☆令和8年11月3日火曜日晴天の「文化の日」は、午前中は仕事で「重説&契約書」(案)の説明がありまして、午後からはいつものように軽い運動のポタリングです。まずは、千本松渡船場の西成は南津守側から、木津川の川上を見た景色からスタートします。
カメラは愛機のFuji X-E4+XC50-230mmF4.5-6.7 OIS IIの望遠ズームのみで、フィルムシュミレーションはクラッシック・クロームでの「複写」撮影です。

木津川の川上、向かって右に、緑の船体の「第八進洋丸」姫路(ガット船)が係留されております。その奥に別のガット船が居てクレーンを振り回しているみたいです。
この千本松渡船場と落合下渡船場の中間地点に相当するところと思われます。後で確かめに落合下渡船場に行ってみようかと思います。

続いて向かって左に、赤い船体の「わしゅう」岡山備前(ケミカルタンカー)が係留されておりました。これは鷲羽山の鷲羽(わしゅう)でしょうね。

逆に南側のサノヤスドッグ前を見ると、一番手間の左端に第3サノヤス丸が居てその後方にMICRONESIAN NAVIGATRS(ミクロネシアン ナビゲーターズ)と、その奥に「海上保安庁 巡視船 ひだ 」東京が係留されておりました。この河川・港湾的ごじゃごじゃ感がする景色が私的に好きなのですね♬。

その反対側対岸には「Dr.海洋」が係留されておりました。ドッグ入り待ちなのでしょうね。

渡船のちづるが対岸からやって来ました。大勢の方々が利用されていますね。背景には新木津川大橋がかかっていて、いつもながら画になりますよね…。
本日はそのまま、渡船に乗らずに再度自転車に乗って、落合下渡船場に向かいます。アウターを着込んで、涼しめにポタリングを楽しめるくらいの、寒くもないとてもありがたい気温でしたよ。

早漕ぎで、10~15分くらいは自転車を走らせて到着しました。
落合下渡船場の西成は津守側から、木津川は川下で「大光運丸」東京都(ガット船)が船体を大きく揺らしながら仕事をしていました。この一所懸命に働く姿が好きなのですよ。奥に居るのが第八進洋丸ですね…。東京のガット船が、わざわざ大阪の木津川に来ていることも驚きですね!
これって、先日の「逆から見てみると…」のおさらいの様で、物理的に逆から見てどうかその本当の姿を確かめる。ということを、教えているのかも知れません。自らを整え(波動・周波数)て、自らの在り方(仏神の子)を確かめ、その状態を確認することが、原因結果の原因だ。ということを示唆しているかの様です。

久しぶりに、木津川流域らしい光景に出会えて、非常にうれしかったです。
今回もご覧いただきまして、本当にありがとうございました。心より感謝いたします。
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☆令和8年10月29日木曜日午後は、いつものポタリングで阪堺電気軌道阪堺線の軌道端でみつけた「季節外れの小さな朝顔」です。場所でいうと、先日の「菊芋(キクイモ)の花の咲く頃 2026」の軌道敷を挟んで反対側、東側になりますね…。
そして「秋の季節感を味わえるよろこび」に対して、逆説のように「季節外れの小さな朝顔」に、何故か今回はフォーカスすることになりましたよ。たまたま目についてしまいましたので…。
本来、たまたまの偶然は無いと言われますので、これを必然と考えてみると、逆説や例外もある、「逆説」の真理、「例外」の真理も稀にある。それを見せられている。と、いうことなのでしょう。花は決まった季節だけに咲く。・こ・う・あ・る・も・の・だ・と勝手に決めつけるのは、やはり、違うのかも知れませんね…。

そうですねぇ~。朝顔の花の直径は3~4㎝の小さな朝顔が、もう10月も終わろうとしていてここ2~3日は少々肌寒い日が続いており、エアコンも暖房に切り替えて使用し始め出していて、
そんな季節の変わり目に、何とも健気に咲いている様に心動かされて、手持ちのXF30mmF2.8 R LM WR MACROで、そっと近づいて撮れば、画として何とか撮れそうだなと思い、出来るだけ近づいて複写してみましたよ。
衣替えをして冬支度を始める頃に咲くって、酷暑の影響があって暑すぎて咲けなかったけれども、咲かずに終えても仕方ないところを、何とか遅れて健気に咲いているのかもと思ってしまいます。(私的にはその様に見えているだけですが、それは近いところにあるとは思いますが、本当のところ正確な気持ちは分かりません。)
同じ花でも種類が違えば、花の咲かせ方の戦略が違うのでしょう。どちらがよい悪いの話ではなくて、その花の個性に応じた考え(感情と観念)がそうさせるのでしょう。それゆえに、寛容性を持ってみる必要があるのだろうと思います。

