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「伝統とは火を守ることであり、灰を崇拝することではない」という名言が私の目の前で実現されている。久能さんも誰からら火を引き継いできたはずであり、その久能さんから岡田さんに、また火が受け継がれている。受け継がれるけど、同じではない火。何て素敵なことだろう。
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「革命は足元から起こる」というのはこういうことかもしれないと思っています
De-Silo Experiment2024終了後に、久能祐子さんが仰っていた言葉。
一般社団法人De-Siloの拠点”Unknown Unknown”が神保町にオープンした。De-Siloが構想されたころから、(腰掛け)理事として関わらせているもらっている身としては、ここまで来てしまったのか、と本当に感慨深い。
そこで紹介したいのはこの1枚。写っているのは、代表理事の岡田弘太郎さんとスタートアップの資金を提供した久能祐子さん。

岡田さんは「Forbes JAPAN 30 UNDER 30 2023」選出され、編集をキーワードに多様な知を繋げて、社会に展開する活動をされてきた方。
久能さんは、京都大学で工学を専攻した後、日米で創薬事業を展開し、二つの新薬を開発、「Harvard Business School Club of Japan Business Stateswoman of the Year for 2016」など数々の賞を受賞し、Forbes誌の「アメリカで自力で成功を収めた女性50人」にも選出されている。
昨日(2月7日)のプレオープンイベントで、岡田さんと久能さんが並んで立っているのを眺め、私はひとり感動してしまった。
最近は、若いこと、新しいことが素晴らしいととにかく言われる。でもそれだけでいいのかな、と私は思う。人は歴史を生きる。その時間の流れを作るためには受け継いでいくことが必要。久能さんとは何度か私もお話しさせてもらっているが、とっても明るい口調の中に、生きてきた深みを感じさせてくれる。私よりももっとたくさん久能さんと話をしている岡田さんは、久能さんから資金を受け取っただけでなく、彼女の言葉に埋められている何かもきっと受け継いでいるだろう。
「伝統とは火を守ることであり、灰を崇拝することではない」という名言が私の目の前で実現されている。久能さんも誰からら火を引き継いできたはずであり、その久能さんから岡田さんに、また火が受け継がれている。受け継がれるけど、同じではない火。何て素敵なことだろう。
岡田さんと久能さんの1on1という、何もないところから生まれたデサイロ。それが社団法人となり、アーティストと研究者のコラボというDE-SILO EXPERIMENT 2024という大掛かりなイベントなどが開かれ、そしてとうとう”Unknown Unknown”というフィジカルな場所が出来上がった。
DE-SILO EXPERIMENT 2024が終わった時、それがとても素晴らしい場だったので、私はちょっと興奮気味に久能さんにメールをした。そうしたら旅行中の久能さんからお返事が返ってきて、そこには「”革命は足元から起こる”というのはこういうことかもしれないと思っています」と書いてあった。
デサイロには岡田さんだけでなく、脇を固める小池真幸さん、栗村智弘さんらのメンバー、アドバイザーの濱田太陽さん、デザイン全般を担当している畑ユリエさんなど、誰と話しても未来に伸びゆく力を感じさせてくれる。ちょっと落ち込んでいても、話しているだけで穏やかに前向きな気持ちにさせてくれるメンバーたちだ。
デサイロはこれからどこに行くのだろう。楽しみで仕方ない。
ご関心ある方、ぜひDe-Siloのイベントに参加してみてくださいね。
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東工大着任時(今は東京科学大学)に宣言した、「応用人類学研究所|ANTHRO(アンソロ)」の設立。 「アンソロって何やってるの?」「アンソロって何?」と聞かれ、その度にごにょごにょしていたのですが、実は活動は地道に続けて […]
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東工大着任時(今は東京科学大学)に宣言した、「応用人類学研究所|ANTHRO(アンソロ)」の設立。
