The post 聻(セキ)碑文 first appeared on 有馬温泉 ディープな情報サイト 有馬里.
]]>The post 聻(セキ)碑文 first appeared on 有馬温泉 ディープな情報サイト 有馬里.
]]>The post 御所坊のマークについて first appeared on 有馬温泉 ディープな情報サイト 有馬里.
]]>原文(白文)
三十輻共一轂。
当其無、有車之用。
埏埴以為器。
当其無、有器之用。
鑿戸牖以為室。
当其無、有室之用。
故有之以為利、無之以為用。
書き下し文
三十の輻(ふく)は一轂(いっこく)を共にす。
其の無に当たりて、車の用あり。
埴(しょく)を埏(せん)して以て器を為(つく)る。
其の無に当たりて、器の用あり。
戸牖(こいう)を鑿(うがち)て以て室を為る。
其の無に当たりて、室の用有り。
故に有の以て利を為すは、無の以て用を為せばなり。
現代語訳(口語訳)
30本の輻は1つのこしきに集まって(車輪を形成して)います。
そこに何もない空間があるから、車輪としての役割を果たすのです。
粘土をこねて器を作ります。
そこ(器の中)に何もない空間があるから、器としての役割を果たすのです。
戸や窓を貫いて部屋を作ります。
そこ(部屋の中)に何もない空間があるから、部屋としての役割を果たすのです。
つまり形ある物が価値があるのは、形ない物がその役割を果たしているからです。
温泉旅館は生活必需品ではありませんが、それなりの役割があると考えています。
The post 御所坊のマークについて first appeared on 有馬温泉 ディープな情報サイト 有馬里.
]]>The post 真金不鍍(真金は鍍せず) first appeared on 有馬温泉 ディープな情報サイト 有馬里.
]]>
真金不鍍(真金は鍍せず)
純金には鍍金(めっき)する必要がない。
本物は飾る必要がない。逆に飾り立てているモノほど、本物でないのではないかという事。
出典:李紳「答章孝標詩」「假金只用真金鍍,若是真金不鍍金。十載長安得一第,何須空腹用高心」
李紳(りしん・Li Shen)(772~846)
中国,中唐~晩唐の政治家,詩人。無錫 (江蘇省) の人。字,公垂。李徳裕と結び,経歴にも波乱が多いが,会昌2 (842) 年宰相に進み,さらに淮南節度使に転出して没した。詩では元 稹らと並び称された。現在は失われたが,『新題楽府 (がふ) 』 20首の作があり,それが親交のあった白居易の『新楽府』を生む契機となった。
The post 真金不鍍(真金は鍍せず) first appeared on 有馬温泉 ディープな情報サイト 有馬里.
]]>The post 京都~有馬間の直行バスの魅力! first appeared on 有馬温泉 ディープな情報サイト 有馬里.
]]>ものすごい便利! その理由。
豊橋に行く機会がありました。通常有馬からだと新神戸から名古屋まで行って新幹線を乗り換えて豊橋です。その時に名古屋で途中下車してお昼を食べようと計画していたのですが、京都で食べることにしました。
京都を12時に着こうと考えると、11時の有馬発の直行バスに乗れば12時ぐらいに着きます。
京都駅に12時に着こうとすると、新神戸を11時半ぐらいの新幹線に乗らないとダメです。15分前には新神戸に着いていないと切符も買えません。すると10時45分の有馬発の神戸電鉄に乗らないとダメなのです。という事は・・・
バスの方が早い! 乗換がいらない! 座席指定! そして安い!
また豊橋に行くのであれば、こだまは新大阪発の方が多いし、京都からそのまま豊橋に停まる列車に乗れば良い。帰りは最大1時間待つつもりだと、いつでも大丈夫。京都でお土産を買えば良い!
という事は、東京に行くのも同様なのです。
まして私たちは新神戸に車で行くことが多い。やっぱり電車の乗り換えが面倒なのです。でも直行バスだと帰りの新幹線の車内で一杯飲む事も出来るのです。
絶対、京都からの直行バスをおすすめいたします!
また有馬・姫路間も神姫バスが運行しています。まだ本格運行ではないので、HPでご確認ください。
The post 京都~有馬間の直行バスの魅力! first appeared on 有馬温泉 ディープな情報サイト 有馬里.
