認知症が進んだころ、グループホームから母を家に連れ帰ると、玄関先で
「ここがうちなの?」
と不思議そうな顔をしていたものでした。
たぶん、母にとっての「家」は、家族みんながいた昔の記憶の場所であって、今、誰もいなくなったこの場所に来ても、家とは認識できなかったのかもしれません。
ケアマネさんの研修会で看取りの体験談を話してほしいと依頼されたので、まぁ何かの役に立てるならと思ってお引き受けしました。
でも考えてみたら、何を話していいものか??
個人や施設や病院を特定的に非難するような話は避けなくちゃいけないよねと思うと、何を話したらいいものか選択が難しいです。
来月まで、慎重に考えよう。
思い返せば、それが終わりの始まりでした。
つい先日まで、元気いっぱいだった母が、まさか骨折がもとで亡くなることになるなんて、その時には夢にも思っていなかった。
骨折の手術の前に説明を受けたとき
「骨折で亡くなる人もまれにはいます」
と言われたけれど、それは特異なケースであって、うちの母には関係ないわねと思ったのを覚えています。
まさかそれが本当になるなんてね。
高齢の親が亡くなることは普通のことなんだろうけれど、認知症になった父と母をひとりで介護して看取ってみたら、悔やまれることがいっぱい。
思い出すと、今でもいたたまれない気持ちになることがあります。
自分にとってはとりあえずいったん終わった介護問題なんだけれど、次はつれあいくんの親の介護があるかもしれないし、先々は自分が介護される側になるんだろう。
そういう立場になったときの、この国の介護の在り方は、幸せって言えるんだろうか?
人生の終わりを、寂しくみじめな思いで終えなくちゃいけない世の中なんて嫌だなと思うけれど、今の現実は大方そうなんじゃないだろうかって思わずにはいられない。
特に、子どももいないし自分を看取ってくれそうな近親者もいない私なんかは、最期はそれなりに覚悟してなくちゃいけないと思います。
私がそういうお年頃になる頃には、死ぬことを自由意志で選択できる世の中だったらいな、なんて思うこの頃ですが、それはきっと無理よね~!
]]>百か日は「卒哭忌」というのだそうで、亡くなった人の供養のための日というより、残された人が、この日で「嘆き悲しむことから卒業しましょうね」という区切りなのでそうです。
私は、毎日毎日ずっと嘆き悲しんでたわけじゃなく、バレエしたり、ランニングしたり、旅行にも行ったな、ずっとできなかった自分のことをやって、けっこう楽しく暮らしてました。
自由になった・・・と正直思う。ずっと憧れていた、なにも気にせず、どこにでも好きに行ける、自由な自分。
でも、自由じゃなくても大変でも、もう少しいてほしかったな。
ああしていれば、こうしていれば、こんなことにはならなかったんじゃないか? と思ったり、何かの拍子に
「あ!そうだ、これお母さんに・・・」
と頭に浮かんだとたん、
「・・・そうだ、もういないんだっけ」
と気づいてしまったとき、そしてそれは今だけじゃなくずっとずっとなんだなぁと改めて知ったとき、やりきれない気持ちです。
☆ ★ ☆ ★
私はどっちかっていうと情に厚い人間ではなくて、家族のことだって別にさほど「大好き」とも「大切」とも思った記憶はない。
それでいてこうなんだから、世の中の人はきっとみんな、もっと悲しいものなのだろう。人にはあからさまに見せないだけで。
見せないだけで、そういうものを抱えながら強く明るく生きてる人は、いっぱいいるんだろうな。もちろんそうじゃなくて幸せいっぱいの人もたくさんいるのだろうけれど。
心の重い石は軽くはならないけれど、重くなくなる時が来ると知ってるから、私も強く明るくがんばろう。
I must be strong, and carry on…
昨日を区切りに、さらにあと一歩、前に進もうと思います。
]]>体がもう相当弱ってきていたことは、客観的にはわかっていたけれど、その日も元気でご機嫌もよく、すぐ亡くなりそうには思えませんでした。
でも、急に様子がおかしくなり、一晩たった翌朝、静かに息をひきとりました。
100%満足だったわけではないけれど、自宅に戻り、最期は自宅でおだやかに看取ることができました。
容態がおかしくなってからも、何らかの治療や延命措置をすれば、数時間や数日は長く生きられたかもしれないけれど、何もせずに自然に亡くなって、結局はよかったように思います。
余命宣告され、自宅に戻り、最期まで約1カ月半。
いろいろと思うところがありました。
私と同じように、介護のことで悩んで、情報が欲しいと思ってるだろう皆様のために、後追いになるけれどブログを追加しようかな?と思ったりもしますが、できるかなぁ?