「アンソロって何やってるの?」「アンソロって何?」と聞かれ、その度にごにょごにょしていたのですが、実は活動は地道に続けておりました。これまでにやったこと。
2024年8月 何かを打ち上げる会 in 梅田 (ただの飲み会とも言う)
2024年9月 からだのシューレ 「自分らしさとカラダの不思議な関係」 in 三重
2025年2月 ボーリング大会
2025年4月 お花見
2025年4月 オンライン座談会|オランダ留学体験記&医療者のためのリベラルアーツ講座 by 渡邊恵美里さん
2025年7月 「急に具合が悪くなる」読書会
見てわかるように、だいたい遊んでおります。とはいえ、「そういうのこそ大切なんじゃ」と真剣に思っているので、たくさん遊ぶことを大切にここまで来ました。「どこが応用人類学研究所なの?」と言われれば、まあそうなのですが、そこはご愛嬌。
とはいえ、これまでの活動と大きく変わったのは、2020年7月から始めた人類学のオンライン講座を各地で受講くださった皆さんに運営を手伝ってもらっていること。
これにより活動の幅が楽しく広がりましたし、そもそも私1人じゃこれだけやるの絶対無理。
あと誤字しおりやバッジなど、グッズを作ってくださる方も登場したり。打ち上げにバナーを印刷して持参くださった方がいたり。いやはや、ありがたい。(ちなみに参加者の方は、私のオンライン講座を受講し、受講生用のFBグループに参加されている方に限定しております)
そして満を持して、明日より1泊2日でANTHRO佐久合宿が長野県小諸市で開かれます。参加者は九州、四国、関西、関東、東北の各地から15名。
「佐久合宿なのになんで小諸?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、これは誤字ではありません。企画を手伝ってくださっている方が長野県佐久市にお住まいのこともあり、最初は佐久開催で企画していたら、いろんな事情でお隣の小諸市になったというわけ。
気づいたら企画を始めてから1年以上。大変感慨深いものがあります。
前夜祭として「レヴィ=ストロースの一般交換書簡」(磯野命名)を参加者さん全員で回してもらったのですが、こちらもとてもいい感じに仕上がりました。
どんな合宿になるのか。とっても楽しみ。

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言葉の嘘に気づく学生たち/攻撃的だけど嘘のない本音に惹かれる人たち/心に残る言葉とは?
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学生と話していると「言葉の嘘に気づいている」と感じることがしばしばある。
体感的にも、私が大学生の頃と比べると、優しさや思いやりに溢れる言葉は激増した。日々どこかで、何かしら見かける。でも、そのうちのどのくらいが、その言葉を発している人の生活に根ざしているのだろう。これだけ優しい言葉が溢れるのなら世界はもっと素敵な場所になっていていい気がする。でも実際はそうではない。
言葉の向きと体の向きがあべこべな言葉がずっと多いからなんだろう。学生はそれをしっかり感じ取っている。
だからこそ「嘘のない攻撃的な本音」に惹かれ、その人に希望を感じてしまう。そんなことがあるんだろう。
7月20日は都内で「急に具合が悪くなる」の読書会を開いた。参加くださったみなさんの言葉に気づきをもらった。刊行から6年が経とうとする今も、こうやって読み継がれているのがありがたい。
そして、私自身が、言葉に信を置く力を失いかけていることに気づかされた。気づかないうちに、少しずつ少しずつ削られていたんだろうと振り返る。
7月は自分の依って立つ場所を確認する大切な月だ。

6年が経ち、私自身の生活も大きく変化し、考え方も変わってきている。
そんな中いろんな仕事をしてきたけれど、今年は京都大学出版会より、「言葉が言葉でなくなる時―語りを引き継ぎ、死者とともに生きることについての一考察」という論文が掲載された論文集が京都大学出版会より刊行される。
「死の人類学」という科研費の研究会での成果である。
内容は見出し通り、「心に残る言葉とは何か?」というシンプルな問いを、人類学と哲学の理論を使いながら分析したもの。
