今回はどうしても書かなければいけないことがあって、是非多くの人に読んでいただけたらと思っています。
筆者は先日までルワンダに出張に行っていました。
航路はいつもアシアナ航空とカタール航空を使う韓国、カタール、ウガンダ経由。丸一日かかる長旅です。
もちろんルワンダでの仕事が目的でしたが、今回はどうしても乗り換えで立ち寄る韓国で果たしたいことがありました。
きっかけはこの記事でした。
”韓国の空港で暮らす「アンゴラ人一家」の真実 日本人少女がメディアより先に情報を伝えた”(東洋経済)
日本ではこの記事とその続編(東洋経済:”空港暮らしのアンゴラ人が韓国に入れない事情 「難民認定」の難しさと韓国政府の立場”)以外ではほとんど報道されていませんが、韓国の仁川国際空港に、もう半年以上もそこで暮らしているアンゴラ人家族がいます。
この家族、ルレンド一家はアンゴラ出身ですが、内戦を逃れて長く隣国のコンゴ民主共和国で暮らしていました。このようにコンゴに逃れていたアンゴラ人は、母国では裏切り者として差別され、公的権力からも迫害を受けていました。
アンゴラとコンゴ民主共和国の間には現在も軋轢が生じており、韓国メディアの報道によると、2018年10月だけで約33万人のコンゴ人がアンゴラから追放されました(Hankyoreh: ”Angolan family stuck in Incheon Airport for six month as they seek refugee status”)。これは、アンゴラ政府が、主に鉱山労働に従事していたコンゴ移民を追放する命令を出したことを受けた動きで、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)も公式に懸念を表明しました(UNHCR: Mass Congolese returns from Angola could lead to a humanitarian crisis)。
そしてこれに続く11月、タクシー運転手だった一家の父親ルレンド氏が、飛び出してきた集団を避けた時に警察車両と接触したことで、殺人罪で不当に逮捕され、警察から暴行を受けました。
一人の警察官(おそらく同じコンゴからの帰還アンゴラ人だろうとルレンド氏は推測している)が秘密裏に逃がしてくれたことでルレンド氏は生き延びますが、彼を探しに自宅にやってきた警察官によって、ルレンド氏の妻は性的暴行を受けました。
命の危険を感じた家族は教会などに身を隠して1か月を過ごし、自宅近くにあった韓国大使館で取得した観光ビザを頼りに、12月の終わりに韓国へ向かいました。(ここまで参照:東洋経済 ”韓国の空港で暮らす「アンゴラ人一家」の真実 日本人少女がメディアより先に情報を伝えた”)
しかし、韓国の玄関口である仁川国際空港で家族は入国を拒否され、続いて1月には難民申請を行う権利すら否定されてしまいます。
一家はUNHCRの仲介によって韓国国内の弁護士の支援を取り付け、入国管理局によるこの決定を覆すよう2月に裁判を起こしましたが、4月下旬に敗訴。7月に控訴審が予定されていましたが、韓国メディアの最新の報道によると、ルレンド一家は弁護士を通し、高等裁判所に対して、入国管理局の判断の違憲審査を要請。この要請が受け入れられた場合、最高裁による違憲審査の判断が下されるまで、控訴審の結果は先送りされるといいます。(ここまで参照:The Korea Herald “Angolan family seeks constitutional review of refugee application rejection”)
その間、一家は引き続き空港での生活を余儀なくされます。
筆者が仁川空港で一家に会ったのは、出張を終えて日本に向かって移動していた7月17日。
心ばかりの支援をしたく、手元に残っていた米ドル現金を封筒に入れて渡しに行きました。Youtubeなどで事前に見ていたインタビューがどれもフランス語で行われていたので、英語がどのくらい通じるのか不安に思っていましたが、問題なく意思疎通ができました。
封筒を渡し、一家の状況に心を痛めていることを伝えると、夫妻は悲痛な表情で「事態が好転するよう祈るばかりだ」と言いました。
それでも夫妻は笑顔で筆者の手を握って感謝を述べてくれて、子供たちもはにかみながら挨拶してくれました。
それ以上何ができるのかわからず、ここでいったん辞去しましたが、その後考えを巡らせ、もう一度一家のいる場所に戻りました。そして個人で使用している名刺を渡しました。今後も何かの形で支援ができるように。
すると父親のルレンド氏がFacebookでつながることを提案してくれたので、Facebookで友人になり、今後も連絡が取れるようになりました(仁川空港の無料WiFiは安定しているので、通信には困らないようです)。
筆者は、自分がずっとアフリカで仕事をしていること、そしてアフリカに関係している知人が多いことを伝え、日本でも一家の窮状をもっと知ってもらうために、日本語で記事を書くと約束しました。
そうやって今この記事を書いています。
命の危険を逃れて知らない国へ渡り、裁判を闘いながら丸7か月に渡って空港の一角で過ごすというのがどれほどの苦痛か、私には想像もできません。
筆者は以前、難民キャンプでの難民支援に携わっていましたが、それとはまた大きく性質が違います。
少なくともキャンプには世帯ごとにテントや小屋があり、最低限のプライバシーは保たれていました(難民が一気に大量に流入している場合には、一時的に大人数が一つ屋根の下で過ごすことになりますが、たいていの場合は布を吊るすなどして仕切りを作っていました)。
でもルレンド一家にはそれはありません。眠っている時でも往来する渡航者の目に晒され、時に嫌がらせを受け、子供たちは教育の機会を奪われています。当然医療にもアクセスできず、6月には夫人と次男が体調不良で緊急搬送され、手術を受けたといいます(東洋経済:”空港暮らしのアンゴラ人が韓国に入れない事情 「難民認定」の難しさと韓国政府の立場”)。
一家に余計なストレスを与えたくなかったので、写真は撮っていないし、質問もしていません(子供たちに名前を聞いたのは除いて)。
だからここには写真は掲載できませんが、参照としてリンクしたメディアの記事には写真が載っていますし、Youtubeで「Lulendo Korea」と検索すればインタビュー動画も複数ありますので、一家がどんな環境で暮らしているかはそういった写真や動画でご覧いただけます。
報道によると、韓国の入国管理局が難民申請を認めなかった理由は、「難民の地位を申請する根拠が明白に欠如しており、純粋に経済的な理由で難民の地位を獲得しようとしている可能性がある」というものだったそうです(Hankyoreh: ”Angolan family stuck in Incheon Airport for six month as they seek refugee status”)。
もちろんこうした判断は難しいものです。アフリカから欧州へ向かう難民たちの中に、経済的困窮を理由とする移民が混じっていたのは紛れもない事実です。難民キャンプに暮らす難民認定者であっても、経済的な動機を持っている人はいます。
報道では韓国の入国管理局による手続きの不備も指摘されていますし、公的権力から迫害を受けていたルレンド一家が難民の要件を満たさないとは考えにくいですが、そもそも難民認定の要件となる「迫害」と経済的困窮は地続きである場合もあり、いつだって慎重な検討が求められます。
でも韓国政府を批判することができるでしょうか?
主要先進国の中で、韓国の難民認定率は飛びぬけて低く3%程度ですが、日本はそのさらに1/10で、わずか0.3%だそうです(出典:”空港暮らしのアンゴラ人が韓国に入れない事情 「難民認定」の難しさと韓国政府の立場”3頁)。
労働力としての移民にすら頑なな姿勢を崩さないこの国で、難民が歓迎されないのは驚きではありません。ですが、国際社会の責任ある一員としてこの姿勢は問題ではないのでしょうか?