もしできたなら、あったこと、思ったことを追加して、このサイトに載せようと思います。
とりあえず、今日はここまで。
]]>その間に、母は入院し、退院し、グループホームは退所して、自宅に戻りました。
自宅で看取る・・・と決めたからです。
そう決めた訳はいろいろありました。
でも今、とりあえず家に帰ってみてよかったと思えてます。
覚悟を決めたらすっきりしたし、みんなが理解して協力してくれるのもありがたい。
これからどうなるのか、わからないけどね。
がんばりましょう!
ということで、今日はここまで~!
]]>発熱で病院に行ったら「入院したほうが安心でしょう?」ということで、2週間入院して、結局、原因はよくわからないまま退院。
その後10日ちょっとで骨折&入院。
入院中も、骨折だけじゃない発熱の繰り返しは続いていたのです。
・・・で、熱が下がったタイミングで退院したけれど、また熱が出て、病院に行こ、解熱剤を数日分処方されたけれど、なぜだかはよくわからない。
このままじゃいけないなぁ・・・
何かしら原因はあるのです。それを解決しなければ。
と考えたとき、ふと頭に浮かびました。
熱はさておき、何だか以前と似たような状況な気がする。
傾眠・嗜眠と摂食障害・・・ ブログに書きましたね「傾眠・嗜眠の原因」
今日、午後にグループホームに行ったとき、傾眠状態の母の血圧を測ってみたら、なんと90台の数値です。
こりゃ低すぎだわ! でもって、脈は100以上、高すぎます。
でも、グループホームで測っている血圧を見せてもらったら、170とか180の日もあり、結構高め。でも、脈が早すぎなのは同じです。
これは私のまったくの素人推測ですが、こんなことがあるんじゃないかなぁ・・・
1.降圧剤の効き過ぎで血圧が下がりすぎてる(高過ぎのときもあるけれど)
2.鉄分不足の貧血(前にもあったし、入院中も貧血と言われていたし)
3. タンパク質不足(5月入院時の血液検査で不足していたけれど、その後回復しているとは思えない)
4.1と2に加えて、ストレスと緊張からの頻脈
5.そんな諸々の原因と免疫力低下で発熱し、さらに体力が消耗
6.体調の変化で、認知症の薬も見直しが必要なのかも?
こういうもろもろのことをよ~く診て、微妙な対応をしてもらいたいから、コウノメソッドの先生にわざわざ通っているのです。
近くの病院で、サクッと対応してくれるとは思えませんが、急な疾患の場合も考えて、週末前に近くの病院で診てもらっておくべきかなぁと思う今日です。
でも、まだいまいち心配なので2日だけ自宅にいて、また実家に戻って来てみると、さっそく問題発生の兆しです。
「今日でもう便通がなくて4日なんです」
「かかりつけの先生って〇〇病院でしたっけ?」
と言われたけれど、それは認知症の専門病院で、けっこう遠いうえに予約制です。
しかも車椅子じゃないと動けなくなった今、行くこと自体が簡単じゃないからとても無理。
なので、とりあえず市販の下剤を買っておいてきました。
それで出てくれればいいなぁと思ったのだけれど、2日経っても便通なし。
「今日で6日目ですから、病院で下剤を処方してもらってください。」
と言われ、グループホームの車で送ってもらって市立病院に行きました。
この日はこれでまぁ終わりました。
そして多分、便通OKだったのだろうと思いますが、その翌日。
今度は
「熱が38度もあるので、病院に行った方がいい」
ということで、またまた市立病院に。
5月にも同様に発熱でこの病院にって入院になった経緯があるから、もしかしてまたそんなことに??
