分が頑張ろうって。
今通ってくれてる生徒さんが楽しく通ってくれることが今の一番の願いです。
個人的なビジョンはあまりないかなって。
でも色々楽しいことはしたいです、若いうちに。
遊ぶこともそうだし。
みなさんぜひK-POP踊りに来てください。
毎週木曜日•日曜日 18:00〜
富益公民館
火曜日(第3火曜を除く)10:00〜
河崎公民館
水曜日(第3水曜を除く)18:00〜
和田公民館
1レッスン 60分
※レッスン費に関してはお問い合わせ下さい。初回は要予約。
Instagram
Email:86yum18@gmail.com
安藤真央(あんどうまお) 平成3年8月5日生まれ 鳥取県米子市出身 4年間保育士を務めた後、子ども達のように毎日全力でワクワクしながら生きていきたいと思い、日本各地の観光地で働きながら看板制作などを手掛ける。2017年、大切な人の病気をきっかけに、当たり前にあると思っていた毎日が大きな愛や優しさに包まれていたことに気付き、目に見えない大切なものを表現していきたいと絵を描き始める。2018年、第8回リリー・オンコロジー・オン・キャンバス絵画部門にて最優秀賞を受賞し、絵に愛のエネルギーを込めることで、誰かを癒すことができることを確信する。子ども達、出会った人々、生まれ育った土地、山陰の自然などからもらった深い愛を絵に込めて表現していくことで、絵を見た人の心を癒し、人から人へと愛や優しさを連鎖させていきたいという思いを込めて絵を描いている。
2018年 第8回 リリー・オンコロジー・オン・キャンバス 絵画部門 最優秀賞
2018年 第62回 鳥取県美術展覧会 入選
2019年 第1回 全日本芸術公募展 佳作

よろしくお願いします。
絵を描き始めたのはいつごろですか?
絵を描き始めたのは保育士をやめた4年前くらい。最初はチョークアートでお店の看板とかを描いていました。水彩で描き始めたのは1年半くらい前からですかね。
チョークアートだと自分の思っているものを上手く表現できなくて、水彩の方が向いてると思ったので、水彩で描くようになりました。
子どもの頃から絵を描くのが好きだったんですか?
ん~、色ぬりはすごい好きだったんですけど、自分で描いてるときはあまり楽しいと思えませんでした。
でも、色を塗る時はすごい楽しくて。
小学校の時って見たものをそのまま描くってのが多いじゃないですか。
正解を求められると、上手に描けなかったときに自分でイライラしてしまうので、それがすごい駄目で。
だけど色ぬりは好きでしたね。
技術ってどこで培われた?

昔はそんなに細かく描けなくて、自分でも向いていないと思ってました。
結構大雑把な絵というか、そんなにちまちました絵を描くとは思っていなくて。
でも絵を描き始めて、水彩で描いた時に自分の思いを込めたくて、細かくいっぱい重ねて描いていく方がそれが伝わるかなと思ってやっていくうちにかけるようになりました。
へ〜
とりあえずやってみて技術は後からついてくる的な。
もう本当に一歩一歩って感じですね。
周りの人からチャンスとかいろんなきっかけとかもいっぱいもらって、ちょっとずつ色々やっていくうちにできるようになってきたって感じです。
本当に自分だけの力じゃここまで来れなかったというか、絵も絶対続けてないし、絵を描くきっかけも周りの人の影響が大きかったですし。
ここまで色々させてもらってるのも周りの人のおかげというか。
どんな絵が描きたいとかってありますか?
絵を描くようになったきっかけは大切な人が病気になったことで。
自分が当たり前だと思っていた毎日とか、隣にいてくれる人とか、本当に当たり前じゃないんだなとその時初めて気付いて。
私は小さい頃から本当に多くの人から愛情をもらって育ってきて、保育士をしていた時には、子供からも本当にまっすぐストレートな愛情をもらっていました。
人って1人ひとりままならないこととか、どうしようもないことって、生きて行く中で結構あると思うんですよね。
私も少しそういう時もあったので、そういう人たちに癒しというか大丈夫だよっていうのを少しでも伝えていけたらっていう思いで絵を描いています。
今までもらってきたものがたくさんあるので、そのエネルギーを絵に込めて形にできたら、その絵を見た人が少しでも優しい気持ちになって、違う人にまた優しくできるかなって。
それがどんどん連鎖したら愛情とか優しさが広がっていくんじゃないかなって。

そしたらちょっとあったかい世界になりますよね。
そうですそうです。
いろんなところで働かせてもらったりしてるんですけど、一対一で向き合ったらすっごくあったかいのに、集団で働いてる時はなんか思ってもないことで怒鳴ってしまうことってありますよね。
自分に余裕がなかったりしたら、素直になれないとこもあるから怒鳴ってしまっても後でごめんねって言えなかったりするし。
だけど、1対1で向き合ったら、1人ひとり優しかったりとか愛情深かったりするので、そういうのをどうにかできないかな、と思って。
確かに。
私もそういう経験が保育士時代にあって、やらなきゃやらなきゃって思うし、余裕もなくて、なんでできないんだろうって他の人に思っちゃってたんです。
だけど、結局はできることが違うだけで、できることで補い合って手を取り合って生きていけるんじゃないかなと思ってて。
でも、本当に忙しい時って他の人のことなんて考えれないし、かといって自分1人が日本の制度を変えるようなことができる力はないから、だったら私のできることをやろうと思ったんです。
芸術作品って本当に鑑賞して綺麗だなってことだけじゃなくて、多分その言葉にできないものを伝える力があると思っていて。
私の絵を見た人が愛や優しさを感じて自分の持ってるもの、それをいかして生きていくきっかけになれば、またその人から誰かに伝わるものがあって、そういう風に連鎖して行くことで、本当に世の中よくなるんじゃないかと思って絵を描いています。

