Advertise with Googlier.com COLORS http://10-colors.com もっと自分らしく輝く!十人十色のライフスタイル提案メディア Wed, 13 Apr 2022 05:47:40 +0000 ja hourly 1 https://i0.wp.com/10-colors.com/wp/wp-content/uploads/2020/08/cropped-67745-1.jpg?fit=32%2C32 COLORS http://10-colors.com 32 32 143262478 Rion Watley&hiiインタビュー「“イキシニ”公演を終えて」 http://10-colors.com/4303/ Wed, 13 Apr 2022 05:29:25 +0000 http://10-colors.com/?p=4303

—先日の”イキシニ”3公演終わってみていかがでしたか? ▪️Rion▪️ 言葉にすると難しいのですが、現在の世 ... ]]>

—先日の”イキシニ”3公演終わってみていかがでしたか?

▪️Rion▪️

言葉にすると難しいのですが、現在の世界や、自分が生きている環境での当たり前に大事なモノや

ピュアでシンプルな感覚を直接観て感じてもらう場所を創れて、今伝えれるベストは伝え切れたと思います。

◻︎hii◻︎

『生きる。死ぬ』に改めて向き合う時間が増えて良い機会だったと思うし、それを表現することによってお客様と体感する空間を創ることができたことに喜びを感じました。

そして何よりRionさんと表現できて嬉しかったです。

 

—楽しかったこと、辛かったことはありましたか。

▪️Rion▪️

今回ダンサーとして踊るという事や踊りに関する事だけじゃなく

音や映像、照明や舞台の装飾、

衣装やメイクのイメージと色々な事に自分が決めたり指示を出させていただいて

改めて大変さと、新鮮な楽しさを教えていただきました。

◻︎hii◻︎

今回は、モデルとしてだけでなく踊りと表現と全体をまわすとゆうことの大変さが、沢山の学びになり楽しさになりました。

『hiiなら大丈夫』とゆうRionさんの言葉がhiiにとって励みでした。

『ありがとう』でいっぱいです。

—hiiさんからの公演のお誘いだったと聞きましたが、モデルの方と公演をしてみてどうでしたか?

▪️Rion▪️

モデルさんとのコラボは初めてだったのですが、基本的にこうゆう出逢いに関しては直感的に感じて答えを出すタイプなので

誘われてすぐに自分の頭の中で作品の構成が出来て、とてもワクワクさせてもらいました!

 

—hiiさん凄い方に声掛けましたね。

ダンサーのRionさんと公演をしてみてどうでしたか?

◻︎hii◻︎

凄い方とは勿論わかっていたのですが、直感でRionさんと作品をつくったら絶対楽しいものができる。

とゆう自信があったので声掛けさせていただきました!

すぐにokのお返事をいただいてワクワクしてました。

3公演中もRionさんと一緒に創っていくことが楽しくてワクワクしてました!

 

—Rionさんは、公演の作品をよくつくられるのですか。

“イキシニ”をつくってみていかがでしたか?

▪️Rion▪️

普段は短い踊りの作品や、映像作品などは作っていたのですが長尺の公演の作品自体はこれが初めてに近いかもしれません。

自分にとってもイキシニってテーマは常に感じながら生きてきたので、作品と自分の調和が上手く出来た気がするので楽しかったです。

 

—稽古はいつからはじめたのですか?

どんな稽古をしたのでしようか。

▪️Rion ▪️

稽古は4ヶ月前ぐらいから本格的に始めて

稽古内容は基本的に即興で

俺が頭の中にある、俺とhiiの見ていく景色や場所をシェアしながら決めて

それに対して動きの具体的な形や、振付け 構成を決めていきました。

なるべくイキ シニが人間の物差しだけで計った感覚や概念にしたくなくて、純粋な部分や直感的なモノを大事に手繰り寄せていった感じです。

—Rionさんにとって今後挑戦したいことはなんですか。

▪️Rion▪️

自分の踊りを貫きながらも柔軟に、

自分の踊りが出来る全ての事に可能性を感じて

決め付ける事なく何でも挑戦していきたいです。

あとは自分にしか出来ない事(踊り)を常にやっていきたいです。

 

—hiiさんはこれからも踊りに挑戦していかれるのですか。

◻︎hii◻︎

踊りの世界はまた奥深いと思いますが。

踊りにどハマりしました。

モデルとして表現者として踊りと向き合い

これからも日々学んで私らしさを革命していきたいです。

すごく踊ること表現することが楽しくて好きになりました!!

■出演アーティスト
・ Direction/dancer:
 Rion Watley
・producer/model:
 hii
・film : seijiro 
・photo:Tomoyasu Ohno
・hair make:Junya Hirota 
・stylist:
Aki Nagano (TEAM COLORS)
・sound/design:Kou
・support:Noyu Kawauchi
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4303
ダンサーRion Watley×モデルhii 一日限定のプレミアムダンスショー『イキシニ』 http://10-colors.com/3900/ Tue, 18 Jan 2022 09:32:46 +0000 http://10-colors.com/?p=3900

スチル、ランウェイ、そしてインスタレーションと様々な表現に対応し、業界内評価を得ているモデルのhiiが、この度 ... ]]>

スチル、ランウェイ、そしてインスタレーションと様々な表現に対応し、業界内評価を得ているモデルのhiiが、この度ダンスに挑戦するとのこと。

タッグを組むは、MISIAやアイナ・ジ・エンドとの共演でも大きな話題となった、日本屈指の本格派ダンサー、Rion Watley。

元映画館と言う風情たっぷりの会場にて、一日限定で行われるこのダンスショーをお見逃しなく!

 

 

“イキシニ”

常に動き、移り変わり、
只々そこに在る イキ(生)シニ(死)。

身体から外へ
外から中へ

喜びが繋がりを温かく 白(イキ)が
悲しみが拒絶を冷たく 黒(シニ)が

広がる白(生)に
忍び寄る黒(死)が呑み込む。

善悪を超えて、只々イキシニが。

 

■日付
 2022.03.12(sat)

■時間
 <1st Stage>
 13:30- Open
 14:00- Start
 15:00- Free Time
 15:30 Close

<2nd Stage>
 16:30- Open
 17:00- Start
 18:00- Free Time
 18:30 Close

<3rd Stage>
 19:00- Open
 19:30- Start
 20:30- Free Time
 21:00 Close

■会場
 元映画館
 〒116-0014 東京都荒川区東日暮里3丁目31−18 旭ビル 2F
 https://www.moto-eigakan.com/access

■チケット
 前売り:¥4,000(税込)
 当日:¥4,500(税込)
 チケット申込みフォーム:https://forms.gle/2qYjN7hms78shALQ9
 ※事前にこちらのフォームよりご予約/チケット代お振込のご協力お願いいたします。
 ※申込フォームご回答後、3日以内にチケット代のお振込のご協力お願いいたします。

■出演アーティスト/Instagram
 ・dancer:@nouses_rion
 ・dancer/model:@hii_deka_hii
 ・film : @ss.vid
 ・photo:@tomoyasu.ohno
 ・hair make:@hirojunster
 ・stylist:@aki_nagano_ (TEAM COLORS)
 ・sound/design:@nouses_kou
 ・support:@_noyu_