と思ったけれど、薬を処方されただけで終わりました。
ところが・・・
思えばこのあたりから、またまたおかしなことになってきたのです。
熱があるから・・・ということで、ずっとベッドに寝たきりです。
だからでしょうか?、ふと気がつけばリハビリパンツからオムツに逆戻りになってます。
ふと気がつけば、いつの間にか食事はミキサー食に変わって、病院のときと同じように食事拒否モードになってます。
ふと気がつけば、いつのまにか膝が曲がったままで伸びなくなってるし、赤くなって褥瘡前段階の部分があります。
うーん・・・
この状態、まずいよね。
グループホームに戻ってやっていけるのかどうかはそもそも不安でしたが、戻った当初は好調だったので、この調子ならいいかな?と思いました。
でも、今の様子を見ていると、なし崩し的に寝たきりに突入となりそうです。それもかなり速いペースで。
どうしようか??
考えていることはいろいろあります。
退院と言っても、回復したわけでも事態が好転したわけでもなく、これからのことだって、どうなることか不透明要素はいっぱいなんだけれど、病院を出て、介護タクシーでグループホームに帰り、部屋のベッドに休ませて、近所にある実家にとりあえず荷物を置きに帰ってきたら、あぁ~なんだか脱力感&解放感!
とりあえず、片道30~60分かけて病院に行き(片道約16キロで渋滞もある)1日2回、1時間ずつかけての食事介助はいったん終了!・・・と思うと、それは単純にすっごくうれしい!
今日も夕飯はグループホームに行って食事介助しようと思っているけれど、近所だから絶対的に楽ってものです。
★ ☆ ★ ☆
そして夕方、再びグループホームへ。
着いたときには、もう車椅子でテーブルについて食事がはじまってるところでした。
職員さんがついていてくれたけれど、ちゃんと箸を持って食べる体制です。うそ~!・・・と思った。病院じゃ手を動かしさえしなかったもん。
でも、私が隣に座ったら、気が散ってしまったのか、食べさせてもらうモードになってしまったのか、わからないけれど箸を置いてしまいました。仕方ないので今日も介助。
夕飯は焼き魚とサラダと味噌汁でした。
病院にいた時は、噛んで食べるもの・・・肉魚野菜の類はもう一切受け付けない状態でした、そのことは、グループホームの職員さんにも話してありました。
「普通のごはんを出してみて、だめだったらミキサーかけますから・・・」
ということだったのだけれど、魚もサラダも、口に運んであげたら噛んでたべてます~!またまた「うそ~!」とびっくりしました。
グループホームのごはんは、全部ホームのキッチンで作っていて出来合いの物はありません。材料も吟味して新鮮なものを仕入れているそうです。
焼き魚は、病院の生臭い蒸したような魚とは違って香ばしく焼けていて、見るからにおいしそう。やっぱりおいしいものは食べるのね~!
完食はできなかったけれど、それでもちゃんとおかずもご飯も少しづつ食べたので、大進歩だと思いました。
食後は車椅子で洗面所に連れて行き、歯ブラシを持たせたら自分で磨きました。
これも、病院のベッドの上では全然やらなかったのに、急にできるようになってびっくり!
その後「そういえば薬をのんでなかった!」と思い出しました。
病院にいた時は、「薬だよ」と言っても通じず、当然のまない。薬をのませることが超困難な状態でした。錠剤のまま口に入れても吐き出しちゃうし、粉々にして何かに混ぜてもだいたい吐き出されてしまうのです。
そのことも話してあったのですが、
「この調子なら薬、飲めるかもしれないね」
ということで、
「お薬だからね。口に入れるから、水と一緒にごっくんとのんでね」
とよーく言って、飲ませてみたら・・・成功です!
