まず、الدنيا(ドゥンヤー)と言えばالدنيا والآخرة(ドゥンヤーワルアーヒラ)というセットが連想されます。「現世と来世」「あの世とこの世」と言ってしまえば間違っていませんが、翻訳の定めとして、どうしても日本語のコンテクストに引きづられてしまいます。
言葉通りならthe lower and the otherですが、もちろんこれは英訳としても成り立ちません。英語にそのような意味はないからです。the lower and the other(the world and the next world)のようにすれば、原文の文脈と同時に意味が伝わるかもしれません。重要なのは、lowerが同時にworldでもあることです。
worldに対してはعالم(アーラム)という語があって、こちらはもう少しカチッとした硬い言葉です。الدنيا(ドゥンヤー)はもう少し身体に近いというか、世間とか世の中みたいな卑近なニュアンスがあります。the lower and the otherからは、そういうベタッとした生々しい「世界」と、そうではないもう一つのもの、という構図が読み取れます。
このالدنيا(ドゥンヤー)はエジプトのアーンミーヤ(現代口語)でも普通の単語として非常によく使われるのですが、面白いのはالدنيا بطمتر(ドゥンヤービトマッタル、雨が降っている)とかالدنيا زحمة أوي(ドゥンヤーザフマアウィ、とても混んでいる)みたいな使われ方をすることです。
لدنيا بطمتر(ドゥンヤービトマッタル)はIt rainsということで、英語なら非人称のitが使われるところで、主語としてالدنيا(ドゥンヤー)が現れます。
ドイツ語ならEs regnetで、このEsからフロイトにおけるエスが名付けられています。それはわたしの中にあってわたしでないもの、快原則に従い欲動の働く領域です。エスに相当する部分に「世の中」が来ているのが興味深いです。逆に言えば、この世はTrieb(drive、欲動)が駆動する空間なのかもしれません。
الدنيا كانت زحمة أوي في وسط البلد(ドゥンヤーカーニトザフマアウィフィウストゥルバラド)はThe city center was extremely crowdedということで、「繁華街が混雑していた」という意味ですが、ここでもالدنيا(ドゥンヤー)が主語になっています。逐語的に英単語に置き換えると、the lower was very crowded in the city centerのような構造で、場所である「繁華街」は前置詞の後に来るだけで、主語ではありません。主語はあくまで「世の中」。エスが混雑している、と連想を働かせると、確かに繁華街とはTrieb(欲動)がひしめいている場所かもしれません。
エスがあくまで一個人の中にイメージされるのに対し、ドゥンヤーは世の中ですから外にあります。しかしラカン的な読解をするなら、「言語のように構造化されている」ものは「他者」ですし、間主観的に構築されている点ではドゥンヤーのようなものです。it rainsだって空から雨が降ってきます。
ところでラカンの大文字の他者(Autre)は、普通英語でthe Otherと訳されています。the lowerを考えていたらいつの間にかthe otherにたどり着いてしまいました。メビウスの輪のようです。
この世とあの世というのはまったく別の二つの世界があるのではなく、捻れてどこかで繋がっているのでしょう。この世の中には既にあの世が練り込まれています。というより、わたしたちはそのような言語空間、象徴界に生きているのでしょう。
『喧嘩両成敗の誕生』では、中世人の感覚が現代のわたしたちからすると「考えられない」と(おそらく意図的に)度々記されている。
(立ち小便を一人の稚児が笑ったことが刃傷沙汰に発展した事件について)
現代の私たちからすれば、まったく取るに足らないことではあるが、しかし、これは当時の人々には深刻な問題だった。
現代の私たちの生きる社会では、それが良いことは悪いことかはべつにして、さまざまな場面で、「個人」が尊重され、「集団」に対する帰属意識が薄れていっている。いまやかつてのような「村」や「町」という共同体はほとんど見られなくなっているし、「家」すらも今後いまと同じようなかたちで存続するという保証はどこにもない。かつては日本経済の美徳(?)とされた「企業」への滅私奉公意識も若者を中心に急速に薄らいでいる。(…)しかし、この時代は「個人」がその生命や財産を守ろうとしたとき、なんらかの(ときには複数の)「集団」に帰属することは必須のことだった。そして、その代償として人々は紛争の無意味な継続や拡大に悩まされることにもなった。