こうした繊細な花のMACRO撮影は、歳をいくほどにその作業がしんどくなるのですが、このFujiのXF30mmF2.8 R LM WR MACROは、マニュアルフォーカス撮影することなく、オートフォーカス撮影でサクサク撮れるくらいの性能で、身体の負担が減るので、60歳以降のシニア向けのレンズとしてもよいかなと思います。
カメラは愛機のFuji X-E4で、フィルムシュミレーションはクラッシック・クロームとプロビア・スタンダードの二種類です。絞りは解放のF2.8のみです。

花びらの透過光や背景のボケ描写も滑らかで美しいです。季節外れの小さな朝顔であっても、この世の3次元で咲かずに終わるよりは、生きて来た証として自分なりの花を咲かせたい。と、思うのは誰しも同じなのかも知れません。

冒頭の写真と同じく、鉄網の柵も錆々で、朝顔の咲いている環境も写しておこうと思って撮った写真です。
しかし、花を咲かせずにでも懸命に生きているなら、それはそれで素晴らしい!と、私なんかは思うけれどもなぁ…。
確かに、自由でありたいけれど、別に有名になりたいとも思わないし…。お金も、映画 「影を売る女」の主人公 夕子さんの様に一攫千金っていうのも、それは男性でも同じで違うし…。まずは、真っ当に働けよ!となるでしょうし…。

蟻もうろうろしています。
別に、何らかの強い感情で持って「複写」しているのでは無くて、こうして小さな朝顔の花を少し愛でると、優しく柔らかく気持ちが穏やかになるのは確かで、自らの情操には、よい影響があるのは間違いありませんね ♬。
それは小さな朝顔の世界観を、ほんの少し垣間見ることが出来たよろこびなのかも知れません ♬。

最後はレールも逆光で反射させて、少し光らせて視覚的にアクセントとなるようにしました。
まるで、今回のスナップ写真の被写体に、この小さな朝顔を選んだことを、何かとてもよろこんでくれているような、そうした表情に見えて仕方ないのですけれども、それは不思議のなせる業(わざ)で目の錯覚かも知れないですね…。
今回もご覧いただきまして、本当にありがとうございました。心より感謝いたします。
※おまけ。

そういえば、同じこのFujiのXF30mmF2.8 R LM WR MACROで、春に撮影した、「白ハマナスが咲くバス停」などは、ご近所の方のガーデニングで、一定数の花が群生していて、しかも花の状態が物凄くよくて、「バス停と絡めて撮りなさい!」と言わんばかりの、絶好の撮影機会を与えられまして、
大げさでは無くて本当に奇跡であって、長年、スナップ写真愛好家として撮ってはいるものの、それは、ほぼ無いことで、こういう(花の状態が物凄くよい状態に巡り合う)ことも稀にあるのだ。と、いうことを知りました。このFujiのXF30mmF2.8 R LM WR MACROを持ち出していて良かった事例でもありますね♬。
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☆手持ちの SIGMA fp のネックストラップのちょうど首に当たる滑り止めの生地の部分が、前回のCONTEMPORARY 17mm F4 DG DN の超広角単焦点レンズのインプレッションを終えてから、もろもろと劣化して剥がれ落ちて来ましたので、服の首筋が汚れてしまいますし、さすがにこれでは使い物にならないと思い、新しいカメラストラップに付け替えましたよ。
SIGMA fp の初使用が、2023年12月9日ですから、約3年弱で付属のカメラストラップが劣化して使えなくなったということでした。フルフレーム機はAPS-C機と比べても本体が重いからかもですが、劣化が早かったのではないかと思いました。

いつもは、「ニコン巻き」で使えるネックストラップを選ぶのですが、思いの外気に入る製品が無く、本家のPeak Desin(ピークデザイン)のアンカー+アンカーマウント機構の、カメラとストラップの脱着が簡単なものにしてみようと思いましたが、さすがに本家はブランド価格で高いので、約3分の1価格の「アンカーリンクス」をAmazonで注文しました。(冒頭の写真)
少し長めのネックストラップとなりまして、首から下げるよりも「たすきがけ」で使う感じですね。見た目やデザインは良いのですが、首に直接当たる部分に滑り止めが無かったので、実戦でどれだけ使えるのか?そこは使ってみないと分かりませんね。ここが少し誤算でしたが、もし使い心地が悪くダメなら他のモノを探すと思います。
また、昨日、10月23日金曜日に SIGMA fp の後継機「SIGMA FP2」 が発表されておりました。背面液晶がチルト式に変更や長時間使用に伴い大型のバッテリーに変更ということで、他の部分の細かいところのブラッシュUPも気になるところですが、SIGMAの勢いには驚きですね!
写真&映像マニアなお客様の立場に立って、次々と新しいコンセプトの意欲的な製品を、出し続けて欲しいと思います。個人的には、撮像素子がフォビオン搭載のFPを早く出して貰いたいものです。
今回もご覧いただきまして、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。
※おまけ。
たとえば、FP2がすぐに買えなくても全然構わないんですよ。今、手持ちのfpが使えればそれで十分に幸せで、スペック重視の既存のミラーレス路線ではなく、変わった一芸に秀でた欠点も多いが愛着が沸くミラーレスで、SIGMAの様なマニア受けするカメラメーカーも貴重です。
業績も好調のようで山木社長のお客様を喜ばせるコツというか、ハートを掴むのが上手いというか脱帽ものです。レンズに個性を持たせてシリーズ化、さらにその個性を際立たせて細分化するなんて、そして次はCLシリーズですか。面白すぎで楽し過ぎです。何かと見習うところがいっぱいですね♬
噂ではSIGMA BFよりも、キビキビと動いて基本性能は高いみたいです。
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☆大阪市役所の西口前に、横になった寝姿のミャクミャクを「複写」しましたよ。