病院を出てグループホームに戻れば結構もとに戻ったりするんだよ・・・と何人かの人に言われていたんだけれど、病院での状態があまりにあまりだったので、「そんなにうまくいくかなぁ?うちの母はだめかも・・・」と思っていました。
でも、何?この急な展開??
とてもうれしくなって帰ってきました。
それでもなお、今も安心しきれず心配なのは、「また転ばないでよ~!」ということです。
急に元気になって、歩こうとしてまた転倒、骨折、なんてことにならないか、まじ、すごく心配です。
ベッドに全面柵をしてくれるようにお願いしたら、
「それをすると拘束になっちゃうので・・・」
と言われたけれど、お願いしました。
退院してやっと安心と思ったら、骨折ですぐまた入院・・・という先月のことが頭をよぎり、安心しきれない気分ではありますが、思った以上に回復が見込めそうな気がしてきて、今日は少~しだけ明るい気分です。
]]>毎日毎日、どうしたら食べてくれるかなぁ?何なら食べてくれるのかなぁ?と試行錯誤しながら病院と家の往復で朝から晩まで。自分の食事や睡眠は後回しにしていたら、さすがに疲れた・・・
それでも、少しでも効果が上がればいいんですけどね~・・・拒食傾向はますますひどくなって、「傾向」ではなく、もはや摂食障害です。
先週、担当医の先生と面談がありました。
私は、入院当初からの希望通り、近くの病院への転院をお願いしたかったのですが、言われたのは
「リハビリできる状態ではないので、これ以上の回復は望めない、施設に帰るのがいいでしょう」
というものでした。
「転院してみたところで、リハビリは無理です。受け入れてくれるところもないでしょう」
だそうです。そんなぁ・・・!
いくらお願いしても、他の病院への紹介状は書いてくれそうにありません。
そして紹介状がなければ転院は無理なのです(いくつかの病院に問い合わせてみましたが、紹介状がなければだめと言われた)
その後、よくよく考えました。
確かに、この状態では他の病院に行ってみたところでリハビリは無理。
精神的な問題で食べられないなら、とにかく病院を出て落ち着かなくてはいけないのかもしれません。
それにしても、手術直後はけっこう元気で、回復も早いかなと思っていたのに、なんでこんなことに・・・
今思えば最初の最初に、この病院で手術じゃなくて、他に転院しておけばよかったのかもしれません。
でも、時すでに遅し。ここまでの状態になってしまっては、やっぱり施設に戻る以外、どうしようもなさそうです。
前回のブログで「嚥下障害?」と書きましたが、記事をアップしてから考えました。
確かに入院後、認知症状はひどくなったけれど、前日までは普通になんでも食べていたのに急に脳の機能のせいで食べられなくなったとは思えない。もしかしてストレスが原因?
そういえば、子どもがストレスで呑み込めなくなったりすることってあるもんね~!
うちの母は発達障害的傾向があって精神的なプレッシャーに意外と弱いところがあります。ストレスで食事が喉を通らなくなっても不思議はありません。
少し攻め方を変えてみることにしました。
食事の時間に病院のごはんを完食してもらう期待はもうしない。
食指が動きそうなものを持参して、気持ちが向きそうなタイミングを見計らって勧めてみることにしました。
この作戦はわりと成功、ちょっとだけど食べてくれました。
・・・けど、問題は遠くにある病院に毎日何回も行くのは難しいうえ、母の調子いい時にタイミングよくその場にいるのも難しいこと。
がんばってみたけれど、私の方が体調悪くなってしまい、ついに今日、たった3日目で挫折しました。
それに、持参した食べ物を食べても病院の食事を食べたとカウントされなければ点滴はなくなりません。