今回は、「子ども」と「子供」の文字表記について、
私なりにと言いますか、私が教えてもらったことを紹介します.
さて、子どもと子供の表記について、国語辞書で調べると
結局は、どちらも正しいという答えに行き着くと思います。
ですが、最近さまざまな施設や教育機関の名前には、
子どもと表記されている施設もあれば、
子供と表記されるものもあります。
日本語の文字としては、どちらも正しいのに
では、何が違うのでしょうか?
子どもと子供の違いは、『供』にあります。
保育士や幼稚園教諭を指導する教育機関、
大学、短大、専門学校など、
教育理念や指導方針、考え方もさまざまあると思いますが、
私の経験上、『子ども』として表記する先生は、
仏教系に基盤を置く教育機関で習った方が多いように感じます。
私も仏教系の学校でしてので、子供と子どもの表記では、
『子ども』を使うように指導されたものです。
【 供 】 [音] キョウ ・ク ・グ
①さし出す。 「 供給 ・供出 ・供進 ・供託 ・供用 ・供覧 ・提供 」
②事情を述べる。 「 供述 ・口供 ・自供 」
③神仏にそなえる。 「 《 キョウ 》 供花 」 「 《 ク 》 供米(くまい) ・供物(くもつ) ・供養 」
④貴人のおともをする。 「 供奉(ぐぶ) 」
という意味だとわかります。
「子ども」を使用する人が多い、仏教系の教育機関ですから、
③神仏にそなえるという意味合いが強くなるというのは、容易に想像できると思います。
私が「子ども」を使うと指導を受けた時の教諭からの説明は、
昔、大きな災いや天災が起きた時には、
若い女性や子どもが人身御供(ひとみごくう)として、神様に供えられました。
その人身御供として供えることから、
子を供える=子供として表記されるようになった歴史もあるため、
現代においては、科学の発展もあり、子どもを供える必要はない、
犠牲にするものでもなく、何よりも優先して大事にする存在だから。
という意味を込めて、子供には『供』は使わずに、
『子ども』と表記するということでした。
最近の学生さんからは、
ただただ「子どもの表記の方がカワイイから」という声を聞きます。
そういう理由で、「子ども」と表記されるのも良いでしょう。
ですが、そこには何よりも優先して大事にしなくてはいけないという
想いも込めてもらうと、なお良いと私は思います。
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もちろん、私は男ですので「母親とは?」と聞かれても、おそらく女性の方で子育てを全うされた方に比べれば、多少重みのない考えになりそうですが、
あくまでも私の主観的な考えとして、とらえていただけれき、参考になればと思います。
相談を受ける中で、「私は母親失格なんです」とおもむろに話されるお母さん方がいます。
私だけでも、十数名はいたかと思います。
もちろん、相談されるお母さん方がネグレクト(育児放棄)をしているワケではなく、
むしろ子育てには一生懸命取り組まれる方がほとんどです。
では、どういったことで「母親失格」と自分自身で烙印を押されているのかというと
障がいがあるお子さんが家庭内にいると、健常のお子さんよりも時間がかかることが多々あります。
お子さんが、着替えや外出の支度が1つでも多くできるようになるために、親が手伝うのではなく、
ゆっくりと自発的に、自分からするよう時間をかける必要があるからです。
一つひとつの行動、生活のリズムの一つひとつが時間がかかるのは当たり前で、
お母さん方は、その中で家事やパート、養護学校などの準備、
その子に兄弟がいれば他の子たちへの対応や、もしかすると親の介護もあるかもしれません。
でも、家事についてはお父さんや、おじいちゃん、おばあちゃん
一緒に住む家族や、もしかしたら家事手伝いやお手伝いさんに協力してもらうこともできます。
お母さん以外の人から協力、手伝ってもらうことは
「家事」もしくは「主婦(夫)業」であって、「母親」「母親業」とは違うものだと考えます。
それなら母親とは?