]]>The post 天神泉源から直送の高濃度有馬金泉で健康に『上大坊』 first appeared on 有馬温泉 ディープな情報サイト 有馬里.
]]>
多くの人々が行き交う有馬温泉の坂道。その途中、有馬里駐車場から約13分のところに『上大坊』はある。
その創業は1900年、企業などが温泉を楽しむために建てた別荘を改装し、宿屋として生まれ変わらせたことにはじまる。
また「上大坊」という名は1191年、吉野高原寺の僧である仁西上人によって建てられた十二の宿坊の一つが由来だ。この有馬温泉に点在する「〇〇坊」と名のついた宿は、同じくこの十二坊にちなんでいる。
この上大坊の自慢は、なんといってもその温泉。
もともと有馬の温泉は世界的にみても薬効が高いとされている。
地下60メートルのマントルから湧き出たその大地の恵みは海水の約2倍もの塩分を含み、冷え性や腰痛に効くと有名である。
だが、その中でもとりわけこの上大坊は「濃厚」だ。
宿の主人である堂加氏の案内で扉を開くと、もうもうと立ち込める煙でカメラのレンズが瞬く間に真っ白。
そのパワフルさをカメラ越しに実感させられた。
その浴槽や壁は赤茶色に染まっている、これは金泉という含鉄ナトリウムを含んだお湯によるもので、磨いても落ちない。
だが、手でそっと掬ってみたところ、お湯自体は透き通った色をしていることが分かる。
これはすぐそばにある天神泉源から時間をかけることなく直接引いており、酸化による色の変化が起こっていないためだ。
そしてその温度たるや、なんと驚愕の98度。
普通に考えれば人間が足を入れることすら危険な状態だが、ここに工夫がある。
お湯はそばに設置された樋を通して供給されているのだが、よくよく見ると縦に刺された木の棒を通し、ぽたぽたとお湯が浴槽へ落ちているのを見ることができるだろう。
このように、少しずつかつ断続的にお湯を足していくことで、適度な温度を保ちながら供給を行うことができるのだ。
また、見た目ではわかりづらいが、床のヌルヌルとしたような感触もなく、清潔な状態が保たれていたのにも、その気配りを感じることができた。
温泉といえば卓球。
入浴後は、遊技場で楽しく遊ぶこともできる。
利用者は年間1000人。
その効果の高さに満足した人々が、遠隔地からでもたびたび足を運んできてくれるという。
宿泊なしでも1000円で入浴可能という利用のしやすさも人気の秘密だろう。
有馬のメインストリートの中にあるというのも魅力的だ。
向かい側には先日ご紹介したポルトガルスイーツとガラス食器のお店「茶房 堂加亭」がある。
そして、その近くには「人形筆灰吹屋」も。
散歩感覚で観光を楽しみたい場合には絶好の場所といえる。(堂加亭および灰吹屋は現在休業中)
上大坊を出た後、天神泉源へと足を運んだ。
場所は上大坊のそばにある階段を上がったところ。勢いよく白い煙を噴き上げているのですぐにわかる。
近づいてみると、「シュゴッ、シュゴッ」とすさまじい音を立てて給湯装置が稼働している。
そして、周囲に立ち込めるほのかな硫黄の香り。
この力強さを間近で見せられると、その恩恵を受けるために温泉に入りたくなってしまうこと請け合いだ。
施設名:上大坊
住所:兵庫県神戸市北区有馬町1175
神戸電鉄有馬温泉駅から徒歩5分
有馬里駐車場から徒歩11分
営業時間
立ち寄り入浴:15:00~18:00
定休日:不定休
The post 天神泉源から直送の高濃度有馬金泉で健康に『上大坊』 first appeared on 有馬温泉 ディープな情報サイト 有馬里.
]]>The post 有馬温泉まぼろしの名所「眼洗湯」とは first appeared on 有馬温泉 ディープな情報サイト 有馬里.