大阪・関西万博の公式キャラで、前々からこの西口に横になった寝姿のミャクミャク存在を、ず~っと前から知ってはいましたが、今回の様に複写するのは初めてです。
大阪市役所に本日の午前中に「物件調査」のために来ていて、たまたま見つけましたので「撤去されずにまだ居るやん!」ということで、その帰りに記念に撮りました。
個人的には何かわけの分からんキャラで、もののけか妖怪かUMAか分かりませんが、循環器の動脈、静脈をモチーフにしてるところは理解できるのですが、怖いもの見たさではありませんが、 確かに好みではありませんで、コイツまだ居るやん。ということで、記憶(印象)には残しませんが記録(事務的)に残しました。つまり、HSでよくいう事務波動です。
今回もご覧いただきまして、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。
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☆スピルバーグの霊言の記事を書いておいて、やっぱり観ておかないのは片手落ち感がありますし、HSの膨大な法体系の中にも、「宇宙の法」が存在しており、それらは単なる創作と違うということが、いずれ明らかになる時が来る。と、思われますので、その前に、「映画 disclosureday」(字幕版 ディスクロージャーディ)を、観て来ましたよ。
10月21日(水)12:40 なんばパークスシネマ シアター③ Iー8 でした。
確かに、日常生活を近視眼的なまなざしで生きていれば、どうしても視野が狭くなり、そのままほっておくと、誰しも目先のことに囚われ易くなります。たとえば、「物価高が止まらない。」とか、暗い方向に意識が行きやすくなると思いますので、それを避けるには、視野角を大きくとることが大事じゃないかと思います。視野角を大きくとるとは、広角・超広角レンズの視点で持って物事を眺める癖を、意図して身に着けることだ。と、思います。
これもごく自然に、時間と共に関心領域を広げる方法となるので、浅く広くでも全然かまわないので、世間解を高め、人のニーズを的確に捉えるべくありたいものだと思います。たとえば、会内であれば会外でも通用する、支部内であれば支部外でも通用する世間解があるとかです。
さて、この「映画 ディスクロージャーディ」ですが、いきなり直球の「信仰」の部分で描かれていたところにフォーカスしますが、サイバーセキュリティーの専門家 ダニエル・ケルナー博士(ジョシュ・オコナー)の恋人ジェーン・ブランケンシップ(イブ・ヒューソン)は、元見習いの修道女で、地球外生命体(宇宙人)が実在するという事実と、自分のキリスト教信仰との間で揺れ動いていました。
しかし、「宇宙人の存在を認めることと信仰は矛盾しない」と考え、最終的にダニエルたちに協力する道(開示に協力)を選びました。これはこの判断でで、ふつうに良かったのかなと思いました。(アメリカ人の「信仰」観念は、日本人の「信仰」観念とはかなり違うと思われるのでそこは十分に考慮する必要がありますね。)
続いて、主人公のマーガレット・フェアチャイルド(エミリー・ブラント)は、カンザスシティのローカル局の気象予報士ですが、究極の共感力(心に寄り添う)を持つある種の霊能力者で、会う人の人生がその一生の全貌が一瞬で見え、即座にその人の愛する者への愛ある対応を教えて、次々と人的障害を乗り越えて行き、数々の試練を受けがらも謎めいた協力者のヒューゴ・ウエイクフィールド(コールマン・ドミンゴ)に導かれダニエルと合流することになる。
数十年にわたって隠されてきた真実にたどりつき、二人は自らの使命(情報開示)に目覚めて行く。 のちにマーガレットとダニエルは、幼少期に「光の家」で地球外存在(宇宙人)から、能力を授けられていたことが分かる。(宇宙人から能力を授けられるところは少々引っかかる。これってアブダクションですからね。ふつうはハイヤーセルフからの恩寵で授けれらるものだからだ。作者のレプタリアンの意図があるのでしょう。)
敵の謎の組織「ワーデックス」を率いる人物ノア・スキャンロン( コリン・ファース)で、情報開示を阻止し続ける。デバイスを使って、生霊の様に相手(ジェーン)の意識に入り込み攻撃を加えたり、隠れている居場所を突き止めたりする。そうした宇宙人から得た(リモートビユーイングの様な)科学技術を駆使して活動している様子で、いかにも悪役らしい演出だ。善用すれば犯罪捜査に使えそうな科学技術かもしれない。
この様に悪質宇宙人には、人の意識を乗っ取る等、すでにそれくらいの科学技術を持って「呪い」を増幅して使っているものと思われます。それゆえに、HSでは「悪質宇宙人撃退秘鍵」等が、存在しているのだろうと思います。そんな場合に遭遇するのは非常に嫌な体験かも知れないけれども、十分に気をつけないといけませんね。
この「映画 ディスクロージャーディ」でも描かれているとおり、 UAP(Unidentified Anomalous Phenomena:未確認異常現象) の情報開示賛成派と反対派の対立構図は、アメリカでは現実にふつうにあり、アメリカ国民の50%は宇宙人存在を信じる。のに対し、
日本ではUAP後進国、いや発展途上国と言っても過言でないくらい遅れていると思うので、主、エル・カンターレの説かれる「宇宙の法」の解釈と比べれば、確かに劣るのは正直否めないけれども、まずは、広く大衆的にUAP情報の開示が、全世界的に行われ、そうした機運が高められ、少しづつでも情報開示が認めらていくことは、大事じゃないかと思います。その意味では「映画 ディスクロージャーディ 」は貢献しているといえると思いますね…。
宇宙人側からすれば、地球の人々のUAPの情報開示受け入れ態勢やその器が、一定数の集合(意識)想念 的合意が必要なのだろうと思います。もちろん、地球人にとって親和性のある好意的な宇宙人もありますが、そうでない宇宙人も多少いるということも含めて、まずは、情報開示ということで「知る」ということが必要であるのでしょうね…。
今回もご覧いただきまして、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。
※おまけ。
K本支部長さんの「経典学習会」(人は怖れるものを引き寄せる)の10月19日分DVDを、10月24日20:00以降にはじめて自宅でありがたく拝聴しました。
最後の方でしたが、特に「映画 ディスクロージャー・ディ」の見解は非常に学びになり、共有させていただきました。ディスクロージャー・ディをHSの会員として知的にどのように観るのか?と、いうことで、
主がおっしゃるからと、無条件で頭ごなしに単なる否定を展開し、知恵や教訓が全く付かない人とは大違いで、評価すべきところは評価するけども、霊言によるレプタリアンの狡猾さをしっかり学び理解した上で、主の説かれる「宇宙の法」からの違いを明確に答えておられたところに、支部長としてのプロの気概や意気込みがダイレクトに伝わって来て、ありがたかったと思います。
そもそも、グレイ型の宇宙人しか登場していませんし、背後に隠された作者のレプタリアンの意図がプンプン匂うけれども、決してその正体は現わさない狡猾さに、その素性にどこか悪意を感じさせるものがあって一筋縄でいかず、単純に映画の骨子をそのまま信じることは不可能ですね。
真実のリアルなことで言えば、何も知らない映画鑑賞者の夢を壊すようですが、主人公のマーガレットの究極の共感能力も、神々しくありがたがる必要は無くて、本物とは似て非なる偽モノであると思います。マーガレットを、そのような女神の印象で思うように、鑑賞者を意図して誘導しているのかも知れません。エミリーブラントさんの演技は、非常に評価が高いのはよく分かりましたが…。
☆朝一で、なんばパークスシネマに行って「 映画 影を売る女 」を観て来ましたよ。一番後ろの真ん中あたりの席で、よく見えますし音響も良かったです。
最初、黒マントの男が、主人公の河合夕子の影を買ってご丁寧にも、几帳面にその影を折りたたんで、懐に仕舞う仕草には妙に感心してしまいました。黒マントの男の性格がよく出ているのでしょう。
占い師(八卦見)の大きな水晶に意識が引き込まれ、主人公の夕子が観ていたある種の仮想現実(夢)から、最後には正気を取り戻して、ああ、よかった。平凡で、普通でよかった。と、誰もが思ったと思います。
玉の輿(シンデレラストーリー)や一攫千金的な極めて俗な話でありましたが、仏教的な精神の「執着の恐ろしさ」が描かれていて、影を売るという行為は、偽りの成功や幸福を求め願うというべきものであったのでしょう。
もうすぐ28歳を迎える、OLの主人公、河合夕子と同じような年齢に近い方に、あるあるな、焦りや気の迷いであると思うし、そういう意味で、深く共感し感情移入出来るストーリーだと思いました。是非ともご覧いただきたい映画です。
今回もご覧いただきまして、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。
※関連記事
※おまけ。 赤羽監督の無我の演出と、HS公式の「代償の法則」と「縁起の理法」
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☆いつもあべの筋の「阿倍野」の交差点あたり(阿倍野区側)から、普段の私はあべのハルカスの南側を見て、これがあべのハルカスだと、あべのハルカスの全体像として認識しています。
ところが今日(令和8年10月14日水曜日の休日)は、四天王寺さんの六時堂に行く用事があって行って来て、帰りに總本家釣鐘屋で釣鐘饅頭と釣鐘カステラを買って帰ったのですが、丁度、「四天王寺南」の交差点あたり(天王寺区側)の逆の北側から見るあべのハルカスが、とても新鮮に見えて1枚写してみましたよ。
写真の上手い下手では無くて、新鮮に見えるか見えないかのお話です。新鮮に見えないとなると、当たり前の見飽きたというか、それは全くの無関心状態になるか、その日常が陳腐に見え易いですよね。
やはり、いつもとは違う見慣れない見方をすれば、それだけで実に新鮮にあべのハルカスが見え、その街の周辺も含めて新鮮に見えて、いままでに気が付かなかった気づき・発見が出て来ると思うのです。しかもごく自然に…。