■チケットのお支払いについて
 <お支払い方法>
 事前銀行振込
 ※チケット申込フォームご回答より3日以内にお振込のご協力お願いいたします。

<お振込先>
 銀行名:京葉銀行
 口座番号:3498911
 店名:本店営業部
 口座名義:アサクラヒトミ

■注意事項
 ・お飲み物のみ持ち込み可。(※ゴミは各自お持ち帰りのご協力お願いいたします。)
 <COVID-19 measures>
 ・入場前の検温、換気タイム、アルコール消毒にご協力をお願いいたします。
 ・マスクは飲み物を飲む時以外、基本的に着用の上お楽しみください。
 ・当日、発熱(37.5度以上)・咳等の症状がある方はご来場をお控えください。
 ・近新者。又は濃厚接触者に新型コロナウイルス感染症の疑いのある方がいらっしゃる場合はご来場をお控えください。
 ・過去14日以内に政府から入国制限、入国後の観察機関を必要とされている国、地域等への渡航、または当該在住者との濃厚接触がある場合はご来場をお控えください。
 ・イベント終了後2週間以内に新型コロナウイルス感染症を発症した場合は、
 主催者に対して速やかに濃厚接触者の有無についてご報告ください。
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3900
【O.De.Ka.Keプロジェクト2021】O.De.Ka.Ke×企業×学生がコラボレーション!SDGsをテーマにしたコレクションを発表 http://10-colors.com/3651/ Fri, 19 Nov 2021 04:16:14 +0000 http://10-colors.com/?p=3651

モデルhiiが率いるO.De.Ka.Keプロジェクトが、SDGsをテーマにファッションショーを発表した。 マネ ... ]]>

モデルhiiが率いるO.De.Ka.Keプロジェクトが、SDGsをテーマにファッションショーを発表した。

マネキンやトルソー、什器などを国内外に展開する株式会社アップルコーポレーションとタッグを組み、アパレル企業から残布の提供を受け、カラフルなマネキンを制作。

また、将来ファッション界を担う学生とともに、それぞれ学生が思うSDGsをテーマに、考えるきっか
けになる服を発表。

ショーの舞台はマネキン倉庫。

学生の作る服がマネキンに息を吹き込みマネキンが動き出すというストーリー。

6体のマネキンが倉庫を舞台にランウェイを繰り広げます。

この模様はYouTubeにてアーカイブが楽しめるとのこと。

 

 

Theme 「 再生 」~ わたしを再生するオデカケ ~

今こそ、未来に向け新たな一歩を踏み出そう。そして私たちも自分らしく『 再生 』しよう。

ファッションを通して、それぞれが想う再生のイメージを作り上げる。

世界中の様々な国で、環境問題・貧困・紛争・人権問題、多くの困難に直面している。

そしてコロナによって止まってしまった世の中…。

あたりまえだと思っていた日常というものが失われてしまった。

生活に必要不可欠な衣・食・住。

コロナ禍でファッションは不要不急なのではないかと言われるようになってしまったこの世の中で、
今だからこそ、衣の重要性、ファッションが持つ可能性を伝え、盛り上げたい。

そして、作品のテーマにSDGs ( 持続可能な目標 ) を掲げ、見た人一人一人が考えるきっかけになればと願います。

Model / Designer

SAE / Yume Ueno
Yuri / Hina Mabuchi
SUI / Honoka Kawazoe
ERI / Hitomi Yamamoto
SATSUKI / Miyu Noda
hii / Rina Yanagisawa

Member

Producer / hii
Director / Jyunn
Videographer / Seijiro Suzuki
Still photogrper / Takumaru Isshiki
Make-up / Emi Sugiyama
Hair / Junya Hirota
Choreographer / Mizuki
Still assistant / Tou Shigekazu & Nbutterfly

SPONSORSHIP COMPANY BRAND

APPLE
N+
NEWYORKER

PROJECT
O.De.Ka.Ke

 

O.De.Ka.Keプロジェクトについて

2016年より、外へ ’’オデカケ” しに行くというテーマのもと、見る人が “笑顔になれる” ようなワクワクするFashion Showや展示会を、多数のブランドとタッグを組み作り続けている。

今回は新たな試みとして、これからファッション業界で活躍していく学生とコラボし、一つのショーを作り上げた。

 

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モデルhiiのディレクションする『えがお てん』がいよいよ明日より開催! http://10-colors.com/3401/ Sat, 25 Sep 2021 09:29:42 +0000 http://10-colors.com/?p=3401

  えがお てん “えがお”はあなたの大切な人に繋がっていく 繋がった”えがお”は伝わった人から 別 ... ]]>

 

えがお てん
“えがお”はあなたの大切な人に繋がっていく
繋がった”えがお”は伝わった人から
別の誰かへと繋がっていく
そんな”えがお”を繋げていく展示です。

日程:
2021/09/26(SUN)
10:00-17:00

2021/09/27(MON)
10:00-16:00

展示場所:
Art Space Cafe’PaPa
千葉県習志野市本大久保2-10-29
コスタボダハウス1階
京成大久保駅より徒歩1分

私hiiの地元千葉で開催することにしました。

“えがお”写真に御協力のみなさまありがとうございます。
“えがお”写真は随時募集しております!

みなさま、体調には充分に気をつけてお待ちしてます。
“えがお”が届きますように⭐️⭐️⭐️

produce / photo(携帯):hii

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「物作りは恋人への想いと同じ」靴職人/アーティスト花田優一さん独占インタビュー http://10-colors.com/3039/ Tue, 23 Feb 2021 15:03:49 +0000 http://10-colors.com/?p=3039

2月7日に工房の一般公開を発表した靴職人/アーティストである花田優一さんのアトリエに潜入し、本誌独占インタビュ ... ]]>

2月7日に工房の一般公開を発表した靴職人/アーティストである花田優一さんのアトリエに潜入し、本誌独占インタビューを敢行。
創作活動を始めたきっかけ、物作りへの哲学、繋げていきたい想いをCOLORSだけに聞かせてもらいました。

―月並みな質問から失礼しますが、何故、靴作りを始めたのでしょうか?

誤解を恐れず言うと、最初から「どうしても靴じゃなければ!」という熱量ではなかったんですよね。
一番近いイメージが恋人を作るようなもの。
上手くいくかどうかは分からないけれど、気になるし好きだから付き合ってみようと思う。
そして実際に付き合ってみたら上手くいっただけなんです。

―とても私達に伝わりやすく、かつ詩的な表現で素敵です。
とは言え、何不自由無い日本の生活を捨て、未成年が単身イタリアで暮らすのは相当な覚悟がいることです。
そこまで踏み出せたのは何故ですか?

10代の頃の原動力は、とにかく同級生達より圧倒的に突き抜けたいという想いからでした。
社会に出たら横並びで一斉スタートになっちゃうじゃないですか?
そうなる前になるべく早く差をつけたかった。

二十歳までには自分で食えるようになりたい、だったら十八からでも遅いくらい。
親父に関して言えば、二十二で天下獲ってますからね。

花田の家系は皆十代の内に力士になってるから、僕も半強制的にも自分の道を決めなきゃいけない気がしていた。
普通の大学に行ってから卒業してからようやく就職するという時間軸じゃなかったんです。

―なるほど、一歩も二歩も先んじるそのスピード感、その危機感のルーツに納得出来ました。
将来に不安だからととりあえず猶予期間のように大学行き、並べられた選択肢の中から就職する。
そんな職業選択がまだまだ多く残る現代において、
安定ルートを通らずに不安定な職人の道を選んだのは何故ですか?