]]>果たしてそれはどのようなものだったのだろうか。
明治18年の「有馬温泉誌」によれば、眼洗湯というのは別名「明目湯」とも呼ばれ、「上谷町」と「下谷町」の境にある「六地蔵」という所より少し南へ入った場所にあったとされている。
現在の一般的な温泉のように浸かる形式のものではなく、小さな井戸のようなところから湧き出るごくわずかな湯で眼を洗う、といった風に利用されていたようだ。
して、この温泉にはどのような効果があるかというと、「はやり眼」、すなわち結膜炎などの改善に効き目がみられたようだ。
実際、眼病というのは昔の日本人が患いやすい病気であった。料理に使う炭やかまどの煙、便所の臭気ガスなどが、眼に日常的なダメージを与えていたからである。
江戸時代、出島を訪れた西洋医師ツンベリーは、は農民の眼病の多さに驚いている。
時代が遡り幕末になっても、オランダの軍医ボンペが日本人の眼病の多さについて語っていることから、その厄介さが伺える。
そんなかつての日本人にとって、自らの眼を癒してくれる湯というのは大層ありがたい存在であったのだろう。
寛政八年(1796年)ごろに著された「摂津名所図會」によれば、その周囲は露店が立ち並ぶなどの賑わいぶりで、名所であったという事実を物語っている。
その主成分については不明であるが、「有馬温泉史話」によれば、有馬温泉本来の成分に加え、若干多量の塩分が含まれていたのではないかとされている。
それで眼を洗うと、こびりついたヤニなどを落として清潔になると同時にある種の爽快感を覚え、心身ともにポジティブな効果を得ることができたというわけだ。
この眼洗湯であるが、明治十八年(1885)の「有馬温泉誌」の記録を最後に、歴史から姿を消してしまっている。
「有馬温泉史話」によれば、郵便局の工夫詰所の床下に埋没されてしまったという。
おそらく、なにかしらの理由で湯が止まってしまい、人々が集まらなくなったのだろう。
長き歴史を持つ有馬温泉ゆえ、このように人知れず無くなってしまった名所も少なからずあるようだ。
The post 有馬温泉まぼろしの名所「眼洗湯」とは first appeared on 有馬温泉 ディープな情報サイト 有馬里.
]]>The post 有馬温泉むかしばなし~その浴槽は狭かった?~ first appeared on 有馬温泉 ディープな情報サイト 有馬里.
]]>その温泉の効能は、現在も多くの人に愛されている。
だが、温泉を取り巻く周囲の環境は、昔と大きく異なっていた。
今回は、かつての有馬の湯船がどのようなものであったのかを解説していこう。
今や、一つの宿に一つ温泉や湯船があるのは当たり前だが、かつてはそうでなかった。
元和七年(1621年)の「有馬温泉記」や、寛政八年の「摂津名所図会」などの記述によれば、当時の有馬温泉には各旅館の内湯が存在せず、ただ一カ所の湯元に大きな浴槽を作り、それを板で二つに区切ってそれぞれ「一の湯」「二の湯」として使っていたらしい。
現代における「金の湯」の場所がそこにあたる。
その二つの湯船を、各宿坊ごとに分け使っていた。
寛文四年の「有馬地志」などの記録によれば、一の湯には御所坊や奥ノ坊、角ノ坊に上大坊などの十坊、二の湯には池ノ坊に下大坊、萱ノ坊に北ノ坊が割り当てられていたという。
特に御所坊は、唯一この浴場と渡り廊下を通してつながっていたとされているので、比較的利用がしやすかったようだ。
湯船の広さについてであるが、貞享2年の「有馬山温泉小鑑」などの史料によれば、横の広さが一の湯二の湯合わせて貳丈六尺四寸、縦の広さが壹丈貳尺五寸、奥行が壹丈五寸、深さが三尺八寸ほどということらしい。
これを現在の尺度に直すと、横の広さは7.72メートル、縦の広さが3.75メートル、奥行が3.15メートル、深さは1.1メートルほどということになる。
一旅館の銭湯とすれば充分な大きさではあるが、これを敷居で二つに分け、なおかつ当時二十以上あった宿坊と小宿の客で使うのだから、空間には余裕がなかったと考えられる。
なので、しばしば入浴の順番で喧嘩が起こったり、なかなか上がらないものに対して湯女(入浴客のさまざまな世話を行う女性)が湯口の戸を木の棒で叩きながら「あがれあがれ」と罵り、無理矢理追い出すといったこともあったらしい。
現在は有馬のどこの宿でも湯船でゆったりのんびりくつろぐことができるが、たまにはこうしたかつての情景を思い浮かべ、有馬温泉の歴史ロマンに浸ってみるのもよいだろう。
The post 有馬温泉むかしばなし~その浴槽は狭かった?~ first appeared on 有馬温泉 ディープな情報サイト 有馬里.