(重罪を犯した者が家族や氏族からの関係を一切絶たれ、殺害しても罪に問われなかった「アハト刑」について)
こんな刑罰は現代に生きる私たちから見ればあまりに野蛮で、とてもではないが、理解を超えた発想である。そもそも個々人の自力救済を抑止して「法」による平和を実現するのが「国家」のあるべき姿だとすれば、相手によって部分的に自力救済を認可するという、こうした刑罰はともすれば「法」や「国家」の自己否定につながる危険性をもちかねない。
もちろん、中世人のメンタリティが現代人のそれから完全に断絶していると主張されているわけではない。それどころか現代の感覚にも通じることには、度々言及されている。
(自害によって己の主張を伝えようとすることについて)
現にいまの日本においても「死をもって潔白を訴える」「抗議の自殺」「憤死」といった言動が子供の世界のイジメから芸能人や学者の醜聞、政治家の汚職事件にいたるまで価値を持ち続けているという深刻な現実がある
現代社会においては、黒白のつけられない決着、つまりは灰色の決着というものを政治的な取引や妥協の産物とみなして、少なくとも公的な場においては歓迎されることはない。しかし、どうも洋の東西を問わず中世社会に生きる人々にとっては「真実」や「善悪」の究明などどうでもよく、むしろ彼らは紛争によって失われてしまった社会秩序をもとの状態にもどすことに最大の価値を求めていたようなのである。(…)「黒白を明らかにしない」「玉虫色」「足して二で割る」という第三者にははなはだ不明瞭な解決法の多用が、現代にいたるまで良くも悪くも日本人の特質としてしばしば指摘されることを考えると、案外、その影響は、いまを生きる私たちにも決して無縁なものではないのかもしれない。
公権力の支配が弱く自力救済が横行し、そのため人々が集団への帰属を重視する。集団の利害のためには個人は軽んじられ、時に際限のない報復合戦に陥る。名誉を重んじ時には自らの命より重視する。互いに矛盾する秩序が何層にも連なっていて、必ずしも上位のものが優勢ではない。真実の追求よりも秩序回復が重んじられる。時には公権力自体がローカルな自力救済秩序を許容する。
これらは近世から近代にかけての社会の発展により、次第に克服されていった。集団の規模はローカルなものから国家レベルへと成長し、公権力の秩序が全体を直接的に、つまり個々人に対して力を発揮するようになった。そのようにわたしたちは、漠然と理解してきただろう。
もちろん実際のところ、わたしたちは常に人類学的余波の中にいて、ローカルな秩序が抹消されるわけではない。社内の不祥事に対して公権力を導入するような「通報」に対しては、良いか悪いかは別として、依然として「裏切り者扱い」のようなブレーキがかかる。子どものイジメにしても、これも良いか悪いかは別として、傷害事件として公権力に委ねられるよりは、極力校内や地域で抑え込もうとする。そういう力動は今も働いている。
そして、たった今「良いか悪いかは別として」とことわったことが示す通り、人々を遍く照らす真実の光こそが目指すべきものだとしたら、ローカルな秩序で抑え込もうとするよりは、少なくとも形式上は民主的プロセスを経て成立しているはずの公権力に対して、直接無媒介的に問題が委ねられる方がより「公正」であるとの感覚が、少なくとも一定の教育を受けた人々の間では割合に共有されていたと思う。
もちろん、このような一元的秩序の支配に対し、疑義も挟まれていた。
わたし自身、一つの秩序が社会全体を直接的に統治する「フラット化」に対し、批判的意見をもっていた(良い抵抗と悪い抵抗などというものはない)。一つの強力な光に対し、隈や凹凸があり、隠れ場所がある方が社会として健全ではないかとの思いがあったし、なんであれ複数のパワーが多層的に働く方が人類史的に見て自然で望ましいと考えていた。非常に大雑把なくくりで言えば、アンチ・グローバリゼーションとはそういうものの見方だったろう。
また、整合的な真実が普遍的に支配することへの抵抗があった。それこそ中世ではないが、善悪や真実の追求よりも大切なものがある。後述するように、期せずして実際にその後、真実よりも「秩序」が優先される社会が到来してしまうことになるのだが、ひどい秩序や偏った秩序であっても、秩序がないよりはマシだと今でも思っている。
留保しておくが、この「フラット化への抵抗」は、一つのパワーが統治することのポジティヴな面を十分に認めた上で発されている。わたしたちは比較的穏健な秩序の保たれた現代日本社会により守られているという認識が、少なくとも当時はあったし、フラットでグローバル化するシステムの恩恵を受け、肯定的に評価した上で、それが一方向的に進み社会全体をブルドーザーのように均してしまうことへの危機感を表現していたのである。
今振り返ってみると、このフラット化とそれへの抵抗という運動は、冷戦終結後の三十年という、特定具体的な時代状況を前提としたものに過ぎなかったのかもしれない。