これは宮野さんとのやりとり(特に8便)を私が分析したものだ。自分のことを書くのはなかなかに大変であったが、歩みを進めることができた、という実感を得ることができた論文になった。
最後までお読みくださりありがとうございます。こちらのブログは過去の文章となっており、最新のお便りは「磯野真穂のANTHRO NOTES|思考の手帖と執筆の舞台裏」より、ニュースレターとして配信しています。ご関心ある方は、ぜひご登録ください。
またオフィシャルサイトが2026年4月に新しくなりました。最新の出演・掲載情報などにご関心ある方は、ぜひこちらもごらんください。『急に具合が悪くなる』(晶文社)の映画化に関する情報もこちらに掲載されております。
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株式会社アイデアファンドの大川内直子さんと登壇。文化人類学の修士号をとり、会社を起こし、本を出し、継続して会社を走らせ、家族を持つ。すごすぎる…。 大川内さんのような才知ある若い方が、活躍できる社会の未来はきっと明るい。 […]
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株式会社アイデアファンドの大川内直子さんと登壇。文化人類学の修士号をとり、会社を起こし、本を出し、継続して会社を走らせ、家族を持つ。すごすぎる…。
大川内さんのような才知ある若い方が、活躍できる社会の未来はきっと明るい。そんなことを思った学会でした。ご著書もぜひ読んでみてください。
もう一つ印象に残ったこと。
フロアから出た質問で、「今後の人類学のあり方はどうするべきか、といった課題をもらっているんだけど、お二人ならどう書きますか」という内容。
それに対して彼女が一言。
「人類学者ってそう言うことばかり問いすぎなんじゃないか。そんなことを考えてる時間があったら調査に行った方がいいと思う」(言葉のママでなく、磯野の意訳がかなり入ってます)
これは本当にそう。「私って誰?!」とか考えてる前に、やった方がいいことってあるよね。
そう言えば、私が去年コメンテーターを務めたシンポジウムのタイトルも「人類学とはなんでありうるのか」だった。
でも他方で、少し引いた視線で見てみると、人がこう言うことを問い出す時って、自分たちの存在意義が感じられなくなったり、未来が怪しくなったりする時。
いま、「人間とは何か」みたいな問いも盛んに立てられているけど、それだって、人が人であることに自信がなくなっているからなのだろう。
だとすると、問いそのものの内容を考えるだけでなく、そういう問いが立ち上がる背景を考えても面白いはず。人類学者が我々は何者?と問い続けている状況はきっと、人類学者が不安だからなのだろう。
「大学→ビジネス」の大川内さんと、「大学→在野→大学」のルートを辿っている私との交差から、学びと問いの種をたくさんいただきました。

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中日新聞(1月13日)・東京新聞(1月15日)の特集記事で、面会制限について問題提起を致しました。特集のテーマは、「コロナ5年 何が変わったか?」。許可をいただいたので全文公開します。ぜひお読みください。 LINKS
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中日新聞(1月13日)・東京新聞(1月15日)の特集記事で、面会制限について問題提起を致しました。特集のテーマは、「コロナ5年 何が変わったか?」。許可をいただいたので全文公開します。ぜひお読みください。

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授業設計に当たり、大切にしたこと3つ。
1. 学生がChatGPTを使う前提で授業設計をする
2. 文化人類学を「記憶」するのではなく、「考えて・使う」授業をする
3.教員がやっていて楽しい
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東工大で初めての文化人類学の講義を担当するに当たり、次の達成目標を掲げた。
文化人類学で遊ぼう
次に、これを達成するための授業設計として、次の3つを心がけ設計に落とし込んだ。
1. 学生がChatGPTを使う前提で授業設計をする
2. 文化人類学を「記憶」するのではなく、「考えて・使う」授業をする