シンプルに横並びの人生が嫌っていうのはありましたね。
男女問わず、個性を持っている人が恰好良いと思っていました。

でも実際なってみたら、めちゃくちゃ大変だからお勧めはしないですけどね(笑)
アーティストや職人が、自分の名前と責任で食っていこうとすると、
病んで自殺してしまうまで自分を追い込んでしまう気持ちも分からなくは無いです。
比喩じゃなく、一歩間違えば、死んじゃいますから。

例えば相撲も凄い厳しい世界ではありますが、国技として尊敬され、協会があって、土俵があって、お客さんがいて…、
と全てが整った中で勝負に集中出来ますが、
靴に関して言うと、自分で宣伝して、自分でお客さんをとってきて、ようやく作ったものを発表出来る。
それも束の間、ちょっとでも評価が下がれば、地の底に落とされる。

そんな生き方は間違いなく、楽しい日々より死にたくなる日の方が多い。
大きな不安と一瞬の安堵、その繰り返しですね。

まあ、だからこそ、この険しい道に敢えて、この世界に臨みたいと思ってくれる若い世代の為に、道を切り拓いていきたいですけどね。

―「靴だけ作ってればいいのに」「なんで職人が芸能界に出てくるんだ」と言う世論に、今の言葉聞かせてやりたいです。
花田さんが矢面に立たなければ、“靴職人”という単語すら言葉にされることもなかった。
ある程度整備されてる道でなく、今まさにその身で突き進むことで轍を作っているんですね。

はい、別に目立ちたくもないですが、もっと純粋に物作りに集中出来る、職人が憧れられる社会になって欲しいですね。
だからこそ今はメディアのオファーはなるべく断らず、後進の為にも職人を広く世間に知ってもらう為に露出しています。

「靴だけ作ってろ」というのは、芸人さんに「ステージで漫才だけやって、テレビには出るな」と言ってるのと一緒。
いや、それどころかモデルや歌手や作家にスポーツ選手、テレビに出てる人は皆ほとんどが本業を持っていますよね。

―有名人だけに轍を切り拓いてゆく辛さは私達の想像を絶する痛みを伴うものだと思います。
一方でもう少しミクロ的視点、COLORS読者層のような一作家としての大変さみたいなものはありましたか?

それで言えば、挫折の原体験と感じたのはイタリア修行時代に革一枚をぽんと渡され、靴を作れと言われた時。
当たり前ですが、平面の革を、立体的な靴にする、というのは本当に無謀に思えた。
しかもイタリア語も分からない、「いや、無理だろ…」って人生初めて思ったのは、その時ですね。

もちろん今思えば、あんなに幸せなことは無いですけどね。
あの時は靴だけ作ってればよかった、世間と戦うこともないですし。

イタリア行く前にアメリカに留学していたのですが、その時初めて父に「靴職人になりたい」と相談したんですね。
すると「学校の成績は何番だ?」と言われた。
「下から数えた方が早いです」と言ったら、「教科書のある世界で一番になれない奴は、自分の教科書を作らなきゃいけない職人の世界で通用するわけない」と一蹴されました。
それから勉学に励んで、イタリアに行けることになりました。
修行が苦しい中でも、フィレンツェでの日々は、心から自分のやりたいことをやれている止め処ない興奮と、ただただ前に進めていると自信を感じる時間でしたね。

―若かりし頃はどうしても自分の置かれている環境への感謝や幸せを実感しづらいですもんね。
逆に当時から今でも変わってない部分はありますか?
きついなりに自分のやりたいことだけを追求出来ていた時期。
そして今、独立し様々な波とも戦うこととなっている時期と比較しても、
根っこにある部分と言いますか。

はい、あります。
それは「圧倒的な個性しか生き残らない」ということです。
老若男女問わず、僕が心から格好良いと思える人は、
その人にしか出来ないこと、オリジナリティある生き方をしていた。

周りに言われたからやるのではなく、時に抗っても自分を曲げない。

良い大学を出て良い就職をして、行列からはみ出さないように生きていくのが今の日本じゃないですか?
「でも俺はこれがいいと思うんです」と敵を作っても声を大にして言えるか?と今も自分に問いかけてます。

だからアーティストって魅力的な人生なんだと思う。

この先もっと科学が発展し、ロボットが当たり前の時代になった時に横並びの仕事は奪われていきます。

その時、誰も真似出来ない圧倒的個性が生き残るんです。

ただね、良くも悪くも世間に晒されれば個性は出ますが、
やっぱり僕みたいな生き方は苦しいと思う。

だからこそこの道を後に続く人達がいるのだとしたら、僕だけは無条件で味方でいてあげたい。

若くしてのし上がろうとする子達を目の敵にして、自分が夢を諦めた捌け口に芽を摘んでいく大人達いますよね。

「お前等だって失敗しながら登ってきたんだろう、我慢して歳とってからじゃないと成功しちゃいけないのかよ?」
って思うんです。

だからこそ圧倒的実力や結果も示して、黙らせたい。
その為には僕も口だけじゃなく自分自身も成長していかなきゃいけない。

―何故、日本はそういった「出る杭は打たれる」社会が未だに横行しているのでしょう?

例えば、今芸能で頑張っている若い世代も沢山いらっしゃいますが、それでもほとんどが大手事務所のバックの力に依るところが大きいと思います。

ユーチューバー等が一夜にしてアメリカンドリームを掴む、十代が当たり前のように起業する海外からして見たら、あまりに旧態依然のシステム。

そうではなく、若者が自分の力でも登りつめることがで出来る土壌なりを国や企業が支援しなくてはいけない。

恐らく鎖国していた時代が長いから、「村八分」の根性が根深いんじゃないですか?
出る杭は打たれ、皆で足を引っ張り合い、誰一人はみ出すことなく我慢し合おうの国民性。

―そこを25歳の若さで辿り着けていることがすごい。
ご自身では「もう遅いくらい」と仰ってましたが、
他の同世代は社会人三年目、世間に揉まれ自分のことだけで精一杯だと思います。
客観的に見て花田さんは変容してしていくスピード感が他者のそれとは違うと感じます。
一本曲げない軸はブレてないとは言え、21歳で初めて本を出した当時から変わった部分はありますか?
例えば、当時の本には「リピーターは要らない」と書いてあります。

俺そんな生意気なこと言ってたんですね(苦笑)
いや、普通にリピーターは必要。
でもその時そう言った気持ちも分かるんですよ。
修理しなくとも何十年も履ける最高の靴を作りたいと思った、それがお客様に対する最高のサービス提供だと思ったんです。
あれから商売を続けてきて、今は素直にリピーターは必要と言えます。
と言うより、用がなくとも常連さんがふらっと話にきてくれるような職人でありたいと思えるようになりましたね。
そんな変化はありました。

―自分の言ったことを覆せる、変に取り繕わずに自分の恰好悪さを認められることは恰好良いと思います。

でもそれをメディアは嘘吐きと掻き立てるんですよね。

出版の話がきた時に「自伝を書いて欲しい」と言われたんですよ。
21のガキですよ?自伝を書くなんて、「だったら親父にオファーした方が良いですよ」と言いました。
でも僕が書くんだったら、大人になって見返した時に恥ずかしくなるようなものを書きたいと思った。
21のクソガキだからこそ抱けた絶対的な価値観を、世間に晒す、それって面白いと思ったんです。

きっと今再び本を書いても、また十年後の僕は「粋がいいな、生意気なこと言ってるな」と思うはずなんです。
これからも僕はきっと変化を伴う成長は続けます。
でもそこに嘘がないことは自分が一番良く分かっています。

あとは丸くなったと言うか、素直に人の意見に耳を傾けられるようになった。
かつての僕は自分や師匠の意見だけが絶対的だった、他人とは「分かり合えなくてもいい」とさえ思ってましたが、
今は人の言葉も自分の糧にしようと思えるようになった、少しはね。

幾らアーティストになりたいと思っても、昭和平成の成功モデルと令和のそれは変わりました。

今はネットも普及し、国境もあってないようなものになり、諸先輩方が時代に対応出来なくなっていくのを見て、
俺は耳を傾けられる職人、変化し続けられるアーティストになろうと思いました。

細かい理由を除いて、職人が消えゆく一番の理由は、職人と一般人を繋ぐものが極端に少なくなっているから。

アーティストって浮世離れした理解されがたい部分が魅力だけれど、とは言え消費者は一般層なんだから、理解だけはしてもらわないとならない。

特別なものを生み出すんだけど、常識も理解しないといけない、バランス感覚ですよね。

頑固で昔堅気の職人気質だけではこれからは駄目、時代に合わせて変化していくことで、新しい個性になるんです。

―メディアの切り取り方って、世間分かりやすく受けるために酷く両極端なアングルを描きますが、
人間ってそんなステロタイプにカテゴライズ出来るもんじゃないですよね。
花田さんも然り、冷静と情熱、狂気と柔和が共存し、確固たる意志を持ちながら、普通に凹む繊細な心もお持ちである。
そんな人間らしいバランス感覚をお持ちになっている等身大の男性の花田さんがとてもキュートです。
次に物作りにおけるマインドセット、ご自身に課しているものがあればお聞きしたいのですが。

僕等って工業製品的な物作りをしてないじゃないですか。
作っているのは靴だけれど、作業者ではなく創作者と言うか。
僕の魂から絞り出す一滴が靴に凝縮されているんです。

だから人にも自分にも日常で嘘ついてたら、それは作品に出てしまう。
だからどれだけ真っすぐな自分であれるかは心がけてますね。

いつも取り繕って生きている人は、言い訳じみた歌詞になるし、
いつもがむしゃらに生きている人は、真っすぐな歌詞を書くと思う。
だから人間性を極めていけばどんな分野も必ず成功すると思っています。

―それで言えば、靴作りだけでなく、花田さんは歌や絵も嗜んでらっしゃいますよね。
恐らく誰もが聞きたい質問の一つであろうと思いますが、それらの違いや、やる意味を教えて頂けますか?