さらに、近づいて「てんしば」に近いところからも眺めてみました。
そこがスナップ写真の楽しみのひとつなのですが、たとえば、「 先に“豊かさの波動”を選んでいる 」という、バシャールの動画を観て(私は2倍速で観ています)、前回の記事同様、実に「小さなことを喜ぶ」ということが、「パラレルリアリティ」の周波数が変わり「パラレルシフト」するのだ。と、いうことが分かります。
やはり、不足や欠乏マインドとは違って、逆から見て「 先に“豊かさの波動”を選んでいる 」を常態化したいものだ。と、改めて思いましたよ。それゆえに、真説・八正道の「正思」の素直・自助努力・謙虚や六大煩悩等のチェックをするなどして、瞑想や内省的な時間を習慣化して、メタ認知能力を上げるであるとか、自己客観視能力を高めておきたい、さらに霊的に踏み込んだことを言うと、守護霊・指導霊の視点で物事を見えるようにしておきたいものです。
今までは、そんなこと思いもしないし考えもしなかったからこそ、逆から見るとこのあべのハルカスの様に新鮮に見えるので、平行現実の「パラレルワールド」が変わる、「マインドセット」が変わる可能性が、色濃く出てくるのでは無いかと思います。何らしかのご参考になれば幸いです。
今回もご覧いただきまして、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。
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☆令和8年10月12日月曜日晴天の午後です。いつものポタリングで阪堺電気軌道阪堺線の聖天坂駅から南に300~400mくらいのところに、キクイモ(菊芋)の花が咲いているのを発見しましたよ。絞り解放F1.8で…。