3.教員がやっていて楽しい
ChatGPTを使ったとしても、自分たちで考えたほうがより面白いと感じられる設計にする。
人類学者を育てる授業ではないので、正確に記憶することより、ざっくりとした理解をもとに、それを考えて、使うことを重視。
とはいえ、最近の「詰め込みはダメだよね」という流れについては、安易で浅すぎると思っている。そういうのが必要なフェーズもあるでしょう。
これ結構大切。というより、ここを実は相当重視した。教員がつまらないと感じていると、学生にもそれが伝わり、みんなでつまらなくなる。こうなると負のスパイラルで、結果的に学生が不利益を被る。
具体的には、学生に文化人類学の基礎知識を学べる資料をリーディングとして配布し、前半はそれをもとにしたディスカッション。後半は、21世紀の理想の身体をテーマに、グループで小説を書いてもらうことにした。
人類学を使って小説を書くというアイデアは、社団法人De-Siloが今年4月に実施したDe-Silo Experimentで、試してみたものだ。
Experimentの際は、私が書いた小説、およびそこからスピンオフをした、李琴峰さん、山内マリコさん、松田青子さん、それぞれの小説をもとにしたワークショップ(協力:浅田シオン)を行った。
こちらも大盛況であったけど、授業は14回(110分/回)あるので、学生はワークショプを体験した後で、実際に小説を書いてもらうことに。
どのような小説が出てくるか全く想像がつかなかったけれど、文化人類学の考え方を使いながら、かれらが考えた未来の身体についての小説はどれも大変面白く、私としても学びが多かった。
ちなみに私が今回担当した講義は「文化人類学C」という名称で、医療人類学の内容が中心。一応立て付けとしては、文化人類AとBをとっている学生が来る予定だったんだけど、蓋を開けたら、そのような学生は誰も来ず、「文化人類学ってなんだろう」と素朴に思っている学生がやってきた。
私は新任なので、昨年の授業の噂などを当てにして選択をすることは不可能。「何かを始める前にまず検索という時代」にあって、検索ゼロで、しかも「小説を書きます」とシラバスに書いてある、怪しい講義を選択した学生たちを、私は猛者と呼んでいました。
大変面白く、最終回も感慨深かったので、最後に記念の写真を撮らせてもらいました。
月に1回くらいを目安に、ブログより内容が厚めの不定期ニュースレターを配信しています。ご関心ある方は、私のサイトのニュースレター登録よりご登録ください。
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(1)「空気」や「同調圧力」のその先へ
(2)人を数値に変換しない
(3)医療人類学の観点から捉える「身体」と「病気」
(4)「和を持って極端となす」社会の姿
(5)フィールドワークを自粛しなかった
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5月に柏書房から刊行され、発売開始2週間で重版が決定した『コロナ禍と出会い直す 不要不急の人類学ノート』。
7月は、京大の人類学者 石井美保さん(7/6・日経新聞)、阪大の経済学者 大竹文雄さん(7/13・ 毎日新聞)の書評が続いています。
このタイミングで私からも、本書の5つの特徴を紹介することに致しました。ぜひ読書の参考にしてください。
コロナ禍についての書籍はすでにたくさん出ています。
しかしその多くが、政治に関わる人々がどのように政策を決めていったかとか、影響力を持った専門家が政治や社会にどのような働きかけをしていたかとか、「リーダーの視点」から見たコロナ禍に終始しています。
また、そのようなリーダーの視点を批判するものも多くあります。しかしそれらはそのようなリーダーの視点を、データなどを用い、俯瞰的な観点から批判する方法をとっています。
本書は、上記のいずれとも異なるます。
本書はむしろ、リーダーの視点や言動の影響を受ける市井の人々の考え方や感じ方、行動の仕方に目を向ける手法を取りました。ました。
県外ナンバーに冷ややかな目線が投げかけられたのはなぜなのか。
多くの人がコロナに罹ったことを謝罪したのはなぜなのか。
アクリル板やビニールシートは、なぜ至る所に設置され続けたのか。
このような問いは、同調圧力とか、空気とかいった言葉で片付けられがちです。しかし本書は、同調圧力や空気で議論を終わらせることなく、人類学を使ってその先まで議論を進めました。なぜなら人類学は、明文化されていない規則を捉え、分析することを得意とする学問だからです。