絵の販売とかもしてるんですか?
どういう風にやっていくかとかも考えてなかったので今まではしてなかったんですが、前回個展をした時に絵を買わせていただきたいって方も何人かいて。
こんな素敵な絵を描くんだからそらいるでしょ(笑)
絵を描いて自分で持っているだけでも絵はかわいそうだし、今回からはまた絵の販売もさせてもらいたいなと思ってます。
僕らのお店にぜひ飾りたい!
絵描きさんになる前は何してました?
保育士をしていて、いろいろきっかけがあってもう少し全力で生きなきゃいけないなって子供達から教わって、それで一旦保育から離れようと思って。
日本の各地をバイトしたり、看板を書かせてもらったりしながら旅していて、その途中で大切な人が病気になってしまったんです。
その時に書いた絵が公募展で賞をいただいてそこから描くようになりました。
リリー・オンコロジー・オン・キャンバスって名前のコンテストで最優秀賞をいただけました。
美大を出てるわけでもないし、技法とか習ってきたわけでもないんですけど、賞をいただいたことで絵で伝えられるものがあるんだなと思って、そこからですね、絵を描こうと思ったのは。
今でも自分の思ってるものを、いいエネルギーを絵に乗せるっていうのも、技法も試行錯誤だなあって思っています。
絵のサイズはどれくらいのから書いてるんですか?
一番小さいのは200mm×200mmのやつなんですけど、一番大きいのは727mm×606mmくらいですね。
でも今度もっと大きい絵を書きたいと思っています。
壁に描くのとかはまた別として。

なるほど。
米子でずっと活動するんですか?
山陰が本当に好きで、ちょっと変な話をするんですけど、小さな頃から心の奥底にすごく安心できる場所があるんです。
うまく言えないんですけど。
そこは本当に子供とか大人とか全く関係なくて、小さい頃からずっと安心できる空間が私の中にあるんですけど、そこの空間で生きるときは社会で働いている時とは全く別なんですよ。
だから安心できるところにずっといることはできないと思っていたんです。
だけど、絵を描き始めてから自分の安心できる空間の世界で生きてもいいんだって思い始めて。
私の地元や、自然が多くあるところでそういうものを感じることが多くて、私が生まれ育った場所も自然が多いから、そこのエネルギーを絵に込めたいと思っています。
本当に子どもも大人も関係なく、自然の愛を感じられるというか、自然の安心感に包まれたらいいなあって。
本当に争いごととか虐待とか、負のものがなくなっていくんじゃないかなと思って、だから山陰のエネルギーを絵に込めたくて。
そうなんですね。
山陰の自然がいっぱいある中で自分が一番好きなところってどこですか?
私は地元の神社が好きで、今回フライヤーで書かせてもらっている絵もその神社を思い浮かべながら書いたので、そこはすごく好きで安心できる場所ですね。
子どもの頃は神社の下にある川でザリガニ取りとかして遊んでました。

地元でなんかしたいみたいな思いがあるんですか?
地元のことを特に考えていたわけではないんですけど、自分が書きやすい環境だから地元には居たいとは思ってました。
山陰の人はなぜか優しいしすごく穏やかですよね。
自然の育まれたものとか土地によるものってあるのかなって。
今いろんな問題があるけど山陰からなんかできたらいいですね。
本当に今多くの人と出会って、様々なご縁をいただいてるので、これからは山陰の人がどうにか日本を変えていけるんじゃないかなって(笑)
本当に穏やかな土地で育った人たちなんで争いごとも少ないかなって。
なんか一緒にやっていけたらいいですよね。
今後のビジョンってありますか?
本当に絵にエネルギーを込めて行くならまっすぐ生きていかなきゃいけないなって思っています。
ビジョンではないんですけど、毎日丁寧に生きていきたいし、周りにいる人にちゃんと感謝したいし、自分の心に反することは絶対にしたくないし、くじけそうになるときもあるけれど、本当にちょっとずつご縁もいただいているので、家族にも友達にもこうやって声かけてくれる人たちにも感謝をして生きたいなあと思ってます。
素晴らしい。
最後に告知を!
絵の展示があります!
場所はまちなか拠点inYonagoです!
来てください!!
ご縁があってお会いできる方とお会いできるのを楽しみにしています。
ありがとうございました!
本当に愛情深い素敵な絵を描く安藤さんの個展にぜひお越しください!
安藤真央個展 つながる
期間:7/18(木)〜8/7(水) 月曜日定休
時間:11:00〜19:00
入場料:無料

プロフィール
遠藤 未里 (えんどう みさと) 平成3年3月11日生まれ 鳥取県日野郡日野町出身
高卒で岡山のボクデンという韓国料理店に就職し、調理やサービスを基本から学ぶ。辞めて鳥取へ帰ってきて、友人の紹介で和尚さんと出会う。その後、日南町のときわすれ清水屋にて約5年間修行し、その間も掛け持ちでいくつかの飲食店や仕出し屋でアルバイトをしながら料理を学ぶ。清水屋を辞め、広島の自動車部品工場で2年間働いて開業資金を貯める。鳥取に戻ってすぐの2018年4月に、鳥の巣での営業を開始。2019年6月、鳥の巣での営業を終了。
私もともと20歳ぐらいまでそばが大嫌いで、それは年越しの時に家族の中で1人だけうどんを食べてたくらいで(笑)
でも、ある時出会ったお寺の和尚さんがそば好きで、和尚さんに連れていって頂いた蕎麦屋で食べてみたら、「あれ今までのと違う」ってなったんです。
そのお店でそばの魅力に出会って、そばを好きになりました。
そこから和尚さんを通して、そば屋さんでバイトをさせてもらうことになって、働いているうちに店長から「そば打ってみる?」と言われて打ち出したらハマってしまって。
将来的にはお店を出すことを考えて、そば職人を目指したのが21歳の時です。

琴浦に来たのは今から5年前くらいだったんですけど、当時そばを教えてくれていた師匠が赤崎にお店を移転すると言い出したんです。
その時に「ついて来い」と言われたので、自分も琴浦へ移住してきました。
お店自体は2年くらいで撤退してしまって、師匠は日南に戻ったんですけど、独立したいという気持ちがあったので、私は琴浦に残りました。
その後、開業資金を貯めるために広島に出稼ぎに2年くらい出ていて、昨年戻って来て、縁あって鳥の巣でお店を始めて1年2ヶ月くらいになります。
今の場所で1年2ヶ月くらい続けて来て、次はステップアップということで倉吉で自分のお店を持つことに決めました。
本当は馴染みのある米子でしたかったんです。
でもここ中部ではじめて、結構倉吉から来るお客さんが多くて。
今まで倉吉の人がどこのそば屋さんに行ってたか聞くと、関金とか鹿野とか蒜山とかそっちの方まで出ていたそうなんです。
その辺りから比べると、琴浦はやや近いので、近くにもいいお店があるということで通ってくださる方が多くいます。
倉吉や中部には蕎麦屋さんが少ないんです。
米子は多くて、東部もミシュランに載るような名店がちょこちょこあったり、でも中部にはない。
中部のそば文化を盛り上げたいと思い、倉吉で挑戦してみる事に決めました。

