Advertise with Googlier.com 摂理と日本教徒 https://a-history-of-provi.com ~福音と時代の相克~ Thu, 01 Jun 2017 04:09:17 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.5.14 【日本の摂理歴史7】人生:摂理との出会い 90年代(私の場合) Ⅱ https://a-history-of-provi.com/2017/06/01/%e3%80%90%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e6%91%82%e7%90%86%e6%ad%b4%e5%8f%b27%e3%80%91%e4%ba%ba%e7%94%9f%ef%bc%9a%e6%91%82%e7%90%86%e3%81%a8%e3%81%ae%e5%87%ba%e4%bc%9a%e3%81%84%e3%80%8090%e5%b9%b4/ https://a-history-of-provi.com/2017/06/01/%e3%80%90%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e6%91%82%e7%90%86%e6%ad%b4%e5%8f%b27%e3%80%91%e4%ba%ba%e7%94%9f%ef%bc%9a%e6%91%82%e7%90%86%e3%81%a8%e3%81%ae%e5%87%ba%e4%bc%9a%e3%81%84%e3%80%8090%e5%b9%b4/#respond Thu, 01 Jun 2017 04:05:56 +0000 https://cgmmission.sakura.ne.jp/history/?p=321 <人生:摂理との出会い 90年代(私の場合) Ⅰ>の続き

問題は”人間にある”ということは分かったものの、このひとりの人間、もっと言えば自分自身を変化させることの難しさに直面し、身動きが取れなくなり…。とそのような時に、神様が計ったように、一緒にフィリピンに行った同期の女子学生が摂理のバイブルスタディを紹介してくれました。
摂理のバイブルスタディは、分かりやすく、当時同じ年くらいの信仰の先輩たちが伝えてくれました。聖書の基本的な読み方から始まり、キリスト教の中での教理として難しい部分も明快に伝えてもらいながら、自分がこれまで生きてきた中での社会の問題の原因、人間へのアプローチも明確に分かるようになっていきました。しかし、そのまま全てを受け入れられたわけではなく、一方では自分の経験や知識も邪魔したりしながら、「人間の価値」「命の価値」について、考えざるを得なかったフィリピンでの体験と問題については、聖書の話を聞き終わっても解決することはありませんでした。そして、ほかの信徒の人たちにも話しても分かってもらえることはないだろうと、話すこともしませんでした。半年近く学んだ後、この問題は聖書でも解くことができないのかと諦めかけて、教会に別れを告げようとしたその日に、私は先生の「人生」の話を聞きくようになり、この先生の話に聞き入るようになりました。それはこのバイブルスタディを教えてくださった鄭明析先生があまりにも生きていくことがつらいこの故郷を離れ、海外で暮らそうと決心する日の出来事を綴った人生の路程でした。まだ、日本語にもなっていない、ハングルで届いた原稿をその場で宣教師さんが訳してくれながら、伝えてくださいました。それは、修道生活をした時に、山奥の洞窟で、虎に出会うという話でした。

「三十年間の修道生活の中で、つらいことは一つや二つではなかった。初めて行く道だったので、尋ねる人もなく、私一人でどんなに寂しく孤独だったかを想像することはできないのではないか。このような話をしてもみんなが理解できるだろうかと思いながらも、経験した通り、ためらうことなく、感動のままに書いている」と宣教師さんが語り始めました。

人間は山奥で虎に出会ったらどんな反応をするでしょうか。だれも想像がつかないでしょう。先生の回想を少し聞いてみましょう。
夜どしゃ降りの雨の中で雨を避けるために入った洞窟の中で、ろうそくに火をともしながら、聖書を読み祈り始めました。祈っている最中、何やら背中に覆いかぶさるものがあります。手をそっと背中に回すとふさふさとした毛が。「虎だ。」 その瞬間、まず人間は頭が食べられたら死んでしまうからと、自分の目の前にある地面を爪がはがれるのも忘れて掘り始めます。頭がたべられなければ、次は足や手は食べられても、おなかの部分が食べられたら死んでしまうと、おなかの部分を掘るのです。その姿を二匹の小虎が目の前でじっと見ています。「ああ、この夜に山に登ってくる前にパンを3つ買ったのに一つ食べてしまった。二つを小虎に投げてやったが、もう一つは食べてしまった。もしあの時にパンを食べていなかったら、この背中に覆いかぶさっている母虎にもあげられただろうに」、と後悔しながら、何かあげられるものはあるのか?へその下についているものでも、取って投げてあげたらそれを食べて離れてくれるだろうか…と先生は無意識の中で考えるように回想して語ってくれました。