「これが金になるからやる」って世界じゃないじゃないですか、アーティストは。
“優一”という僕が絞り出すものに興味を持ってくれる人がいて、そこにお金が発生するだけ。

よく「手広くやらずに、一個を極めろ」と言われますが、靴も絵も歌も、物作りには変わりはない。

今ある騒動も含め、花田優一に興味がある人達が手に出来るソースを色んな分野で広げるだけ。
その軸となっている、僕の魂のエッセンスは全ての作品に込められているんです。

「一個に絞れ」と言ってくる人に対しては、「貴方のキャパでは一個しか出来なかっただけでしょ」としか言えないですね。
例えば、サラリーマンが休日釣りに行っている時間に、それを仕事にし、それにお金を払ってでも求めてくれる人がいるだけ。
もちろん一個だけを追及する素晴らしさもあるとは思いますが、僕は色んな分野から刺激をもらうことで、色んな分野に刺激も返せる性分なんです。

―今もそうですが、花田さんは言語化や物や形にすることが飛び抜けていますよね。
本当は誰もが抱いている想いや理想や感情を、創作活動、表現活動に具現化している。

そう、だから恋愛と一緒なんですよ!
好きな人を手に入れたいとき、あらゆる形で想いを届けようとするでしょ?
想いの溢れるままやりたいことをやればいい。自信を持って表現すればいい。
そこに世間の常識やノイズに囚われない欲しいんです。
アーティストは目に見えないものを見えるようにする仕事だから。

―すごい、綺麗に一番最初の恋愛の話に戻ってきました(笑)
最後に今後の展望についてお聞かせ頂けますか?

本当は別に国内だけでの成功に興味はなくて、今年の3月に生活の拠点をアメリカに移そうと思ってたんですよ。

そして一月にもアルバムをリリースしたがコロナでライブも出来なくなってしまった。

製作活動は変わりなく進めていきますが、やはり個展や展示会、ライブ等大好きな人との触れ合いが出来なくなってしまったから、一般に向けた工房見学を始めたんです。

ですから良く聞かれますが、本当に一般層の人やファンも来て欲しいですね。
テレビ等の媒体は多くのファンを増やすことは出来るかもしれないが、やはり一人ひとりの顔を見て言葉を交わすのはやはり違いますから。
いつでもお待ちしています。

(了)

作品以上、活動以上に知名度が先行してしまっていた花田さんの貴重な肉声。

アートを知らない人は作品しか見ないけれど、こうして言葉を媒介することで、より作品や花田さんへの理解が深まりました。

どこの誰が言ったかも知らない聞き伝ての噂話でなく、花田優一という一人の人間と向き合い、その口から紡がれる言葉に耳を傾けて欲しい。

だからこそ彼を訪ねてもらいたいです、フラットな目線で見た時YUICHI HANADAの作品の魅力はより輝き、その愛着は圧倒的に高まるはず。

花田優一

靴職人/アーティスト/デザイナー

URL:[HP]https://www.yuichi-hanada.co.jp/
[Blog]花田優一オフィシャルブログ Powered by Ameba (ameblo.jp)
[Instagram]花田優一 Yuichi Hanada(@yuichihanada_official)

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「持たざる者の逆襲」ストリートフォトグラファー小儀昌弘さんインタビュー http://10-colors.com/2766/ Sun, 08 Nov 2020 13:16:38 +0000 http://10-colors.com/?p=2766

あの東京コレクションの公式フォトグラファーに選出され、また匿名のまま日本のストリートカルチャーの〝失われた十年 ... ]]>

あの東京コレクションの公式フォトグラファーに選出され、また匿名のまま日本のストリートカルチャーの〝失われた十年〟を世界に発信し続けた立役者として海外でも定評のある小儀昌弘さん。

フォトグラファーとしての実績はもちろん、様々な事業群を経営する実業家としての顔も持つ小儀さんのその足跡に迫ります。

 

―まずは簡単な自己紹介をお願いします。

COLORS読者の皆さん初めまして、小儀昌弘です。

ファッションフォトグラファーと、広告代理店PARADE GROUPの代表を務めています。

フリーランスのクリエイター集団からなるインディペンデントな事業体を組織し、
主にウェブやSNSを駆使して販促にまつわる諸々のお手伝いをしています。

広告の企画制作からメディア運営、モデルやタレントの手配、衣装のリース、カメラマンやヘアメイクの派遣等全てですね。

小儀氏ディレクションによるファーストリテイリング社『ヒートテック』PRビジュアル

 

暗黒期の学生時代。

―ご自身が現場に経営にと幅広くご活躍されていますが、小さい頃からそのような行動力がおありだったのでしょうか?

今の小儀さんが形作られるその生い立ちから紐解いていきたいと思います。

いやー、子供の頃はまさに暗黒時代でしたね。

家庭の事情で転校を繰り返していたので、よくいじめられた小学時代から始まり。

中高では部活に打ち込むことも不良になりきる事も出来ずに、オタクのコミュニティ内だけで中途半端に粋がることで何とかプライドを保ってましたし。

惰性で進学した三流商業大学ではサークルやゼミで充実する男女の輪に入れなかった為、食堂での居心地も悪く、一人図書館で過ごすキャンパスライフでした。

ただ異常に好奇心と行動力だけはあったので十代の後半からは、個人でも出来る音楽活動や創作活動に手を出すわけですが、
今思えば日々何者かになりたいと夢想するだけで結局どれも物にならず、ただの拗らせた少年だったと思います。

 

―とは言え、当時の創作活動が芽となり、現在のご活躍に繋がっていったわけですよね?

それがそんなに綺麗にもいかないんですよね。

その頃はバンドやポエム、ポートレート等で活動していたのですが、就職前後のタイミングで一旦全てを止めてしまうんです。

正直働きたくなかったですが、大学も八年居座り続けていたのでさすがに年貢の納め時だろう、と。

嫌でも働かなきゃならなかったので、
「どうせ同じ時間を捧げるなら、成功者の更なる金儲けを手伝うよりかは、平均的な生活さえ不自由な障害者さんのお手伝いをした方が幾分マシだな」
という消去法だけで福祉職に就いたんです。

しかしそこでも志を持って福祉を学んできた同僚達と違い、無資格のまま後ろ向きな理由で職業選択した自分は負い目を感じることとなりました。

モデル等と密に共有を図りながら、完成イメージに近づけてゆく

 

自己顕示欲と自己表現を同時に満たすことの出来るファッションに夢中になった。

―福祉をやっていたとは驚きです、全くイメージがない!

ではそのような他業種から、しかも服飾や写真を学んできたわけでもなく、どのようにファッションの世界に入ったんですか?