東浩紀さんが、2025年2月に公開した「リベラルデモクラシーの(いったんの)終わりについて」という動画の中で、次のようなお話をされている。
フランシス・フクヤマが『歴史の終わり』(1992年)において、1989年の冷戦終結において民主主義と自由経済が勝利したとの論を展開した際、多くの知識人はこれを通俗的な議論と冷笑する一方で、無意識的にその認識を受け入れていたのではないか。つまり、大枠としてのグローバル社会はできあがり、これからは細部の修正を行っていくのだ。民主主義とグローバル資本主義を、その内的問題を指摘しつつも一応受容し、たとえばアイデンティティ・ポリティクスのような、残された問題の処理を新たな知識人は担っていくのだ、と。しかしトランプ2.0によって、その前提自体が大きく揺らいでいる。
わたしは、フランシス・フクヤマの著書が、今で言うなら電車の釣り広告に載っていそうな本として少し小馬鹿にされていた空気を記憶しているし、同時にまた、自身があまり意識せずに前提としていた社会観のようなものが、リアルタイムで今揺らぎつつあるのも実感している。わたしたちの世代は社会に対して、良くも悪くも「押しても引いても動かない」ものというイメージを抱いていたと思うし、実際のところ日本社会はこの三十年間緩やかに衰退していくだけで、世界全体の秩序も短期的に激変することはなかった。
その状況がここ数年で、これもまた良くも悪くも随分と動いていて、その今から振り返ってみれば、既に2010年代からその萌芽はあったようにも思える。世の中が変化する時というのはそういうものなのだろう。それこそ東浩紀さんの「訂正可能性」ではないが、ある時点から過去を顧みて、遡及的に「本当はあの時すでにこうだった」と認識が変わっていく。それは人間の自然な反応だろう。それくらい人は愚かで鈍い。一旦状況が変わり、視点が変わってしまうと、それ以前の考え方がわからなくなってしまうほどに、現状肯定的でご都合主義なのだ。
少し寄り道になってしまうが、この三十年期で勢力を持ったポリティカル・コレクトネスやキャンセル・カルチャーについても、フラット化する社会に軸足をおいた批判のあり方だっただろう。既に過ぎ去った異なる時代状況で編まれたテクストや表現物であっても、この時代の公正さをもって遡及的に裁き、評価する。これは一元的でグローバルな秩序が、空間的だけではなく時間軸方向にも作用した例だと考えられる。
話を『喧嘩両成敗の誕生』に戻すなら、少なくともこの本が出版された2006年の時代状況において、中世社会的な多層秩序や自力救済システムは「今では考えられないもの」として捉えられていた。少なくとも、そのような留保をつけなければ、室町人の行動様式をそのコンテクストの中で適切に理解ができないかもしれない、と著者に思わせるほどに、公権力の一元支配や現行の法秩序は信じられていた。
それから二十年が経ってみると、もちろん中世に逆戻りなどとナイーヴに言うつもりはないが、アメリカの一極的支配が随分とおぼつかないものになってきたばかりではなく、そのアメリカ自身が積極的に孤立主義的姿勢をみせ、それと同期するかのように(そして実際に同じ背景から来ているのだろうが)、日本社会の中でも、かつてはラディカルに過ぎると眉をひそめられていたであろうような言説がはばかることなく発せられるようになり、SNS私刑に見られるような、(反公権力的)自力救済的振る舞いが目につくようになっている。
ついでに言うなら、かつて大切にされていた建前的な部分が減衰し、ヤケクソのような本音がてらいもなく剥き出しになっているようにも見える。一方で、表層的な社会活動については「お行儀の良い」振る舞いが浸透している感じもする。建前と本音の分離が激しくなったのかもしれないし、単に建前の位置がシフトしたのかもしれない。建前は社会的な約束事だから、内容が時代と共に移りゆくのは自然なことだ。また、前の世代が不合理な現実に対して理念的に掲げていたものが、次の世代では内面化され「本音」と化してしまう現象はよくある。サウジアラビアにおけるワッハービーヤの伸長のような、イスラーム主義の拡大などもこうした側面から理解することができると思う。コンプライアンス的な「お行儀の良さ」は、若い世代では既に「本音」になっているのかもしれない。
総じて言えるのは、人々の内面的には硬直した公正感覚があるものの、高みにある権力が(これもまた良くも悪くも)個々人を直接支配し、それこそ「喧嘩両成敗」するような構造がやや揺らぎ、これに代わって(時に複数の)帰属集団におけるローカルな秩序やその力による救済が頼りにされつつある。