お母さん、母親の存在は、
子どもにとっての心の拠り所。
どんなことがあっても絶対的に味方でいること。
母親との愛情と信頼関係は、
家族でもほかの人とも変わることができません。
極端にいってしまえば、
お母さんは、まず子どもにとっての精神的ケア、心の拠り所でさえあれば
家事や主婦業が多少疎かであっても問題ありません。
(ゴミ屋敷のような状態は、もちろんダメですよ)
だから、主婦業で時間が取れなかったとしても
それはそれで母親失格と思う必要はまったくありません。
ここで1つ、誤解を与えないためにもいいますが、
児童養護施設で育まれている子
お母さんを早くに亡くした子
ネグレクトで離れて暮らす子
お母さんと一緒に過ごせない子は、愛情も心の拠り所がないのかというと
そうではありません。
児童養護施設にいても、お母さんと暮らせなくても
身近に「お母さん」の役割を担える人がいれば、
それで大丈夫なんです。
今回伝えたいことは、多忙なお母さんが「主婦業」ができずに
「母親」失格だと悩む必要はないということ。
子どもにとって
頼っていい、
弱さを見せていい、
ワガママを言ってもいい
甘えていい、
自分のことを一番に考えてくれている。
そう感じさせてくれる存在となれるようにすれば、
そういう人が一人でもいれば、子どもも安心して、
外の世界でのびのびと自由にできるはずです。
ただ、そういう存在になるために
重要不可欠なのが無償の愛です。
人は誰だって、辛い時、悲しい時、気分が落ち込む時があります。
そういう時にでも「この子のために」と思うためには、
自己犠牲もいとわない「無償の愛」が大切なんです。
お腹の中で自分の命も分け与えながら
10ヶ月も育んだ命
その関係は、父性では乗り越えられない
無償の愛があると私は思います。
父性の愛は、何年も長い時間をかけて
徐々に無償の愛は育つもの。
父性の愛のように、お母さん以外の人の無償の愛も
少しづつ時間をかけながら育まれるもの。
それほどまに母親の無償の愛は強いものだと思います。
子どもたちは一緒に暮らす大人たちの動向を
しっかりと見ています。
それは子どもたちにどんな障がいがあっても
大人が思っている以上に見られています。
視覚に障がいがある子にしても、
ほかの感覚を使い、視覚以上に雰囲気や空気を感じ取るはずです。
それは、
夫婦喧嘩をしてはいけない
憂鬱に疲れている姿を見せてはいけない
怒っていると見せてはいけない
弱さやダメな部分を見せてはいけない
ということではなく、
お母さんも辛い部分を見せてもいいんです。
もちろん、明るく笑顔でいる方がいいんですが、
夫婦喧嘩をしても仲良くなる課程を見せる
憂鬱で疲れていても、子どもと話して明るくなる姿を見せる
怒ったとしても、あとで優しく笑顔を見せる
唯一見せてはいけないものが
「あなたに愛はない」という部分です。
逆に言えば、
夫婦喧嘩しても、憂鬱でも、怒ったとしても
お母さんはどんな時もあなたを愛してるよ。
という部分をしっかりと見せること。
それさえできていれば、母親失格なんてありません。
それでは覚えておいてください。
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最近、新しい本の中で面白い本を見つけました。
保護者の方には、何度か話をさせていただく
厳しい現実的な話なんですが
障がいがある子にとって、就職や仕事は健常児と比べ、早くに考え・悩むべきことです。
なぜ、こんな話をするのかというと
現実として、保護者がその子の人生をずっと見守り、生活を支えることができないからです。
保護者(親)が先に亡くなることが大半ですので
悲しいことではありますが
ずっと生活を支えることはできません。
発達障害がある子の兄弟・姉妹が支えることもできるでしょうけど、
良かった例・悪かった例をいろいろ見てきました。
だからこそ、まずは自分で給料を得ること
自立することをまず目指した訓練を早めに取り組むことが大切です。
それが我が子に、その子にどんなことができるのか
発達障害があってもどんな仕事ができるのか
可能性と未来の姿が見えてくると
これからの訓練はどうしたらいいのか
どんなことを目的に訓練をしていくのか
PTや先生と相談することができるようになります。
まずは、未来像を考えるためにも
お仕事図鑑を参考にされてみると良いかと思います。
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他の障害と同様、障害の程度も知的発達の程度も様々であり連続性が見られます。
自閉スペクトラムの主な症状は
『相互的社会関係の障害・コミュニケーションの障害』と
『行動・興味および活動の限局された反復的で常同的な様式(こだわり)、感覚過敏』です。
