8年ぶりの子どもの教会再開にあたっては、携わる教会員の中で初めての人が半数であるため、少しずつやっていこうということになり、月に一回の礼拝から始めることになりました。夏にはサマーキャンプの代わりに、「夏の遠足」として、半日お出掛けをするプログラムを計画しています。子どもの教会に繋がる子ども達や大人達が共に集まり、神さまの恵みにあふれた一日を過ごそうという趣旨です。
子どもの教会は、そこに関わるすべての人が、共に学び、共に成長する場です。子どもは大人から学び、また子ども同士で学び合い、大人も子どもから学びます。それは世代を超えた相互成長の場となります。
また、子どもの教会は、教会の信徒リーダーシップを育成します。そのリーダーには、神さま、そして幅広い年代の人に対するへりくだりが求められます。決して上から目線で「教えてあげる」のではなく、聖霊の働きを求め、責任をもって聖書の言葉を取り扱いつつ、年齢に関係なく、すべての子ども達が主体的に関わることができる学びの雰囲気を作るのが「先生」の役割です。リーダーに欠かせない資質を磨くことができるのです。
子どもの教会は、子どもだけが対象ではなく、全ての年齢の人が対象です。幼い子どもから高齢の人まで、「生徒」として自覚して学ぶことができることは素晴らしいことです。
(S・Y)
そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
(ローマの信徒への手紙5章第3節~4節)
イエスは、いつでも祈るべきで、失望してはいけないことを教えるために、弟子にたとえ話をされた。
(ルカによる福音書18章1節)
わたしも折に触れて祈り、み言葉に支えられたいと思いました。 (M.T)
一ケ月以上前に、教会の前の花壇の土起こしの手伝いをしたことがあります。少し掘ると細い木の根のようなものが張り巡らされていて土も固く、小さなシャベルでははかどらないので長い柄の鍬のようなもので掘り起こしました。今はそのあとにマツバギクが植えられていて、たくさん花が咲くのを待っています。その土起こし作業をしていた時、自宅の庭を思いました。花壇の中の土も細い木の根のようなものが張り巡らされていてスコップも刺さらないほど土が固いのです。掘り起こしをした方がいいのか悩みますが、それでも咲く花があるので、その花すら咲かなくなってはと恐れ、掘り起こしはしないまま10年以上が過ぎています。しかし、今年は去年まで咲いていたフクジュソウが咲きませんでした。スマホを持っているSさんが調べてくれたところ、陽当たりが悪い、土の状態が悪いなど、原因を調べてくれました。特に土の状態が悪いのは、まさにそれ!という感じです。それでも、パラパラと鈴蘭が咲き、今はニッコウキスゲが一株咲いています。
そういうわけで、道すがら、よそのお宅の庭の花をあこがれつつ楽しみながら歩いている毎日です。 (すぬこことS.K.)
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