ドラムロールのような焼き音に、鼓膜がノッテくる。(笑)溜息をつき、鼻をクンクン鳴らし、眺めやった挙げ句サイコロステーキを食べる・・
お昼は混むことがあるので、私は開店の11:30頃行くようにしています。
武蔵野市くらし地域応援券のシメは、朝から思い描いて後、吉祥寺のHERO'Sでサイコロステーキとハンバーグでした。
ドラムロールのような焼き音に、鼓膜がノッテくる。(笑)溜息をつき、鼻をクンクン鳴らし、眺めやった挙げ句サイコロステーキを食べる・・#吉祥寺 #ステーキ #サイコロステーキ pic.twitter.com/YJojKG7ASm— ワタナベ マサヤス (@mag_watanabe) April 1, 2021
| 店名 | HERO’S 吉祥寺店 (ヒーローズ) |
| ジャンル | ステーキ、ハンバーグ |
| おすすめ | サイコロステーキとハンバーグ (ハンバーグが入ると満足度20%up) |
| ジャンル | 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-2-5 山利屋ビル B1F |
| 電話 | 0422-27-6744 |
神代桜は、樹齢2000年とも言われるエドヒガン種の古木で、日本三大桜の一つ。(岐阜県本巣市「薄墨桜」・福島県三春町「滝桜」)大正11年国指定天然記念物第1号に指定
2021年3月30日(火)春から就職が決まった息子と、日帰りで山梨に大学の卒業記念のプチメモリアル旅行。桜の旅立ちにあわせて、この推定樹齢2000年日本一古い日高神代桜(じんだいざくら)をみせたかった。
それにしても、幹が折れても、まだくたばってたまるかというような枝の力強い伸び方がなんともいえず、ため息を支払うしかできない。
竹内まりやさんの「人生の扉」を聴きながらブログを書いている。自然美からインパイアされ、なにかしら恩恵を得て、こうして名曲はつくられるんだなと思わされる。どんな芸術も自然の美しさにはかなわない。されどそこから挑戦ははじまり、模倣し、憧れをエンジンにして創作ははじまる。「人生の扉」のイントロが素晴らしく、竹内まりあさんの声がこころに沁みてくる。たくさんの人を励ましている桜のように。
日本は神の国と言われる、それはこうした自然美を人が育て、守っていく心根が大地にしみ込んでいるからだろう。地元の人は毎年桜に足を運び、ため息をつき、桜の前で笑顔と愛嬌、旅立ちの志を咲かせる。いつのまにか桜の木にこうした愛情が宿っていくようだ。この神代桜の略歴を読んでいると、何度も神代桜は枯死の宣告をうけているのがわかる。だが何度でも、何度でも立ち上がる。桜も、まるでその感謝にこたえるように美しく大空にむけて力強く咲いている。僕にとって3度目の神代桜、ありがとう。
実相寺の正門をくぐると、一面に水仙の花が咲いていた。時の洗礼をうけたような清浄な匂いを胸にすいこんだような、ファンタジックな純白の桜のトンネルを通ると本堂にでた。息子に一様な作法をおしえながら手水舎で手を清め、お線香を求め、線香をたむけた。煙でコロナ禍で息苦しい気持ちを清め、賽銭をあげて「愚痴はいわないように」とだけ息子にお節介を渡した。「こういう経済的活動をなんというか知ってる?」と質問、「線香投資」。頭の回転はいいようだ(笑)
当山は日蓮聖人を開祖とする日蓮宗の寺院で、同県にある総本山身延山久遠寺の直末の寺院であります。 日蓮聖人を身延山に招いた波木井六郎実長(はきいろくろうさねなが)の四代あとの伊豆守実氏(いずのかみさねうじ)が、身延山第五世鏡円阿闍梨日台(きょうえんあじゃりにったい)上人の弟子となり、實相院日應(じっそういんにちおう)と名のりました。日應上人は身延山鏡円坊の第四世を歴任。永和元年(1375)日應上人は、山高村大津にあった真言宗の寺を訪れ、住んでいた真理法印と法義を論じ合いついに論破いたしました。日應上人は法印より寺を譲り受け、この時日蓮宗に改宗して大津山實相寺と称しました。 その後、永禄四年(1561)、川中島の合戦にあたって、武田信玄(1521~1573)は蔦木越前守(つたきえちぜんかみ)を当山第七世日忍上人の元に遣わし武運長久の祈願を命じ、永代祈願所として、一条次郎忠頼の城址を寄進され現在の地に移転しました。 實相寺は元文元年(1735)及び弘化四年(1848)に二度の火災にあい歴史的建造物や寺宝等は残っておりません。『甲斐国志』には、「仏堂、僧堂、番神堂、常唱堂、鐘楼、法蔵、総門等備ハレリ」とあり、多くの伽藍が建立されていた事がわかります。また過去には七面大明神をお祀りする七面堂などもありました。