お気軽なスナップ写真撮影においても、気づき・発見は、非常に大事です。まさに等身大の小さい秋を見つけた瞬間です。季節感を皮膚感覚で味わえるのが幸せですね♬ 絞り解放F1.8で…。

心境で言うと、HSの心の指針9の「小さなことを喜ぼう」ですね…。これを常態化しておきたいものです。 絞り解放F1.8で…。

今回、撮影に使用したカメラは愛機のFuji X-E4+ SAMYANG AF 75 F1.8 Xで、35mm換算で112.5mm相当の中望遠レンズのみでキクイモ(菊芋)を撮りましたよ。
まだ、ほとんど持ち出せていない中望遠レンズですが、これを機にどんどん持ち出す機会を増やしていきたいと思います。このレンズの写真は、SIGMA fp+45mmF2.8 DG DNでF2.8解放で撮りました。

キクイモ(菊芋)全体にフォーカスが来るように、少し絞ってF4にして撮影しました。

左手前のキクイモ(菊芋)に、フォーカスが来るようにして撮りました。
絞り解放F1.8で。
「あっ、いいな…。」と、思った小さな光景や情景に、何の制約や不自由もなく、即、カメラを向けてそっとシャッターを押すことが出来る、その気楽さや、一番自由度が高いのがスナップ写真です。

手前右下のキクイモ(菊芋)の花にフォーカスが来るように撮りました。
絞り解放F1.8で。

花と右下の葉っぱにフォーカスが来るように撮りました。絞り解放F1.8で。背景のチン電の軌道敷がすべてボケるように意図して撮りました。
可憐な美しさに、一段と穏やかな気持ちに誘われますね♬