かつて「フラット化への抵抗」を主張していたわたし自身を振り返れば、「お前の望んだ通りになったではないか」と揶揄されても仕方がないわけだが、もちろん現況が好ましいとは思っていないし、これから良くなるだろうとも思わない。ただ、自身が前提としていたコンテクストについて、十分に肯定的なものとして留保していたつもりではあったが、今から思えばまだまだ意識化が足りていなかったと反省する。
なんでもものの価値は失ってはじめてわかるものだが、わたしたちが持っていたのはかけがえのないものだった。
こちらの記事でご紹介した東浩紀さんの『平和と愚かさ』を是非参照して頂きたいが、第二次世界大戦後の秩序とは、「民族」単位での分断を前提とするものだった。
もちろん民族自決のポリシーは第一次世界大戦後のウィルソン米大統領に遡り、この特殊ヨーロッパ的と言ってよい領域国民国家モデルが無反省にアジア・アフリカ諸国に適用された結果、たとえば中東諸国にしばしば見られるような紛争の火種になってしまったことは言うまでもないが、二つの世界大戦を経てこのモデルはより拠って立つものとして信じられ、冷戦期を経て維持された。この分離が十分になされておらず、「帝国」的エートスが残されていたユーゴスラヴィアが、冷戦の終結と共に泥沼の民族紛争へと陥ってしまったことは、同書に詳しい。
改めて説明するまでもなく、ここで言う「民族」、ネイションとは仮構であり、完全なる「単一民族国家」や物理的国境によるその分離など幻想に過ぎないのだが、ともあれそういうフィクション、そして分離による平和というストーリーを元にして現行の世界秩序というものは築かれてきた。
その点では、冷戦終結後、「歴史の終わり」からの三十年期というのは、分離モデルを前提とした上で「帝国」的利得を回復しようとした捻れた時期だったのかもしれない。1993年に成立したEU、(当時の知識人には概ね楽観的に捉えられていた)インターネットの発達、グローバル資本主義の伸長は、領域国民国家モデル自体を損なわないまま、領域が曖昧で諸々の「民族」が入り混じる「帝国」の良い部分を実現しようとする営みだったとして読解することができるかもしれない。
言うまでもなく帝国は、無前提的に領域国民国家に優れるものではない。『平和と愚かさ』でのユーゴスラヴィアについての記述がよく示してくれているが、優勢・多数派の人々にとっては多様で自由な社会に映っても、見えないところで抑圧されている人々がいる。少なくとも、帝国の瓦解した後になってみれば「あの時わたしたちは全然幸せではなかった」と振り返り「訂正」する人たちがいる。だからこそ大戦後の分離的秩序は一定の支持を得たのだ。
「歴史の終わり」からの三十年期においても、すべての人々が「世界帝国」に賛同していたわけではない。知識人の中にも、肯定的な意見もあれば否定的な意見もあった。現時点や未来から(若い人々が)振り返った時に、この多様性や議論の複雑さが捨象されてしまわないよう願っている。しかし少なくとも、賛成するか反対するかはともかく、時代の流れとして概ねこのようなグローバル化は「前提とされていた」と思う。
この点で例えばアイデンティティ・ポリティクスは、いささか捻れを伴ったものとしてやがて振り返られるように予感している。これは特定の性質や指向を持つ人々を政治的に代弁する点で、特殊集団的で「ローカル」な面もあるが(これは紛れもなく、帝国において「あの時わたしたちは全然幸せではなかった」と告発することになるであろう人々の主張だ)、必ずしも分離主義的ではなく、ある属性をもって領域横断的な団結や政治的パワーの発揮を訴える点で、極めてグローバルでもある。もちろん、属性により取り出された人々が、この運動により「幸福」になるかどうかは別だし、支持するかどうかも別だ。「少数民族」が独立さえすればうまくいくわけではなく、帝国内で不可視化されている方が「得」な場合もあるように。
ともあれ、おそらく2025年前後を境として、人々の指向は再び領域国民国家モデルの方へと傾きつつあるようだ。しかし歴史は、循環的な一面を持ちながらも、一方向に進んで逆戻りすることはない。わたしたちは一旦「繋がりすぎて」いるのだから、元々仮構にすぎないネイションがこれからどれほどの力を維持できるのかはわからない。また特殊日本的な要素もあり得る。日本やタイ、イランのような「古い」国と、ネイション概念以降に成立した国々とでは事情が異なるだろう。
再び一元的な秩序が支配する、冷戦的二極構造になる、三極的な分断、あるいは中世的な多層システム、様々な可能性があるだろう。