乳児期から幼児期早期では言葉の遅れ、視線の合いにくさ
他の人への意識や興味の希薄さ
喜怒哀楽などの表情の乏しさや常同行動が挙げられます。
常同行動とは例えば
何の目的もなくその場でクルクル回ったり
何度もジャンプをする。手をヒラヒラさせたり
何か物や場所の一点を見つめたりする事です。
幼児期以降になると、言葉が出ていても
感情を上手く表現することが
苦手なために会話の中で自分の思いを伝えられません。
ですが自分の興味・関心のある事であれば
相手の話も聞かずに話続けます。
幼稚園や保育園で自分が痛い思いや嫌な思いをしても
先生に上手く伝えられないという事も多々あります。
また園生活で特に困難に感じられるのは日々の変化です。
自閉スペクトラムを持つ子どもは“いつも同じ”という事にこだわるので
毎朝園の門をくぐる時は右足から!!や
何時何分になったら給食の時間!!など
自分の中で決められたルールがあります。
ですが、園生活では“いつも同じ”という訳にはいきません。
時間の都合上、絵本の時間をカットしたり、
活動が長引いて給食の時間がずれ込んだりすることもあります。
また時期によっては運動会や生活発表会など
行事が入ったりすれば練習や準備で尚更、時間の変更が出てきます。
このような時、自閉スペクトラムを持つ子どもは、
この変化に耐えられずにパニックを起こしてしまうことがあります。
こだわりに関して
興味や関心のあることがとても限定的で一度関心を持つと
とことん極めるので大人でも感心する程の専門的な知識を身に付けます。
感覚面では、聴覚・視覚・触覚が過敏であるために
生活しにくさを抱えている子どもも少なくありません。
例えば、聴覚で言うと大きな音が苦手であったりまたは、
どこか遠くで聞こえる小さな音が気になって仕方ないということもあります。
これまでにも、ピアノの音に合わせてみんなで大きな声で歌っていると
思わず耳を塞いで、どこか違う場所に走って行ってしまう子どももいました。
視覚では、日差しの強い日に気の陰で葉っぱの隙間から見える
キラキラとした太陽を長い時間ずっと見ていたり
電気の光に手をかざし指をヒラヒラと動かして
キラキラする光をずっと眺めていたりします。
触覚では、指のささくれが気になりそれを取り除こうと
血が出るまで剥がしたり
タイツや肌着の感触が気になり破れるまで噛んでしまい
それを止めることができずに毎日のように破いてしまう事もあります。
私が実際に関わってきて、感覚が過敏なために
より強い刺激を求めるように感じました。
このような事から、自閉スペクトラムを持つ子どもは
集団生活を苦手とするところがあるので
年齢が上がれば上がる程“いじめ”の対象となり得ます。
ですが当の本人は、いじめられているという事にすら
気づいていないこともあるので
“いじめ”や“集団での疎外感”への配慮が必要になってきます。
]]>赤ちゃんの仕事といえば“よく泣く”事ですよね?
眠たくなったら泣く
お腹が減ったら泣く
オムツが濡れたら泣く
・・・泣くことで周りに知らせます。
ダウン症を持つ子はというと1人ですやすや眠り、あまり泣きません。
赤ちゃんの時期だけをみるととても手の掛からない子だと思うかもしれません。
新生児期を過ぎると少しづつ動きが出てきます。
だいたい一般的に3ヶ月くらいで首が座るようになりますが、
ダウン症児はもちろん個人差はありますが半年を過ぎても首が座らないこともあります。
首が座らないことで1人座りができるようになる時期も遅れます。
何の支えもなく1人で長い時間座っていられるという事は
腰を安定させる必要がありますが首も腰も不安定な状態では
なかなか難しいことです。
このような事から、ハイハイや
歩き始めも健常児よりも発育がゆっくりだったりします。
ダウン症はそもそも健常児に比べて筋肉量が少ないので
体の部位を支えるだけの筋肉が付いていないから
身体面での発育がゆっくりになってしまうのです。
ただ、ゆっくりなだけで必要な筋肉が
充分に付けば首も座るし1人座りもできるようになります。
ダウン症の子どもは首の座りなどが遅いと言うことを知っているだけではなく
なぜ健常児に比べて遅いのか?
その原因を知っているかで子どものその後が変わってくると思います。
そのうち出来るようになるんだから・・・と前向きに
ゆっくりと育てるのも良いかもしれません。
でも筋肉量が少ないから遅れると言う事を知っていれば
きっとハイハイも歩くのも遅いんだろうなという見通しが立ちます。
歩き始めても歩行が安定しないために
少し特徴的な歩き方をする方もいます。
このように原因を知って、早い段階から見通しを立てていたら
今後どのようにしていけばいいか早めに相談をすることもできます。
筋肉量が少なければどうすれば良いのか?