今日行われた参議院選挙でも、移民政策はほとんど争点になっていませんでしたし、まして難民受け入れなど話題にも上らないのが現状です。
ルレンド一家に会う2日前、ルワンダで2年半のプロジェクトを無事に完遂した私に、ルワンダ人の同僚たちが一人一人感謝の言葉をくれました。
中の一人が、私に東部アフリカで広く使われるというひとつの言葉をくれました。書き留めていないので本人に確認しないとここに書けませんが、それは現地の言葉で英語の”Humanity”にあたるものだと言われました。”Humanity”は「人間らしさ」や「人道」を意味します。それが私を表す言葉だと。
何年も人道支援に携わっていたから、私が特別なのでしょうか。
そうでないと願いたいです。
2年半日本に留学していた別のルワンダ人の友人は、私にこんなことを言いました。
「日本人はとても優しく美しい心を持っているけど、みんなそれを隠している」
必ずしも同意しない人もいると思いますが、2年半の日本暮らしで彼女はそう感じたそうです。
日本人が皆、優しい心を隠し持っているとして、その優しい心を海の外、アジアの外にも向けられたら、この国はもっと移民や難民に優しくなれるでしょうか。
ここで紹介したルレンド一家の現状を知って何かを感じてくれたとしたら、あなたの心には確実に優しさが眠っています。
どうかそれを再び眠りにつかせず、どのような些細なものであってもいいから、行動として自分の外に開放してあげてください。
それが他の人の行動にも繋がっていくはずです。
もし一家の詳細や連絡先を知りたい方がいれば、コメント欄ないしSNSからご連絡ください。
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入学式当日から賛否を呼び、色々な人がコメントしたり考察したりしている祝辞。
東大発表の全文はこちらです。:平成31年度東京大学学部入学式 祝辞
「祝辞にふさわしくない」、「入学式で言うことか」と言う趣旨の批判が多いようでしたが、個人的には、今後の大学生活とその後の長い人生における自覚を促す、とても良い祝辞だと思いました。
数字を使った説明は一部よくわからない部分もありましたし、全ての主張に同意するわけではないですが、核にあるメッセージは「社会には至るところに不公正が存在するが、それは構造的に生み出され続けているものであって、あなたたちにはそれを自覚し、知の力で是正していってほしい」というようなところだと読みました。
このメッセージを批判する人はたぶんいないと思うので、批判している人は別の読み方をしているか、細かい部分に着目しているのだと思います。
一部で「祝辞なのに東大男子を非難している」「東大に合格できたのは努力の成果ではないと言っているのか?」というような批判を見ましたが、そういう指摘はどう見ても見当違いなので、上野千鶴子さんに対するバイアスが強すぎるのか、メッセージを読み違っている人も多いのかなと思います。正当な評価が下されないのは残念なことです。
全文を読んで私が一番強く共感したのは以下のくだりです。
…男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがある…。女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。
つまり、この社会において女性は「相手を絶対におびやかさない」という保証があってはじめて価値を認められる。これは社会に構造的に組み込まれた規範です。
これは私から見れば厳然と目の前に横たわる真理なのですが、男性は概してこの構造的規範について無自覚なようです。オックスフォード大学で修士課程にいた時、それをまざまざと見せつけられる出来事がありましたので、ここで紹介します。
その日は同じ大学の修士課程ないし博士課程に在籍する日本人で集まっていました。
女性は私を含む二人、男性は四人くらいだったかと記憶しています。
もう一人の女性は既婚者だったので、その方の結婚相手のことなどに話が及びました。
そういう文脈の中で、その女性がこう言いました。
「女性は男性より劣っていなければいけないの」
私は「まさしく!」と心の中でこれ以上無い賛同をしていたのですが、その場にいた男性はみんなポカーンとして、本当に何を言っているかわからないといった様子で「そんなことないですよ」というような反応をしました。
男性たちのその圧倒的な無自覚さに、私は「ここで私がこの女性に同調しても不毛な議論になるだけ」と思い、何も言えずに黙りこんでしまいました。
自分が常日頃抱いてきた思い(「女性は男性より劣っていなければならない」)を同じように抱えている女性がいることはとても嬉しかったけれど、知的水準の高い男性たちであっても、清々しいほどにこういう規範に自覚が無いという現実には絶望的なものを感じました。
社会が求める女性の価値は「相手を絶対におびやかさない」という保証を前提としている、という上野千鶴子さんの祝辞の一節は、私にこの一件を思い起こさせましたが、賛否の中でもこの一節を取り上げる人は少ないようで、この点についての議論が深まらないのは残念です。
祝辞についての記事をいくつか読みましたが、かなり読まれていて評価されているらしいものに、以下の通称「白饅頭」さんの記事があります。
上野千鶴子氏の東大スピーチ「納得と、それでも消えない疑問」 (御田寺 圭さん)
以下はこの記事の3頁からの引用です。
日本の女性のあいだで、いわゆる「上昇婚志向」が根強く残っていることは、社会学の領域でも指摘され議論の対象になっている。「自分よりも収入や学歴が高い相手をパートナーにしたい」、裏を返せば「自分より格下の男とは付き合いたくない」という志向が、とくに女性にとってはパートナーシップ形成に強い影響を与えている可能性があるのだ。
事情はエリート女性でも同様だ。エリートならばこそ「専業主夫」なんて選べない、と上野氏は言う。本当に東大女子が「モテない」のだとすれば、やはりパートナーに「東大と同等以上の学歴」や「高い知性」「社会的ステータス」などを求めるケースが多いからである蓋然性は高い。
社会学の領域でどういった議論がなされているのかは私は知りませんが、女性が自分より学歴や年収の高い男性を結婚相手に選ぶのは、単純な本人たちの選好ではなく、さきほどの規範に影響を受けているからではないのでしょうか。
男性から「結婚相手としての価値」、つまり女性としての価値を認められるには、女性は相手を絶対におびやかしてはならない。これが規範として女性側の意識にあるとすれば、結果的に、自分と同等かそれ以上の学歴ないし収入の男性を選ぶことになります。
女性が男性より劣っているためには、自分より優れている男性を選ぶしかないのです。「上昇婚志向」はこの結果であって、女性たちの意識の問題ではなく、つまるところ女性の価値に関する構造的な規範の問題なのです。こういったものは本人らの意識だけで変えられるような生易しいものではありません。
じっさい私の肉親はむかし、私が当時交際していた非大卒の男性について、「あの子(私のこと)は○○大学を出ているのに」という趣旨のことを、私のいないところでこぼしていました。家族に祝福される結婚をしたかった私には重い一言でした。結局その男性とはその後別れましたが、親のこの態度が意識的ないし無意識的に影響した可能性は否定しません。
記事に戻って、著者の御田寺さんは、2013年の上野千鶴子さんのインタビュー記事(女を使えない企業が、世界で戦えますか?上野千鶴子先生に聞く、日本企業と女の今 4頁)から以下の発言を引用して、今回の祝辞との矛盾を指摘しています。
エリート女の泣きどころは、エリート男しか愛せないってこと(笑)。男性評論家はよく、エリート女は家事労働してくれるハウスハスバンドを選べなんて簡単に言うけど、現実的じゃない。
上野さんがどういう意味合いで「愛せない」と言ったのかは元記事からもわかりませんが、結婚は双方が相手を選ばなければ成立しないわけですから、「自分を選んでくれる男性の中からしか選べない」という前提を足してみると、見え方が変わります。
祝辞の「愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています」という部分から、結局のところ男性の側が「自分を絶対におびやかさない」女性しか選ばない、ないし愛さないのだとすれば、エリート女性を選ぶ男性はその女性以上のエリート男性に絞られるということになりますから、「エリート女は家事労働してくれるハウスハスバンドを選べなんて簡単に言うけど、現実的じゃない」という過去の発言と今回の祝辞の内容は、どこも矛盾しないように思います。
つまるところ、この記事を書いた男性も、「女性は男性をおびやかしてはならない」という構造的規範に無自覚であるがゆえに、上野さんの発言を読み違っているのではないかと感じました。
念のため書いておきますが、この方の主張を全面的に批判する意図は有りません。この方が記事で書いている「やさしさを装った疎外」という概念は重要な視点だと思いますし、一読に値する記事ですが、ただ上記の点については私には読み違いに見えるという意見です。
祝辞で注目されている箇所の一つは、以下の部分です。
がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと…たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
これは一言で言えば「自分がある種の特権階級であるを自覚しろ」ということでしょう。特権を持っている人は往々にしてそのことに無自覚です。
私は上野さんの「女性=弱者」という考え方には同調しない(というかそもそも「弱者」という表現が嫌なので一切使わない)のですが、男性=特権階級だとは思っています。
東大生がしばしば環境という特権に無自覚(これは御田寺さんの記事でも指摘されています)なのと同じように、男性は男性だけが持っている特権、そして男性が構造を介して女性に強いていることについて無自覚です。その一つが「女性は男性より劣っているべき」という規範なのです。