そばは本当に店ごとに全然違って、それがまた面白さでもあります。
よく聞く二八そばというのはそば粉8割に対して小麦粉が2割入ってるんです。
小麦粉が入る分だけそばの味が薄れてしまうので、そば粉と小麦粉の割合で全然味が違うんですね。
原材料の値段もいいものだと大体そば粉が小麦粉の4、5倍くらいします。
外国産だったり安いそば粉はその分風味も落ちる。
私はこういうそばを打ちたいっていう自分の理想を製粉業者さんに話しています。
そうすると、「こういう粉はどう?」と提案をしてくださるので、実際工場に見学に行って、そば粉を1つ1つ味見させてもらって。
粗さというか挽き方でも食感とかが変わるので、じゃあこの粗さでっていうのもその時に相談して決めます。
で、今うちで出してるのはそば粉が9割で小麦粉が1割。
ボソボソで短い10割そばというのもたまにあるんですが、そうならないように小麦粉を1割入れて繋がりやすくしています。
細くて喉越しがよくて、サーっと食べた後からそばの香りがふあ〜っとくるのが個人的に好きなんです。
で、そばつゆに関しては大体作るのに最低でも2週間以上かけて作ります。
醤油やみりん、酒、砂糖などを使ってかえしという元ダレみたいなものを最初に作ります。
それをどれだけ寝かせるかっていう問題なんですよ。
これもお店によってバラバラですが、短いところは数日、長く寝かせるところは2年寝かせるお店もあります。
うちは原材料から結構こだわっていて、醤油はいま大崎上島っていう島の醤油を使ってるんですけど、そこも去年見学に行かせてもらって色々勉強させてもらいました。

醤油自体がもうそこで2年くらい熟成させて、こだわって作られていて、元から熟成されているものを使っているのでそこまで寝かせなくてもいいかなと思って、うちでは2週間くらい寝かせるようにしています。
開栓したての醤油の風味がとても良いので、それを活かす為でもあります。
寝かすことで素材が上手く溶け合わさってまろやかになるので本当に寝かすと寝かさないでは全然違うんですよ味が。
出汁はその時にとって、カツオとか昆布、椎茸を使って、大体前日から水に浸して、そこから何時間も煮詰めて出汁をとって、出汁とかえしを合わせるんですね。
普通の蕎麦屋さんではそれを合わせて完成なんですけど、私が師匠から習ったのはそれをさらに湯煎でじわじわ煮詰めることでさらに旨味を凝縮させます。
湯煎は大体二、三日かけてじっくり。
冷やして、また温めて冷やしてっていうのを繰り返すのが大切で、1度にぎゅっじゃダメなんです。
そういうこだわりを突き詰めてできたのがうちのそばつゆです。
もっと簡単に作る店もいっぱいありますけど、私は師匠のそばつゆが好きなのでそれを参考にして、醤油とかは自分で探し歩いてようやく作ることができました。

蕎麦って黒と白で分けられるんですけど、そばの実って黒い殻がついてるんですよ。
それをそのまま挽くと黒っぽいそばになるんです。
殻をとって挽くと、黒い部分がないので白っぽいそばができあがります。
師匠のそばが完全に殻のないそばだったというのもあって、そっちの味が個人的に好きだったし、でも殻が入るとそのそばの風味が強くなったり、ザラザラとした穀物感が逆に美味しかったりするので、そば粉は2種類ブレンドしてます。
殻がついたまま挽いた粉と殻をとってから挽いた粉を混ぜて、その割合を自分で考えて。
本当は今のそばにもっと透明感が欲しくて、自分の理想とするそばにはまだちょっと遠いんですけど。
うちのそばは細くて喉越しが良く食べやすいので、女性や子どもさんに人気があるんです。
太くてずっと噛んでなきゃいけないそばは子どもさん飽きちゃったり。
そばの打ち方は最初は師匠に教えてもらいました。
その他にも、今は本やYouTubeで動画があったり、いろんな人が惜しみなく自分の技術を書いてくださったりしてるので、そういうのを参考にして、師匠の技術を元にしてアレンジしています。
常に勉強はしていて、そのままじゃいけないと思っています。
鴨そばも師匠の店にはなかったんですけど、都会では割と人気なのに、この辺には出しているところがそんなにないので、ぜひ出したいなと思って。
そういうメニューのレシピも本を参考にして考えるんですけど、素材自体で味が違うので、日々勉強しながら作っています。

5時くらいに起きて、そばを2、3回打って、8時か9時くらいにお店に来て、11時半にオープンするまでずっと仕込み。
11時半に営業をスタートして、14時に終わって片付けを始めてスムーズに行っても16時になります。
疲れた日はゴロゴロしてしまって、18時くらいになったり。
少し前までは20時から24時までバイトをしていたので、うだうだしすぎて片付けが残ってしまっていたら、バイト終わりにまたお店に寄って片付けをしていました。
1時とか2時まで片付けをしていたこともありましたね(笑)
1日19時間労働ぐらいの日がざらにあり、そば屋として続けていくのであればそれくらいしないと生活していけないくらいでした。
よくこの見た目のせいでバンドマンと間違われるんですよ(笑)
自分名字が遠藤で名前はわかりやすいんですけど、一発で覚えてもらいにくくて、赤髪のそばの子って言ったら伝わります。
そば打ちをするのはほぼ日本だけなので、日本で1人ということは世界で1人、自称世界で唯一の赤髪のそば職人っていうキャッチコピーでやれば覚えてもらえやすいと思って。
広島にいるときに髪を染めてて、金にしたり赤にしたり銀にしたり。
で、広島って野球でカープが有名じゃないですか。
それでカープとは何の関係もなしに赤に染めた時にたまたますごく褒められて(笑)
でこっち戻って髪染めるときにも、赤にしたら覚えられやすかったので、そのまま。
鳥取県内だと赤髪の人は少ないので。