ご近所の人による単なるガーデニングじゃなくて、路肩とガードレールの隙間から懸命に伸びて、顔を覗かせて(花を咲かせて)いるところに、不浄の沼に咲く泥中の花の様になぞらえて、雑草魂(しぶとく逆境に強い様)を感じさせる味や趣(おもむき)があるのですね…。その様に投影して見えている。と、いうことなのですよね。
※花の名前を最初はキバナコスモスと書いていましたが、ネット上で調べると、どうもキクイモ(菊芋)が一番近いのでそれに訂正しました。ハンゴンソウにも似ていますし、見分けるのが難しいです。
今回もご覧いただきまして、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。
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☆令和8年10月2日金曜日快晴の午後は、いつものポタリングコースで、マニアの間では『変態カメラ』と異名を欲しいままにする SIGMA fp( EVF-11付 )+ I(愛)シリーズは、CONTEMPORARY 17mm F4 DG DN の超広角 単焦点レンズを、今回、じっくりと初撮りテストを愉しみたい♬と、思います。作例レベルのスナップ写真が、撮れればよりありがたいです。
ずいぶんと長雨も続いていましたし、ようやく秋らしく涼しくなって来て、天気もよく、心地よく撮れる季節になりましたでしょうか♬(10月2日、3日と晴れましたが、4日はまた小雨でした。)

最短撮影距離が12㎝で、レンズ先端から5㎝まで近接撮影が可能、フード装着時でフードの先端から約2.8㎝までの近接撮影が可能です。この葉っぱの写真も、実際にはフードに当たるくらいの距離で撮影しています。カラーモードは、Std(スタンダード)で…。

このレンズ設計思想が新しく2023年4月21日に発売されたもので 、SIGMAの I (愛)シリーズレンズのアルミ削り出しの鏡筒等ビルドクオリティの素晴らしさはもとより、スナップ写真撮影愛好家からすれば、小型軽量で、他の超広角レンズと比較して、相対的に近接能力が非常に高いのは大きなアドバンテージです。この写真は、Fuji X-E4+XF30mmF2.8 R LM WR MACROで撮影しましたよ。

冒頭の写真から、3枚目までは千本松大橋(通称:めがね橋)の西成は南津守側の丸めがねの袂(たもと)です。冒頭の写真と、この写真のカラーモードは、Mono(モノクローム)で…。 黒の締り具合がよいですね!

奥の突き当りが、千本松渡船場の西成は南津守側の渡船待合室です。カラーモードは、PowB(パウダーブルー)で…。

17mm超広角の単焦点レンズは、SIGMA fp 本体の多彩で「美しい色調」に比例して、平凡な日常を異次元の視覚世界に誘うパワー(画力)が在りますね!
カラーモードは、Cine(シネマ)で…。
(とりあえず、記事としてUPするのは10月3日の午前中となりました。)

(続いて、10月3日の15:00~以下 ↓ をUPしました。)
対岸の大正は南恩加島側に渡りまして、サノヤスドッグ前をSIGMA 45mmf2.8 DG DN で、複写撮影。向かって右から、海上保安庁の巡視船だいせん、タグボートのSENYO、第3サノヤス丸です。カラーモードは、PowB(パウダーブルー)で…。

今、運航しているのは「ちづる」で、予備船として「はるかぜ」は係留・待機中です。見ていると、2週間くらいの単位で交代して運航しています。カラーモードは、Std(スタンダード)で…。

大正は南恩加島側の渡船待合室です。 カラーモードは、PowB(パウダーブルー)で…。

先ほどの葉っぱと同じで、フードの先端に被写体である赤い花が当たりそうなくらいですが、写真では普通に適当な距離感(2~30㎝)で写っている様に見えています。拡大してご覧いただけると分かるのですが、道路奥の自動車ライトが、点光源でまるく赤く光っています。カラーモードの、T&O(ティール&オレンジ)で…。

渋すぎる古い建物のモルタルがレトロ感満載で、「アリナミンA」の凸立体文字も引き立つように、カラーモードは、Cine(シネマ)で…。

いつ解体の憂き目に合うかも知れないと思い、ちゃんと正対して真正面からも「記念」に複写で撮っておこうと、カラーモードは、やっぱりCine(シネマ)で…。

回り込むと、角は和菓子店で向かって右側面が地元のスーパーニッコーさんでした。同じ建物ということで、ここでもカラーモードは、Cine(シネマ)で統一しました…。

落合下渡船場の画 モルタルに白地に水色で描かれています。SIGMA 45mmf2.8 DG DNで複写。カラーモードは、Std(スタンダード)で…。

すぐ上の標準レンズ写真に対して、超広角レンズの写る範囲は桁違いに広いことが分かる。その性質は「手前の被写体に近づくほどに大きく写り、離れれば離れるほどに被写体は激しく遠のいて行く」です。カラーモードは、Std(スタンダード)で…。

陰影が無秩序な「形」を全体で形成しており、何か現代アート作品の様に見えたので、そのまま複写してみました。カラーモードは、PowB(パウダーブルー)で…。

ここは、金属スクラップ再生工場ですね! カラーモードは、PowB(パウダーブルー)で…。

艀(はしけ)を牽引するタグボート、川下(右)に航行中です。いつもの木津川の対岸が遠く、えげつなく広い川幅のように見えますね。 カラーモードは、PowB(パウダーブルー)で…。