無自覚な特権階級に自覚を促すのは難しいものです。そのためには自分がどうやっても経験できない「特権無し」の人の視点を想像しなければならないわけですが、特権を持たない人の悲痛な声を聴くだけでは、想像を膨らませるには不十分なようです。
その点では、私は女性に生まれてよかったと思います。実際に一つの分類において被抑圧層(「弱者」と呼ばれる層)に属することで、人種、階級、宗教などその他の色々な分類に則って行われる抑圧に想像を巡らせることができます。
それ以外に女性に生まれて良かったと思うことは今のところありません。
この先なにか見つかればいいと願うばかりです。
]]>昨日発表されたUNHCRの最新報告(UNHCR Global Trends 2017⇒クリックで新しいタブで開きます)によると、2017年末時点で、強制的に移動を強いられた人(難民・国内避難民を含む)の数は6,850万人。昨年に引き続き、史上最多を記録しました。
このうち、最大を占めるのがシリア難民・国内避難民です。上述の報告書によると、2017年末時点で、シリアから他国へ逃れたシリア難民の数は630万人、シリア国内で避難生活を送っているシリア国内避難民の数は620万人に登ります。
このウェブサイトではアフリカを取り上げることばかりですが、私は2014年に数カ月間、イラクのクルド人自治区でシリア難民支援に携わっていました。
当時と比べても難民の数は増えるばかり。
世界難民の日の機会を捉えて、今日は私がイラクで出会ったシリア難民の写真を紹介します。
当時はIS(ISIL/ISIS/イスラム国)の攻勢により北部の主要都市モスルが制圧され、多数のイラク国内避難民がクルド人自治区に逃れてきた時期でもありました。
ここでは、イラク国内避難民の写真もあわせてご紹介します。
これはクルド人自治区最大のシリア難民キャンプであったドミズ難民キャンプでの写真です。
中央で白いシャツを着ているのが筆者です。
難民キャンプというとテントのイメージが強いかもしれません。
ドミズは広いので区画によって様子ががらりと変わりますが、このエリアはコンクリートブロックでできた住居が並んでいました。
私の左側に一緒に映っているのは、現地で共に活動をした当時の所属NGOの現地スタッフと、パートナーとして共に活動していた現地NGOのスタッフです。
つい先日、UNHCR大使を務める米女優のアンジェリーナ・ジョリーもこの地を訪れ、世界難民の日に向けたスピーチを行っていました。
これは同じドミズ難民キャンプで暮らす難民の方のお宅にお邪魔した時の写真です。
衛生促進の活動をしていたので、衛生に関する情報を書いたパンフレットを渡しています。
コンクリートブロック作りである程度頑丈ではありますが、中に入っても壁紙もなくむき出しのブロックが見えているあたりが、仮住まいであることを強く感じさせます。
住宅は単純な箱型で、中には仕切りもありません。
区画やキャンプにより配置や設置数は大きく異なりますが、トイレやシャワーは共同です。
これはアクレ難民キャンプという場所での写真です。
ここはもともと政府系組織の寮だったか、公的機関の所有する大きな建物でした。それが難民の流入を受けて、難民キャンプとして使われるようになったのです。
建物がある分、野ざらしのキャンプよりは良い環境だったと言えるかもしれませんが、もともとの部屋数では到底足りないので、壁に穴を開けたり布で仕切りを作ったりして、多くの家族が暮らしていました。
この少年はカメラを構える私に楽器を奏でて見せてくれました。
困難な生活の中でも遊びを忘れない子どもたちの姿には、いつも感激させられました。
ところ変わって、これはイラク国内避難民のために緊急に設置されたガルマワIDPキャンプです。
急ごしらえのキャンプでしたので、典型的な難民キャンプのテントが並んでいます。
この時は7月で、現地では最高気温が50度にも達する過酷な季節でした。
おしゃぶりをくわえた乳児が裸足で歩いている姿からは、取るものも取りあえず逃れてきた避難民の方たちの逼迫した状況が見て取れます。
同じガルマワの避難民の人々です。
余りにも熱いので、男性たちは頭にタオルを被って日よけにしています。
イラクは日本と違って乾燥していますので、日陰に入ればまとわりつくような暑さはありませんが、気温50度の炎天下でのテント生活は、私たち日本人の想像の範囲を超えているでしょう。
それでも人々はにこやかで、支援計画を立てるために状況を聞きたいと言うと、自分のテントに快く招き入れてくれます。
中には、お茶でも出そうと自ら声をかけてくれる人もいます。
援助業界で「レジリエンス」(日本語では、強靭さなどと訳されます)という言葉がしばしば使われるようになりましたが、難民の人々の笑顔は、まさに強靭な精神の現れであったと強く思います。
これはガルマワで冷風機を配布した時の写真です。
中央の人が背中に抱えて運んでいる大きな箱状のものが冷風機です。これはこの地域ではよく使われる冷房器具で、水を使って空気を冷却するものです。
当然水や電気を使うのですが、クルド人自治区政府は難民支援に大変熱心で、そうしたインフラの提供にはとても寛大かつ積極的でした。
UNHCRや各国からの援助団体が集まる会合でも、クルド人自治区政府の代表者が力強い発言をしていたのが印象的です。
イラクのクルド人自治区に逃れてくるシリア難民は同じクルド系の人が多かったので、同胞意識が強かったのもあるかと思います。
これはシリア難民の為に新たに建設中であったガウィーラン難民キャンプの新区画です。
コンクリートブロックの基礎部分にテントの屋根をつけた住居、そしてトイレ、シャワー、キッチンの四角い建物が整然と並んでいます。
ここは俗に「五つ星キャンプ」と呼ばれるほど、環境の整った区画でした。
この時はまだ難民の人々が住み始めていないので、延々と同じ建物が並ぶ様はとても無機質に見えます。
今この場所がどのような様子になっているのかはわかりませんが、人々の活気ある生活の場になっていればいいと思います。
クルド人自治区政府の姿勢については先に触れましたが、政府に留まらず一般の市民でも、自宅に何人もの難民を受け入れて一緒に生活している人もいました。
自分たちの生活の糧を削ってでも難民の人々を助けようとする意識が、彼らの間には当然のように存在していたのですね。
日本はほとんど難民認定をしない国ですし、大量の難民が押し寄せるという事態にも今のところは見舞われていません。ですから、自国に難民を迎えるということがうまく想像できず、さらに言語の壁に囲われて培われた閉鎖的な気質も手伝って、難民を脅威と見なしがちなように思います。
私がここで紹介した写真に映っている難民や国内避難民は、恐ろしい存在に見えますか?
私は自ら望んで人道支援に携わっていましたが、現場ではうまく進まないことも多く、ストレスの少ない仕事だとは決して言えません。
それでも私が支援に携わり続け、職業上は人道支援を離れた今もこうして難民に強い関心を寄せているのは、支援現場で出会った人々の笑顔と、彼らの精神の強靭さに心を打たれたからだと思います。
日本にいれば垣間見ることすらできない途方のない過酷さ。
理不尽にもそんな過酷な環境に置かれた難民や国内避難民の人々が、無名の若手援助実務者である私を歓迎し、笑いかけ、そして差し出した支援に感謝を示してくれた。
その実感が、私を「匿名の存在」から、確かな痕跡を残す「何者か」にしてくれたのだと思います。
匿名の集団の一部でなく、人格を備えた私という個人は、難民の苦境に目をつぶる人間ではいたくないのです。
日本を難民から遠ざけているのは、匿名性にくるまれた無関心ではないでしょうか。
匿名でいる限り、明白な不正義に目を瞑っても私たちの良心は痛まないでしょう。
でも、世界には今日も失われていく命があり、損なわれていく無垢な心があり、不正義を前に否応なく歪められていく精神があるのです。
私たちは無関心から脱却しなければいけません。
それには、まずは知ることからです。
この記事を目にとめてくださった方の一人でも多くが、これまでより少しでも難民や国内避難民に関心を持って下されば幸いです。
(この記事で使用した写真は、全て筆者が2014年にイラクのクルド人自治区で撮影したものです。)
]]>今回読んだ本はこちらです(画像クリックでAmazonの商品ページに飛びます)
「動物保護入門 ドイツとギリシャに学ぶ共生の未来」(浅川千尋・有馬めぐむ著、世界思想社2018年4月発行)
この本は、まず日本の動物愛護(この本では欧米で一般的な「動物保護」という表現を用いています)の現状を、法制度と現場の取り組みを紹介しつつ概観します。そののち、「動物保護先進国」ドイツの例と「動物保護新興国」ギリシャの例を紹介し、最後にその2か国の例に基づいて今後日本が取り組むべきことを提案しています。
ドイツの事例は動物愛護関係者の間でもよく引き合いに出されますので、聞いたことのある人も多いかもしれません。
私も、以前所属していた団体(犬の保護活動を行っていました)がドイツ在住の獣医の方の指導を仰いでいて、実際ドイツの基準に則った施設を作ったりしていましたので、ドイツが動物愛護の世界において手本のように扱われているのはよく知っていました。
他方で、ネット上の議論等を見ていて、動物愛護の話になると決まり文句のように「ドイツでは」という主張を繰り出す人が相当数いることには懸念を覚えていました。
というのも、そいういった主張をする人は大抵、この本でも紹介されている「ティアハイム」という動物保護施設のことや殺処分が原則行われていないことなど、良い面だけを、その背景の指摘もなしに引き合いに出すのです。
この本でも、そういった日本の風潮に対し、以下の記述があります(148~149頁)。
動物保護先進国ドイツは、原則「殺処分ゼロ」である。日本ではこの点が強調され、美化されている面もある。しかしドイツでは、狩猟法にもとづき狩猟動物を保護する目的で、狩猟ができる地域において犬や猫を駆除できるという事実は伝えておかないと公平ではないであろう。…相当数の犬や猫が駆除されている。ドイツ連邦動物保護同盟は、狩猟法によるこの駆除を批判しており、狩猟法の改正を求めている。
