年末に左後ろ脚を痛がるしぐさをするようになったので動物病院へ。
何と!膝の脱臼と診断結果!
その上、治すには手術をしないといけない状態だったのです。
今年の1月に手術をして、3週間ほど入院していました。
ようやく、自宅に帰って安心してぐっすり眠っています。
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雪だるま
ベイマックス
1月15日日曜日
三重県北部には稀な大雪になりました
何と二日間降りどうしで40cmほどの積雪量
雪を集めて二時間で完成
道行く高校生に人気でした!
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幸くん
幸くんが我が家に来て一月半経ちました。現在では元気に走り回っています。
しかし、我が家には来た頃はなれなくてストレスによる下痢?
一週間が過ぎたころ、いっこうに治る気配がなく動物病院へ!
そしたら、「おなかの中に菌がいっぱいです。これが原因」と先生に言われました。
それから幸くん投薬治療にて菌を無くし、食事療法で下痢を無くしていくことになりました。
それで約一月でようやく完治です。
食欲も運動量も増えてきました。
しかし、ビビリは相変わらずです。
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幸くん
柴犬の幸くんが10月10日に我が家にやって来た。
まだ3か月でようやくワクチン接種も出来るようになったばかり
ちょっとヤンチャで恐がりさんです。
]]>高桐院は大徳寺の塔頭の一つであります。
その高桐院は、細川忠興公と妻(ガラシャ)の菩提寺であります。
細川忠興公は、千利休の弟子(利休七哲の一人)であり、戦国武将であります。
妻のガラシャは、戦国時代一番の美人で本名は「たま」さまです。
信長を本能寺の変で倒した、明智光秀公の娘さんです。
そして高桐院には、忠興公とガラシャさまの墓塔があり。
その墓塔は「春日灯籠」と言い、あの利休から譲り受ける。
そんな灯籠を豊臣秀吉に所望され困った忠興公は、灯籠の笠の一部を割り価値の無い代物と秀吉に伝え
難を逃れたと伝わっています。
高桐院は、竹林とモミジの庭で青モミジと紅葉したモミジがとても綺麗です。
駐車場は、大徳寺のコインパーキングを利用すると便利です。
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六道珍皇寺は建仁寺派の寺院で、六道と言ところから冥界を思わせます。
六道とは、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅(阿修羅)道・人道・天道の六種の冥界をいいます。
要するに人が亡くなると現世でのおこないにより、冥界で閻魔様により六つの道に振り分けられる。
それを、この六道珍皇寺が教えてくれます。
平安京では、都で亡くなった人々を鳥辺野(東山の方)に埋葬に行きます。
その途中にこのお寺があることから。
六道珍皇寺は、現世と他界の境にあたると考えられ、その近くを「六道の辻」と呼ばれています。
このお寺には「閻魔大王」と「小野篁」の木造があり、閻魔様はここが元祖かもしれません!
そして小野篁(おののたかむら)は、このお寺にある井戸を使って冥界に渡り閻魔様のお手伝いをした初めての人間です。
六道珍皇寺は、この世とあの世との境界にある寺院であることから
京都の人は、お盆になると「六道まいり」、あの世から先祖を家にお迎えするのに六道珍皇寺に行きます。
そして送り火(大文字焼き)によってあの世に送ります。
京都の寺院の中でもユニークなお寺です。
近くには「幽霊飴」なるものが今でも当時のままの製法で作り、販売しています。
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京都に遷都した平安時代から御所を中心とした都造営がなされてきました。
この都造りには風水によって四神相応で守らせた。
そして、表鬼門を比叡山延暦寺、裏鬼門を石清水八幡宮がそれぞれの鬼門封じを担っいる。
また、修学院離宮を表鬼門側に、桂離宮を裏鬼門側に配置されているのは偶然でしょうか?
現在の御所の建物の鬼門は「猿が辻」と呼ばれ、サルの木彫りが鬼門の方に向け配置されています。
なぜ、この「猿が辻」にサルの木彫りを置いたのか?
鬼門の方角(丑寅)の反対側の干支は「申(サル)」と言うことと
鬼門より来る災い(魔)が去る(サル)と言う事から「魔が去る」⇒「まさる」⇒「神申」
と言う名前で、この「サル」を鬼門封じに使っていました
平安時代の御所は、今の二条城辺りに在りました
その当時の鬼門には、「安倍清明」の住居があり
現在では「清明神社」になっています
それから二条城のそばにある「神泉苑」が当時の名残でそうです
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と言われるように京都のお寺の庭はまことに素晴らしい。
その代表格には嵐山にある「天龍寺」禅宗のお寺であり、
室町時代の「夢窓疎石(国師)」がそのお庭を作庭されました。
曹源池(そうげんち)を中心とした池泉回遊式庭園と言われています。
簡単に言えば曹源池と言う池の周りを歩き見て楽しむお庭である。
ゆえに、大きくなり広大な土地が必要となります。
そして方丈から眺めると庭園の向こうに嵐山があり、お庭がどこまでも続くかの如く広がりを感じます。
これを「借景」と言い、背景にある嵐山を庭の一部として取り入れる手法です。
この作庭の手法は、京都の三方が山に囲われている事から
いろんなお庭に用いられています。
実際に見て感じて下さい。
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「三井寺」と一般的に呼ばれていますが、園城寺(おんじょうじ)が正式な名称です。
ではなぜ三井寺と呼ばれるようになったのか?
歴史を「大化の改新」や「壬申の乱」まで戻りましょう。
この頃は滋賀県大津に都がありました。
天智天皇(中大兄皇子)⇒天武天皇(大海人皇子であり天智天皇の弟)⇒持統天皇(天武天皇の妻であり天智天皇の娘)
この三人の天皇がこの寺の井戸の水で産湯を浸かったことから「御井の寺」から「三井寺」と呼ばれるようになったそうです。
この三井寺にはお宝がいっぱいありますが、その一部を紹介します。
梵鐘(弁慶引摺鐘)ー
比叡山延暦寺と仲が悪く争いが起きてました。この頃、比叡山には「弁慶」がおり
三井寺の梵鐘を引き摺りながら延暦寺まで持っていったとされています。
その梵鐘には表面に引き摺った傷が今でも残っています。
黄不動ー秘仏
三大不動(青・赤・黄)の一つです
因みに、青不動(青蓮院)・赤不動(高野山)・黄不動(三井寺)となります
中々、本物を拝見出来ませんよ
木造の黄不動像ー絶対秘仏
とにかく歴史があり天皇ゆかりの寺であることから観るところが多く
時間をかけて拝観して下さい。
駐車場はたっぷりと有ります。
近くに蔵を改装した美味しい蕎麦屋さんもありますよ。
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12月6日(日)北野天満宮に行ってきました。
今年の残暑はあまり厳しくなく、秋が来るのも例年より早くなるのかと思いきや
中途半端な生温さが続き、結局のところ紅葉も晩秋になりました。
少しでも下の写真で雰囲気を感じて下さいね。
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