ただ個人的になんとなく感じているのは、二十年前の『喧嘩両成敗の誕生』において描かれている中世の世界が、今の目から見るとそこまで極端に理解を超えるものではないことだ。わたしたちの世界は更新されるのではなく、古い価値の上に新しい価値、ローカルな価値の上にグローバルな価値が、地層のように積み重なっていく。田舎のヤンキーなら今でも「どこ中だよ!」とローカルで集団帰属的な啖呵を切っているだろう。そして人類の99%は「ヤンキー」的な普通の大衆で、非常に粗い言い方をさせて頂くならそういう中世と大差ない人々、かつてであればサバルタンとして黙らされていたかもしれない人々が、饒舌に語り「世界発信」する世界にわたしたちはいる。良くも悪くも世界がこれほど大衆的であった時代はないのではないかと思う。
地層は積み上がっていくのだから、上層には確かに現代的価値観があるし、公権力がいる。そして、フラットな世界はあくまで人々が望んだもので、大いに利得を与えてくれているのだ、とまさにそのフラット性に対する批判の中でかつてわたしが語っていたように、遍く照らす光が大衆にとって悪者なわけではない。それどころか、非常に大衆的・保守的でアンチ・グローバリゼーション的な指向の強まった現代日本においてすら、人々は「お上」が大好きである。この辺は特殊日本的な事情もあるのかもしれない。
中世においても、際限なく続く復讐合戦は人々の望むところではなかった。だからこそ「お上」に頼ったし、喧嘩両成敗的な秩序が醸成されたのだ。いかに人々が多層集団帰属的で、敵討ちの話が大好きで、現代においてもそのメンタリティを維持しているとは言っても、実際に直接関係のない復讐戦に巻き込まれたりするのは御免であろうし、なんの生産性もないことはわかっている。
一つ危惧しているのは、権力が自ら縮小しようとする傾向が強まっていることだ。トランプ政権しかりであるし、日本においても同様であろう。人々はこんなに「お上」が好きなのに、むしろ分離的で個人主義的な選択に傾いているように見える。公権力が減退すれば、一番最初に割を食うのは社会的な弱者のはずだ。ネイションの元であまりに個人的に分断されてしまった人々は、この時なにに寄って立つのだろうか。わたしたちの多くは、ソマリ人や中世人のような複雑で強力な人的ネットワークの中にはいないし、それに適応する能力を衰えさせて久しい。
とはいえ、一見矛盾するこの現象も、ただわたしの愚昧さや傲慢さが目を曇らせているだけで、素朴に一直線に大衆的なものなのかもしれない。人々はずっとこうなのかもしれない。それは正直よくわからない。
誰かが喧嘩を止めてくれることを願っている。
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余談になってしまうが、わたしはかねてから三十年周期説という、いささか眉唾な仮説を唱えていた。
あくまで与太話として聞いて頂きたいが、一つの切れ目は1965年で、日本で言えば高度経済成長が進行しテレビが普及し、ネイションと個々人が直接に(電波で!)繋がる一方、ローカルな秩序が衰退していった時期にあたる。『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(内山節、2007年11月)では、「狐に化かされる」ようなローカルな幻想がテレビの普及により弱体化していく(「国民」的幻想に取って代わられる)様が描かれている。正確に言えば、団塊の世代が若年層として力を持ち、大学紛争がピークに達した1968年をより重視した方が良いかもしれない。
次の切れ目は、日本においては1995年で、言うまでもなく『1995年』(速水健朗、2013年11月)をまず参照されたい。阪神淡路大震災、オウムによる地下鉄サリン事件の年であり、携帯電話やインターネットといった、現在のわたしたちが当たり前のものとしている仕組みが、一応一般の人々に普及してきた年である。
三十年周期でいくなら、次は2025年だと思っていたが、想像の斜め上をいく変化がやって来たようだ。今のところはっきりしている最も大きなできごとは第二次トランプ政権の成立だが、おそらく少し未来から振り返ってみれば、もっと多くのものごとがこの年の前後で変化しているのだろう。まさにその渦中にいるわたしたちがそれらを正確に掴むことは容易ではない。
さらにまったくどうでもいい個人的な話だが、わたしは大学受験時にセンター試験と二次試験で別の社会科科目を選択する必要があり、センターを日本史、二次試験を世界史にした。理由は漢字が苦手だからである。だから世界史の中でも中国史だけは好きになれなかった。
そういうわけで清水克行さんの日本史の本は、一般書とはいえ、わたしにとってはなかなか読むのが大変である。むしろソマリ社会やアラブ社会で例えてもらった方が、個人的には理解が早い。漢字が得意で日本史が好きな人なら逆の現象が起きるのかもしれない。
通底するロジックや相違点などが大変気軽に楽しめるので、高野秀行さんとの対談本は特にお勧めである。
東浩紀の『平和と愚かさ』は、読み進める間ずっとわたしの胸を震わせていた。これほどの良書に久しぶりに出会ったと思う。