このように、「動物保護先進国」ドイツにおいても、今も狩猟法を口実に犬猫が「駆除」されているという現実もあるのです。
外国の良い事例をそこだけ切り取って参照し、それと比較する形で日本の現状を批判することは、動物愛護の推進(つまりある種の社会正義の実現)にとって、あまり生産的には見えません。
動物愛護活動における問題については、このウェブサイトの過去記事(クリックで新しいタブで開きます⇒善人たちの原理主義 -排他的な正義は社会正義の芽を摘む-)でも触れたことがあります。
この記事で書いたように、私は、動物愛護を含む社会正義の実現のための活動は、包摂的で、多様性に富み、誰もが自己犠牲なしに参加できる開かれた活動の場でなくてはならないと考えます。
このような社会正義のための運動は、身近な努力で少しだけ貢献したいと思う多くの普通の人が参加できるものでなければ、大きな社会運動となって政策を動かし、社会変革を起こすことなどできないのです。
この本でも、結びの部分で同じようなことが指摘されています。(153頁)
…日本で動物保護活動をしている人たちのなかには、菜食主義者でないと動物保護をする資格がないという考えの人もいた。ギリシャで取材をした動物保護団体には、徹底した菜食主義の人もいるし、肉食はするが犬猫の殺処分や不必要な動物実験には反対だというように、さまざまな意見の人びとがいる。…激しい議論をしつつも、わだかまりを持たずに一緒に活動している。
気軽に意見を交わして、どこまでを許容するかという線引きは異なっても、まずは動物保護に関心のある市民ひとりひとりが、改善すべきだと思うところから声をあげ、柔軟な協力体制を築いていくことが重要ではないだろうか。
上で指摘した問題にも繋がる根本的な課題として、この本の表題にもある「共生」という考え方自体が、日本には根付いていないように思います。引用続きになりますが、以下、本の146頁から引用です。
日本社会の一部では、まだ「子犬・子猫神話」が根強く、小さくてかわいい犬や猫が好まれる傾向が強い。血統書付きの犬や猫にこだわる人もいる。テレビ番組や雑誌のペット特集などにおいても、飼い主の義務や責任は二の次だ。経済効果が優先され、流行の犬種、猫種など、つくられた感のあるペットブームが演出されている。そもそも、犬猫を飼う際、ペットショップ以外の経路があまり知られていない。結果、モノを購入する感覚で、安易にペットショップなどから動物を飼ってしまうという現状がある。
この背景として、「人と動物の共生」という発想より「愛らしい」「高価なアクセサリー」という感覚が市民の心をとらえがちであることも挙げられるだろう。このあたりは、啓発活動によって動物保護の重要性、人と動物との良い関係性をどう築いていけるのかを粘り強く伝えて行くことが大切である。
ここで述べられているとおり、特に散歩で外に連れ出される犬は、飼い主のアクセサリー、或いはある種のステータス誇示の道具のように扱われている面が強いように感じます。
最近はInstagramなどSNSも普及しているので、猫についても同じ傾向が強まっているのではないかと思います。たぶん、それが近年日本でもてはやされている「空前の猫ブーム」の背景にあるのではないでしょうか。
私の家には今二匹の保護猫がいますが、実際私は「長毛の猫を飼いたい」という子供のころからの憧れに基づいて、引き取る猫を選びましたので、このように「共生」でなく愛らしさに重きを置くような意識からは、私もまるで自由ではないということなのでしょう。
それでも、私には保護猫を引き取るという以外の選択肢は頭からなかったし、特に2匹目の猫については、「他に里親の申し出が来ていない猫を引き取る」という基準で選びました。
自己犠牲を伴わず、自分にできる範囲で動物にやさしい選択をしていくということが、この本でも提唱されている「市民ひとりひとりが、改善すべきだと思うところから声をあげ」るということなのではないでしょうか。
この本で紹介されているドイツとギリシャの事例は、現地取材に基づいていて、写真も紹介されており、とてもイメージが湧きやすいです。
ドイツのティアハイムというのは、日本の動物愛護センター(事実上の殺処分施設)とはまるで違う施設で、そこで保護された動物は、新たな飼い主が現れなければそこで生涯暮らすことができるそうです。
驚くべきは、取材対象となった3大都市のティアハイムでは、9割以上の犬猫に新たな飼い主が見つかるという点です。ドイツでは、犬や猫を迎える時にティアハイムから譲り受けるというのが当然のこととして定着しているということでしょう。
ギリシャの事例は、ドイツのように施設で保護するのではなく、避妊・去勢手術、必要な治療、そして訓練を施したうえで元の場所に戻す、TNR活動の発展版といえる活動です。
TNRは日本でも野良猫の繁殖対策として多く取り入れられていますが、ギリシャでは犬に対してこれを行っているということで、莫大な費用のかかる施設での飼養に比べ実行しやすく、日本でも参考になりそうだと思いました。
ただ、どちらの国でも共通しているのが、各々の施策に対する市民の理解が、その前提として存在するということ。
ドイツの場合はそれが歴史的に醸成されたようですが、ギリシャの場合は、アテネ市役所の主導のもと、愛護団体や関心のある個人との連携の下で、反対派市民に対して粘り強く説明を行い、理解を得ていったといいます。
日本では行政が強いリーダーシップを発揮する例があまり見られないばかりか、民間での動きにもうまく呼応できていないように見えます。
殺処分ゼロを目指す活動やTNR促進活動は全国の色々な地域で色々な団体によって行われていますが、広く日本国民の理解を取り付け、賛同と協力を得て社会変革へと繋げるためには、官民一体となった協調的な運動にある程度収束していく必要があるように思います。
そうでなければ、それは結局、ごくごく一部の心ある人たちの活動としてめいめいに展開され続け、そのような人々の輪の外まで波及するのは難しいように見えます。
小さな意思も、大きな流れとして統合されれば、きっと想像もできないような大きな動きとなって社会を変えていけるのではないでしょうか。
この本には、そのためのヒントが散りばめられているように思いました。
他国の先進事例を美化して日本の現状を批判するのではなく、日本の社会構造や歴史的経緯なども考慮した上で、そうした事例からどのような本質的指針を導き出し、日本にあった施策を形作っていけるか。そういった創造的な議論が、政治家や専門家、大手愛護団体だけでなく、反対派も含めて参加の意思のある市民に広く開かれた形で行われれば、日本らしい形で動物愛護の好例を作り出していけるのではないかと思います。
(この記事で使用した写真は、筆者が2016年11月にケニアで撮影したものです。)
]]>1月に出張があって体力の限界まで働き、2月は反動で抜け殻のように過ごし、3月に入ると急に仕事が忙しくなり・・。
そうこうしている間に誕生日を迎え、また一つ無事に年を重ねました。
自分の生まれた時期だからというのもありますが、3月下旬から4月にかけての季節は一番好きです。
終わるべきものが終わり、新しい手つかずの何かが始まる季節です。
今日は桜の写真をたくさん撮ってきたので、写真を披露しがてら、春の象徴するものについて書いてみようと思います。
仕事の一環で、月に一度インターネットラジオで話すことがあるのですが、4月分の収録で「4月、春というのは日本人のあなたにとってどういう意味合いがありますか」という質問をされました。
ちなみに、このラジオ番組は私以外の出演者は日本在住ないし日本に留学中の外国人です。「日本人のあなたにとって」という質問が出るのは、こういう背景によるものです。
台本もなく唐突に聞かれたので、その時はなんだか無難なコメントを返す形になってしまいましたが、今日素晴らしい天気の中で写真を撮って歩いている中で、それについて改めて考えたのです。
まず、春は何かが終わって別の何かが始まる季節です。
学校だったり仕事だったりもそうですが、特に3月下旬生まれの私にとっては、1年の区切りが訪れる時期でもあります。
過去1年を振り返り、できなかったことや、逆にこれからの1年でしたいことを思い巡らせる時期です。
それはつまり、何かに終止符が打たれ、それに代わって、新たな飛躍を描く季節ということになります。
でも、今日まだ咲きはじめの桜を見て、同時に桜を愛でるたくさんの人の姿を見て、それだけではないなと思いました。
日本の春の代名詞は間違いなく桜です。お花見したさにこの時期に日本にやってくる外国人旅行者も多いでしょう。
桜とは、ほんの1,2週間で散っていく美しくも儚い花です。
それは私にとっては、「無常」という、たぶんとても日本的な哲学を体現しています。
「諸行無常」という言葉を知ったのは中学生の時。
たぶん多くの方が国語の授業で暗唱させられた、平家物語の冒頭の文章ですね。
平家物語は平家の盛衰を描いた物語なので、「無常」という観念が前面に出てくるのはとても自然なのでしょうけれど、私はこれをもっと根源的な哲学のように思います。
現在その人が手にしている色々な良いもの。例えば安定、愛情、友人、富、名声、栄華。
春になり桜を見ていると、そういった良いものは桜と同じように儚く消えてしまうのかもしれない、と考えさせられるのです。
じっさい、桜の季節は焦燥感にかられます。桜の見ごろを逃してはいけないと、天気の良い日にはカメラを首から下げて出かけたくなるのです。
美しいものに夢中になってそれを追いかけ、儚く散る前になんとか縋ろうとするのです。
それはそのまま、人間の生き方のようでもあります。
私はつい先日誕生日を迎えましたが、過去1年間を振り返ると、お金に直結する仕事ばかりを追いかけてしまったな、という思いが強く、その点は強く反省しています。