]]>The post 太閤豊臣秀吉は如何に有馬温泉を愛したか first appeared on 有馬温泉 ディープな情報サイト 有馬里.
]]>
その中でも一際知名度の高い人物は「太閤」こと豊臣秀吉だろう。
神戸電鉄有馬温泉駅から歩いてすぐのところにある「太閤秀吉像」と「太閤橋」。
そして、その向かい側にある彼の正室北政所をかたどった「ねね(寧々)像」と「ねね橋」。
他にも、秀吉が祈って湯を沸かせた話に由来する「願い坂」、和尚の頭に似せた茶釜が伝えられる「善福寺」。
そして、秀吉の別荘である湯山御殿ゆかりの発掘品を見ることができる「太閤の湯殿館」など、秀吉にちなんだものは数多く有馬に遺されている。
その足跡を史料から辿り、太閤豊臣秀吉と有馬の関わりを紐解いていこう。
最初に彼が有馬の地を訪れたのは、天正7年(1579年)のこと。播磨別所氏の本拠三木城攻略に必要とする道普請を、当時は「郡」であった有馬の人々に実施させたという。
その後、別所氏当主長治が自害し、三木城が開城した天正八年(1581年 )の2月。秀吉は有馬温泉に浴し、城攻めによる疲労のため深く眠りこけたという。これが秀吉の有馬入湯に関する最古の記述である。(有馬地誌)
おそらくこの入湯がきっかけで、有馬の地に対して興味を抱いたのだろう。
その後信長が本能寺の変で斃れ、明智光秀や柴田勝家、徳川家康ら敵対勢力と争いを繰り広げている最中であっても、秀吉はしばしば有馬を訪れていた。
また、石川本願寺の元法主本願寺顕如、堺の茶人津田宗久、今井宗薫らのような当時の大人物も秀吉を見舞って入湯している。(貝塚御座所記、天正日記等)
更に天正十二年(1585年)2月。8年前の大火によって焼失した薬師堂復興のため、金子1500枚および地領百石の寄進を正室北政所(寧々)の願いによって実施したとある。(善福寺文書)
この際復興された薬師堂は明治の廃仏毀釈による被害を逃れ、温泉寺(有馬山 温泉禅寺)として現存している。秀吉の寄進がなければ、有馬の名所が一つ消えていたところであった。
特筆すべきは、天正十七年(1590年)9月に行われた「有馬大茶会(ありまだいさのえ)」だ。
同年2月に小田原北条氏を下し、7月に伊達政宗ら奥州の諸将への所領与奪を実行。名実ともに天下人となった秀吉は、金湯山蘭若院阿弥陀堂にて茶会を実施。
太閤秀吉の茶会といえば、これより3年前に京都北野天満宮で行われた「北野大茶会」が広く知られているが、この有馬大茶会もなかなかのものであったようだ。
秀吉と懇意であった茶聖千利休をはじめ、後に五大老となる小早川隆景、有馬郡出身の父を持ち、伏見城建築に貢献した有馬則頼(法印)など、錚々たる顔ぶれが参加したと記録されている。秀吉自身も愛用の銘茶器「鴫肩衝」をわざわざ持参しており、大層な力の入れようであったと思われる。(善福寺文書)
その後、慶長元年(1594年)には大がかりな別荘「湯山御殿」を建てさせるなどしたが、慶長三年(1596年)7月に発生した「慶長伏見地震」によって全壊。
有馬の湯屋や民家も大きな痛手を負い、温度が急激に上昇したため温泉を利用することができなくなってしまった。(湯山由緒紀)
この事態を重く見た秀吉は直ちに復旧を行うと同時に、一年間にも及ぶ大規模な改修工事に乗り出した。
災害などで泉源が破壊されることを防ぐため、松の丸太を組み合わせ、隙間に粘土を硬く詰め込むなどして厳重に保護。更にはすぐそばを流れていた六甲川の氾濫による被害防止のため、その向きを変えるなどした。(湯山由緒記)
これにより有馬の地が水難に苦しめられることはなくなり、泉源はその後350年間改修工事を行う必要がなかったという。