みどり丸の船上から見た、木津川下流。先ほどの艀も小さいですが、木津川の真ん中を奥に航行中。カラーモードは、PowB(パウダーブルー)で…。

実際に試した真正面からのもろ逆光ですが、逆光耐性が非常に強くフレアー・ゴーストが出ない設計となっております。カラーモードは、PowB(パウダーブルー)で…。
超広角の17mm単焦点レンズは、やっぱり、難しくも面白い撮影体験となりましたよ。ますます、この個性的過ぎる『変態カメラ』の SIGMA fpと、I(愛)シリーズのレンズが、さらに好きになりました。(笑)
また、現在、SIGMA 45mmf2.8 DG DN の標準単焦点レンズと、この17mm F4 DG DN の超広角単焦点レンズの2本体制となりました。
別途、PanasonicはLUMIX 20~60mm F3.5~5.6のズームレンズは所有していて、これも物凄く写りはよいものの、強化プラスチック製の鏡筒で所有するよろこびは皆無です。
引き続き、SIGMA I シリーズの CONTEMPORARY 90mm F2.8 DG DN の中望遠単焦点レンズや、24mm F3.5 DG DN の広角単焦点レンズを、中古でよいので、ゆっくりと買い足していきたいものだと思います。
これは相性も非常によく一生モノとして使えるというか、直感的に、持っているだけでも確実に幸せになれるレンズ群だからです。
今回もご覧いただきまして、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。
※おまけ。

せっかくですから、これを「手放し、明け渡し」で、欲望(願望)125 の解釈で見てみましょう。(以下、要約)
「目標を達成するための、低い意識状態での困難なやり方と、願望を認めて手放し、より自由な意識状態にあるやり方とを比較してみましょう。より自由な状態では、選んだものが自然と私たちの人生に現れます。私たちは願望という感情を手放し、その代わりにただ目標を選び、愛情を込めてそれを想い描き、それがすでに自分のものであると見ているために、自然におこるのをゆるします。」
「個人的な目標(一生モノとして使うため手に入れる)を書き出した後、それらへの願望を手放しました。これは一見すると矛盾しているように聞こえますが、これが手放しのプロセスです。目標を明確にし、欲しいという感情を手放すのです。」とあり、
「この場合願望が適当であり、無理なく完全に明け渡すことができたなら、手に入るも良し、入らなくても良し、どちらでも構わないということです。完全に明け渡した状態のおかげで、不可能だと思われたことが可能になり、努力することなく、速やかに実現したのです。」とありました。
そうなるように、まだ、自分のものではない、手に入れていない。という願望・渇望状態(執着)を手放し、手に入れても入れなくてもどちらでもよいという、 完全に明け渡した心境で居る(深層心理にある欠乏感や、その癖の元となっている「観念」を明け渡し開放する)ことで、
無意識下の「これが欲しいと思う気持ちがそれを受け取ることを妨げ、手に入らないことへの恐れを引き起こしているからです。」という風なことを、避けることが大事なのでしょうか。これは、実に逆説的なことですが、是非、試してやってみましょう!
☆令和8年9月22日火曜日晴天の午後、シルバーウイークの4日目で、午前中はふれあい配布に久しぶりに参加し、午後から14:00~16:00まで、いつものポタリングと同時に気の向くまま、思いつくまま自由にスナップ写真(複写)を撮影しました。
20:30頃から、撮れたスナップ写真を振り返って見ながら、今回のこの記事を「続・諸行無常」というタイトルにすることに決めましたよ。途中、風呂に入って、23:30頃には、ほぼほぼ、この記事を仕上げました。
それは、昔に「諸行無常」とタイトルで記事を書いたことがあり、当フォログでは、よく引用する時にリンク付けして、そこに飛べるようにしたりしていますが、さらに続いて「続・諸行無常」を、これを表わす機会かと思いまして記事にしてみました。

冒頭の写真から続いて、2枚の写真はすぐ近所にある建物解体後の更地になった写真で、1枚目はすでに物件として売り出された写真、2枚目は更地の形状が三角です。突き当りのトタン塀の奥には、弦で覆い茂った、誰も住まなくなって老朽化した2階建てアパートが隣接しており、いずれここも更地になるのも時間の問題です。
自分が不動産仲介業者だからか、特に解体更地になった物件を見る度に、諸行無常感を強く味わうのですが、すでに「前はここ何だったけ?」と、近所でいつも通る道すがらで、こうした解体後の更地を連続で見てしまうため、諸行無常感を味わいつつ、「記念」に、写真(複写)をしている感じです。