この点については、歴史学者の澤井勇海さんが、ご自身のXで言及くださいました。
コロナ禍では、エビデンスといった言葉に象徴されるように、数値を用いた現状提示や予測が至ることころで行われ、疫学に秀でた人たちの言葉に注目が集まりました。もちろん数量データは大切ですし、それを扱う学問にも十分な敬意が払われなければなりません。
とはいえ、人間は数値ではないことも事実。
私の専門である文化人類学は、聞き取りと観察をもとに、人間を数値に変えずに理解する方法を古くから探索してきた学問です。
数字を駆使する研究を「量的調査」、語りや観察をベースにする調査を「質的調査」と呼びます。本書の魅力の一つは、この質的調査を行なってコロナ禍を分析したこと。
とはいえ質的調査は、個人の感じたことや経験したことを自由に描くエッセイや日記、あるいは一人の人生を丹念におったルポルタージュなどとは異なります。
人類学の醍醐味は、語りや観察から得られた人間についての「質的データ」を、その人たちを取り巻く社会や、歴史の流れと結びつけ、一人の経験が、その人を取り巻く世界とどのように繋がっているのかを明らかにできること。
本書では、主に医療人類学の理論を用い、個別具体的な事例が、当時の制度や、社会状況、あるいは日本の歴史とどのように結びつき、どのように影響されたのかを分析しています。
身体や病気というと、医学や生物学の視点を思い浮かべる方が多いと思います。しかし身体は常に社会の中にあり、また病気になるときも、その周りには社会があります。
医療人類学は、私たちの身体が、社会がどのように関わっているのか、社会の中で病気はどのように起こっているのかを、独自の概念を使って明らかにしようとしてきました。
他にもたくさん病気はあるのに、なぜコロナだけが3年にわたり、殊更に注意をしなければならない病気として扱われたのか。感染予防のためなら、他のことが犠牲になるのは仕方がないとされたのはなぜなのか。
本書では、医療人類学の基本概念である「疾病」、「疾患」、「病気」、さらには「個人的身体」、「社会的身体」、「政治的身体」という概念を使って、具体例とともに分析を進めています。
特に後者の3つの身体については、読者の皆さんが目を開かされたと、面白がってくださる箇所になっています。
最近の日本の人類学は「社会」とか、「文化」とかいった言葉の利用を避ける傾向にあります。その理由には頷けることもあるのですが、新型コロナ、あるいはCovid-19という病気への対応は、国ごとに際立った特徴が現れるものとなりました。つまり社会や、文化の存在が比較を通じてありありと浮き出る状態となったのです。
これを踏まえ本書では、社会、文化という言葉をあえて積極的に利用し、日本社会の「感じ方の癖」を論じることを試みました。
コロナ禍における、日本社会の「思考の癖」を歴史的な観点から論じたものは多くありますが、「感じ方の癖」という身体性を論じた点は、本書のオリジナリティの一つと考えています。これが魅力の4つ目です。
人類学の調査の基本は現地に赴くフィールドワーク。しかしコロナ禍では、フィールドワークをオンラインインタビューに切り替える人々が現れました。
フィールドに行けない状況に多くの人類学者が陥ったので、仕方のない部分はあったのでしょう。それぞれに色々な事情があったのだろう思います。しかし、渡航規制がかかっていない地域をフィールドにする人類学者まで、調査を早々にオンラインに切り替え、その調査のやり方を「新しい可能性」として語り始めたのは衝撃でした。
私は人類学の門番ではないので、「これは人類学ではない」などと言うつもりはありません。しかし私は、自らが現地に赴くフィールドワークの力を信じていたため、現地の人々の協力を得ながら、2021年の夏より、ワクチン、検査、マスクといった複数の感染対策をとりつつ、国内でのフィールドワークを開始しました。
フィールドワークの醍醐味は、方法の中に偶発性を取り入れていることにあると、私は考えます。
たまたま出会った人に連れて行かれた先で、調査の核になる出来事に出会う。協力者の予想もしない一言が、より本質的な問いのきっかけになる。
フィールドワークでは、よくあることです。
最終章で描かれる介護施設「いろ葉」のエピソードは、本書の核心となる部分ですが、最初から狙って「いろ葉」を訪問したわけではありません。フィールド先でのたまたまの出会いが、私を「いろ葉」に導いてくれました。