建築の名人である太閤秀吉の実力と、有馬への強い思いがうかがえるエピソードである。
それから1年後の慶長五年(1598)年3月、秀吉は病に斃れこの世を去った。
それより1ヶ月前、かつて復興に携わった薬師堂奥の院より新たな温泉「上の湯」が噴出し、「かねて薬師如来に願ったことが実現した」と入湯を楽しみにしていたようだが、ついに叶わなかったという。(湯山由緒紀)
その十七年後の慶長20年(1615年)、徳川氏によって豊臣氏は滅亡。
「なにわのことも夢のまた夢」という辞世句の如くその血脈は途絶えてしまったが、その功績は今もこの有馬において人々とともに存在し続けている。
The post 太閤豊臣秀吉は如何に有馬温泉を愛したか first appeared on 有馬温泉 ディープな情報サイト 有馬里.
]]>The post 名物有馬山椒幻の味「辛皮」とは『川上商店』 first appeared on 有馬温泉 ディープな情報サイト 有馬里.
]]>有馬周辺の山などで採れるトゲの多い山椒は一般的なものより香り高く、辛味が効いている。
それらを使った煮物料理「有馬煮」などは、多くの人が知るところである。
有馬の佃煮、そして山椒による伝統の味を現在も伝えているのが、「佃煮元祖 川上商店」である。
創業1559年、「帝国データバンク」によれば、兵庫でもっとも古い歴史をもつ商店だ。
今回は2016年3月に新しくオープンした「山椒彩家 川上商店」にお邪魔した。
店舗を埋め尽くすほどの山椒需要に応えるための山椒専門店だ。
つやつやの木材が眩しく快適な店内には、さまざまな山椒グッズが陳列されている。
ちりめん山椒や山椒昆布、黒毛和牛や青魚と合わせて濃く味付け有馬煮や伝統の品はもちろん、携帯に便利な山椒ペンや贈り物に便利な山椒レター、香りで野菜が美味しくなる山椒ドレッシングといった変わり種も盛りだくさんで、まさに山椒づくしだ。
「川上商店」の名前の由来は1191年、仁西上人とともに有馬の地を訪れた祖先の出身地とされる、奈良県吉野の川上村である。
1559年創業と先述したが、実はこれは正しくないかもしれない。
人形筆の開発者でもある川上伊助氏が、山椒を使って佃煮商売をしていたという最古の口伝が1559年というだけであって、創業自体はそれよりずっと前という可能性がある。
自慢の花山椒に葉山椒、そして実山椒はそれぞれ風味豊かで楽しい。
甘味のある花山椒にほどよい食感の葉山椒、茶漬けに最適な実山椒、すべて買ってもまったく損しない。
だが、この川上商店には他で味わえない幻の逸品がある。それがこの「辛皮」だ。
原料はなんと、山椒の木の皮。外皮と幹の間に存在するごくわずかな薄皮を使う。
新鮮な山椒の木からしか作ることができないので、大量生産はほぼ不可能なのだ。
ご厚意により、この幻の品を一口いただけることとなった。
最初のうちは出汁の旨味こそ感じはすれど、それほど辛さは感じない。
だが、一分経つか経たないかぐらいのところで、猛烈なしびれが全身をかけめぐる。
この辛さは並の山椒の比ではない。だが、山椒が好きな人にとってはたまらなく好きな味だろう。
間違いなく酒が欲しくなる、山椒好きによる山椒好きな方のための逸品だ。
我こそは山椒好きという方、是非とも一度味わっていただきたい。
現在、山椒はスローフードとして高い注目を集めている。
成分として含まれているサンショオールやサンショウアミドが胃の働きを助け、新陳代謝を活発化。
冷え性改善への効果が期待されているのだ。
もっとも山椒は古来より薬草として知られていたわけで、それをすっかり忘れていた現代人が「そういえば!」と思い出しただけなのであるが。
山椒料理の地有馬温泉でも、山椒を盛り上げるための動きが盛んである。