まったく個人的なことだけれど、2022年頃からなにも言いたくなくなってしまった。年齢的なことや、私的環境のせいもあるかもしれない。でもそれだけではない。一つの契機はたぶん、ウクライナ戦争だった。ロシアの侵攻が始まった時、少なくない人々と同じようにわたしは驚愕し、目を疑い、それからしばらくして、いよいよ来るべき時が来たのかと絶望した。
一番怖いのはインフレではないかと、個人的に思っていた。もちろん、世界は常に緩やかなインフレ状態にあり、それ自体は資本主義の健全性を示しているのだろう。しかし急激なインフレとは、貨幣およびそれを裏打ちしている既存システムへの信頼が揺らぐことであって、一旦失われた信用はもしかすると簡単には戻せないかもしれない。わたしたちの生が依存するシステムは、とても危ういバランスの上にかろうじて成り立っているという不安がある。だからウクライナ侵攻に端を発してインフレが始まった時、大変申し訳ないが、ウクライナでの戦争それ自体より一層恐怖を覚えてしまった。
またもちろん、多くの人々が感じる通り、台湾危機との相似性についてもすぐに考えが及んだ。これも大変身勝手な話だ。「力による現状変更」を許さないことで中国に牽制をかけたい、というのは、わたしたちの平和を守るためにウクライナは火の玉になって戦ってくれ、というのと同じことで、考えるだけで正直恥ずかしい。逆の立場だったらどうなるのか。戦争の目的はもちろん第一に自国を守ること、主権を保つことだろうが、大国に隣接し属国化の危機にあるウクライナやその他の国々のために、世界のとりあえずの秩序を守るために、戦って死ぬような覚悟があるだろうか。率直に言ってわたしにそんな根性は全然ない。
もちろん、「戦争」は2022年2月24日に唐突に始まったわけではない。2014年のクリミア併合から既にウクライナは危機にあり、「戦争状態」に突入していた。わたしのような無知な人間が、その政治軍事的意味をはかりかねないまま、遠い国のできごととしてあまりリアリティを抱いていなかっただけだ。つまりは「平和ボケ」していたということだ。
「平和ボケ」という言葉は、普通は悪い意味で使う。しかし一方で、「ボケ」こそが平和なのではないか、という直観があった。本書は驚くほど平易に、平和の「ボケ」性というか、「平和ボケ」の得難い側面を描いてくれている。平和というのは単に戦争をしていないことではなく、戦争について(一般市民が)始終考えを巡らせたりしないで済んでいる状態のことだろう。つまり「ボケ」ていられるうちが平和ということだ。
多くのひとが平和だと感じる状況においては、ひとは戦争を戦っていないだけではない。そもそも戦争について考えていない。少なくとも考えないことが許されている。
けれどもウクライナ戦争以降、否定的な意味での「平和ボケ」が多く叫ばれ、とても多くの物事が政治的な色彩を帯びていった。それはそれで仕方がない、というか当然の成り行きだったと思う。しかしそれによって、ますます平和が困難になっているのではという、これも素朴な直観があった。
だから次の一節に出会って、自分がうまく言えなかったことを言ってもらえた気がした。
ぼくたちはいま、あまりにも政治について語りすぎている。そしてそのせいでどんどん平和から遠ざかっている。ぼくたちは、そのような政治への切迫こそが平和にとって最大の脅威になることを、いったん自覚しなければならない。
もちろん軍事や外交の専門家たちは、平時においても常に戦争を意識しているだろう。しかしその他大勢の市井の人々は、それについてそれほど考えてはいないし、考えないことが許されている。そういう「ボケ」た状態こそが平和なのではないか。
心臓外科医が常に心疾患のことを考えているのは当たり前だろう。しかし普通の人々は、自分や周囲の人が心疾患にかからない限り、毎日毎日心疾患の心配をして生きてはいないだろう。深く考えてこなかったがゆえに不摂生を重ねてある日突然心臓病になる、というケースももちろんあるだろうが、人間の「心配力」は有限だ。むしろ心配などしていない、安心している状態こそが好ましいはずだ。
愚かさは罪の源でもある。けれども現実には人間の能力には限界がある。あらゆる問題について合理的な判断を下し、道徳的な正しさを引き受けることができる人間など存在しない。ひとは弱い。だから賢さへの強迫が過剰だと、不安を感じ逃走してしまう。平和を感じることができなくなる。そしてより深い愚かさに突入する。
加えて言うなら、自分自身の中にも「政治的」な声があって、ひどく混乱していた。
ずっとボケていたかったのに、とんでもないことになってしまった。そう言ったら、これはこれでとても身勝手な不安だと思う。それが自覚できるから、安易に言葉を発せられなくなった。