就職してからはある程度自由にお金を使えるようになりますよね。

誰とも関わることなく、自己顕示欲と自己表現を同時に満たすことの出来るファッションに夢中になった当時の僕は、裏原宿にある行きつけのショップによく入り浸るようになりました。

丁度裏原ブームの末期、間もなくファストファッションという黒船が国内ドメスティックブランドを淘汰する直前の、最後の残り香のような時代です。

その店は歳の近いオーナーがマンションの一室で立ち上げたばかりの、こじんまりとした個人経営でした。

オーナーの人柄のおかげもあって、すぐに服を買わない日でも店内でお酒を飲むようになったり、閉店後にゲーム大会をしたりと、次々に仲間が増え本当に居心地が良かったんです、大人の部室と言うか。

そこに溜まっていた客の一人と意気投合し、ストリートスナップサイトを始めようという流れになりました。

着飾った衣装と全く対照的な猥雑な路地裏で撮ることで、より被写体を引き立てる独自の作風が小儀氏のスタイル

 

僕等は言わばオーロラの定点観測者でしかない。

―ここで初めて私の知っている小儀さんに繋がりました、その一つの小さなショップから全てが始まったんですね。

もしその時違う店に入っていたら、現在の小儀さんのキャリアが無かったと思うと感慨深いです。

もちろん最初の内は実際のファッション誌でもなければ、ネットでも知名度の低いメディアだったので、
表参道にあってまるで場違いな僕等が道行くお洒落な人に声をかけても相手にもされませんでした。

けれどエッジの立ったオリジナリティある着こなしを撮り重ねていく内に、あれよあれよという間にアクセスが跳ね上がり、気付いたら原宿では知らぬ者のいないくらいのサイトに成長しました。

だから僕等に才能があったから上手くいったというよりは、撮影させてくれた名も無きファッショニスタ達のセンスのおかげなんです。

僕等は言わばオーロラの定点観測者のようなもので。

それでもサイトの認知に伴って、見下してきた業界人は以前から知り合いだったかのように声をかけてくるし、
ファン達は僕等に撮られたくて地方から出てきては何度もローソン前(当時のストリートスナップハントのメッカ)を往復するようになりました。

その時僕が撮った作品の中にはデビュー前のきゃりーぱみゅぱみゅちゃんも、今をときめく俳優の成田凌君も居たし、
企業からの広告案件や、芸能界から撮影のオファーも舞い込んで来るようになり、影響力と収益化の両輪が上手く回り始めるようになったんです。

オリコン1位のアイドルグループ『BiSH』のメンバーとフロントロウでショーを観覧

 

ー目の覚めるようなサクセスストーリーですね。

一昔前まではファッションに強いカメラマンに弟子入りし下積みを重ねたり、出版業界に入れなければ仕事にすることはおろか発信することも出来なかったものが、
やはり個人レベルでネット発信出来るようになったことが大きかったんでしょうか?

そうそう、SNSが現在のようにネイティブになってしまう前の過渡期であったこと、日本のデコラティブだったりサブカルMIXだったりする独自のカルチャーが海外でバズりやすかったこと等、時流に乗ったのは間違いないですよね。

丁度アメブロで個人が収益を上げれるようになった頃でしたし、
海外でもファッションブロガーがセレブ並みの扱いを受けていました。

そんな風に僕等の影響力が大きくなるにつれ、次第にモデルやスタイリスト、デザイナーの卵達が集まってきて、
自然発生的にファッションショーやパーティーをオーガナイズしたり、オリジナルブランドを立ち上げるようになり、徐々に組織化していったんです。

皆が皆同じようなファストファッションを着るようになったり、ノームコアの台頭とか、原宿のキッズ達も下火になってしまったシーンにフラストレーションが溜まっていたのかも知れませんね。

SNSを駆使したガールズフォト×ストリートブランドのプロモーション戦略は多くのデザイナーが絶大の信頼を置く

 

持たざる者の逆襲。

―あの時のストリートシーンの影響力はすごかったですよね。

インスタグラムが今ほど浸透する前だったのでファッション誌以外の情報ソースが少なく、
ストスナ常連だった子達が一夜にして次々と次世代アイコンになったり、自分のブランドを立ち上げていく様を目の当たりにしました。

裏原ブームが崩壊し、明治通りにH&M、F21が次々と乱立し、国内ブランドの大人達が海外の巨大資本に飲み込まれる中、「この場所は俺等で守るんだ!」って勝手にストリートを代表した謎の使命感と一体感が生まれてましたからね。

明らかにアパレル企業やプロモデルより、僕等アングラクリエイターや読者モデルの方が闘っていて、
「革命はテレビには映らない」を地で行ってました(笑)

結果、海外メディアから取材が来たり、お偉いさん達から接待を受けたり、夜毎女の子達を呼んでお酒を空けたり、通帳のゼロが一つ増える度に「俺達は成功者だ!」と熱狂しました。

一ファッションサイトから始まった小さなコミュニティはもはやムーブメントになりつつあって、
その中心の一組には間違いなく僕等がいました。

でもそんな僕等にも一つだけ叶えていないことがあって、それが東コレのカーペットを踏むことだったんです。

どれだけストリートで力を持ったと言っても僕等のいるアンダーグラウンドシーンと、シーンの権威である東コレは交わることの無い別世界だったんですね。

パリ、ミラノでもそうですが、基本的にショーへの一般来場は不可で、TVや雑誌等のメディア枠、影響力のある芸能人やモデル枠、その他一部招待される上客やバイヤーだけが入るものでした。

僕等も何度かトライしたんですがその度門前払いされ、会場の外でセレブを出待ちしてゲリラでスナップハントをするくらいが関の山だったんです。

しかし2010年に『PHENOMENON』(ラッパーがデザイナーを務めるストリートブランド)が東コレデビューを飾ったり、翌年には海外の流れに続くようにようやく日本でもwebメディア枠が新設され、いよいよ大人達も僕等を無視出来なくなっていった。

事務所のポストはすぐに錚々たるブランド群からのインビテーションの山で溢れかえりました。

「TV局じゃないから」、「出版社じゃないから」と頭の固い老害が時代の流れについていけなかっただけで、
感度の高いデザイナーやブランドは、もちろん僕等のことを知って下さっていて今か、今かと待っていてくれたんですね。

すみません、言葉が荒くなりましたんでコンプラに引っかかるならカットして下さい(笑)

世界の名立たる一流カメラマンが肩を並べシャッターを切る、ランウェイ正面のフォトブースの緊張感はさながら戦場のよう

 

―いえ、そこが小儀さんの良いところなのでカットしません、私が責任持って怒られます(笑)

小儀さんの凄いところは芸大や文化(服飾の名門校)でエリートコースを歩むわけでも、大手マスメディアに属すわけでもなく、何の後ろ盾も持たずに独学で切符を掴んだ。

ドレスアップした女優や高級スーツのお偉い方の中、セレブでもマスコミでもない第三勢力としてピアスにタトゥーだらけで登場した小儀さんら気鋭メディアの存在はまさしく台風の目でした。

言わば「持たざる者の逆襲」なんですよね、それが痛快ですし、今も下の世代と話していても敬意を持って小儀さんのお名前が挙がる由縁なんだと思います。

おぉ、そのパンチライン超格好良いですね、スピーチの機会で使わせてもらいます!

よくそういう「対エリート!」、「反体制!」みたいな構図で扱ってもらえることが多いですが、
別に僕等だけの力じゃないんですよね。

僕等無名のストリート出身者がレッドカーペットを踏めるようになったのは、間違いなくウェブメディアが生まれるもっとずっと前から青木さん(伝説のインデペンデント誌『STREET』の創刊者)やシトウさん(日本を代表するストリートフォトグラファー)が道を切り拓いてくれていたから。

僕等のやってきたことなんてそこに便乗させてもらい、かつたまたま機運も高まってたタイミングだっただけで。

まあ、そんなこんなでそれぞれに本業を持っていた僕等ですが、さすがに比較にならないほど規模が大きくなり過ぎた為、正式に事業化し今に至るわけです。

東コレ会期中に期間限定で結成される、世界の実力派フォトグラファー、エディター、デザイナー、インフルエンサーからなるドリームチーム

 

誰にでも出来ることをやり続けていたら、やがて世界が変わった話。

―謙遜しますねー、では先人達の轍をwebでなぞることと、時代の流れに乗ったことだけで今のご自身の成功があるとお思いですか?