旅館「御所坊」の経営者金井啓修氏が中心となり「有馬山椒プロジェクト」を開始。
一時は絶滅寸前であった野生の有馬山椒の栽培数を増加させるべく、地元農家と連携した取り組みを行っている。
「訪れる方へ最大限の満足を提供するため、一丸となって取り組める」
これが有馬という歴史ある観光地の強さなのかもしれない。
施設名 川上商店
住所
山椒彩家:〒651-1401 兵庫県神戸市北区有馬町1172番地
神戸電鉄有馬温泉駅から徒歩9分
有馬里駐車場から徒歩13分
本店:〒651-1401 兵庫県神戸市北区有馬町1193番地
神戸電鉄有馬温泉駅から徒歩8分
有馬里駐車場から徒歩12分
南店:〒651-1401 兵庫県神戸市北区有馬町869-1番地
神戸電鉄有馬温泉駅から徒歩7分
有馬里駐車場から徒歩10分
営業時間
山椒彩家:9:30~17:30
本店:9:00~18:00
南店:9:30~18:00
定休日
山椒彩家:水曜日
本店:年中無休
南店:火曜日・水曜日
The post 名物有馬山椒幻の味「辛皮」とは『川上商店』 first appeared on 有馬温泉 ディープな情報サイト 有馬里.
]]>The post 『花小宿』の『料膳旬重』で、心ある絶品料理をいただく first appeared on 有馬温泉 ディープな情報サイト 有馬里.
]]>
有馬里駐車場より下り徒歩5分で行ける『ホテル 花小宿』。
こちらの自慢はかつて有馬にあった外国人宿の一室を思わせる洋風の客室。そして御所泉源から引いた薬効あらたかな貸し切り陶泉。
入浴後は新陳代謝も活発になるので、お腹が減ってしまう。「せっかくの有馬温泉、とびきり美味いものが食いたい」と、食指が止まらなくなる。
そんな時は宿内にある『料膳 旬重』で空腹を満たそう。
こちらの自慢は山家(やまが)料理。見た目よりも肝心の「味」を第一としている。
明石漁港から直送の海の幸、有馬周辺の豊かな土地で丹精込めて育てられた山の幸。肉は舌で弄びたくなるほどに味わい豊かで、魚はとろけるほどに柔らかい。蛸ですら、するっと噛みきれるほど柔軟。
だが、この料理の美味しさには食材以外の秘密がある。
「料理の調理法は教えればできる。でもそれでは、知識も技術も広がらない。もし失敗した時にも正確な原因が分からない。土台の無い家のようなものです」
料理長の松岡さんは語る。
肝心の料理をなかなか教えてもらえず、一見地味な仕事ばかりの下積み時代。だがその経験が、料膳旬重山家料理の絶妙な風味につながる。
そして、もう一つの特色が敷居のない調理場。客と料理人を隔てる壁が一切なく、一挙手一投足がすべて露わ。新人は皆プレッシャーを感じるが、それを楽しんでほしいと松岡さんは言う。
「見られてるからこそ、ちゃんとやらなきゃという気持ちになれる。そうして常に初心を忘れないでほしい」
訪れた人々は料理のおいしさだけでなく、料理ができるまでの過程、そしてそれを作る人々にも触れることができる。料亭とは料理を食べるのみにあらず、人と人の触れ合いの場なのだ。
伝統深き有馬温泉で健康になった後、心がこもった極上の膳をいただく。
それって、なんとも言えない贅沢。
施設名 ホテル花小宿 料膳 旬重
住所 〒651-1401 兵庫県神戸市北区有馬町1007 花小宿内
神戸電鉄有馬温泉駅から徒歩8分
有馬里駐車場から徒歩5分
営業時間 8:30~9:00(朝) 11:30~14:00(昼) 18:00~21:00(夜)
(予約優先です)
定休日 不定休
The post 『花小宿』の『料膳旬重』で、心ある絶品料理をいただく first appeared on 有馬温泉 ディープな情報サイト 有馬里.
]]>