不安から来る怒りや正義が喉元まで上がってくる。しかし同時に、そんな正義を疑い相対化することにこそ、知的な希望を抱いて自分は育ってきた。その前提が無造作に踏みにじられていく。どちらの側から語っても、ひどく薄っぺらく実のない言葉になるのではないか。あるいはもしかして、ちょっとした一言が「致命的」になるかもしれない。
自分は勇気も根性もないので、だんだんとなにも言いたくなくなっていった。
2022年以降、多くの専門家たちがテレビやYouTubeで語ってくれたおかげで、わたしたちはロシアとウクライナを巡る「地政学的」知識に多少なりとも触れる機会を得た。しかしそれ以前に、両国の関係についてざっくりとでも理解していた人がどれだけいただろうか。少なくともわたしはちっともわかっていなかった。
自分は個人的に、中東地域のごちゃごちゃとした関係については、日本人としてはかなり親しみがある。しかしロシアとその周辺国の事情については、平均的日本人と同じ程度に危うい知識しか持っていなかった。今だって本当のところは大してわかっていない。
この見通しの悪さというのも、自分の混乱の一因としてあったと思う。そう考えたところで、本書にユーゴスラヴィア紛争の話がでてきたことには、符牒めいたものを感じた。自分のような無知な人間にとって、ユーゴスラヴィア紛争は本当によくわからないごちゃごちゃしたできごとだったからだ。
個人的にユーゴスラヴィア紛争として最初に思い出すのは柴崎友香の『わたしがいなかった街で』(2012年)だ。震災後に書かれたこの小説が、直接震災を描くのではなくテレビの向こうにユーゴスラヴィア紛争を見る形で進むのは、本書第二部で取り上げられる村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』の扱うノモンハンにもオーバーラップする。
それはともかく、ユーゴスラヴィア紛争はよくわからなかった。自分はこの報道をリアルタイムで見た記憶がある。しかし湾岸戦争やイラク戦争、古くはベトナム戦争のような、よくも悪くも物語的に構図をとりやすい戦争と違って(もちろん実際には様々な側面があり、わたしたちが知っているのはメディアの作り上げた物語にすぎないのだが)、ユーゴスラヴィア紛争は各勢力が入り乱れてさっぱり全体像が掴めなかった。そこでは「虐殺」が行われているらしいこと、NATOが「空爆」しているらしいことはわかったが、誰が誰を攻めて殺しているのかもよくわからなかった。旧ユーゴスラヴィアという地域自体が多くの日本人にとってあまり馴染みがない。
だから歴史の中でのユーゴスラヴィア紛争の位置づけをざっくりと説いてくれているだけでも、ありがたかった。
第一次大戦によってかつての帝国が解体され、民族自決の理念が謳い上げられ、少数民族の権利保護が理想として掲げられた。これはポジティヴな方針ではあるが、一方で少数民族の保護は他国への介入の口実になる。ナチスドイツはドイツ系住民の保護を口実にズデーテンの割譲を要求した。
第二次世界大戦後、これらの失敗への反省から、少数民族の保護ではなく国民統合の強化がはかられるようになった。多少強引でも、ひとつの民族をひとつの土地にまとめてしまうほうが、戦争の災禍よりはマシだと考えられた。
ユーゴスラヴィアは数少ない例外として残されていたが、冷戦の終了、ソ連の崩壊によりたがが緩むと、泥沼の内戦と民族浄化へと突き進んでしまった。
結果、現在の旧ユーゴ地域は、第二次世界大戦後の東欧のように「民族整理」が進められ、隔離による平和が確立された。それは好ましいことではある。
しかし同時に、かつてあった共生の平和の記憶も忘れていない。そのことが本書では、「共生時代」であったサラエヴォ冬季五輪と内戦の記憶が一つの観光地図の中に重ね合わされていることに読み取られている。
共生と隔離はある意味では相容れないし、対概念かもしれない。しかしどちらが正しくどちらが間違っているわけでもない。わたしたちは現在、共生の平和を美化して夢想しがちだが(左派的視点)、それは基本的には隔離によって成立している平和を前提としている。一方で隔離が平和を築くとしても(右派的視点)、共生の平和が不可能なわけではないし、完全な隔離など夢物語である以上、既にわたしたちは一定程度は共生してしまっている。
隔離を叫べば左派から批判されるし、共生を言えば右派から叩かれる。隔離と共生というのは、もしかするとどちらも声高には主張されず、はっきりと意識されないことにこそ、平和があるのかもしれない。ここにも「ボケ」による平和がある。
もちろん「ボケ」が可能になった背後には、実際的な政治的営為があったに違いない。逆に、「ボケ」のためにこそ政治的奮闘があるとも言える。誰一人いつ何時も「ボケ」ていられないなら、なんのための努力だかわからない。
わたしたちは政治的に隔離や共生をはかる一方、それを忘却して平和を享受もする(この二面性は、本書後半で「客的ー裏方的二重体」という概念で説明されている)。