うーん、成功の秘訣と言うには平凡過ぎる答えなんですけど、やはり継続は力なりですよ。

僕がやったことと言えば、街行くお洒落な人に声をかけて、写真を撮って、ネットに上げただけ。

誰に出来ることでも、十年続けていたら世界が変わった。

もちろん何をやるにしても誰も見ていない所で一生懸命やっても発展しようがないので、
見せ方、見せる場所、絡む人とか、多少の試行錯誤は必要だけど、結局は「やるか?やらないか?」だけの話ですよね。

よく「有名人と仕事が出来てすごい」とか「華やかな世界にいて羨ましい」とか言われるんですが、
僕は地べたに座ってノーギャラで一般の子達を撮っていた頃と何も変わってはいなくて。

勝手に周りが僕の見方を変えていっただけなんですよね。

あとはとにかく全方位に夢を語ること。

これは絶対大事、消極的で悪目立ちや恥を恐れる日本人気質の中では、それをするだけでもまず一目置かれるから。

そして自分に能力がなくても頑張ってる姿が皆に伝われば、それを補ってくれる仲間が必ず集まってくるから。

だから少なくとも今の僕を成功と呼んでくれるのであれば、このくらい誰にでも叶えられますよ。

今だってこうして、ただの服馬鹿が路上で写真撮ってベラベラ喋り倒してただけなのに、インタビューしてくれてるじゃないですか(笑)

東コレアンバサダーを務めるハリー杉山氏とのオフィシャル対談に抜擢された一コマ

 

夢を叶えた奴が次の誰かの夢を応援することは義務。

―実際に叶えている人の言葉ですから心強いです。

それでは今後の展望を聞かせてもらえますか?

三十代の内に必ずモデルのスクール事業を立ち上げます。

僕がそうしてもらったように、夢を叶えた奴が今度は次の誰かの夢を応援することは義務なので。

ファッションフォトグラファーをやっていると毎月数え切れないほどのモデル応募や進路の相談があるのですが、
ご存じの通り、なりたくとも供給に対しあまりに需要が少ない世界なんですね。

華やかで、皆に憧れられるモデルの世界、
夢はあれどそれをお仕事に出来るのはほんの一握りです。

でも体一つで出来る職業だったり、インスタとかで簡単にその世界を垣間見れちゃうからこそ軽んじている子達が多過ぎる。

だからこそ、素質がある子らには厳しく技術や心構えを備えてもらい、現場で必要とされる、ファンに愛される人材を育成します。

また一方で、モデルが職業にならなかった子達にとっても、宝塚や甲子園と同じで夢叶わなくとも努力を重ねたその過程は決して無駄にはならないので、
その子達の人生も充実させる場所にしたいと思っています。

例え全員がプロを目指さなくとも、ジュニアからミセスまでまるでジムや習い事のように気軽にモデル活動を楽しむことが出来る、そうしてこの国の女性が自信を持てるようになる日本初のスクールを経営したいです。

駆けつけたファン達と交流する一コマ、地べたに座り若者と同じ目線に立ってアドバイスを送る姿が印象深い

 

人目を気にせず好きなものを好きと言える強さを。

―最後にCOLORSのコンセプト「十人十色のライフスタイル提案」にちなんで、
「自分らしく生きたい」と思っている読者層にアドバイスを頂けますか?

逆に僕が聞いてみたいです、一体何が怖いの?って。

人の目や体裁を気にして、一生自分らしく生きれないまま死ぬ方がよっぽど怖くないの?って。

例え何か言われたとしても、話の主語になった時点で自分が主役で、それを口にしてる奴等は名も無き脇役じゃないですか?

そいつらはRPGで言うところの最初の町から一歩も出ないモブキャラと同じなんで何も気にならないですね、
「死ぬまでそうやって同じ台詞吐いてろよ」って。

それより一歩踏み出してから広がる冒険の方が楽しみで仕方無いし、その道中には必ず同じ志の仲間との出逢いも待っているから決して孤独にもならないしね。

―その例え言い得て妙ですね。リスクや悪目立ちを恐れて現状維持を選んでしまう日本人気質そのもので、
ものすごくしっくり来ます。

でしょ?上手いこと言おうとして例えが見事にオタクっぽいところが格好付かないですが(笑)

うーん、アドバイスにはならないと思いますが、「自分らしさって何だろう?」って思う人は今度の休みにでも原宿に遊びに来て下さい。

この街は自由ですよ。

流行も、立場も、他者の目も、異性からのモテすらにも縛られず、
それぞれが心から自分の好きな、思い思いの服を着て闊歩する人々を目にすることでしょう。

ここではそれによって浮くことも、優劣も、線引きも無いし、性差も世代も人種も関係無いんです。

いつしか植え付けられた既成概念から解放され、自分らしく生きることの出来る、好きなものは好きと言える、そんなヒントがこの街にはあるのかもしれません。

よくファッションは「第二の皮膚」とか「内面の一番外側」なんて例えられますが、組織に定められた着こなしや業界が勝手に決めたトレンドなんかじゃなく、やはり一番輝いているファッションはその人のアイデンティティが感じられるもの。

それってファッションに限らず、生き方そのものなのかも知れません。

あなたらしさ、日本人特有のくだらん同調圧力や、しがらみに捉われない自分だけの生き方を共に模索していきましょう。

(了)

小儀昌弘


ストリートフォトグラファー/PARADE GROUP代表

 

東京ストリートで十年以上に渡りファッションスナップを撮り続け、多様なアイデンティティーを発信。

「自分自身はデザイナーでもモデルでもないから」と匿名性を活かしたゲリラファッション集団を組織し、
ウェブとストリートをクロスオーバーする次世代型プロモーションを展開。
旧態依然だったファッション界に新たな潮流を作った。
現在は本名を解禁し、当時の経験からPR事業を中心に、そこから派生する関連事業を複数経営する実業家としても活躍。
座右の銘は〝今日が残りの人生の最初の日〟。

 

インターネット広告代理店『PARADE GROUP』:http://parade-pr.com

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映画監督 岡元雄作さんインタビュー「今、目の前のことに全力を注ぐだけ」 http://10-colors.com/2827/ Thu, 17 Sep 2020 14:52:15 +0000 http://10-colors.com/?p=2827

アメリカ・ロサンゼルスで行われた映画祭にてベストアンサンブル賞を受賞し、その映画監督としての才を映像制作会社の ... ]]>

アメリカ・ロサンゼルスで行われた映画祭にてベストアンサンブル賞を受賞し、その映画監督としての才を映像制作会社の代表としても生かし、活躍し続ける岡元雄作さん。

映画監督として、一人の人間としての岡元監督の魅力に迫ります。

 

映画好きから映画監督へ

自己紹介としてお名前となぜ映画監督になろうと思ったのかを聞かせてください!

岡元雄作です。もともと映画監督になろうとは思っていなかったんですよ。

でも、親がすごく映画が好きで子供のころから映画館に連れていってもらって、それで映画に洗脳されたみたいに好きになっちゃって(笑)

子供だったら、例えばドラえもんとかも見たいじゃないですか。でも親が見たい映画を見に連れていかれることが多かったです。

そこで大人向けの映画を見せてくれたりして、それで映画の面白さにはハマっていった感じですね。

見ているうちに監督になりたいとは思ってなかったんですけど、映画のエンドロールに自分の名前が載る仕事がやりたいと思ってたんですよ。

 

そのころから具体的に映画に関わる仕事はしたいと思っていたんですか?