ならば体の動かし方の専門家に聞いてみるのもいいでしょう。
PT(理学療法士)・OT(作業療法士)に
相談してみたり専門機関で訓練を受けることもできます。
一つの例として挙げましたが、各方面の色々な人に相談して先々のことを見通し、
今どうしてあげれば子どもが幸せにより生きやすくなるかを第一に考えてほしいと思います。
]]>チックという一部の神経精神疾患のうち音声や行動の症状を主体とし慢性の経過を辿るものを指します。
小児期に発症し症状が軽くなったり重くなったりを繰り返しながら慢性に経過します。
トゥレット症候群の約半数は18歳までにチックが消失または、その後の経過は良いとされています。
チックには色々な種類があります。頻繁な瞬き・首を振る・腕や肩を振り回す・身体をよじるなどの主に身体を動かす運動チック。咳払い・突然の短い叫び声・汚言症などの音声チック。
どちらのチック症状にも共通して言えるのは、不随意であるという事です。
つまり自分が意図して行っている行動ではなく、無意識のうちにしてしまっているという事なのです。
音声チックに分類される汚言症について少し詳しく説明したいと思います。
汚言症とは、相手に対して“バカ”“死ね”“消えろ”など不快を与える言葉を無意識に言うことです。
無意識ですので、言った本人は全く悪気はありません。
嫌な事を言う子の周りには当然、友達は集まってくるどころか遠ざかってしまいます。
ですが汚言症の子は無意識のうちに不快な事を言ってしまっているので、友達から自分が嫌われる理由が理解できないのです。
子どもたちの間で“◯◯くんにバカって言われた!”“◯◯ちゃんに死ねって言われた!”など少なからずトラブルを経験した事はありませんか?子どもたちの間ではありがちなトラブルです。
ですが・・・それが誰かれ構わず頻繁に不快を与える言葉を言っているのであれば、それはもしかして意図して言っているのではなく無意識のうちに言葉として発してしまっているだけなのかもしれません。
つまり汚言症の症状かもしれません。
]]>成人のダウン症の方は
比較的、性格が明るくてとっても人懐っこい方が多いですよね。
それが子どもともなれば、初対面の人でも
気軽に声を掛けてすぐに打ち解けてお友達になって一緒に遊びだします。
他の子が持っているおもちゃが気になり一緒に遊んでいるかと思えば、
今度はまた違うものが気になり別の所に行って他の子と遊ぶ。
小さいうちは人見知りもせずに
誰とでも遊べる事はとっても良いことです。
身体が成長し背が伸びたり体重が増えていくように
精神もそれとともに成長します。
子どもは成長とともに、少しずつ自我が芽生え初対面の人と
接すると“恥ずかしいな”などの感情が出てきます。
(だから思春期の子どもは無愛想になるんでしょうか?)
ダウン症には知能の遅延が少なからずあるので
健常児が辿っていく発達段階には追いつきません。
成長しないということではなく、少し遅れはありますが
成長しそしてある程度のところで発達は止まってしまいます。
そのことを踏まえて考えてみるとどうでしょう・・・身体は大きいけれど精神は子どものまま。
大きなお兄さん・お姉さん、もしくは大人の人に突然話しかけられたり
自分の大切なおもちゃを横から取られたりして“一緒に遊ぼうよ!”なんて言われたら、びっくりします。
年少・年中位までなら人懐っこいで済まされていたことも
月齢を重ねていくに連れてトラブルに発展してしまう場合も考えられます。
“◯◯くんが僕のおもちゃ取った!!”
“◯◯ちゃん、私と一緒に遊んでたのにどっか行っちゃった!!“・・・など。
トラブルにならないように、大人がしっかりと目を配り注意しなければいけません。
そして、その都度子どもに“今のはここがいけなかった”
“こう出来たのはとても良かった”“こうした方が良かったんじゃない?”など
具体的に話しをしながら伝えていくことが大切です。
その時の行動や気持ちを経験として心に蓄積させて理解させてあげて下さい。
]]>
ダウン症と一言にいっても様々なタイプがあります。
そしてダウン症に付随して病気や障害を併せ持って生まれてくる場合もあります。
ひどいアトピーを持っていたり
肺や心臓に穴が空いていたり腸が狭すぎて排便ができなかったり。
また他の障害、自閉症やADHDなどなどの障害も一緒に持って生まれて来ることもあります。
では、他の合併症もなくダウン症単独の障害だけを持って生まれてきた場合はどうでしょう。
確かに合併症がある場合に比べて心配事は少ないかもしれません。ですが必ず壁にぶち当たる時は訪れます。
ダウン症は少なからず知能の遅延がみられます。
生まれてから幼稚園入園前、一般的に3歳くらいまでは知能面より身体的な悩み事の方が多いのではないでしょうか?