1年と数か月前、組織に属するのをやめてフリーランスとして生活していくことを決めた時、本当は、今日のように美しいものを見るのにゆったりと時間を使ったり、趣味の写真に時間をかけたり、自分の心のうちを文章にしたり、自分と家族の生活を豊かにするために時間を使ったり、そういうことをしたいと考えていたのです。
それなのに、より多くの生活の糧を確保することに焦り、目の前に現れる見栄えの良いものに惑わされ、駆り立てられてきました。
その結果、実際に仕事は増え、収入源もある程度多角化できましたが、それが自分や家族の本来の意味での豊かさに結び付いているかはわかりません。
主に仕事が原因でストレスを抱え込むことも多い1年でした。
そのせいで、毎日そばにいる夫には何度も心配をかけました。
去年はそんな1年でしたが、これからの新しい1年は、今日桜を見ながら思い起こした「無常」の精神を心の根っこに刻んで生きていければいいと思います。
見栄えのいいもの(つまり私にとっては、お金に直結するいい仕事)はずっと私のもとには留まらないし、必ずしも私の生活を豊かにはしない。
だから、私は目先のお金に飛びつくのではなく、自分が今後ずっと続けていきたいことや将来仕事にしたいこと、そして家族の暮らしを良くすることにもっと時間を使う。
そして現状に満足せず、日々新たなことを学び、或いは今持っている知識を磨いて、たえず自分を向上する。
そういう意識と不断の努力なしでは、今ある安定も家庭の幸福もきっと守れないでしょう。
このように自分を戒め、これからの新しい1年を過ごしていきたいと思います。
新しい年の節目の抱負として、今日の写真と共に書き残しておきます。
(この記事で使用した写真は全て、2018年3月25日に筆者が撮影したものです。)
]]>年末年始はいつも以上に読書に時間を割き、のんびり過ごすことができました。
今回読んだ本のうちの一冊がとても印象的だったので、今回はその書評を書きます。
タイトルは「空から降ってきた男 アフリカ『奴隷社会』の悲劇」。著者は毎日新聞の小倉孝保氏。
(↓画像クリックでAmazonの商品ページに飛びます。)
Amazonのページに、あらすじを含めた丁寧な書評がいくつも並んでいますので、ここでは大まかな流れを振り返りながら私の思ったところを記録するにとどめ、細かい内容にはあまり触れずにおきます。
日本人にはあまり馴染みのない話ですが、アフリカから欧州へ渡ろうとして、駐機中の飛行機の主脚格納部等に忍び込む人は少なからずいます。
見つからずに忍び込むことができれば、あとは勝手に飛行機が離陸し順調に目的地に近づくことができますが、着地が近づき再び格納部が開く時には、低気温と低酸素で死亡しているか、或いは意識を失っている場合が多く、生きていても無意識のまま落下して死亡する例が多いようです。
本書によると、このような方法で渡航を試みた事例は、1974年以降、全世界であわせて96人に登り、そのうち73人が亡くなっています。
この本は、この方法でアンゴラからイギリスを目指して2012年9月にロンドン郊外に落下し、命を落としたモザンビーク出身の青年の話です。
新聞記者である著者がイギリス、スイス、モザンビーク、アンゴラでの取材で丁寧にことの経緯を追い、その発見に基づいて著者が見出した悲劇的なストーリーが描かれています。
一言で言えば、亡くなった青年ジョゼ・マタダは、一人のスイス人女性との出会いによって、アフリカ的なものから脱却して欧州で新たな人生を送ることを強く求めるようになり、徒労と焦燥の挙句に悲劇的な死を遂げたと言えると思います。
本は、ことの顛末を知るスイス人女性へのインタビューを中心に構成されています。
マタダ青年は、かつて出稼ぎ労働者として働いていた南アフリカの豪邸で、カメルーン出身の館の主の妻であったこのスイス人女性と出会い、彼らの置かれていた特殊な環境の下で親睦を深め、互いにとって特別な存在となります。
女性と夫との関係、女性と夫側家族たちとの関係、そしてアフリカでよく見られる嫉妬と告げ口と不信に満ちた生活環境。女性はこういったものに耐え切れず、はたから見れば駆け落ちのような形で、使用人であったマタダ青年と家を出ます。
その後、二人は女性の夫から逃れつつ、一緒に欧州へ渡ることを目指して、南アフリカからモザンビークへ、そして再び南アフリカへ逃避行を続けますが、マタダ青年がパスポートどころかその申請に必要な出生証明も取得することができない行政の無法状態に直面し、心身ともに追い詰められた果てに、女性だけが母親を頼って欧州へ戻ります。
家出から女性の欧州帰還まで、2人は約3カ月に渡って苦悩を共にしたのですが、結論から言えば、女性はその後ジュネーブに落ち着き、かねてから望んでいた夫との離婚を成立させ、そして南アフリカでのマタダ青年との別れから1年も経たないうちに、帰還後にジュネーブで出会った別の男性と再婚します。
女性は、マタダ青年との間に男女関係はおろか恋愛感情があったことも否定し、「弟のように思っていた」と強調しますが、著者のモザンビークでのインタビューからは、マタダ青年が女性を恋人と見なし、結婚を望んでいたことが明らかになっています。
女性は結婚後もマタダ青年へ送金を続け、彼が欧州へ来られるよう支援をします。
女性の新たな夫は、船で地中海を渡ったという西アフリカのガンビア出身の難民。その夫の難民仲間から「アンゴラ(アフリカ南西部)から欧州へ移民船が出ている」という情報を得た女性は、マタダ青年にアンゴラ行きを指示します。
しかし、辿り着いたアンゴラの地でマタダ青年がその身を託したのは、移民を運ぶ船ではなく、彼を死へと誘う飛行機の主脚格納部だったのです。
Amazonレビューで指摘されているルポルタージュとしての出来(要は取材の公平性など)についてはここでは何も書きませんが、そういう点を勘案しても、会話を主体とした叙情的なストーリーが大変ドラマチックに展開し、読んだ後はとても感傷的になりました。この事件を切り口として現代アフリカの病理を伝えようとする著者の真摯さと卓越した筆力については、誰も口を挟めないでしょう。
私は何度読んでもいいと思うくらいにこの本を気に入りましたが、少し気になったのは、そこここで無遠慮に顔を出す著者の主観でした。
著者は、女性とマタダ青年が男女の関係を結ばなかったという説明がどうしても腑に落ちなかったようですが、女性は敬虔なイスラム教徒でかつ既婚者、そしてマタダ青年も同じく熱心なイスラム改宗者で女性とは主従関係にあった、ということを考えると、どちらも安易に関係を求めることはできなかっただろうと私は思います。
もちろん女性が自分に都合の良い証言をしていた可能性は十分ありますが、あくまでその点に固執する姿勢には著者の世俗的な固定観念のようなものが色濃く表れており、結果的に、書き手としての中立性に若干の疑問を抱いてしまいました。
上の点にも関わりますが、マタダ青年にとって女性は「別世界への鍵」だったのだと私は思います。失えばおそらく二度とは手に入らない大事な鍵ですから、不用意に関係を迫るなどという危険を冒すはずがありません。
モザンビークの寒村に生まれ、出稼ぎ労働者としてまず首都マプトへ、そしてさらに高収入を得られる隣国南アフリカへ渡り、雇い主の豪邸で目の当たりにした物質的豊かさ。
彼が最後の帰郷で実家から自分の持ち物や写真を全て持ち去ったというエピソード。
そして、マプトのモスクで説教師に語ったという「僕に家族はいない」という言葉。
取材で明らかになったマタダの半生と最後の日々の行動から、著者は次のように分析します(233頁)。
マタダは家族との精神的なつながりを切ろうとしたのではないか。家族や親類、そしてふるさととの関係を切ることでしか、豊かさにたどり着くことはできないと感じたのではないか。貧困世界と別れて、何としてでも欧州に渡る。マタダの決意は固かったのだ。
逃避行でマプトに滞在中、一人で兄に会いに行ったマタダ青年は女性のことを「恋人」と話し、結婚したいと思っていると告げています。
かといって彼が女性に恋をしていたのかどうかはわからない、というのが私の感想です。
著者が語るように、マタダ青年が渇望したのは「豊かさ」であり、欧州は、彼がそれを手にすることのできる「別世界」であったのでしょう。そして、スイス人女性はこへ至るための「鍵」でした。
女性はカメルーン人の富豪と結婚していましたが、アフリカ的な家族のあり方やその中での女性の位置づけを受け入れることができず、結果的にそこから逃亡します。
マタダ青年はその苦悩を傍で見ていたはずなので、この女性と一緒になって欧州で暮らすためには、女性が嫌がるであろう「アフリカ的な家族」を捨てなければならないと考えたのかもしれません。
それが女性への愛情ゆえだったのか、奇跡的に転がり込んだ人生大逆転の好機にしがみつくための手段だったのかは、本人にしか(或いは本人にも)わからないでしょう。
著者はマタダ青年が女性に恋愛感情を抱いていたことを前提としているように読めましたが、私は上述のとおり、豊かさへの鍵ないしパトロンと見ていたのではないかと思います。
インタビューには、女性がガンビア人男性と再婚し妊娠したと聞いた後、マタダ青年は欧州行きをさらに強く(もはや手段を選ばず)望むようになったとあります。
これについて、著者はマタダ青年が自暴自棄状態になっていたと推測します。
一方、モザンビーク取材で著者の通訳をした現地ジャーナリストは、「手の届くはずのない存在」である白人女性が自分に愛情を示してくれたことで、マタダ青年は「一種の狂乱状態」で生きていたはずだ、と語っています(199頁)。
ジャーナリストは「彼はその女性と結婚したかったはずだ」とも語っていますが、少なくとも文中では、マタダ青年が「恋していた」とか、女性を「愛していた」とは言っていません。
マタダ青年にとって、女性が別の男性と結婚したことは大変な絶望であったでしょう。しかしそれは失恋ではなく、別世界への鍵を失ってしまうという焦燥だったのではないでしょうか。
結婚と妊娠を契機に女性の自分への関心が薄れていっていることを感じ、女性の支援を得られるうちになんとしても欧州へ渡航しなければ、と焦るあまり、欧州への道を急ぎすぎでしまったのかもしれません。