「死の境でへその下にある物を取ってあげたいと思うその時の心情を果たして理解できるだろうか。私のこの文章を理解できないならば、弟子たちのためにこれを書く必要はないだろう」と。
そうこうしているうちに虎は先生の元を離れました。その時に神様が先生の目の前にある聖書から引かせた聖書の一節は、ヤコブの手紙5章5節「 あなたがたは、地上でおごり暮し、快楽にふけり、「ほふらるる日」のために、おのが心を肥やしている。」というものでした。そして、先生は自分が現実の生活の辛さゆえにこの環境から逃げようとした間違った考えを悟らされるようになり、再び先生は聖書を読み、お祈りをする修道生活に戻られるのでした。まだ、修道生活半ばの時の話でした。

この先生がどのような険しい修道生活の中で、人間の生を見つめ、神様との経緯の中で人生を歩んだのか。このような方に命の価値を学ぶのであれば、たとえ人生の師として学んだとしても自分の問題は解決するに十分だろう、と感じるしかなかった一夜となりました。94年、大学3年生の2月、私はこの先生の一つの「人生の路程」を聞きながら、先生にお会いする前に、この牧師先生から学んで生きて行くんだと決心するようになりました。私はそのような回心の機会を得ながら、先生とお会いするようになりました。

私の世代は、当時先生に頻繁にお会いすることが出来たから、幸いだとも言えますが、実際にこの摂理で伝えられる御言葉を自分の人生の指針にしながら生きていこうと確信を与えてくださったのは、「先生の生」そのものであり、命を愛してやまない先生と摂理の信徒たちの祈り、そして御言葉を通して与えてくださった天との経緯であるということを告白するしかありません。
20年以上この御言葉を聞き、先生に接してきましたが、このような修道生活を経た先生のいつも聖三位を意識し、愛し、仕える姿は、今も昔も変わることがなく、どんな環境にいらしても変わることはありません。
先生はよく「盲目的な信仰ではいけない。はっきりと分かって信じなさい」と聖書のこと、神様のこと、キリストについて語ってくださいました。人生の経緯も語りながら、対話しながら、このような長い文章におつきあい下さった方々ともいつの日か、お会いできる時があれば、幸いです。

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【日本の摂理歴史6】人生:摂理との出会い 90年代(私の場合) Ⅰ https://a-history-of-provi.com/2017/06/01/%e3%80%90%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e6%91%82%e7%90%86%e6%ad%b4%e5%8f%b26%e3%80%91%e4%ba%ba%e7%94%9f%ef%bc%9a%e6%91%82%e7%90%86%e3%81%a8%e3%81%ae%e5%87%ba%e4%bc%9a%e3%81%84%e3%80%8090%e5%b9%b4/ https://a-history-of-provi.com/2017/06/01/%e3%80%90%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e6%91%82%e7%90%86%e6%ad%b4%e5%8f%b26%e3%80%91%e4%ba%ba%e7%94%9f%ef%bc%9a%e6%91%82%e7%90%86%e3%81%a8%e3%81%ae%e5%87%ba%e4%bc%9a%e3%81%84%e3%80%8090%e5%b9%b4/#respond Thu, 01 Jun 2017 04:01:29 +0000 https://cgmmission.sakura.ne.jp/history/?p=317 <人生:摂理との出会い 90年代(私の場合)>

人生、一度や、二度は聖書を開く「時」があると云います。私も摂理でバイブルスタディを学ぶ前には、2度ほど聖書を開く「時」がありました。かといって、幼少期からキリスト教に接する機会があったわけではなく、近所には教会もなく、親族は曹洞宗のお寺にお世話になり、お正月は近くの神社にお参りし、12月には意味もよく分からずに、クリスマスをささやかに祝うような家で育ちました。

91年、聖書を学ぶ最初の機会は大学1年の時に訪れました。ゼネコンで働いていた父親の影響もあって、理系の勉強をするのであれば、「世の中の役に立つ」工学を学んでみたいと思い土木工学を専攻しました。大学の勉強は厳しくもあり1年2年とそれなりに充実していた一方で、本当の意味で社会のためになることは何なのか、人の益になるということはどういうことなのか、考える時間を多く持つようになりました。時に勉強の意義を見失い、大学を辞めようと思った時期もありました。
そんなとき、読み漁っていた日本土木史の本から、札幌農学校の二期生廣井勇(新渡戸稲造や内村鑑三と同期のクリスチャン。小樽港を建設した土木技術者)の言葉を見つけました。