琴浦ではそばの魅力を伝えようというコンセプトでやってたんですけど、それを概ね達成できたというか、結構広めれたと思っていて。
今度お店を出す倉吉ではそばの価値を高めたいんです。
東京とかではそばって高級なイメージがあって、あの辺ではそば屋でお酒を飲んだり、つまみを食べて、そばも高いものっていう周知があるんです。
だから、〆の為にそばは元から量が少なく、大盛りや二枚食べる事が前提だったりするんですよ。
でも、この辺ではそば屋でお酒を飲む文化がなくて、食事として食べるから量が必要。
ある程度ボリュームがあって、値段が低いってのがこの辺のそば屋なんですけど、こだわりを突き詰めると原材料も高くなるし、今いろんな物価が高騰してるし、消費税も上がるし、こだわればこだわるほど苦しくなるんですね。
そば屋をやっていて苦しいことも結構あって、そんな中だと後継者も育ちにくいので、そば屋として成功するビジネスモデルを作りたくて。
自分がまずその見本になりたいというのがあって、その第一歩として、鳥取のそば文化でそばの価値を上げたくて、倉吉ではそれを目標に夜営業して、お酒も出して、都会のスタイルを持ち込んでみようと思っています。
倉吉で夜営業しているそば屋がなくて、第1号なのでどれだけ通用するかなっていうのがあって。
今後の展開としては、自分のお店を軌道に乗せて、自分の家族とか周りの人を楽させてあげることができるくらい生活に余裕ができるようにしていきたいし、そうしないと自分も苦しいし、後継者とかもやっぱり育てれないし。
はたらくって「はた」を「らく」にするっていうことだってよく言うんですけど、自分の身近な人を楽にするっていうのが30代くらいの目標で、そこから先は今度は地域貢献みたいなのをしたくて。
前々からそういうのに興味はあったんです。
例えば、福祉施設とかでそばを打ったり提供したり、災害の支援というか元気を取り戻すためにそばを通して力になれるようにもなりたいし、最終的には、つなぎや、生産者、お客様、地域が喜ぶ良い循環をもたらして、社会貢献をしていきたいです。
移転後住所:〒682-0021 鳥取県倉吉市上井262-7
Facebook:手打ちざる蕎麦 つなぎや(移転後は 蕎麦酒房 つなぎや)
自分の知らない世界すぎて、めちゃくちゃ楽しい取材でした!そばに対する熱い想いも、和尚さんとの出会いがあったからこそだと思うと、人との出会いはやはり大切ですよね〜。もちろんそばもいただきまして、めちゃくちゃ美味しかったので、移転後も通おうと思います!弟子も募集中みたいなので興味ある方は直接お問い合わせください!
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よろしくお願いします。
まずは自己紹介をお願いします。
名前は岩田彩伽です。スポーツトレーナーをしてます。24歳のB型で、動物占いは猿です。
動物占いってなんですか?
動物占いは人間の統計で決められた9種類の動物にほぼみんなが当てはめられる占いです。
占いだけど資料というか全部調べられたもの。
なに?
知らないってw
大物思考とかヒト思考とか、人見てやるタイプとか。話し方でも1から10まで喋る人とか、10言ってから1から話し出すほうがいいとか、人によってありますよね。結論から聞きたいとかちゃんと丁寧に一個ずつ話してほしい人もいますし。
なるほど。
スポーツトレーナーってどんなことするんですか?
年齢とか目的によってもバラバラだけど、運動指導や健康づくり、高校生の部活だと競技力アップ。
子供達は運動遊びをして運動が好きになるってレベルで体を動かすのが楽しいって感じてもらえるようにしてます。大人のレッスンは健康維持、ダイエット、体づくり、コンディショニングを目的に指導します。

体づくりのためにどういうアプローチをしているか、子どもたちに向けてどういうアプローチをしているかっていうところをもう少し詳しく聞きたいです。
子どもはシンプルなことが多くて、ボール遊び、ラダー、ハードル、走る系の動きやサーキットなどをします。
ドッジボールがとても人気なので楽しいことをやって、そこから何かに繋げようとは思っています。
投げることも走ることに繋がるし、走ることも投げることに繋がると思っているので。他にも子どもたちが好きなジャンプも取り入れたりしています。
コンビネーションというか色々組み合わせたら、幼稚園のクラスでは少し難しいんです。だからシンプルにやって、物語性を絶対作るようにしています。
物語性?
例えば、子どもは想像力がすごいので、
「あなたはライオンです。」と言われたら
「え、ライオン!?」みたいな反応をするんです。
「ライオンに近づいて行ってください。」「ライオンが起きたら走って逃げてください。」と言うと、近寄らない子も出てきますが、男の子とかはウキウキしながら近づい行くんです。
それで起きた時に逃げるのも走りですし。反応とかもありますけど、そういうイメージさせるというのは意識しています。動物系は特に子どもが入り込みやすいので、その辺りも考えながら。

なるほど。
高校生や大人にはどんなアプローチを?
技術は鳥取県では一番ですが、中国地方では勝てないし、全国大会でも勝てないので技術以外のところでプラスαするために、体を大きくするようなアプローチをしています。
ビッグ3(スクワット・ベンチプレス・デッドリフト)もするし、ファンクショナルなことや走らせたり、結構負荷をかけてやっています。
大人は、体幹のレッスンをやっています。コアシェイプという、お腹周りや背中など部分的なトレーニングをして、痩せましょう!っていうレッスンです。女性だけにターゲットを絞れるのでやりやすいです。
対象に合わせたアプローチをしてるんですね。
仕事がある時の1日の流れはどんな感じですか?
本当にバラバラですがオフは基本的になくて、例えば月曜日は朝コナミ行ってパーソナルトレーニングをして、夕方は子どもの運動教室をやって、夜にパーソナルトレーニングをしたりしなかったり。
同じ場所にずっと居るのも雇われるのも私はできないので、時間を有効的に使えるというか、誘われたら時間が作れる働き方がとても気に入ってます。
1日の中で必ず時間を作りたいし、もっと多くの人と出会いたいという思いがあるので今の状態が結構ベストです。トレーナーの仕事を増やそうっていうのはあんまりなくて、パーソナルトレーニングは臨機応変にできますが、レッスンとか固定で入るものは入れないようにしています。