本書の魅力の5つ目。それは、フィールドワークを自粛しなかったことにあります。
ご関心ある方は、販売サイトの「再入荷お知らせ」よりメールアドレスを登録ください。販売開始と同時にメールが届きます。

「命と命」の問題と指摘する冷静さ(毎日新聞):評者 大阪大学・大竹文雄(経済学) 2024年7月13日
日本社会の和という名の毒(日経新聞):評者 京都大学教授 ・石井美保(人類学) 2024年7月6日
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5年前の今日は『急に具合が悪くなる』(晶文社)を一緒に書いた宮野真生子さんが福岡大学の最後の教壇に立った日だった。私はそこには行けなかったけれど、その時の写真を一枚持っていて、東工大の研究室に飾っている。 「今日はこんな […]
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5年前の今日は『急に具合が悪くなる』(晶文社)を一緒に書いた宮野真生子さんが福岡大学の最後の教壇に立った日だった。私はそこには行けなかったけれど、その時の写真を一枚持っていて、東工大の研究室に飾っている。
「今日はこんなことを話すつもりなんだ」と事前にスライドは見せてもらっていて、写真に写っているのは一番最後のスライド。
「一番ここを伝えたい」と言っていたスライドの箇所にばかり注目していて、他にはあまり気を配っていなかったんだけど、そのスライドの一番上には「最後に」と記されていた。
よく考えるとその時の宮野のさんの立場はコメンテーターで、スライドに「最後に」などと書く必然性はない。というか、メインスピーカーであってもスライドの最後にわざわざ「最後に」なんて書かない。
宮野さんは本当に「最後」だと思ったから、「最後に」と書いたんだろう。あのスライドに書いてあった言葉は、本当に「最後に」学生に伝えたい言葉だったんだ。
そんなことを4年も経った今日ようやく気づく。
「急に具合が悪くなる」は私にとって不思議な本だ。あまりにも当たり前のことだけど、増刷のたびに私のプロフィールだけが更新され、一歳だけ上だった私の年齢は、42歳で止まった宮野さんの年齢とどんどんと離れていく。
5年前の今日から1ヶ月と3日後、宮野さんは命を閉じる。5年前の今日、まさかこんなに早くお別れが来てしまうとは思ってもいなかった。5年後の今日、自分の人生がこんなにも変わってしまうとも思ってもいなかった。
この時期になるとあの時のやりとりを鮮明に思い出す。私は、あそこで交わした言葉を裏切らない生き方をしているだろうか。宮野さんと交わした約束を今でも守ることができているだろうか。宮野さんと共に生きることができているだろうか。
他者の出会いも、自分の人生も予想通りにはなるとは限らない。でもだからこそ、帰る場所があるというのは尊いことだ。
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4月1日より、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院に教授として着任することになりました。それに当たって、「応用人類学研究所・ANTHRO」を発足します。
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本日4月1日より、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院に教授として着任することになりました。担当する講義は全て人類学です。
これまで私がやってきたことを、大変高く評価していただきました。「人類学としては評価できない」とか、「人類学じゃないところにばかり書いている」とかいったことを言われるのにすっかり慣れっこになっていたため、こんな人たちがいるのかと驚きました。
あと、よく勘違いされるのですが、私は啖呵を切って大学をやめたのではなく、契約が切れたのです。
なので、こんな言葉をかけてくださる教員の方たちと働いてみたいと素直に思いましたし、人類学のための人類学ではなく、応用するための人類学をやってきた私にとって、東工大はぴったりの場所だとも思いました。また今年度、医科歯科と統合がなされるため、その意味でもよく合います。