動画制作は素人レベルで手探りの状態ですが、お役に立てるとうれしいです。
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本能寺の変 1582年 明智光秀はイチゴパンツを履いていた。と、高校生の時に覚えた。もし、そのパンツを光秀がたたむのなら、非常に丁寧にたたみそうだ(笑)
先日テレビを見ていたら、明智家が新居浜に落ち延びていたという。その姓は明星。そういや母方の遠い親戚がJR松山駅の近くで、たしか明星軒というお店をやっていて、子供の頃ちょくちょく家族で行っていたのを思い出した。
光秀と信長の物語の真実はミステリー、正体がわからず、その背景にはロマン的な想像の翼が生まれる。
一方、今の世の中コロナ禍では森元総理の件など、一面だけ切り取り、悪者にして暴くようで情けない。変な正体が一人歩きし拡散する。最近そういう報道が多すぎる。コロナ禍の報道もそうだ。お互いを見張っているような居心地の悪さがある。
そういうのを自分がやられたらどういう気持ちになるんだろう、家族もいるし、友達もいるし、愛する人たちに囲まれているかもしれないのに。どんどん風船が膨らみ、居場所がなくなり破裂寸前まで行ってしまいそうだ。
そんなことが、明智光秀に重なってしまった最終回だった。最後光秀が生きているかもと描いたドラマの終焉に、何かしら助けられた気分になった。ありがとうございました。
]]>いやはや、どの角度からみても、どのように触りまくっても、概ね外れがありそうにない。みずみずしい気配が漂う。
溜息をつき、しばし眺めやった挙げ句。
皮をむしりむしりする、手に伊予柑のしずくがつくと、それをうなじに塗りパフュームローションにする。たまに顔に果敢にも塗ってみたりする。皮は風呂にいれて湯船で名残を惜しむように絞る。放埒な男に、小さな探究心を助長してくれる。
えもいえぬくらい、うまい!
話題の音声SNS「Clubhouse」というアプリが世の中に登場した。ZOOMのような音の遅延がなく、複数人数で同時会話も普通に会話しているのと変わらない。コロナ禍で友達限定で雑談に使うのもいい。人間同時に10人くらいの会話くらいは認識できるようで(5,6人くらいが適正か)、ZOOMより堅苦しくなく、会話がポンポコりんと弾む、ビジネスにも向いている。
ZOOMは縦会話、CLUBHOUSEは縦、横会話のマルチプル。
招待制という希少価値を出しながら、会話は録音できず残らない。いろいろなテーマのトークルームにはいり発言するには多少なりの勇気と、慣れが必要。縄跳びに入るタイミングがわかりにくいのとよく似ているが、一度こつをつかむと、参加できて楽しい。無論、聞いているだけでも。
ビジネスシーンでもいろんな展開があるなとアイデアがわいてくる。書いたものではでは人間性まではなかなか伝えられない。だって愛嬌とか人間性とか会話でしか、なななか、わからないもんね。会話には音楽みたいな音色がある。CLUBHOUSEどうなるか?耳を刺激する、SNSの登場
]]>恐るべき、塩パン(笑)
]]>
不思議なのは委細を放つ不謹慎な本がないことで、
高校生の頃の僕のなまめかし男心を成立させていたアイドルのポス
不埒な心の破片は、
そんな画鋲の金色の輝きは、ひときわ異彩を放ち、
不謹慎なヌード写真などは、
多感な青春の若者の奥底をくすぐるモノは、
僕の通っていた高校は新設校で、
大人達が僕達をつまらせば、つまるほど、
時代になって、ネットなどのなかにもそういうモノはあって。
高校の時に、
僕は「卒業」を友達と何度も見た。