拘束時間が増えないようにしてると。
パーソナルトレーニングでは具体的にどんなことをしてるんですか?
クライアントの人によりますが、まずはカウンセリングをします。
目的がダイエットであれば、運動指導もしますし、生活習慣や食事の話は絶対入れてます。
メニュー組んだ時点で契約が切れる人もいますが、最近は継続して2週間に一回くらい何ヶ月もついて、その中でさらに重量をあげたりメニューを増やしたり、経過を見ながら目標に向かってやっています。
確かに、1回でやめられたりすると結果出にくいですよね。
インスタを見たら楽しそうなストーリーが多いけど、オフの時間とかは何してますか?
時間があるときは本を絶対読むようにしていて、スタバで本を読んでることが多いです。朝の時間が好きなので1,2時間くらいずーっと本読んでたりしますし、とにかく新しいことが知りたいです。
「1日1新」って自分の中で思っていて、1日に1個以上新しいことを取り入れたいと思うので、本を読んだりしている時間の方が多くなります。
他には料理を作ったり、パンとかケーキを作ったり、トレーニングしたり。

自分でもトレーニングするんですね。
身体って生活習慣だと思っているので、この人の生活習慣こんな感じなんだなーっていうのが見えてしまうんです。
トレーナーだから体を作らないといけないとかではなく、人としてじゃないですけど、見られる立場でもあるので。
それが意外と仕事とか私生活とかにすごい関わってきてるのかなって。だらしない人はだらしないし、厳しいですけど。
で、病気になったりするでしょ。今後ね。
耳が痛いですね(笑)
トレーナーになろうと思ったきっかけはなんですか?
トレーナーになった理由は高校卒業して就職した先、コナミスポーツクラブにトレーナーの人がいて、とてもカッコよかったんです。
指導の仕方とか人間性とか、この人みたいになりたいと思ったところから勉強したいと思って、多分その人がトレーナーじゃなかったら私トレーナーしてなかったのかなというのも最近感じています。
その人を見て、トレーナーをしてるからトレーナーのその人を目指して、トレーナーの勉強も楽しかったし、トレーナーをやってる人が好きなのかなって。
成長したいというか成長するためのツールみたいになっていて。深いよねちょっと(笑)

カットします(笑)
トレーナーは学校に行かないとなれないんですか?
行かなくてもなれると思います。
私がなりたかった人は学校に行かずに独学でトレーナーをやっていて、私はそれをしようと思った時にできないと思ったので、学校に行って学びました。
自分でできる人は独学で学んだらいいし、できない人は学校に行ったりして環境を変えるのが一番いいと思います。
なるほど。
トレーナーに資格は必要?
私はやっぱり必要かなと思います。一般の人からその人を見た時にわかりやすいので。
もちろんその人を知っていけば資格がなくても知識とか経験とかでカバーできると思いますが、認知度が低いので分かりやすいものがあったほうが話も入りやすくなるし、そのきっかけがあるだけで違うのかなと思います。
専門学校を卒業してから今に至るまでの流れはどんな感じですか?
もともと海外に行きたかったんです。青年海外協力隊になることを前提に4,5,6月の3ヶ月は京都でバイトして、7月から鳥取に帰ってきたんですよ。
9月くらいに青年海外協力隊になる予定だったから帰ってきたんですが、落ちて、もう働いてやって行くしかないと思って。たまたま色々なご縁があって仕事をいただいて、
「こんな仕事があるよ」と言われたものを一切断らずに全部やったら今の状態になりました。
次の年の4月にもう1度受ける予定だったのでそれも全部伝えてもう1回受けたけど、落ちて。違う方向に進もうと思い、いただいた仕事をやっていました。

青年海外協力隊に落ちた時に、もう1回京都とか大阪に行くっていう選択肢はなかったんですか?
その時にいろんな縁があって、こっちに残ろうと思う出来事があったんですよね。その出来事が大きかったからこっちにいます。
なんで青年海外協力隊を受けた?
その時は自分が発展途上国で何か力になれたらって考えていたんですけど、やっぱり海外に行きたいっていうところが一番にあって、それが付け加えられていた感じでした。
なぜ海外に行きたいかというと、本当に色々なことを見てみたくて、色々な場所に行ってみたいんです。
色々な国に行くために知識としてあった方法が青年海外協力隊だったので、受けたんです。だから落ちたのかなって思うんですけど。教えれることも少ないのに。
なるほど。
今後のビジョンはありますか?
グループレッスンはやめて、パーソナルトレーナーに特化したいです。
鳥取ではボディメイク系を女性でやってるトレーナーさんは知る限りはいないので、そこを狙って行きたいです。
時間を有効に使いたいので、そういう面でも自分で話しながら決めれるものがいいなっていうのがあって、お金より時間が必要と思っています。

自分のスタジオを持ってやるんですか?
最終的にはそれがいいですね。家の一角とかでもいいので。でも最初は施設を借りてやります。境とか施設が30円なんですよ。
境の市民体育館だと、ダンベルもありますし、なんでもできますよ。そういうところを借りながらやって行きたいなと思ってます。そこでしていいかわかんないけど笑
言い忘れたことがあれば最後にどうぞ。
イベントをちょいちょいやってるので是非ご参加ください!
ありがとうございました!
なんだかんだで、きちんと話を聞くことは初めてだったので、新鮮で楽しかったです。
僕も実際にダイエットの相談とかさせてもらったんですが、そちらはまた機会があれば別の記事として掲載しようと思っています!
Facebookページなどがないみたいなので、出来次第この記事に掲載して行きますのでよろしくお願いします!!
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よろしくお願いします。
はじめに簡単に自己紹介をお願いします。
小橋俊哉と申します。ニックネームはおにぎりです。出身は和歌山県で鳥取環境大学に入学したタイミングで鳥取に来ました。鳥取の魅力に惹かれ、卒業後もそのまま住みついて鳥取での生活は8年になります。1993年3月12日生まれの魚座のO型です。よろしくお願いします。