「もし工学が唯に人生を繁雑にするのみのものならば何の意味もない事である。
是によって数日を要する所を数時間の距離に短縮し、一日の労役を一時間に止
め、人をして静かに人生を思惟せしめ、反省せしめ、神に帰るの余裕を与へない
ものであるならば、我等の工学には全く意味を見出すことが出来ない。」

まだ聖書も手にしたことのない学生でしたが、この言葉が心に響き、日本のエンジニアにもこのような人がいたのか!と感銘を受け、大学に踏みとどまりました。
平日は、学部の勉強に追われましたが、日が暮れれば、親しい友人と語り、東京を徘徊し、長期の休みには日本中を旅して、普通の大学生活を送っていました。キャンパスは理系キャンパスでありながら、文系の授業も印象に残る教授が多く、学外から来ている英語の教授の紹介で、フレンド派(クェーカー)の教会に英語を学びに行く機会を得ました。生まれて初めて行ったキリスト教の教会では、若い宣教師の夫婦が毎週出迎えてくれて、楽しくゲームをしたり、時にはアメリカからのゲスト(サラリーマンから図書館の館長、映画女優まで)が立ち寄ってくれて、仕事の話、信仰的な話もしてくれ、ある時は真剣に神様の愛について語ったりしてくれました。それまでまったくキリスト教には縁がなかった私でしたが、人格的で、感情表現豊かな宣教師さんたちに触れながら、心和ませてもらい、気がつけば、毎週足を運ぶようになりました。もう100年以上も続いているその集まりは、今思えば、明治時代にタイムスリップしたような場所で、キリスト教文化とクリスチャンの方々との最初の出会いは本当に幸いだったといわざるを得ません。年に2,3回は聖書を開いて話しもしてくれたのですが、残念ながら、何を伝えてもらったのかさえ覚えていません。

その後、不思議にも大学生活の中で、西洋哲学やキリスト教文学も読むようになり、東西冷戦が終って間もないドイツを尋ね、キリスト教に接する機会が増えていったのですが、大学3年になる春にフィリピンに三週間滞在することになりました。ここで二回目に聖書を開く機会が訪れます。今でいうスタディツアーですが、当時はその先駆けのような感じでした。当初フィリピンに行ってみたいと思った理由は、第三国で日本のODAとかは本当に機能しているだろうか、海外の支援とかは意味があるのかなど漠然としたものでした。
しかし、実際に訪ねたフィリピンは、厳しい階層社会であり、生きるスラムに住んでいる人から、政治家に影響力を与える神父さん、華僑の経済人など様々な人に会いながら、衝撃の連続でした。「人間はこれほどまでに素晴らしい存在でもあるけど、醜くもあったり、残酷でもあったりするんだな」と人間の素晴らしい面と悪い面の両方を見るしかないところに「曝され」ました。
国民の9割がクリスチャンであるフィリピンの方と触れ合う中で、聖書の話も何度か聞きながら、どれほど、この書物が人間に社会に影響を与えるのか、思い知るようになりました。しかし、聖書自体をしっかりと教えてくれる人はいませんでした。ただ、そのフィリピンで得た自分の中での結論は聖書を開く一歩となりました。
そのような体験から出た一つの自分の「問題」あるいは「結論」は、
「社会をより良くする方法は、教育、政治、経済、いろいろあるとしても、それぞれ限界はある。結局、この社会を人間が司っているから、問題の根本は人間にある。人間一人が変化できなければ、絶対に良い社会にはならない。」「そして、この人間一人の価値がどれほどのものなのか、人間の命はどれほど貴いのか知りたい」これが、22歳の自分の一つの結論となりました。

<人生:摂理との出会い 90年代(私の場合) Ⅱ>に続く

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【書評・コラム】日本人は日本教徒か? 2 https://a-history-of-provi.com/2017/02/14/%e3%80%90%e6%9b%b8%e8%a9%95%e3%83%bb%e3%82%b3%e3%83%a9%e3%83%a0%e3%80%91%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%af%e6%97%a5%e6%9c%ac%e6%95%99%e5%be%92%e3%81%8b%ef%bc%9f-2/ https://a-history-of-provi.com/2017/02/14/%e3%80%90%e6%9b%b8%e8%a9%95%e3%83%bb%e3%82%b3%e3%83%a9%e3%83%a0%e3%80%91%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%af%e6%97%a5%e6%9c%ac%e6%95%99%e5%be%92%e3%81%8b%ef%bc%9f-2/#respond Tue, 14 Feb 2017 07:54:02 +0000 https://cgmmission.sakura.ne.jp/history/?p=287 (前回の記事はこちら)
先に挙げた3つの特徴は著「日本教徒」から私見でまとめてみたものだが、全文をさらに精読しても大きく外れてはいないと思われる。