Simon & Garfunkelの音楽に美しいハーモニー
サウンド・オブ・サイレンス
ミセス・ロビンソン
スカボロ・フェア
ミセス・ロビンソン
が入った卒業サウンドトラック盤。
すばらしい、ジャケット
ドアの前に立つダスティ・ホフマン。
その視線の先にある、語りかけるような生足
うーん、いまでもうなります。
今日はこんなところです。
]]>本当ですよ。
この悪魔との誓いのような呪縛の中に、
しかし、連夜の首をねっとり締め付けられる熱帯夜に、
「無理をしないでクーラーをつけて睡りましょう」という、
こうなると、自分の人生の輪郭までもぼやけてしまう、
人生は甘い誘惑の連続だ。コンビニに行けば、
そして、「半分、青い。」のメロディが流れる
おはよう 世の中
夢を連れて 繰り返した湯気には 生活のメロディ
鳥の歌声も線路 風の話し声も
全てはモノラルのメロディ
涙こぼれる音は咲いた花がはじく雨音
悲しみに青空を
つづく日々の道の先を塞ぐ(ふさぐ)影にアイデアを
雨の音で歌を歌おう
全て越えて響け
つづく日々を奏でる人へ
全て越えて届け
「つづく日々の道の先を塞ぐ(ふさぐ)影にアイデアを」
そこがたまらない。
あまりにも暑い夏、ジョンソン・エンド・
レガシー。先人が残したシステムや仕組み。
汗っかきの、赤ちゃんには、ベビーパウダー。
僕はその作業を「レガシーパタパタ」と呼んでいる。
誰だ笑っているのは、は・は・はそれでいいのだ。
今日誰かが、白クマアイスの前で立ち止まりますように(笑)
今日はこんなところです。
]]>七夕という、いにしえから夏への扉を開く日に、
みかん農家の友達は、土砂が流れてもう「みかん山はだめだ」
自然災害という、気持ちの行き場のない現実。それでも、
そういえば親父は、いつも枕元に非常袋をおいて寝ていた。
手書きでかいた連絡先の数々、避難先の地図、着替え、
自分の命札もあって、連絡先に僕の名前がかいてあった。
今思えば、そうしていないと、
そう、家を建てるときには、
小学校3年父親参観日には、
クラスが静まりかえり、僕はどうとりつくっていいのかわからず、
なにごとも、きちんとしていなければだめなひとだった。
家のまどは、雨戸がついていて、
そんなことを考えると身の回りのことをきちんとしていることの、
奇妙なことに、実家の親父の机の上、台所、トイレ、車に、
天気に敏感に生きていたのかも知れない、
おふくろにたずねたけど、おふくろもそれがわからないという。(
はさみを「お父さんは20本ぐらいおいてたのよ」と、
「そういえば、台風の時に家に被害があって、
と不意におふくろがいう。
昭和40年のころだから、かなりの額だ・・・
そうだな、そうだな、そういう会社にならないとな。。。
ともかく、いろんな事が思いだされ、考えさせられる朝だ。
愛媛が実家だと知っている全国の友から、大丈夫かとメッセージがここ数日とどいている。
そういう思いが、すごくうれしい。
今日はこんなところです。
]]>最後の10分を自陣でボールを廻しそのまま試合終了になった。
それを、ワイドショーが好き勝手論じている。
帰りの橋を焼き払うような戦いに、必用なのは前に進むしかないくせに、滑稽なほど話が長くつまんない。
白か黒か、ゼロかイチか、必用か必用でないか・・・。その狭間のグラディエーションを確かめるために言葉は存在する。
もっと切実でどうしようもないものを、そう、どうしようもない現実を。
そんな夜に黙って飲むバーボンの味を、酒に頼るしかないどうしようもない人間の性を。
やむにやまれぬ夜に、この世で手に入れたいものを得るために、西野監督が悪魔に差しだした供物はいったいなんなのか、そんなことに僕は考えをめぐらしていた。
渡すカードが、キラーカードでなければ、
なんの衒いもなく。平静の仮面をかぶり一瞬の決断で、それをできるのがプロだ。西野監督は悪魔と友達になったのか、ベルギー戦でじっくりみてみたい。
さあ、今夜日本戦。
負ければ敗退。これからが本当のワールドカップだ。
コントロールを失った夏の陽射しが、骨までしゃぶりついてくる。
ドカベンが最終回をむかえた。