例えば首の座りが遅かったり、なかなか1人座りができなかったり
ハイハイをしないなど・・・
でもこのようなことは健常児に比べて出来るようになる時期は遅くても
いずれできるようになります。なので個性として捉えることも出来ます。
ではいよいよ幼稚園に入園して就学前まではどうでしょう?
幼稚園に通うようになると初めての集団生活が始まります。“みんなと一緒”の始まりです。
親としては今まで我が子しか見てこなかったのが幼稚園や保育園に入れることで
たくさんの子どもを目にする機会が増え比較対象ができます。
“みんなはじっと座って先生のお話聞いてるのに、うちの子はきょろきょろして全然聞いてない・・・”
“他の子はもう縄跳びで二重跳びができるの?うちの子は前跳びも出来ないのに・・・”
“他の子に比べて圧倒的に足が遅い・・・”
大人が少し手を貸して時間をたっぷりと掛けないと出来るようにならないことが出てきます。
いよいよ就学です。
小学校に入学したら、学習が始まります。
ダウン症に限らず知的障害を持った方は耳からの情報だけでは理解するのが難しいのです。
学校では教員の話と板書だけで学習し、また新しい学習内容を記憶しなければいけません。
長期記憶には長けていますが短期記憶を苦手とするダウン症の子が
通常学級でみんなと一緒に学習したら、耳からの少ない情報だけでは学習について行けなくなってしまいます。
また知能に遅延がみられるので、学年が上がるごとに周りの子どもは
少しづつ大人びた事を言ったり考えるのに比べて、幼さが目立ってきます。
ゆっくりではあるけど当然、健常児と同様成長はしていきます。
でも何もしなければその差を埋めることは出来ません。
障害を持った子が通常学級で学習するということはデメリットばかりではなく
メリットもたくさんあると思います。
色々な人と接することで良い事も悪い事もたくさんの経験を得ることができます。
ただ少しでも子どもにとってデメリットを減らそうと思えば通級学級と言う選択肢もあるのです。
通級学級の教員は特別支援教育のプロではありませんが
学習に対して少人数を対象に手厚く少なからず通常学級よりも
理解しやすいように工夫を凝らし丁寧に教えてくれます。
また通級なので、体育や場合によっては音楽・図工の授業、給食の時間は
もともと所属しているクラスに戻ってみんなと一緒に過ごすことが出来ます。
親御さんにもそれぞれ思いがあります。
子どもにとって何が最善なのか?
教育者として親の思いに寄り添い色々な選択肢を提示できるといいですね。
]]>ダウン症を持つお子さんの保護者の方から
先日このような相談を受けました。
ダウン症ではあるけど、合併症もなく4月からは
普通の幼稚園に通う事も決まっているのですが
運動機能に少し不安がある。
特にジャンプがまだまだ難しく
なかなかできないと言うものでした。
ダウン症に限らず、自閉症などの障害を持つ子どもにとっては
両足を揃えてジャンプをするという事は、とても難しい事です。
私たちからしてみれば
ジャンプなんって簡単!どうして出来ないの?と思われるかもしれませんが
両足をしっかりと揃えるだけでは上には跳べません。
上に跳ぶにはまず、足を曲げて
両足を曲げると同時に前屈みになって
両膝を勢い良く伸ばしながら地面を蹴る。
また着地の時は両足がバラバラにならないように
同時に着地する
これまで何気なくジャンプをしていると気付きませんが
ジャンプをするという行動は、意外と一つひとつの動作の連続になっています。
そのため体をどう動かすのか、よく考えて
考えたイメージどおりに体を動かさなければいけません。
考えていることと体とが上手く連動してないと
いつまで経ってもできるようにはならないのです。
現に大人になっても両足ジャンプができない
自閉症の方もいらっしゃいます。
ご相談を受けた方のお子さんは3歳でまだ年齢も低く
今すぐに両足ジャンプができるようになるのは難しいですが
簡単なアドバイスをさせていただきました。
ダウン症児は関節が柔らかいため、首の座りが遅かったり
1人座りができるようになるのがゆっくりだったりします。
また3歳であれば歩行もまだまだ不安定なお子さんもいらっしゃいます。
そんな子に「1人で練習しなさい!」なんて言っても、まず無理な話です
遊びを通して両足ジャンプの経験をたくさんさせてあげてください。
例えば、お父さんやお母さんの足の上にお子さんを立たせて
「足がママの足から落ちないようにしてね」など
声をかけ足を離さないように意識するようにしてみましょう。
お子さんを足に乗せたままジャンプするのも
ゲーム感覚で自分だけでは経験できないジャンプを体験できます