たしかに政治こそが平和をつくるのかもしれない。しかしそれは平和が政治的な概念であることを意味しない。むしろぼくたちは、平和が本質的に政治とあいいれない概念だからこそ、それを政治によって確保しようとするのではないだろうか。
「ボケ」としての平和は危ういバランスの上に成り立っている。単に裏方的政治的営為に支えられているというだけでなく、その平和な世の中で不可視化されていた人々、なんらかの被害を受けていた人々によって、「じつは平和ではなかった」「お前たちの平和はわたしたちの犠牲の上に成っていた」と訂正される可能性をうちに含んでいるからだ。
平和とは考えないことが広く許されているということなのだから、それはすなわち愚かさが広く許されるということである。
しかしひとは愚かだと悪をなす。だから平和は本質的に加害の可能性に結びついている。
平和は愚かだ。それゆえ平和の記憶はつねに告発に開かれている。そして平和の記憶は告発の瞬間に煙のように消え去る。
霧散の可能性と背中合わせの平和はとても不安だ。この緊張感こそが平和の証なのだから、わたしたちはそれに耐えるしかないのだけれど、せっかくの平和を打ち消さないで欲しい、訂正しないで欲しい、という気持ちも大変よくわかる。
歴史修正主義者は必ずしも差別主義者というわけではない。軍国主義者でもない。むしろ彼らは平和を愛している。人々が平和に暮らしていた、そんな時代の記憶を引き継ぎたいと考えている。
わたし個人は、「告発」の正義を割合に信じる文脈の中で育ってきた。一見平和に見える世の中で虐げられている人々、弱い立場の人々の側に立つことが「正義」だと感じていた。そうした「正義」は、絶え間ない歴史の「訂正」を要求する。一定程度それを受け続けることは、包括的な平和の維持にとっても必要なことだと思う。しかし「正義」をあまりに徹底すれば、終わりのない復讐合戦に陥ってしまう危険もある。それを避けるには、ある程度の「忘却」が必要になってくる。
本書ではこのことが、シュミットの言葉を引いて指摘されている。
もし全面的な破局を避けたいのであれば「忘却の力」に頼るほかないこと、具体的には「過去をほじくり、そこからさらなる復讐や一層の賠償請求を呼び起こすことを、厳に禁じる」しかない
平和は考えないことと関係しているだけではない。きっと忘れることとも関係している。
この下りを読みながら、わたしは時効のことを考えていた。様々な法的権利には時効が設定されている。告発や訂正が「正当」だとしても、無限の請求が可能なわけではない。
同時にまた、2010年の法改正で殺人罪の時効が廃止されたことや、動画撮影が非常に簡便になりあらゆる場所に防犯カメラが設置された社会についても考えた。つまりかつてより粘り強く徹底した「訂正」が可能になったこの世界のことだ。
言うまでもなく、これらは社会を「より良く」するためのものだし、それにより救われた人々もいれば、わたし自身も助かっていると思う。暗い道に街頭がつけば、人は安心する。
一方で過剰に記憶され忘却を許さなくなった社会が、際限のない「正義」を求め「訂正」を繰り返し、ある種の内戦へと陥っていく不安も感じる。あるいは既に、過剰記憶による内戦の中にわたしたちはいるのかもしれない。一切の暗がりがなくなった世界とは、あまりにも完全な記憶が絶え間なく人々を復讐へと駆り立てる世界なのではないか。
繰り返すけれど、告発は「正義」ではある。自分自身はそうした「正義」をむしろ信じる側だった。「忘れてくれ」というのは、強い側、多数派の側の身勝手な言い分だ。
一方で、いつまでも忘れないこともまた平和を脅かし、脅かされたと思った「強者」の側を恐怖に駆り立て、より一層の弾圧や暴力への端緒となってしまうかもしれない。いや、実際に既にそうなっているだろう。
もちろん、結論などない。ここでどちらかの側を社会の指針として取り上げ他方を捨象するのは、まさに反ー平和的な政治だろう。そうならないギリギリのところで政治は動かなければならないと思う。
本書の第一部について簡単な感想を書こうとしただけなのに、驚くほど冗長でまとまりのない文章になってしまった。少し恥ずかしい。
こんなどうでもいい記事を読むより、とにかく本書を手にとって読んで欲しい。驚くほど平易で、本を読み慣れない人や若い世代へも配慮が行き届いている。
一人でも多くの人がこの本を、せめて第一部だけでも読んで、あまりにも複雑な状況と様々な可能性について思いを巡らせ、簡単な結論に飛びつかない思慮を学び取って欲しいと、世界の片隅で願っている。
多分、高校生ぐらいの頃に一度は読み、新訳が出てコロナ禍で流行ったものの斜に構えて機を逸し、今頃になって読んでみた者の簡単な覚え書きです。
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