コンビニを何件も回った、どこにもない。(笑)
その話は、また。
]]>宣教師達の背後にいた、弾薬、武器、大砲だの物資を供給するポルトガル・スペイン等の脅威を排除するため、秀吉は1587年バテレン追放令を出す。
当時、キリシタン大名によって無理矢理改修され住民の9割がキリスト教だった長崎で、1596年秀吉の命によりキリスト教の指導者が26人が処刑された。そして、宣教師も国外追放。
信者は大部分は改宗を余儀なくされた。しかしカクレキリシタンと呼ばれる信者は、表に仏教をみせ、裏でキリスト教という二面性の中を生きる。もちろん、あの絵踏も何食わぬ顔で踏んでいたのだろう、そうでなければ脈々とつらなる200年以上の歴史の辻褄はあいそうにない。
1615年大坂夏の陣の22年後、天草・島原で領主のキリシタン迫害、そして弾圧に対して、反旗を翻し、16歳の天草四郎を神の使いとして将にたて乱は起きた(約3万人)。対する領主松平信綱は12万の軍勢を持って原城で闘う。この地で敗れると、反動で全国に飛び火することを怖れていたのだ。
その戦いは心理戦で、幕府が穴を掘れば、四郎側も穴を掘り相手の穴に糞尿を投げ込んだ。幕府が間者を送れば、キリスト語がわからずうまく行かないとか、幕府の懐柔策も悉く失敗。いよいよ局面は切迫し、強攻策で四郎は討ち取られ、籠城した者は殆どが殺害された。
この戦いに四郎は負けはしたが、この生き様がカクレキリシタンに受け継がれていったともいえる。
そう、幕末近くまで200年の時を超えても彼等の信仰は存続した。当時幕府はキリシタンとわかっても、大量殺害はおこなわなかった。いや、反発を怖れて何もできなかったのだ。幕府は彼等を「宗門心得違いの者」とあえて呼んで政務を行うのだ。いかにも、官僚の発想だが、以外に面白い(笑)。根絶やしということは、不可能なのだ。煩悩など消そうとすればするほど、アメーバーのように増殖するではないか。
さてさて、家光は1639年から鎖国政策をとる。平和な時代が幕末まで続いたのは、島原の乱が世を変えたともいえまいか。
長崎県生月島では、今もカクレキリシタンは存在し、オラショという日本語訳の教えを唱えている。キリスト信仰が変容し、納戸のようなところで、違う形で神となり、先祖代々生活の中に溶け込んでいったそうだ。
”エッセイストの宮田珠己氏は、長崎純心大客員教授(宗教学)の宮崎賢太郎氏の著書『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』を評して、「納戸のような奥まった場所で秘密裏に祀るうち、キリシタンという意識は薄れ、これは人に知られては効き目がなくなる神様であるという認識に変わっていった”
いろんな記事を読みながら、ここまで書いて一息をつく。
そして、隠れて事を為そうとすることの大事さを考えてしまう。
よく面接試験などで「夢はなんですか」と訊かれる。
僕はあまのじゃくなので、本当の事をいわない。ひねくれているのかも知れない。だが、夢なんて殆どかなわないのだから、そう、その途上でだいたいは星になるのだから、そんなことを言う必然性を感じない。
それに、そんなことを人間の互いの真ん中に置いたら、どこかけがされているような気がするタチだ。隠していた方が格調が高いではないか。
たとえば女性は大切なものは、クローゼットのどこかに隠すだろう。大切なものは、きちんとした箱にでもいれるだろう。そして、こっそりとたまにみて、ニヤニヤするのだ。
FACEBOOKでそれをチラっと見せるくらいはいいけど、行き過ぎるとバランス感覚を失ってしまう。秘密の特訓、秘密の読書の時間、褒められたくなんかない、だってキスはかくれたばしょでするでしょう(笑)。
男も夜もんもんとして自家発電したり忙しい。バレないように。(;゚ロ゚)
人は秘密や謎でできている。だから面白い。
二人だけの秘密なんていうのもいい、社内恋愛など、二人でアイコンタクトをして、勝手に楽しんでほしい。(笑)
「知られては効き目がなくなる」
そういうモノが人生をギュッと濃縮してくれると思うんですけど、どうでしょう。
ネタ元
英雄たちの選択
Newspics 等