よろしくお願いします。
おにぎりっていうニックネームになったのはなぜですか?
大学卒業してからおむすびの武者修行に出て、本名の小橋っていう名前だと全く誰にも覚えてもらえなかったんです。旅先で出会った人たちがおにぎり作ってる子だから、「おにぎり君」って勝手に呼び始めたのがきっかけです。
どれだけ小橋ですって名乗っても、どこに行っても結局おにぎり君って変えられるから、自分でおにぎりって名乗ってしまおうと思い2年前からおにぎりって名乗るようにしました。
現在はどんな活動をしていますか?
今は土日に露店出店で様々なイベントでおむすびを販売していて、平日は大工とか漁師とか解体のアルバイトをしながら、店舗を持つための準備を進めています。
おにぎり屋をやろうと思ったのはなぜですか?
その前に、おむすびとおにぎりの違いについて説明してもいいですか?
おむすびの武者修行に行っておにぎりって呼ばれるようになったんですもんね。ぜひ、お願いします。
日本おにぎり協会っていうところの説では「いろんな説がありすぎて、おむすびとおにぎりの違いはありません。」という風になってるんです。好きに呼んでくれと一番有名な日本おにぎり協会が言っています。
そういうことならば自分も自分の説を出そうと思いました。おにぎりとおむすびの違い小橋説を。
小橋説を(笑)

そう、おむすびはいわゆる三角形の食べ物、おにぎりはおにぎり君のことだよって言うのが小橋説です。
おむすびは食べ物、おにぎりは小橋さんのことだよと。
そう。おにぎりってみんなが言ってたら僕のことだなというので見てくれてる方は認識していただいたらいいかなと思います。
おにぎりっていうのは小橋俊哉さんってことです(笑)
話を戻してその、おむすびをやろうと思ったのはなぜですか?
緊張しすぎて暑いので、少し脱いでいいですか(笑)
どうぞ(笑)
尊敬しているおばあちゃんに出会いまして、佐藤初女おばあちゃん。もう天国に行ってしまったんですけど。日本のマザーテレサって呼ばれていて、寺子屋のような形でいろんな人を受け入れて料理を振舞ってみんな元気に帰っていくっていう活動をされてたんです。
初めて出会ったのが本で、「おむすびの祈り」っていう本を読んで、初女さんのことを知って、なんて素晴らしい人なんだって衝撃を受けてました。そして、なぜか自分もおむすびを作りたくなったっていうのがざっくりしたきっかけです。
その人の影響を受けてやろうと思ったんですね。
その方には実際にお会いされました?
三年前に会いに行きました。
「年も年だから今のうちに会っておかないと、いつ天国に行くかわからないよ」と、周りの人から言われて。

なるほど。
そういうきっかけがあって、今の活動はいつから始めたんですか?
大学三年生の二十歳の時からです。今が26歳なので、6年前です。今思えばよくやってるなあと思います。
当時もイベント出店みたいな形でしてたんですか?
そうです。旅しようと思ったのも大学卒業しておむすび一本で食べて行きたいなって思って、鳥取駅前でリヤカー引いておむすびを売ってたんです。
工事現場のおっちゃんとかは買ってくれたんですが、そんなに食べていけるほどは売れなくて、色々イベント出店もやってたけど、成長できなかったというかなんか行き詰まって、挫折しちゃったんですよね。
できないというかどうしようもないと思ったので、一旦外の世界に出てみよう、おむすびの武者修行をしようと思い立って、旅に出ました。
武者修行ってどんなことを?
半年間で北海道から熊本までを軽トラックでおむすびの道具を積んで回りました。半分の3ヶ月はゲストハウスのヘルパーをしていて、そこで宿のお手伝いをしながら、朝食がないゲストハウスのときはそこで朝食におむすびの販売をして、その県の週末のイベントでおむすびを売っていました。
残りの3ヶ月は「ここに行ったほうがいいよ。」と言われたところに出向いて、ラーメン屋さんとかチョコレート屋さんとか夏祭りとか様々なところでおむすびを売らせてもらいました。
冬はやはり寒いし絶対越せれないと思って旅を終了したのが12月です。

なるほど。
それがちょうどタイミングも良くて、鳥取県の大山町で登山客におむすびを売りませんかっていうお誘いがあってそのまま鳥取に戻ってきたっていう感じです。
色々ありながらおむすび屋としての活動も7年目になるんですね。
おむすびのメニュー考案は自分でされてるんですか?
お客さんや友達に「これいいんじゃない?」と言われてやっているのがほとんどです。他には色んな食材を見たときにこれいけるかなと思ったのをパッと作ります。大体はお客さんからいただいたアドバイスを試しているような形です。
美味しいおにぎりを届けるためにこだわっているイチオシのポイントってなんですか?
ライブなおむすびを提供するっていうのでやっています。ぜひイベント出店している時に来ていただきたいんですが、寿司屋のような感じで注文されてからおむすびを作って出しています。
「梅ください!」と言われてからおむすびを作って、作りたてのおむすびを提供するのが自分のイチオシのポイントだと思っています。
加えて、旅で出会った食材がとても美味しくて、塩と海苔はこだわっていて、お米も大山町のお米を使っていて、冷えるととても甘さが引き立つんです。お米と塩とのりはとても美味しいものを使っています。

どれもおむすびには大切ですもんね。
ところで、おむすび屋さんは儲かるんですか?
やり方によってですかね。今は正直儲かっていないです。これからですね。個数を売るのに加えてサイドメニューを充実させたらいけるのかなと思っています。
仕事はどうやってとってきいますか?
基本はイベント出店をしていると声かけていただくので、そこに出店するのと、出店者を募集しているイベントに申し込んだりもします。ケータリング形式で出張おむすび屋さんとして出向くことや、たまにおむすびの大量注文もあります。最近でいうとバーベキューの時におむすび欲しいという依頼がありました。お仕事募集中です(笑)
テロップで出しておきます(笑)
次は暮らしのことについて聞いて行きたいなと。
今どんなところに住んでおられるんですか?
とてもいい家で、撮影場所も家なんですけど、家賃が五千円っていう破格の値段です。大家さんがいい人で、空き家にするんだったら若者に使ってもらって大山町をよくしてくれって言ってくれています。
理解のある大家さんなんですね。
今後、自分の家を面白くしようと思っていて、露天風呂というかお風呂も外にあって、隣に1人用のサウナもあってります。平屋の家ですが、屋根裏がとても広いので部屋を作りたいんです。
押入れから上がれるようになっていて、そこをぶち破って階段にしようと思っています。そこはいま大家さんからストップがかかっていて、交渉中です。
生活費ってどれくらいですか?
家賃が安いので最低かかる固定費がだいたい6万円くらいです。
家賃、光熱費、ケータイ代、車の保険、奨学金がだいたい六万円でプラスで食費とガソリン費合わせて10万あったらいけるかなって感じですね。
だから最低10万稼いでそのあとはなんか好きなことをやって幸福度の高い生活をしています。今日も自分のキッチンカーの改造をしてたりとか、自分の自由な時間を好きなことに使えるっていうのはものすごく大きいっていうか。