このハビヤンは現代でいえば「脱宗教的知識人」ということなのか、または江戸「宗教社会学者」のような境地だったのだろうか?
現在の宗教社会学者だとしても、禅宗の門を叩いて、何年も座禅を組み、教会では、教師の立場で、キリスト教の教義を信徒に教えた経験のある学者はそういるまい。

著者の言葉を借りて、日本教徒の特徴を見てみると、なかなか面白い。

・「科学的に『破』すること」「人間関係のみを基準に行動すること」は基本的には、現代の日本も全く変わってないように思える。

・ハビヤンにおいては、宗教は、人間が「ナツウラの教へ(日本教的自然法)」通りに「現世安穏・後生善所」に生きるための「方法論」としてのみ存在理由がある。とするとここに、二つの態度が出てくるはずである。一つは、(1)一個人における宗教選択の自由であるであり、もう一つは、(2)現世安穏を乱す思想およびこの思想に基づく行為の排撃である。「思想」を絶対化すればこの二つは矛盾するが、彼のように、思想以前に「ナツウラの教へ」という絶対者があり、あらゆる「宗教乃至思想」をこれに到達する方法論と規定すれば、この二つは少しも矛盾しない。

・「おそらく彼自身は常に変わらず、日本の伝統的な考え方を、さまざまな宗教に仮託して「客体化」し、それによって形成された内なる基準に基づいて、客体化できない部分を「破文」で破棄していっただけであろう。だが、彼は常に、その『破棄した部分』しか口にせず、その『内なる自らの基準』は明示していないのである。これは前述のように今の日本人も同じであって、『反論』はできるが、その反論の基準となっている自らの思想を論理的・体系的に明示せよと要求すると、できなくなってしまう。従って日本人には論争は不可能である。だがそれでいてこの状態を日本人は、”科学的”と考える。その意味ではハビヤンは、まことに”科学的”で、現代の日本人、特に進歩的文化人とそっくりだが、実をいえば、この状態ぐらい非科学的な状態はないのである。」

・普遍主義とは結局、徹底した自己中心で、自分だけが正しく、自分だけが”本物”だという無意識の絶対的信仰が前提になるからである。この考えは、もちろん常にハビヤンの根底にあるわけだが、今でも日本にあり、キリスト教でも民主主義でも共産主義でもひとたび日本に入ると、日本以外のそれらは、すべてにせものにされてしまう。従って日本には、今に至るまで比較文化論というものが成り立たない。

日本教徒の暗黙の教義とこのような日本教徒の特徴が今の10代、20代の日本人にどこまで共感できるかは分からないが、少なくとも昭和生まれの日本人にはある程度、理解してもらうことができるものであり、このような日本人の行動原理を完全には否定することができないと考える。

特に、日本の限定的普遍主義の中で中核をなす「自然」をという絶対者を日本人は長い歴史の中で、大事にしていることは確かであり、私自身を顧みても、日本人のDNAに染みついてるのではないかと思うくらいだ。司馬遼太郎は、「日本人は『絶対』というものが分からない」と話したことがあるが、日本教的自然法や日本教の(言語で表現しがたい)教理を無意識的に絶対視しているということは明らかだ。さらにこのハビヤン的日本人の宗教に関する判断基準はやはり「自分中心」である。これが「日本の限定的普遍主義」ということになる。

摂理の言葉で言い表すならば、一言で「自分式」ということだ。
心を空けることは、何も考えるな!ということではなく、「自分式」を一度横においてみること!だ。そして、神様がおっしゃりたいことを、汲み取れるように、祈りで、対話し、質問もし、そしまた対話し…、そうしてこそ、天の言わんとしていることがきっと分かるようになることでしょう。