彼がアンゴラに着いた時、女性からの金銭的支援は既に心細いものとなっていたようです。
加えて、本でも指摘されているとおり、アンゴラの首都ルアンダは物価が高いことで有名です。公用語のポルトガル語が話せるとはいっても、正規のパスポートも持たない不法移民が自力で生計を立てるのはどの程度現実だったのでしょう。
モザンビークでのインタビューによると、彼はアンゴラへ向かったことを家族の誰にも告げていません。スイス人女性からの金銭的支援がなければ、もう故郷へ戻ることもできなかったのです。
家族思いだったマタダ青年が、モザンビークの家族や親類を自ら捨て去ってまで追いすがった鍵。
その鍵が、遠い陸と海の彼方に消えようとしている。
アンゴラでマタダ青年が誰とどんな話をしたか、或いはしなかったかは、誰も知りません。
万策尽きた果ての一世一代の賭けだったのか、或いは無責任な誰かにそそのかされたのかもしれません。
いずれにしても、彼は消えゆく鍵を失うまいと道を急ぎ、結果的に、焦がれ続けた欧州の土を踏む代わりに、その中に埋葬されることになったのです。
その後、遺族の強い希望を受けて、2014年6月、悲劇的な死から2年弱、そして最後の帰郷から実に3年を経て、マタダ青年の遺体は故郷へ帰ったそうです。当初イギリスで墓標もなく孤立した場所に埋葬されたマタダ青年は、今ふたたび故郷に戻り、家族の手によって世話をされているのです。
欧州に焦がれ、故郷を捨ててまで一人豊かさを目指した青年。悲壮な旅を終えた彼を気にかけて弔ってくれたのは、皮肉にも、彼が命を賭してまで振り払おうともがいた、アフリカの家族だったのです。
書評というより本の流れを追う形になってしまいましたが、この本は現代アフリカの様々な問題点をあぶり出した良書であり、読み物としても大変よくできていると思います。
既に述べたように、ノンフィクションとしては公平性や中立性に欠ける部分はありますが、日本人が目にしにくい現代アフリカの構造的な問題について知るには大変良い本だと思います。
ご関心のある方は是非手に取ってみてください。
]]>筆者が個人事業主として開業してから約1年が経ちましたので、2017年の終わりの節目に、フリーランス1年目の仕事と生活を振り返っておこうと思います。
政府が推進する「働き方改革」では、人生100年時代を見据えて副業・兼業も推進されています。
正社員として働きながら副業をする人も増え、今後もこういった新しい働き方は広がっていくものと思います。
これから先、フリーランスとして独立して働くことを視野に入れている人の参考になればと思います。
まず、「個人事業主」や「フリーランス」という言葉が耳慣れないという方のために、注釈として言葉の意味合いを説明しておきます。
「個人事業主」とは税務上の区分で、税務署に開業届を出すことで登録されます。
対して、こちらは私個人の認識ですが、「フリーランス」ないし「フリーランサー」とは、届け出上の呼び方ではなく一般に普及している呼称で、基本的には、一つの組織に所属せず、仕事を業務単位で請け負って働く人のことを指しています。
私が個人で作っている名刺には英語でフリーランサーと書いてあります。
「フリーランス」と「フリーランサー」は基本的に同じ意味で使われますが、厳密に言うと「フリーランス」が働き方を指すのに対して、「フリーランサー」はそういう働き方の人を指します。
ここでは、制度的な部分をさわりだけ説明します。細かいことはあらためて連載形式で紹介したいと思っています。
私の個人事業主としての開業のきっかけは、以前の所属先を辞す前に新たな職探しをしている段階で、業務委託かつパートタイムという形で仕事が決まったことでした。
組織に所属しないで業務を請け負う形になるので、個人事業主として税務署に届け出をすることが必要でした。
届け出自体はものの数分で終わるのですが、納税額の確定のため、組織に所属している際には必要なかった確定申告を自分で(ないしは税理士に依頼して)行う必要があります。
このため、去年の年末年始休暇には確定申告や複式簿記の本を読んでいたのをよく覚えています。
確定申告には何種類かあって、まず白色申告と青色申告の2種類に分かれ、青色だと所得控除という形で税制優遇が受けられます。青色申告を行う場合には期限内に税務署への届け出が必要です。
私の場合は事前にインターネットで調べる中でこの情報も把握していたので、開業の届け出と同時に青色申告の届け出も行いました。
さらに青色が2種類に分かれ、複式簿記で出納管理を行った場合には、65万円の所得控除が受けられます。複式簿記を採用しない場合には10万円の控除が受けられます。青色申告にはその他にも白色には無い特典があります。
私は65万円控除を受けるために複式簿記を勉強したわけです。
働き方改革という時代の流れも手伝って、兼業前提での採用活動を行う企業も増えてきました。
そうは言っても、全体で見れば、まだまだ専任という形で人材を抱え込むのが標準的な採用方法ですから、フリーランスの仕事探しはそんなに楽ではありません。
エンジニアやプログラマー等技術職なら話は別かもしれませんが、私の場合は専門分野が国際協力事業ないし途上国での事業の運営や調整なので、市場はとても狭いです。
もともと文章を書くのは好きなので、ライターとしても仕事を得られるよう、クラウドソーシングのウェブサイトにも複数登録していますが、実際に仕事につながったのは今のところ1件だけです。
その他は、パートタイムやリモートワークといった条件の求人に強い仲介サービスを利用したり、スカウトを受け取れる仲介サービスに登録して、企業から声がかかった時に個別に条件を交渉したり、と、色々なサービスを利用しました。
その意味では、随分色々なウェブサイトで個人情報を垂れ流した1年でした。
でも、このようにして広くアンテナを張った成果は十分にあったと言えます。
開業時に決まっていた業務委託契約は1件でしたので、私は1組織からの業務に収入を依存する形でフリーランス生活をスタートしました。
パートタイムの仕事ですので空き時間はふんだんにあり、それを活用してこのウェブサイトを立ち上げたり(レンタルサーバー選び、マルチサイト化、テーマ選びからの外観構築などなど全部自分でやりました)、別の仕事探しを行いました。
結果、単発のものも含めて仕事の発注主は増え、2017年中に合計4つの組織から業務を請け負いました。
来る2018年には4つ確定(継続3、新規1)、もう1つ調整中という状況です。
そんなわけで、1年目の目標であった収入源の多角化はある程度達成できましたが、収入額で見るとバランスが極端に偏っているので、その点の改善が来年の目標になります。
反省としては、直接収入になる仕事を探すことに躍起になってしまって、せっかく作ったウェブサイトでの執筆活動が疎かになってしまったことがあります。
来年は、読んだ本のレビューも含めてもっと記事を頻繁に投稿したいと思います。
フリーランスになって一番改善したのはなんといってもワークライフバランスです。
私の場合直近の前職がアフリカ駐在だったので特に差が激しいのですが、母国語が公用語である国で、ずっと飼いたかった猫を飼って、自分でかなり自由に働く日や時間を決められる、というのは素晴らしいものでした。
仕事柄、私は定住しないで国内外を転々と移動する生活を何年も続けていましたが、生まれながらの猫好きで、ずっと猫を飼いたくて仕方なかったので(このあたりの経緯は「保護猫を迎える」シリーズをご参照ください)、日本に帰ってきて猫を飼える環境が整ったことが、とても大きな生活環境の改善でした。
面接などでもストレスマネジメントの方法を訪ねられることがよくありますが、私にとっては家に猫がいるということが最上の癒しであり、ストレス対策です。
私の膝で気持ちよさそうに寝ている猫を見ていれば、怒りとか苛立ちとかの負の感情は勝手に薄れていきます。
私が今年請け負った仕事の半分以上はリモートでできるものなので、家にいる時間をたくさん取ることができ、猫や夫とのコミュニケーションもうまくいきました。
特に、夫が長時間家を空ける日には私が家にいるようにするなど、分担ができるのはとても便利です。
まだまだ発展途上のフリーランス市場ですので、収入が上がることは早々には期待できませんし、そもそも安定的に収入を得ることで苦労することも多いと思います。
それでも、特にリモートワークで生計を立てられるようになれば、生活のサイクルが根本的に変わり、家族(私の場合はもちろん猫を含めて)を真ん中に置いた生き方ができるようになると思います。
来年の目標はいくつかありますが、もっと幅広い仕事を視野に入れられるように自分の能力向上に励む、というのがその一つです。
それに加え、このウェブサイトでの執筆と、その材料としての読書にも、今年以上に力を注いでいきたいと思います。
私の2017年は、変化に富み、笑いと癒しに満ちた充実した1年でした。
仕事の面でも個人として大きく前進した上、結婚して家庭を持ち自覚を新たにしたことで、今まで目を向けてこなかった色々な面で成長できたと思います。
2018年はさらに大きな飛躍を遂げられるよう、一層の自己研鑽に励む所存です。
最後になりましたが、今年このウェブサイトを訪れてくださった皆様、貴重なお時間を割いて私の文章にお付き合い頂き、誠にありがとうございました。
来年はより多く、より良質な内容を発信できるよう努めてまいります。
2018年が皆様にとって良い1年になることを心よりお祈り申し上げます。
どうぞ来年もよろしくお願いいたします。
]]>2011年7月に独立したばかりの世界で一番新しい国は、突如として人道危機の渦中へと陥りました。
以来、大統領派と元副大統領派の対立が続き、幾度となく停戦合意が結ばれては破棄され、無辜の市民が殺戮や性暴力、誘拐といった危険に晒されています。今や南スーダンは、アフリカ最多の難民を生み出す国となってしまいました。