好きなことって?
自分のキッチンカーの改造とか、これからは庭と池のお手入れをやりたいですね。家のことがメインで、屋根裏にもできれば部屋を作りたいです。今同居人がいるので、その人と一緒に自分お家を快適にして行きたいですね。
今後のことをお聞きしたいなと思います。
活動拠点としては今後も鳥取ですか?
店舗を持ちたいという思いがあって、できれば家の近くに店舗を持って、そこで作ったものをキッチンカーで人の多いところに持って行く形になるのかなと今は考えています。
配達と、店舗でもテイクアウトでお買い求めいただけるような形になると思います。基本的には人の多いところに持って行くことスタイルで令和になったので新しいことしないといけないなと思っています。

仕事や暮らしも含めて今後のビジョンとしては?
自分の家のことをおにぎりハウスって呼んでいて、おにぎりハウスの周りに面白いコンテンツを増やそうと思っています。
家の近くにおむすび屋を構えようと思っているので、それと、サウナを始動させたり、家の池とか、家の周りにある倉庫とかも面白おかしくして行きたいなと思っています。ワンダーランド的な家にして行きたいというのが大まかなビジョンです。
家や店舗の周辺を面白くしていきたいと。
自分が楽しく暮らしたいっていうのが念頭にあって、それでみんなも楽しんでくれたら一番嬉しいなと思っています。
たまにこのおにぎりハウスでも人を呼んで鍋したりとかしてるので、もしよければおにぎりハウスにも遊びに来てください。
最後に告知などあればお願いします。
おにぎりハウスに興味ある方がいればお手伝いしていただければめちゃくちゃ嬉しいですね。今後は池の掃除とかしていきます。
おむすび屋ひとむすびは今のところイベント出店のみなので、フェイスブックページにいいねとかインスタのフォローとかしてもらえると喜びます。
加えて、イベント出店などもお声かけいただけると嬉しいです。

今日はありがとうございました。
取材が終わった後、おにぎりを振舞ってくださったので、スタッフ一同でいただきました。
握りたてのおむすび、非常に美味しかったです。
人柄も良く、みんなから愛されるおにぎり君のインタビュー記事でした!

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よろしくお願いします。
まずは簡単にプロフィールをお伺いできたらなと思います。
名前は竹川奈緒と言います。今24歳で東京の江戸川区出身です。二十歳の頃に静岡の動物園で飼育員をしていて、ヤギをやりたくなったので京都のヤギ牧場に転職をしました。そこからたまたま大山に知り合いがいて、大山っていいところだなと思い、大山でヤギ牧場を始めました。
今はヤギ牧場だけで生計を立てているんですか?
そうしていくつもりですが、今はまだその段階ではないため和牛繁殖のアルバイトをしていて、それが主な生活の費用です。繁殖農家さんでお手伝いをしています。
東京から伯耆町に移り住んで生活の変化であったり、不便だなと思うことってありますか?
東京の実家を出てから住んで居た静岡はとても観光地だったので、生活物資も割高でスーパーも隣町まで行かないところでした。ここの集落は車で10分くらいでスーパーもコンビニもあるので、社会人になってから住んでた地区としては一番住みやすいです。京都に住んでいた時も、結構な山奥のヤギ牧場で勉強をしていました。京都に住んでいたと言うと金閣寺とかを想像される方が多いんですけど(笑)

買い物10分圏内で行けるんですね。意外(笑)
車でブーンと降りれば10分で行けます。雪も去年から今年にかけては少なかったので、その辺に関しては大丈夫でした。村の人は異例と言ってますが。
鳥取に来て一年と少し経ちますが、暮らしの中でいいなあと思う点と大変な点ってあったりしますか?
他の集落がどうかはわかりませんが、この添谷に関しては元々住んでいた方々がウェルカムな感じで迎え入れてくれたのでよかったです。今住んでいる家も紹介してもらって、もともと壊す予定だった空き家をうまく借りれたので助かりました。
壊す予定だった空き家がこんな風に生まれ変わるんですね。
元々ここは和室で、床抜いたりDIY的なことも自分でやって、その許可も借りる上で好きにやっていいよということで大家さんから許可をいただきました。このような感じで自分の好きなようにさせてもらってるのでその点はとてもよかったなと思います。

自由に改装できるのいいですね。
ちなみにお家賃の方はおいくらですか?
家賃は15,000円です。
おー!
こんな広い家に15,000円で住めるんですね。
高いと言う人もいれば安いと言う人もいますが、私的には大変安い値段で住まわせてもらっています。
僕も安いと思います(笑)
1日の流れはどんな感じですか?
現在の時間の使い方としては、朝6時に起床してご飯を食べ、ヤギのお世話をしてから7時半くらいに牛屋さんに向かいます。8時から昼まで仕事をして、一旦家に帰ってお昼ご飯を食べて、ヤギ達を見に行ってもう一度牛屋さんに行くんです。そこから5時半まで仕事をして、帰りにヤギたちのお世話をしてから家に帰って来ます。夜はフリータイムでヤギ以外の趣味に時間を使っています。
ヤギ以外の趣味のこととは?
物を作ったりとかも好きなので造形で粘土をいじったり、ゲームしたり、漫画を読んだり。
リビングがそのような感じの楽しそうな空間ですもんね。
自分の趣味、コレクションしかないので。