また在野でやってきたことをやめる必要はなく、むしろそこを評価しているので、両立はもちろん構わないと言っていただけたことも決め手となりました。本務が優先であることはもちろんですが、東工大は教員の起業なども奨励する、先進的な方針をとっているそうです。こんな大学もあるんですね。
東工大では4つの人類学の授業を担当します。シラバスも、かつてなく時間をかけて作りました。東工大の皆さま、今月よりどうぞよろしくお願いいたします。
東工大着任にあたり、自分の立ち位置をよりはっきりと表明すべく、「応用人類学研究所・ANTHRO(アンソロ)」を設立し、所長になることに致しました。といっても、法人を作ったとか、これまでと全く違うことを始めるとかではありません。これまでやってきたことをますます加速させるという意味での決意表明です。所長になるといっても、自分で勝手に就任しただけ。
とはいえ、「応用人類学研究所・ANTHRO(アンソロ)」ってなんのこっちゃ?、と思う人もいると思うので、その名前の意味を説明しますね。
“anthro”は、”anthropology=人類学”のカジュアルな言い方です
留学中に”Hey, anthro folks!” などと言って、院生の友人たちが呼び合っているのを耳にし、素敵な響きだなと思っていました。「人類学の仲間達!」みたいな感じでしょうか。日本語でいうと変な感じだけど。
私が目指す人類学は、街の美味しい洋食屋さん。限られた人だけに入店が許されるような、「三つ星レストラン的人類学」ではありません。
難解な言葉を並べるのではなく、誰もがわかる言葉で人類学を提供したい。ずっとそのように思って活動を続けてきました。
その意味で、”ANTHRO”は、私にぴったりの言葉なのです。
また”ANTHRO”には、私だけの思い出もあります。2020年3月、私は教員任期が終了し失業者になってしまいました。社会に人類学を応用する前に、私自身が路頭に迷うことになったのです。いやはや、全くもって笑えない。
ハローワークに行き、失業保険をもらって生活しながら、人類学のオンライン講座を立ち上げる準備を整え、それが終わると同時に、失業保険の停止の手続きをしました。
それと同時に行ったのが青色申告。個人事業主になるため手続きです。その申請書に、「屋号」(個人事業主が商売をするときに使う商店名)の欄があり、当然そんなものは考えていなかった私は、とっさに”ANTHRO”と書き入れました。
その意味でANTHROは、文化人類学という意味を持ちながら、私自身の「始まり」も意味する言葉なのです。あの時の気持ちを失わないまま活動を続けるためにも、”ANTHRO”を名称に入れました。
私は、オレゴン州立大学留学時に、スポーツ科学から人類学に専攻を変更し、修士号を取りました。でも正確に言うと、私の修士号は「人類学」ではなく、「応用人類学」(applied anthropology)です。
応用人類学とはその名の通り、現実世界で起こっている問題を人類学の知見を使って分析したり、改善をしようとしたりする、人類学の1領域のことを指します。
あくまでも私の理解ですが、日本の人類学は理論志向が強く、応用人類学の評価は高くありません。つまり研究において、人類学をどう応用したかより、人類学の理論を発展させたかどうかに評価のポイントが置かれるということです。
他方で応用人類学が、人類学の古い1領域であることも事実です。例えばアメリカ人類学会の1セクションである、Society for Applied Anthropologyは、1941年に発足しています。
修士時代に学んだ応用人類学の活用事例としては、先住民が州に対して起こした訴訟に勝つため、人類学者が裁判で証言をする、病院内でのコミュニケーションのコーディネーターを務める、新商品がどのように使われているかを現場で調査するといったものがありました。
私の専門は医療人類学ですが、医療という現実世界で起こっている問題を分析し、時には提言も行うので、応用人類学に大変近い領域と言えます。
私は修士をとってから今に至るまでの20余年あまり、応用人類学者としてのアプローチを取り続けてきました。しかしこれまで、文化人類学とか、医療人類学とかの方がわかりやすいと思い、「応用人類学」を前面には出さなかった次第です。
ですが東工大への着任にあたり、私の人類学のスタンスをわかりやすくすべく、「応用人類学」の名称を前面に出すことにしました。ANTHROと同様、これからの私に、こんなぴったりの名前はないと思っています。