 

それを仕事にしたいと思っていなかったですけどぼんやりとは思っていましたね。

でも大人になるにつれて、なんかそんなことって簡単にできるわけないなと思っていて…

高校の時は映画とは建築をやっていたので建築大学に行きたいと思って浪人していたんですが3DCGというものに出会って僕の人生は変わりました。

『トイ・ストーリー』とかが出始めたころであの映像に魅せられてしまいました!

今だから言えることなんですけど、どっぷりはまっちゃって、勉強なんてせず夏期講習のお金をCGのソフトを買うお金に使ってしまってました(笑)

3DCGって撮影はしないですけどCGの世界で映画を作るみたいなものなんです。

そして、そのタイミングで大学行くより映像制作の道に進みたくなってCGの学校に通うようになったんですよ。

そこからCGを扱う映像制作会社に入ってこのころから映画のエンドロールに載りたいって言うのが現実味を帯びてきましたね。

 

その会社にいる時点でもう「監督」も視野に入れていたんですか?

 

その時は全然なくて。

でも5分くらいのアニメーションの短編映画をCGで作っていました。

実写で作ろうとかは思ってなかったのでカメラで撮ったりはしたことなかったです。

就職してその当時は倍率も高くて有名な会社にいてそれで自分の道が開けたって部分もあったんですけど...

今だったら絶対入らないような超絶なブラック企業でした(笑)

結果的にその会社を体調を崩して辞めた後、やっぱり映画に関わる仕事をしたい、自分の手で映画を撮ってみたいって初めて思ったんですよね。

そして当時28歳くらいだったんですけど、夜間の映画学校に1年間通ってそこで知り合った仲間と映画を撮るようになりました。

そこで初めて撮った映画が映画祭で審査員特別賞を取ることができて、自分が認めてもらえてという嬉しい気持ちと、悔しいからグランプリを取りたいという気持ちが沸き上がってきたのすごく今でも覚えています。

その時グランプリ取っていたら今、映画監督やってなかったかもしれません。

しかしそのころのモチベーションは「監督になる」ではなく、「グランプリをとれる作品をつくりたい」という気持ちでしたね。

そこから何本か作るうちにグランプリをとることができて。

それが京都の映画祭で、ちょうど審査員でいらっしゃったのが『夜のピクニック』で有名な長澤雅彦監督で、僕の作品を気に入ってグランプリに選んでくれたんですよ。

 

それはめちゃくちゃうれしいですね!!

 

嬉しかったです!!!

そんな雲の上の人とつながれるだけでもすごい嬉しいし緊張しまくりましたね。

それなのに若さと勢いに任せて長澤監督に「次の作品作るのにちょっと協力してもらえませんか?」とお願いしたら、プロデューサーとして僕についてくださったんですよ。

そして違う映画祭に出したときにプロデュースしていただいた作品がまたグランプリを取ったんですよ。

こんな形で、映画祭に出していけばいくほど、評価を得れば得るほど声かけてくださる方がいっぱいいるんです。

そしてお金をいただいて、「映画を撮る」ということがだんだん仕事になり始めました。

それまでは自分が100%考えたものを作っていたけど、プロデューサーの意見だったりとか、他の人の意見を取り入れて自分だけじゃないものを作るということを逆に楽しいって感じましたね。

 

そのタイミングで、監督を仕事にして生きていくと決めたんですね。

 

そうです。何本かとっていていいものを作っていれば必然的にそれを見つけてくれる人がいて、またいいものを作っていくを繰り返して今に至るみたいな感じです。

 

 

「リアル」と「自分の感じたこと」を映画という作品にする監督のこだわり

とはいえここまでここまで映画監督という仕事をしていて、「この時期きつかったな」「映画辞めようかな」と思ったタイミングはありましたか?

 

2、3年前がきつかったです。

『カメラを止めるな』と全く同じ枠で対になる映画を僕が撮った時ですかね。

仕事で仲のいい人たまたま「面白い監督知らない?」という話題になって、「今受賞をたくさんしている上田慎一郎という人がいるよ」とのちに『カメラを止めるな』を生み出す監督を私が紹介したんですよ。

そして知っての通り『カメラを止めるな』は大ヒットしたんです。

方や興行収入30億で何百という映画館で上映されている作品でみんなに知られている作品と、私の作った作品は知られてないわけじゃないですか。

同じ枠、同じ予算で撮っているのに…。こんな風に自分で比べて一度立ち直れなくなってしまいましたね。

でも後悔はしてないです。紹介したのはこのタイミングだったのですがこの『カメラを止めるな』でヒットしてなかったとしても面白い作品を作り出していたのでいずれ世に出る人だと思っていたので。

 

よくある監督の貧乏時代こんな風に大変だったという話も出るかと思っていたんですけどそれよりよっぽどきついですよね 。

 

次の作品で海外の賞取れたらいいなとか、もう。それも向こうの作品は現実にしちゃっているわけで自分はできていないというのが本当にきつかったです。

そこから映画撮るのが本当にきつくなっちゃったんですよ。

それまでは自分と自分の作品の評価だけを気にすればよかったんですけど、比べられるっていうところがすごくきつくて怖かったです。

当時は短編映画撮ってたんですけどなかなか長編映画撮ろうかなとないかなみたいな感じになれなかったんです。

そこからどのように立ち直ったのですか?

 

それが『Last Lover』という作品を通してだったんですよ。自分は『カメラを止めるな』の影響でトラウマになっていたのですが、そのタイミングで母親が亡くなったんです。

その時に母親を追悼する映画を作ろうと思って過去のトラウマ何も気にせずに本当に追悼したいという思いだけでこの映画を作ったんですよね。

本当に興行収入とかも考えてなくてどこかで上映してお客さんに見てもらえたら追悼になるかなと思っただけだったんです。

その母親のために作った作品が一番みんなに評価してもらえたんです!

 

この『Last Lover』という作品はLAの日本映画祭でベストアンサンブル賞を取っていますよね。

この賞は音楽、演技などの調和が素晴らしい作品に送られるとお聞きしました。

個人的にはここに対するこだわりがあるのかなと思っていたんですけど、それよりもお母様をただ追悼したいという気持ちが伝わったのでしょうか。

 

映画を見てもらう人に対して楽しんでもらうためのエンターテインメントとしては計算して作ってはいるんですけども、心の底にあるのは母を追悼したいという気持ちだけでした。

母とは話せないこといっぱいあったので「母親に会いたい」なとただ思ったんですよ。

そして、戻ってきて話したらどうなんだろう?それは多分嬉しいと思うんですけどそれがもし戻ってきて帰らなかったらどうなるんだろう?もし日常になってしまって家に住み着いたらそれって嬉しいのかな?

そういった僕自身の死者への関わり方やその時に肌で感じたものをエンターテイメントに仕上げているんです。

 

岡元さん自身こうした「リアル」という部分をすごく大事にしているのかなと思っていましたが、「リアル」に加えて深い所のメッセージも届けられたらいいなという考えだったようですね。

 

まさにその通りです。

そして、それを痛感するできごとが『Last Lover』の上映期間にあったんですよ。

『Last Lover』の上映していた時に、毎日映画館に行っていたんですけど出てきたお客さんの一人が握手して下さって「こんなに素晴らしい映画作ってくれてありがとうございます。自分も母親亡くしてすごい塞ぎ込んでいて、どうしたらいいかわかんないっていう状態だったんですけどこの映画を見てすごく希望になりました」と、泣きながら言ってくれたんです。

その瞬間、「これだ、俺が映画を作る理由は」と思ったんです。

そこからすごく気持ちが楽になって賞はとりたいとは思うんですけど一人一人に届ける映画を作りたいと思いなおすようになりましたね。

原点に戻るとよく言いますけど、いろんなものを考えすぎてどうこうっていうよりも、シンプルにお客さんに届く面白いもの作りたいっていう気持ちがこの時改めて大事にすべきことだ気づきました。

 頂いた仕事は全部やり切りこと、自分の納得できるクオリティに仕上げること、この二つにこだわっているのが自分らしさ。

そういった映画含めたエンタメ全体がコロナの影響で殺されたと言っても過言じゃないと思いますが実際ダメージはどうですか?