一日の中で基本的に動物と触れ合う時間がとても長いんですね。
まあそうですね。動物が好きなので。
ヤギのお世話って具体的にどんなことを?
餌やり、水換え、日によっては爪を切ったり、スキンシップの1つとしてブラッシングをやることもあります。これからの時期は寄生虫などが怖いので薬を塗ったり飲ませたりとか、そういう予防的なこともしますが、基本的には餌やりと水換えですね。
ヤギを飼いたくなったとおっしゃってましたが、なぜヤギを?
小学校中学校の頃から動物が好きで、爬虫類がその当時は一番好きでした。中学生の時から実家で飼っていて、将来は飼育員さんとかそういうのになりたいと思っていました。
高校卒業した後、動物の飼育の専門学校に入学をして色々勉強をしている時に飼育動物の中にヤギもいたんです。そこで少しヤギを好きになって、爬虫類関係に就職することが出来なかったら、観光牧場のようなヤギや羊がいるところに就職しようかなと思うほどにはヤギに魅かれてました。
結局は静岡の爬虫類や両生類を扱う動物園に就職が決まったんで一旦はちょっと熱が引いて爬虫類の方をやってたんですが、バックヤードにヤギがいたんです。たまたま(笑)
たまたま(笑)
お客さんには見せていないところにたまたまヤギがいて、そのお世話を任されてやっているうちに、やっぱり爬虫類もいいけどヤギもいいなと思っていました。
そしたら京都に居た専門学校の時の同期が、今1人空きが出たから一緒にやらないかと誘ってくれたんです。これを機にということで動物園をやめて牧場に勤め始めました。ヤギが要所要所で誘惑をしてきたんです。笑
運命的な出会いみたいな(笑)
だんだんヤギに引っ張られて笑
爬虫類も嫌いになったわけではないので、今もペットでトカゲを飼っています。

ヤギに引っ張られてっていうのはわかりましたが、なぜ自分でやろうと思ったんですか?
自分の会社を持ちたいという思いが高校生くらいからあって、当時は爬虫類が好きだったので爬虫類のショップとかブリーダーが自分でできたらいいなと漠然としたような形で考えていました。
社会人になって思ったのは、ブリーダーとかそういうのはやはり不安定な部分があったり、ペットショップも研修に行ったりしてたんですけど、ちょっと自分の思っている世界と違ったんです。
それで動物園に行きました。そこからヤギだったら自分で飼ってる子からミルクをとって、ミルクを商品として、出していけばその子らを売らなくてもいいかなと思って。

昔から自分でやりたいって思いがあったんですね。
アントレプレナーという街づくりや地域おこしみたいなこと勉強する授業が高校生の時にあって、それも少し興味があったので集落と関わり合いながら地域活性化のようなこともしていければいいなとは思っていました。そう言った意味では爬虫類よりヤギの方が親しみやすくて誰もが知っている動物なんじゃないかなと思ったんです。
確かに。
そしてヤギの生産物で売上を上げていくと。
そうですね。それに加えて触れ合いやイベントごとで命を感じてもらったりとか、単純に可愛さを見てもらってもいいですし、後々はお肉の魅力というのもどこかで発信できればいいかなと思っています。
話がちょっと戻りますが、移住してすぐの働き方といまの働き方って変化はありました?
去年はアルバイトを一日4時間、その他の時間は全部ヤギに費やしてました。ですが、金銭的にこのままでは危ないと思ったので、去年の12月から牛の方をフルタイムでやり始めました。ヤギを朝昼晩、休みの日は1日という風な形でヤギの方は少し時間が短くなってしまいましたが、徐々に売れる商品を作ったり、知名度が上がって行けばまたヤギの方にシフトして行こうと思っています。一年目は柵を作ったり、小屋とかそういうのを作ったりに時間を使いました。

一年ぶりに来たらえらい変わりようですもんね。
いまも村の人と協力して、立派な小屋を建設中です。丸太の皮を剥ぐところから自分でやっています。自分でやった方が壊れたときに直しやすいというか、配管とかこうしてたなってわかりますし。
言われてみればそうかも。
ちなみに移住する前とした後のギャップってありますか?良くも悪くも。
それほどギャップはなかったです。大変だろうなってことはそのまま大変なことは大変だし、村の人がいい人ばっかりだといっても反対する人もやっぱりいます。でも最初は半分も受け入れてもらえないと思っていたので、その点ではよかったかなと思います。
暮らしやすいですか?
急にざっくりな質問になってしまいましたが笑
(笑)
私自身は例えば、「ご飯一緒にどう?」とかそういうのはむしろ大好きなので、「行きますいきます。」って言って行く方なので大変楽しく暮らしています。この辺でいう「よばれる」っていうのが苦手な人は少し苦かもしれないです。多くの方からおいでおいでって声かけてもらえるので大変ありがたいです。
いいですね。
移住に踏み切れた理由ってありますか?
大山が一番魅力的で、美味しい水だったので、ヤギがその美味しい水を飲んで、そしたらヤギは美味しい水から美味しいお乳を出してくれるんじゃないかなと思ったんです。土地が良ければヤギの出してくれる乳だったりヤギ自身も美味しくなるんじゃないかなと思っています。大山には何回か京都から行ったり来たりしてたので知り合いというか顔なじみの人もいたので少し安心して移住できました。

理想の暮らし方でも働き方でもいいんですけど、今後のビジョンってどんな感じですか?
一番はヤギで生計が立てれればベストです。やぎのお乳を売ったりお肉を売ったりイベントヤギを連れて行って触れ合ってもらったりとかで売上を立てることを理想としています。とてもざっくり言うと、ヤギの魅力を触ったり食べたりしてくれたお客さんが感じてくれればいいなというところが1つコンセプトになっています。
牧場に来たり、私が行ったイベントに来てくれた人が魅力を感じてくれればいいなと思います。そこからヤギを飼ってみたいとかヤギのことをもっと知りたいなと思ってもらえたら一番大成功です。
応援しています!
最後に何か言い残したことなどあればお願いします。
今年ミルクを製品化しようと頑張っているので、製品化できれば買ってください!

竹川さんありがとうございました!
やぎのミルクを実際にいただきましたが思ったより飲みやすくてびっくりしました。3つのサイズに分けてボトリングして販売するようなので、決定したらこの記事に追記しますのでお見逃しなく!!
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