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によれば、南スーダン国民の1/3が家を追われ、200万人が難民として近隣国へ逃れています。南スーダン難民の数は今後1年の間に300万に達することも懸念されており、状況は一向に改善の兆しを見せていません。
(参照:UNHCR’s Grandi appeals for urgent action as South Sudan crisis enters fifth year)
このようにして、2017年12月15日、南スーダン危機は5年目に突入しました。
筆者は2015年に2度、南スーダンの首都ジュバを訪れました。
当時の所属団体が、ジュバで国内避難民への支援を行っていたためです。
延々と続く仮設住宅の隙間で子どもたちが遊ぶ
ジュバにはもともと国連PKO(平和維持軍)部隊の基地がありましたが、内紛が勃発し、異なる民族を支持基盤とする大統領派と副大統領派が戦闘を始めると、PKO部隊の保護を求めて基地に南スーダン市民が殺到したのです。
こうして、PKO基地の内部に即席の国内避難民キャンプが出来上がったのです。
私は中東・アフリカ地域で10以上の難民/国内避難民キャンプを訪れましたが、南スーダンのPKO基地は、自分で見た中で最も人が密集したキャンプだったように思います。
もともと避難民キャンプとして計画的に開設されたわけではないので、それも当然といえば当然です。
国民投票を経て南スーダンが独立してからわずか2年数か月。人々はある日突然家を追われ、着の身着のまま避難することを強いられたのです。
写真をせがむように筆者の手を引っ張る避難民の子ども
私が所属していた団体も、当時南スーダン国内に日本人職員を配置していたので、この時のことはよく覚えています。
帰国した同僚から、兵隊の居並ぶ道路を自ら運転して国連関係者らの集まる場所へ逃げ、緊急退避用のフライトで脱出した体験談を聞いた時は、一夜にして状況が一変しうる危うさに戦慄しました。
そして残念ながら、同僚が南スーダンから緊急退避したのはこの時が最初で最後ではありませんでした。
日本でも大きく報道されたとおり、2016年7月に再び戦闘が激化し、チャーター機で日本人が隣国ケニアへ退避しました。この時退避した中にも、同じ所属団体の同僚が1人入っていました。この時は結果的にJICA(国際協力機構)がチャーター機を手配しましたが、自衛隊機を飛ばすかどうかで議論が交わされていました。
人道支援に携わる人間に安全対策は必須のことですので、私もそれなりの訓練を受けてはいましたが、自分自身がもしその時南スーダンにいたら、果たして冷静な対応ができていたのか、正直あまり自信がありません。
避難民キャンプ内の水汲み場から水を運ぶ少女
このように不安定な情勢でしたから、ジュバでの避難民支援には通常の人道支援とは違った難しさがありました。
外務省による渡航制限のために日本人が現地へ入れないことが続き、更に、もともと擁していた現地職員もほとんどが散り散りに逃げてしまったため、現地での運営体制が覚束なかったのです。
2015年に入った頃にようやく日本人の渡航が条件付きで認められるようになりましたが、先述した2016年7月以降、再び渡航制限がかかるようになりました。
その間に少しずつ積み重ねていた活動の成果とそれに基づいた支援計画も、混乱の中で大きく揺さぶられてしまいました。
2016年7月には、外国人支援関係者らが襲撃の標的にされる事態も発生しました。私はあとになってその際の記録を読みましたが、その時感じたのが憤りだったのかやるせなさだったのか、うまく言葉にできません。それはあまりに凄惨で非道で、疑う余地のない正義すら挫く卑劣な行為でした。
この事件は外国人が被害に遭ったためにある程度大きく報道されましたが、南スーダンの市民が日常的にこういった非道な行いに直面しているかと思うと、その想像を絶する過酷さに胸が詰まります。
避難民キャンプで暮らす子どもたち
私は運よくこうした事態に巻き込まれることはありませんでしたが、人道支援コミュニティの一員としてこのような状況を目の当たりにし、その上で色々な制約の中で支援をできるだけ円滑に続けていかなければならず、人道支援は喜びに満ちた仕事だったとはとても言えません。
このような場では正義が挫かれ、正当性は妥協され、私たちの行く手はいつも誰かの私利私欲に阻まれます。
それでも活動を続けていく力を与えてくれるのは、支援対象である人々の笑顔でした。
特に子どもたちは、外国人を見つけると周りに群がり、はにかみながらこちらを見つめます。
子どもたちは写真が大好き
南スーダンの子どもたちは特に好奇心旺盛で、写真を撮られるのが大好きでした。
カメラを出すと競ってカメラの前に回り込み、思い思いにポーズを取ったり、自慢の手製おもちゃを誇らしげにかざしたりしながら、弾けるような笑顔を見せてくれます。
子どもたちが笑っていれば周りの大人も笑います。
恥ずかしそうにおずおずしている子どもでも、こちらが笑いかければ瞬時に笑顔を返してくれます。
特に、支援現場になかなか入れない状況では、ごく限られた機会にしかできないこのような心の交流だけが、私を駆り立てる報いでした。
車で通りすぎる私に小さな手を振ってくれる
私が当時の所属団体から、そして人道支援から離れてもうすぐ1年になります。
今の南スーダンに関して私が語れることは何もありません。
それでも、この国が今も危機の最中にあり、人々をとりまく状況が少しも改善していないばかりか、更に多くの人々が故郷を離れて暮らさざるを得ない状況にあることに対して、私なりに何かを発信しなければいけないと感じました。
この記事で使用したのは、どれも私がジュバにあるPKO基地内の避難民キャンプで2015年5月に撮影した写真です。
厳しい暮らしの中にあっても、子どもたちはこんな風に笑うのです。
そして私たちは、どうやってもこの笑顔を守らなければなりません。
子どもたちがいつでも笑っていられる世界を維持していくことが、この世界の全ての大人たちの責任であろうと、私は強く自分を戒めているのです。
この記事を読んだあなたが同じように感じてくれれば、それに勝る喜びはありません。
]]>
この間色々ありましたが、筆者は兼ねてから同棲していた方と結婚しました。
一部の人への配慮から結果は書けないのですが、夫と私のどちらの姓を名乗るかでひと悶着ありました。
これから入籍する人々のために、周囲からの色々な反応を中心として、状況を少し記録しておこうと思います。
まず大前提として、当人二人の間では、私の姓(妻の姓)を名乗ることで納得していました。私が泣き落としをしたわけでもなければ、特に感情的に訴えたつもりもないです。
そもそも感情的な理由でこのように提案したわけではないのです。ただそれが合理的な判断だと思ったので今の夫に伝えたところ、夫本人はすんなり受け入れてくれました。
合理的と判断するに至った理由はいくつかありますが、要は「どちらか一方が改姓しなければならない」という状況で、世間一般でまかり通っている「男性側の姓を残すべき」という慣習というか社会規範みたいなものを取り払った時に、そこにある全ての現実的な要素が私の姓を選ぶことを支持していた、と少なくとも私には見えました。
ちなみに入籍時に女性側の姓を採用する夫婦は全体の4%だそうです。初婚同士だと更に低く、3%になるようです。僅かずつではありますが、これでも徐々に増加傾向にあるようです。
これを聞いてどう思うかは人それぞれでしょうが、この情報をもって「だから男性の姓を取るべき」という主張をすることはできないと思っています。その主張が通るとしたら、それは当人らが無批判に「多数派でありたい」と思っているという前提が成り立つ時だけでしょう。
幸か不幸か私にも夫にもそういう意識はありません。
けれども、特に上の世代にはこういう考え方自体が受け入れられないことが多いようです。
私の職場では、私が近々結婚することは周知の事実でしたが、結婚したら私の名字が変わると誰もが思っていました。
私の姓を取る案について話した時も、職場のある50代の男性に「なんで彼(今の夫)が名前を変える必要があるの?」と聞かれました。
私にしてみれば、そっくりそのまま「ではなぜ私が名前を変える必要があるのですか?」と聞きたいところでしたが、この発言には価値観というか世界観の違いがくっきり現れていると思いました。
この男性は、発言からに見るに「(余程特殊な理由がない限り)女性側が名前を変えるもの」と思っているのでしょう。
そして、この男性が結婚した当時(30年くらい前)には、たぶんそれが当然のこととして広く受け入れられていたのでしょう。
でも、時と共に変わるものはありますよね。
私は1987年生まれで、86年に施行された男女雇用機会均等法以前の日本社会を知りません。
「男女平等」は私にとって当然のことで、それが実現されないのは不正義でしかありません。
私は幼稚園から大学院までずっと共学の機関に通っていましたので、教育の場で男女を別々に分けることの狙いも効果もよくわかりません。
それは職場であっても同じです。管理職が男性のみで構成されていて事務職員が女性だけで構成されているような組織を見ると、意思決定の妥当性に疑問を覚えます。
ちょうど1年前に日本に帰ってきて、久しぶりに日本だけで完結した組織で仕事をし始めましたが、日本とはこんなにも「男性であること」と「年長であること」がものを言う社会だったのか、とひしひしと感じています。
年長であることは職務年数が長いこととある程度同義ですが、職務年数の長さは経験の豊富さを必ずしも意味しません。
男性であることは、外務省のように「性犯罪の多い地域に女性を派遣しない」といった規定だか慣例だかを持った組織では、選択の幅が多いという意味で有利になり、結果的に経験できる職務の幅も増しますが、そういった制約のない知的労働の職場に限れば、特に何も意味しないように思います。
男性でなく年長でもない今の私にとって、この社会はとても抑圧的です。
高校の頃、1年間の任期で英語を教えに来ていたアメリカ人の20~30代男性が、離任の際に全校生徒と全教員の前で言ったことを今もよく覚えています。