 

緊急事態宣言が出た時は本当に何もできなくて外も出れないし撮影もできないので何もできなかったです。

先ほど話した『Last Lover』も1月に公開して本当は2月くらいまで上映していたんですけどコロナの影響でWeb公開をしました。

劇場で見てほしい気持ちはもちろんあったけど、家から出ないから見てくれるっていう環境の中でそういった形にすぐ切り替えたのはよかったかなと思ってますね。

その後もYouTubeドラマもやって緊急事態宣言開けてすぐ作ろうってなって2ヶ月もせずに作って公開もできています。

だから、やっていることはそんなに変わらないですね。

現状は映画は最後の切り札として配信できるのでうまくそちらにシフト出来ています!

 

質の高い作品を生み出し、いい仕事ができているからこそ配信にシフト出来ているかと思います。

ここまでお話されてきた話も含めて仕事をするにあたって岡元さんの「自分らしさ」とはなんだと思いますか?

 

頂いた仕事は全部やること、どんなに安い報酬であっても自分の納得できるクオリティのものを仕上げるということ、この2つはこだわっていますし、「自分らしさ」だと思ってます。

初めは安いですが段々報酬も高くなってくるのです。

極端な話以前1万円で映画を作って下さいて言われたこともありました(笑)

でもいいものを作っていれば、この人にお願いしたいと思ってくれる人が現れます。

そういう人たちに全力で応えたから今があるんですよね。

 

当たり前だけどなかなかできない岡元監督の「自分らしさ」だと思います。

それでは最後に読者に一言いただけますか。

 

当たり前ですが今の自分に全力を注いだらいいと思います。

サラリーマンって極端な話、手を抜いててもお金をもらえますよね(笑)

でも、我々の世界では手を抜いたらもう次はないんです。

なんなら手を抜いた仕事は自分へのマイナスの評価を作ってしまいます。

どんな仕事でも人との繋がりがすべてなので、今の仕事に全力を注ぐことで未来の自分の評価を上げていってください!!

 

 

岡元雄作

 

映画監督/映像制作会社代表

 

2020年映画『Last Lover』でロサンゼルス日本映画祭ベストアンサンブル賞を受賞。

 

ベルリンモーションピクチャーフィスティバルでグランプリにあたる最優秀長編作品賞を受賞

 

株式会社ASTROSANDWICH PICTURES INC. http://astrosandwich.com/

 

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ヤスさんぽ~浅草橋~田原町~コレド室町③ http://10-colors.com/2659/ Wed, 25 Mar 2020 14:00:32 +0000 http://10-colors.com/?p=2659

やすはです☺ おさんぽつづきです❣ お買い物をして、夕方17時くらい? そろそろカフェは並ばないかな~ 行列じ ... ]]>

やすはです☺

おさんぽつづきです❣

お買い物をして、夕方17時くらい?

そろそろカフェは並ばないかな~

行列じゃなーい✌

お気に入りカフェはこちら☕?

(食べログ)

https://tabelog.com/tokyo/A1311/A131102/13242054/

店内はほぼ満席?こんなに混んでるとは~みんな自粛が辛くなったに違いない、、

お目当ては季節のタルト(今は?)かプリン?❕

タルトはないだろうなと思っていたけど、?も売り切れだった~?

なので、バナナケーキにしました✨✨

食器も綺麗ですごく好みなのです?

バナナケーキはずっしりしてて食べ応えがありました?

お花屋さんもいっしょになってて、癒されます~。

本も置いてあるんだけど、席が遠くて写真が撮れず、、

すごく雰囲気が良くて素敵なカフェです☕

人が多すぎるとちょっと、せっかくの落ち着きが半減しちゃって残念だけど。。

でもわざわざ行く価値ありです❕❕

少しまったりして、ケーキを食べたにも関わらず、

?があきらめきれにゃい。(?だいすき?)

帰り道?

(食べログ)

https://tabelog.com/tokyo/A1311/A131103/13215459/

ここも心地よいカフェです☕

?タルト発見❣

閉店ギリギリだったけれど、テイクアウトできることに?

ありがたやありがたや?

家に帰って開けるとこーんなに?が!!!!!

よく見ると?の?もあって、甘くておいしくてしあわせでございました(=゚ω゚)ノ

 

大満喫ヤスさんぽ?

 

アメブロもやってます☆☆https://ameblo.jp/yasuhat3/

 

 

 

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ヤスさんぽ~浅草橋~田原町~コレド室町② http://10-colors.com/2651/ Sun, 22 Mar 2020 14:00:42 +0000 http://10-colors.com/?p=2651

やすはです☺ 三連休がとても楽しかったです❣ 終わっちゃうのさびしいけど、明日からまたお仕事がんばろう、そうし ... ]]>

やすはです☺

三連休がとても楽しかったです❣

終わっちゃうのさびしいけど、明日からまたお仕事がんばろう、そうしよう。

さて、おさんぽつづきです?

 

カフェが行列だったので、先にお買い物をすることに。

銀座線に乗って三越前まで移動?

この前おさんぽ仲間と訪れたコレド室町3の雑貨屋さんで、

こちらのエコバックを購入!?

キャンバス生地のふつうのトートバックにしようと思ってたのですが、

ポーズがこれのがかわいくて、しかも黄色もかわいかったのでこちらに?

なんとも言えないゆる~感が自分とそっくりで、シンパシーしかない。

これからおさんぽのお供にいたします。

別のお店で母のお財布も買って、満足お買い物(^^♪

 

田原町に戻る前に、地下で気になるお店を発見。

(食べログ)

https://tabelog.com/tokyo/A1302/A130202/13166420/

大好きなあまさけを購入✨✨

私は紫で、母は白。紫は文字通りさわやかな酸味でめちゃおいしかった❕❕

大きいサイズもあったので、今度買おう?手土産にもよさそうだ~。

あまさけでエネルギーチャージをして、

また田原町へ?

 

③につづく

 

アメブロもやってます☆☆https://ameblo.jp/yasuhat3/

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ヤスさんぽ~浅草橋~田原町~コレド室町① http://10-colors.com/2644/ Sat, 21 Mar 2020 02:00:29 +0000 http://10-colors.com/?p=2644

やすはです☺ 初回の投稿からなんと10日ほど経過してしまいました、、 少し体調不良だったのもありますが、どうし ... ]]>

やすはです☺

初回の投稿からなんと10日ほど経過してしまいました、、

少し体調不良だったのもありますが、どうしたらいいものを提供できるかな~とか、

個人的にアメブロもやってるので、同じ内容じゃなんだかなーとか考えていたら時間だけ過ぎてました。

結果、考えるのやめました☻☻もともとインスピレーションだった、そうだった。

前回の自己紹介でもそう書いたのでした❣

よろしくお願いしまーす✨✨

 

では早速✌きのうのおさんぽです?

きのうは外にいっぱい人がいた気がしました!いい天気だったし、三連休初日だからか?

お目当ては銀座線田原町にあるお気に入りのカフェ☕♡

家は西荻窪なので、総武線で浅草橋まで行って歩くことに。

浅草付近はとっても好きで、最近はもっぱら蔵前、清澄白河、門前仲町とかぶらり。

この前は日本橋まで歩きました?もう少し歩くと銀座も行けそうだよ~。

おさんぽを伝えるので、道とかも写真撮ればいいんですけど、いつも忘れちゃう、、

きのうは母といっしょだったので、ずっとしゃべってしまった。あちゃー。。

 

で、最初はカフェ直行❕❕

大行列。時間はちょうど15時くらい。

やはり一番混むよ、おやつだもの?

みんな考えてることはいっしょだね。

17時くらいにまた来ようと、お買い物先にすることにしました?

 

②につづく

 

アメブロもやってます☆☆https://ameblo.jp/yasuhat3/

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