これまでの延長というのは、具体的にはこんな感じです。
ここに理事を務める、一般社団法人De-Siloが加わります。De-Siloは、「人文・社会科学分野の研究者を伴走支援し、社会との多様な接点をつくるアカデミックインキュベーター」を掲げる団体。ぜひ皆さんDe-Siloには注目して欲しいですし、応援もお願いしたいです。
在野で4年間活動し、人文を少し外から眺めたことで色々な気づきがありました。その一つに、人文はしばしば、「苦しさ」を繋がりの媒介に使ってしまうということがあります。例えば、全然休みがない、こんなひどいことが起こっている、やりたくもない仕事がどんどん降ってくる、といったことが繋がりの媒介になってしまう。実際にひどいことも起こるので、仕方がないとは思います。ですが、常日頃からこういう状態が起こると、あまり良い結果が生まれません。
「あいつだけ評価されている」とか、「お前は苦労が足りない」とか、「あいつだけ楽をして許せない」いった怨嗟がコミュニティ内に沈澱しやすくなるのです。一部の大学教員のSNSが、所属大学への不平不満とか、特定の誰かへの攻撃とかで埋め尽くされてしまう背景には、そういう環境があるからではないかと思っています。
嫌なら外に出られると思えば、こうはならないのでしょう。でも、外はないことになっているので、「苦しくても頑張るしかない」という発想にどうしてもなってしまう。実はこれが先日のブログに書いた「人文とお金の話」にも通じます。「低報酬でも頑張ろう」とか、「お金が欲しいんですか?仕事を与えてやっているのに」とかいった発想がどうしても出てきやすい。
他方で、こういうことができるかも、これをやってみよう、という形にコミュニティが動くと面白くなります。世界に広がりを感じられるからです。少なくともこの4年間の私は、もちろん大変なことも多かったですが、そういう体験をしてきました。人は苦しさよりも、面白いでつながった方がいい。シンプルですが、意外と忘れられがちな、大切なことだと思います。
人文を専門にしている研究者のテーマは、どれもとても面白く、わくわくできるものだと確信します。ただ環境とか、そこで生まれる考え方が、面白さではなく、苦しさを繋がりの媒介にしてしまう。
そもそも私が組織が得意であったら、契約が切れて失業者になることはなかったと思うので、新しい組織でちゃんと機能できるかは未知数なのですが、謙虚さを持ちつつも、これまでの経験の価値を、私自身が過小評価しないよう日々を過ごしていきたいです。
いずれにしても、大学の常勤職につくことで、これまでにはない安定をいただけることになりました。在野の活動を常勤を得るための「つなぎ」にするつもりは毛頭なかったので、面白さで繋がる世界を広げて行くために、この安定を土台として使わせてもらいたいと思っています。
ところで、お世話になった方々に東工大着任のお話をすると、口を揃えて「おめでとうございます!」と言っていただけます。しかし、在野でやっていこうと決めた時に「おめでとうございます!」と迷わず言ってくれた方が一人だけいました。
それがFILTRを一緒に作った二宮明仁さんです。アカデミアの発想では、絶対にこの言葉は出ない。自分の当たり前を揺らす人との出会いと、そこからの始まりが、世界を拓いていくことを深く感じ続けた4年間でした。二宮さん、本当にありがとう。そしてこれからもよろしく。
さらに振り返ると、二宮さんとの出会いのご縁をくださったのは、一般向けのある講座にいらしていた作家さん。それをきっかけに、その方が開く勉強会にお誘いいただき、私は二宮さんと出会います。その方は、色々なカルチャー講座に参加されているのですが、私が印象に残った理由は「質問から逃げなかったから」だそうです。
周りから何を言われようとも、一つのことをずっと続けていると、いいことがあるのかもしれません。いや、ないかもしれないんだけど、続けていないと起こらないことは確かにあるんだと思います。
最後に、私の講座に来てくださった受講生の皆さん。本当にありがとうございました。皆さんのおかげで今があり、皆さんがかけてくれた言葉のおかげで、その先が見えています。
ありきたりですが、大切なのは何になったかではなく、何をするか、ですよね。
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