「着任して初めてこの体育館の檀上に上がった時、衝撃を受けました。男子生徒が前に、女子生徒が後ろに、男女分かれて座っている光景にです。」
当時私の通っていた高校では、クラス毎にまず男子をあいうえお順で並ばせ、全ての男子の後ろに女子をあいうえお順で並ばせていたのです。
このアメリカ人男性の発言のあった次の年度から、男女混合であいうえお順に並ぶことに変わりました。
彼の発言がきっかけだったのかは知りませんが、すぐに変えてしまって差し支えないルールだった、ということに違いありません。
守るべき伝統というものはあります。それは和歌や工芸のように、時間の経過にかかわらず、伝承するための市民的な努力によって残り続けるもののはずです。
男性優位や年長優位に見られる家父長主義的規範は、私にとっては伝統ではありません。
それは慣習と呼べるかもしれませんし、或いは因習と呼ぶ人もいるでしょう。
もっと極端に言ってしまえば、それは年長男性が代々継承してきた利権の構造です。
年長男性が、そして将来年長男性となる全ての男性が、この構造を維持したいと願うとしても、それは当然です。これは何の理性的な根拠も求めず、自動的に彼らを優位に置いてくれる構造なのですから。
だから、この構造を壊せるのはきっと女性です。
私は男性と肩を並べて高等教育を受け、男性と肩を並べて、時には男性を指導しながら働き、一時的かもしれませんが今は世帯主として夫婦の家計を支えています。そして夫は理性的で柔軟です。
これだけの条件が揃っていながら、結婚に際して「女性側が姓を変えるもの」という慣習に私が無批判に屈してしまえば、私は二度と女性として声を上げることはできないだろうと思いました。
結果的に対峙しなければならなかったのは、世界観の衝突でした。
我々の世界観では何の規範的価値もない慣習を、逸脱してはならない常識のように捉える人もいるのだということです。
夫婦別姓という選択肢があれば、こんな衝突に対峙しなければならない夫婦はきっとずいぶん減るのでしょう。
人生の大きな選択にあたって、大切な人々と理解し合えないことは本当に悲しいです。
規範として確立された慣習に代わる新たな世界観が受け入れられるには時間がかかります。
その間に苦悩する人が最小限で済むように、まずは、今のように誰かが一方的に何かを諦めなければならない制度が早急に変わることを願います。
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このウェブサイトに何度か来てくれている方ならご存知かもしれませんが、私はここに併設する形で保護猫ブログも運営しています。
「動物愛護」をもっと多くの人が身近な問題として考えてくれるようになれば、との思いで、自分なりのアプローチでゆるい啓発活動のつもりでやっています。
そしてここでも5回にわたって「保護猫を迎える」と題した連載記事を書きました。
猫は大好きだし、毎年10万以上の猫が行政殺処分で命を奪われている現状は本当に呪わしい。
でも色々な制約の中で私にできることはあまりに限られていて、今の私にできるのは余力のある時にブログを書き、なごやかな話題の中で「保護猫」という存在を示し続けること。
これはたぶん動物愛護と呼ぶにはあまりにも取るに足りない行為ですが、私なりの社会正義の追求のための一歩のつもりです。
動物愛護に関わる人は数多く、様々です。
私が以前所属していたNGOは、犬の殺処分ゼロを掲げて何百頭分もの犬舎を建設し、大々的に保護・譲渡活動を行っていました。犬を、そして動物を愛するリーダーたちのもとで、犬関係の専門学校を卒業した若い専門家たちが日々の業務を回していました。まさにプロ集団でした。
しかしながら、動物愛護の世界でこういう大きな組織はとても珍しいと思います。
特に猫は繫殖力が高いため、行政殺処分の対象となって失われる命の数は、犬よりも圧倒的に猫が多いのが現実です。
途方もない数の猫を救うために、全国に無数にある地域のNPOや善意の個人が、動物愛護センター(保健所)に収容された猫を引き出したり、野良猫や多頭飼い崩壊の現場に遺棄された猫を保護したりして、里親を探す活動をしています。
国際協力の世界と通じる部分が多いですが、日本では社会正義実現のための活動は「心ある人たちがボランティア(無償)でするもの」といった認識が当然のことのようにまかり通っているように思います。
だから日本には寄付文化が醸成されないし、そのせいでNPOは育たないし、NGO職員はみんなボランティアだと思っている人が普通にいる。
社会正義が一部の心ある人たちの活動だけで実現できるなんて、そんな夢みたいな話はありません。社会が変わるにはもっと大きな意思の力が必要です。そして、プロの介入と主導が必要です。
国際協力の世界と比べて、動物愛護の世界には主導的存在たるプロ集団が少なすぎて、小さな団体や個人がめいめいの信念に基づいててんでばらばらに活動を展開しているように見えます。
そうした個人の中には、かなり急進的に正義を求める人もいるようです。
実はここ最近、わが家で2匹目の保護猫を迎えることを検討していて、前回と同じように里親募集サイトで保護猫の情報を見ていました。中に1匹、ほぼイメージ通りの猫がいたので、保護主にコンタクトし、丁寧にこちらの情報や保護猫ブログのことを伝えた上で、里親を申し出ました。
しかし、挨拶も何もなくぶっきらぼうに返ってきた返答は「保険所には行かれたのですか」というものでした。
質問の意図は即座にわかりました。保健所(今は動物愛護センターと呼びます)には明日にも殺処分されてしまう命があるのに、そうした命を救おうとせずなぜそのサイトに掲載されている猫(野良猫という情報でした)を迎えるのか、という意図だったのでしょう。
返答ぶりに戸惑いを覚えながらもこちらの事情や意図を丁寧に説明しましたが、その後の回答で「保健所で奥に隠されている人馴れしていない猫を引き取って、手をかけて育ててその様子をブログで発信するなどすれば共感も得られるでしょうが」と、根本的に私の啓発活動のあり方に疑問を呈され、当然ながら破談に終わりました。
里親サイトで器量のいい猫を物色して引き取る程度で動物愛護を語るな、と言われたように感じました。
この人が私に提案したことは、特別な努力と相当の自己犠牲を払わなければできないことでした。
最後まで名前も名乗らないままだったその人が、正義感からこういうことを言っていたのはわかります。
けれども、私は私の見てきたものに基づいて、私ができる範囲内で、私なりの戦略を描いて、私なりのアプローチで動物愛護に取り組んでいるつもりです。
本業は今も国際協力で長期出張もありますから、現実的に、人馴れしていない猫を引き取って面倒をみられるほどの余力はありません。同居人への負担も考えなければいけないし、車も持っていないので、そもそも愛護センターに行くのも大変な負担です。
そういう背景も私の考えも何も聞かずに、自身の正義感だけに従って批判めいた言葉を投げつけられたことは大変残念でしたし、動物愛護にまつわる色々なことに疑念を抱かざるを得ませんでした。
国際協力団体の広告は大きく2種類に分かれます。泣き顔の子どもなど、かわいそうな写真を使って同情を煽り、寄付を呼び掛ける戦略。それに対し、笑顔の子どもなど、明るいイメージの写真を使って賛同を呼びかける戦略。
動物愛護の啓発活動にも、同じように全く異なる戦略が存在しうると私は思います。
前者のように惨状を見せつけて訴えかけようとする手法を、私は選ばないのです。
私が訴えかけようとしているのは、ただの猫好き、ただのペット好き、ないしはただの流行好きの、動物愛護にも殺処分にも無関心な層です。
たとえば、殺処分寸前で命を救われて災害救助犬になった犬は一時大きな話題を呼び、本も出版されテレビでも取り上げられましたが、今残っているのはごく限られた数の熱烈な支援者です。多くの人は、話題性が絞んでいくとともに離れていき、しばらくすれば思い出すこともなくなるでしょう。
私はこの動きを間近で見ていたので、そういうドラマティックな”泣ける”話で本当に惹きつけられるのは、もともと動物愛護に一定の関心のある一握りの人々なのだ、と強く感じました。
そして、そういう一握りの”もともと心ある人々”の輪の中で如何に盛り上がろうとも、それは長い目で見ればその輪の外にはあまり波及せず、社会変革には繋がらないと思うのです。
もし動物愛護が自己犠牲や特別の努力を伴うものなら、それに関わることを選ぶのはごくごく一部の心ある人たちに限られてしまいます。
実際私は今回批判を受けたことで大きくモチベーションを削がれてしまいました。100%の正義を実行できないなら中途半端なことをするな、と言われたような気分になったのです。
私自身は子どもの頃から長毛猫に憧れがあったので、ようやく猫が飼える環境になった今、長毛猫を選びたいと思うのは自然な欲求で、それを我慢して愛護センターで消えゆく命を迎えるというのは、高尚すぎて私にはとてもできない。私は、自分が負担に思わない範囲でできることをしようとしてきただけなのです。
動物愛護のハードルがそこまで高くて、身近な努力を否定する排他的なものなら、私はもう立ち去りたいと思ってしまう。そして、どんな世界でも、こういう排他的な正義が幅を利かせるなら、それは私のように身近な努力で少しだけ貢献したいと思う多くの普通の人を遠ざけ、結果的に社会正義の芽を摘むことに繋がる。そう思わされた一件でした。
排他的で急進的な正義。違う言い方をすれば、善人たちの原理主義。
国際協力の世界で過ごしてきた私は、一方的な正義の押し付けは絶対に正義の実現に繋がらないということを知っています。
正義はもっと包摂的で、多様性に富み、誰もが自己犠牲なしに参加できる開かれた活動の場でなくてはならない。
”善人”がいつも善を成すとは限らない。
批判は受け止め、消化して軌道修正しながらも、私は私の信じることを続けます。
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