これは現代においても同じです。仏法真理の世界を知ったあとに、あらゆる文学を読みつづけても、「そこには不毛の砂漠しかない」と感じることもあります。仏法真理の大海を前にしては、この世のあらゆるものが消えゆく泡沫(うたかた)のごときものとならざるを得ないのです。
したがって、魂にとって価値あるもの、魂の糧となりうるものを、貪欲に吸収しつづけること、学びつづけることが大切です。それ抜きにしては、この世に生をうけたことの意味が真に理解されることはありません。
本節の結論は、「諸行無常という言葉を単なる厭世観(えんせいかん)としてとらえてはならない」ということです。この言葉は、「実在界の視点で世の中を見ることができるようになった人間には、それまで価値のあるものと思い、生き生きとして感じられたものが、色あせて見える瞬間がある」ということを意味しています。
すなわち、「社会のなかで出世競争や異性とのかっとうなどに明け暮れる日々が、実在界の視点から見れば、いかに色あせて見えるか」ということを意味しているのです。しかし、「これもまだ、悟りへの一階梯、きざはしにすぎない」ということも知っていただきたいと思います。(釈迦の本心 P170 9行目~172 1行目)

たとえば、人づきあいや人間関係においても、「心を癒す ストレスフリーの幸福論」の第2章 人間関係向上法 P62~92を見てみると、
①「ものの見方は人によって違う」ということを知る⇒「自分と同じ考え方をするものだ」と思うところに、人間関係の不調和が起きやすい。「自分とは異なる見方や考え方をする人がいる」ということを知ることが、寛容さや包容力につながっていく。
②できるだけ長所を見るように努力する⇒人の欠点や弱点を中心に見るのではなく、長所やよいところを見るように努力しよう。もちろん、人を使う立場や、人に影響を与える立場に立ったときには、人の欠点や弱点をまったく知らないと困ることもあるので、それについては本当は知っているほうがよいのです。ただ、それを相手に教える場合には、遠回しに注意を与え、自分から気づくように持っていった方がよいでしょう。
③独立した個性を認め合い、一定の距離をとる⇒「人間は、独立した個性を持った存在である。したがって、最後は、お互いに、その独立した個性の部分を認め合わなければ、人間関係はうまくいかない。お互いを独立した個性として認め合いながら、一定の距離を取りつつ、人間関係を上手につくっていくことが大事である」ここまでは、一般的な人間関係についての話です。日本特有の人間関係問題(バケツのカニのたとえ)に続く…。

と、簡単な要約をしてみました。
が、WIN = WIN (ここでは仕事上でのWIN=WINの説明ですが、人間関係でも基本同じですので参考になるかも…。)が成り立たず、①②と努力しても、どうしても LOSE = LOSE になるならば、③を選んで上手に一定の距離を取るべしでしょうか。お互いのためを思いやるとか、ふつうに、そう考えた方がよいでしょうね。そう自覚できる人が先にそうするべきでしょうね。結局、無駄に、プライド175の高い人同士の、自我と自我が、ぶつかり合って LOSE = LOSE になり易いのだと思います。
あっという間に時間が経って、持ち時間が過ぎ去って行くものですから、ただでさえ諸行無常なのに、知らず知らずのうちに LOSE = LOSE となるならば、それは最低限避けないといけないかな。と、思います。
NO DEALという、いろいろ試し考えてみたけれども、WIN=WINが成立しない場合の、お互い無理に合意に至らない。という選択肢も十分にありえますので…。また、 日本ではバケツのカニ発想がふつうで、世間では「祝福」や「讃歎」(さんたん)は、ほぼ皆無という前提で考えた方が良いでしょう。

今まで簡単に動くことがなかった不動産が、時代背景も兼ねて解体更地になっていく感じです。これは個人的な主観にしか過ぎないかもですが、大正区の三軒家西のいつもの通り道でも、まとまった坪数の土地が、ここでも更地として現れて来ていました。それが「続・諸行無常」というタイトルとした動機です。
やはり、投影するというか、あの世から‘‘意図して見せられている’’と考える方が、正しく自然な感じで、しっくりくると思います。
今回もご覧いただきまして、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。
※おまけ。
心の指針の14の・ヤ・マ・ア・ラ・シ・状態も、その人にとれば非常にお気の毒な状態ですが、狭い範囲のさらに枝葉末節に執着した結果でしょう。
「やや性格が弱いタイプの人は、自分を護ろうとする自己弁護のほうに傾きますが、性格が強い場合は、他人を攻撃するほうに傾き、人を責めます。なぜなら、他の誰かが犯人になれば、自分の罪が許されるからです。『あいつが悪い』ということにすれば、自分の苦しみの原因が解決するわけです。」(心を癒す ストレス・フリーの幸福論 P190)
他人を非難したり、責任転嫁したりするよりも、問題の背後にある、負の「感情」を手放し、その元となる無意識下の「観念」を明け渡して、今一度、自らの仏性を信じ直すのが良いのでしょう。
そもそも「反省」の概念から、世間のごく一般のものとは違っていて、どちらかというと『「自由」はどこまで許される?【大川隆法説法集 Vol.68個】 』で、言われている方の解釈にあたると私は考えています。
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