少し慣れてきたらお子さんと向かい合わせに立って両手を繋いで一緒にジャンプして
この時、大人が手を引き上げて滞空時間を延ばしてあげると
お子さんもジャンプの楽しい体験ができると思います。
たくさんの体験が、その子の中で経験として積み上がっていきます。
保護者の方や先生など、少し手を貸してあげながら
焦らずゆっくりたくさんの体験をさせてあげてください。
それが子どもにとって苦手克服の一番の近道となります。
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話題となっている障がい児保育園ヘレンの4園目が豊洲にできるとの話を聞きました。
保育園ヘレンは、重症心身障害児や医療的ケアが必要な児童(医ケア児)が通うことのできる保育園
保育園と幼稚園の違いというと、今ではその垣根が無いように思えますが
昔は「保育に欠ける児童が通う施設」として保育園が位置付けられていました。
今、思うと「保育に欠ける」という言葉は、刺激が強い言葉だなと思いますが、昔はよく使われていました。
保護者がどうしても日中に保育ができないということで、両親が共働きが一番多い理由だったと思います。
ですが、今では幼稚園でも時間外保育を実施されているところもあり
またこども園として幼保一体化となり、ますます幼稚園と保育園の位置付けが曖昧なものになりました。
位置付けは曖昧になっていますが、これからニーズがさらに増えるだろうと思うのが
保育園ヘレンのような専門性に特化した保育施設です。
重症心身障害児や医ケア児、または障がい児の保護者の方というのは
きっと一般的な幼稚園・保育園に通わせている保護者の方と比べ
お子さんと過ごす時間がとても長いと感じます。
一番の問題は、幼稚園・保育園側には通わせることができず
近所には遠くの専門施設へ通わせることが多かったため
例えば、通園バスようなサービスがなければ
自分で車を運転して、片道1~2時間の距離を移動しないといけなかったり
または、その労力と時間とお金など、いろいろな理由が各家庭であったと思いますが
通園することを諦め、小学校入園まで自宅で一緒に過ごすなどされる家庭もありました。
以前の施設で働いていた時の事例としては
一般的な幼稚園・保育園から通園をいくつも拒否され、社会の中からどんどん突き放される感覚となり
我が子と暗い家の中で過ごす中で、これからの将来も決して明るくないと悲観し、うつ状態になったり
または虐待(ネグレクト含む)、中には親子で命を断つことも考えられていたケースもあります。
保護者と子どもの距離は、付かず離れずの程よい距離感が大切だと思います。
これは気持ちの距離感のようなものではなく、時間的な物質的距離感です。
24時間365日休みなく続くのが親子の関係ですが、1日の間で2~3時間でも時間的に離れることは
とても有意義のあるものだと思います。
親子がずっとべったりと一緒に過ごしすぎてしまうと、お互いに干渉しすぎて、互いに依存するような関係になりがちです。
「この子がいないと」「この子のためだから」とおっしゃる保護者の方がいますが、その言葉の裏に、「子どもを盾」にされている方もいます。
すべては子どものためだから、すべては許されるといったニュアンスです。
盾にされた子どもにとっては、そのうち負担になってくるのではと、いつも心配します。
私の考えですが、親も子もひとつの個性をもった個人です。
そのことを尊重し、「この子はダメだから」「この子は私がいないと何もできない」ではなく
お子さんはお子さんなりにできる事もできる力も持っています。
ほかの子と比べる必要はありません。親だって、保護者だって、ほかの親をと比べてもいけません。
それぞれに、できる力も能力も環境も違うですから、比べてもまったく意味がありません。
それぞれの個性を尊重することが大事です。だから、物質的な程よい距離感が必要なのだと思います。
そうすることで自分たち親子だけを見るのではなく、お互いが少し外の空気をすって、少し視野を広げること。
これまで通園拒否を受けることが多かった重症心身障害児や医ケア児が通うことができる保育園ヘレン
通園することができれば、保護者も働くことや、もっと視界を外に広げることも時間もできると思います。
私はそのことが、子どもにとっても保護者にとってもプラスになると思いますので
4園目と保育園ヘレンが、もっと数が増え、もっと全国レベルで保育園ヘレンのような施設が増えることを期待します。
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