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https://a-history-of-provi.com/2017/02/14/%e3%80%90%e6%9b%b8%e8%a9%95%e3%83%bb%e3%82%b3%e3%83%a9%e3%83%a0%e3%80%91%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%af%e6%97%a5%e6%9c%ac%e6%95%99%e5%be%92%e3%81%8b%ef%bc%9f-2/feed/ 0
【書評・コラム】日本人は日本教徒か? 1 https://a-history-of-provi.com/2017/02/14/%e3%80%90%e6%9b%b8%e8%a9%95%e3%83%bb%e3%82%b3%e3%83%a9%e3%83%a0%e3%80%91%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%af%e6%97%a5%e6%9c%ac%e6%95%99%e5%be%92%e3%81%8b%ef%bc%9f-1/ https://a-history-of-provi.com/2017/02/14/%e3%80%90%e6%9b%b8%e8%a9%95%e3%83%bb%e3%82%b3%e3%83%a9%e3%83%a0%e3%80%91%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%af%e6%97%a5%e6%9c%ac%e6%95%99%e5%be%92%e3%81%8b%ef%bc%9f-1/#respond Tue, 14 Feb 2017 07:51:06 +0000 https://cgmmission.sakura.ne.jp/history/?p=276 世界にはどのような宗教があるかと聞かれたら、日本人は一通りは答えるでしょう。
「キリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教、ヒンドゥー教…」
書店に並ぶ、各宗教の入門書も後を絶たない。宗教が分からなければ、世界で起こっている事象も理解不能だということも分かっている。仏教の伝来やヨーロッパのキリスト教と世界史など歴史的な話をすれば、それなりの答えも返ってくるし、日本でさまざまに分かれた仏教の教祖だって名前は出てきます。しかし、多くの人は「そこまで」でしょう。

私たちの先生は、かつて、日本で御言葉を伝えられた時、「宗教に溺れるな」とおっしゃったことが
あります。宗教の指導者なのに、宗教に溺れるなとは!!
摂理の御言葉を学んでみると、確かにこれは溺れるものでもなく、盲目的に信じるものでもないなと
分かります。とはいえ、日本人のもつ宗教に対する偏見もさることながら、宗教を俯瞰しよう、知識としては知っておこうとする日本人は現代人だからということではないらしい。
今日はこのHPのタイトルにも引用させてもらった「日本教徒」について書いてみます。

まず、山本七平がいうところの日本教徒とは、簡潔に述べると以下のような規範を自分の中に有している人のことを言います。

〇「恩」を重んじる(「人をも人と思わぬ」「世を世とも思わぬ」者は滅びる。もう少し砕けた言い方をすれば「忠臣蔵」的忠誠や恩が規範になっているということ)

〇物事をより「科学的」「合理的」に考えること

〇「ナツウラ(自然)の教へ」(日本教的自然法→これをハビアンの表現を借りれば「柳ハ緑、花ハ紅、是ハ只自然ノ道理」ということで、自然の秩序たるものを重んじる)

上記が日本教の暗黙の教義?というところでしょうか。
そして、山本七平のいう最初の日本教徒は、不干斎ハビヤンだ。
彼の生まれは、1565年、最初に禅門に入り、恵俊(恵春)と名乗ってたらしい。十九歳でキリシタンに改宗し、キリスト教名をハビヤンといった。まれにみる秀才で、二十五、六歳ですでに天草のコレジヨの日本語教師であったそうだ。
二十八歳で「ハビヤン版平家物語」を著す。これは、ただの「平家物語」ではなく、外国人パードレ(神父)への日本語及び日本学の教科書として編纂したもので、彼の視点で見た日本なるものの紹介となっており、自らの「ものの見方・考え方」とその基本になるものを「平家物語」に託して書き記す形となった。
さらに1605年、日本人にキリシタンの教えを伝えるための「妙貞問答」を著す。この中で、彼はまず神道・仏教・儒教を批判し、キリスト教(キリシタン)を勧めている。(ここで、キリスト教と書いたが彼が説いたキリスト教は当時の西洋のキリスト教とは違うものとなっていたので、ここからは「キリシタン」としよう)
しかし、1606年に俳人松永貞徳の紹介で、林羅山(儒学者)とその弟子の信澄に会い、論争したことが「排耶蘇」に記されていて、その後まもなくキリシタンを棄教したらしい。
そして、棄教後十数年後(彼の死の前年)に書かれたものが「破提宇子(ハデウス)」だ。
この書は、山本七平をして「排キリシタン文書の最高作」だと。当時、キリシタンを知る日本人で、彼以上の人は考えらず、その彼の批判であるから、他の排キリシタン文書とは格が違うと。
日本の既存の宗教(神道も儒教も宗教とするならば)を仏教、神道、儒教を批判し、さらに当時の日本のキリスト教を排撃したハビアンだが、彼は一体、「何教徒だったのか」さらに、この脱宗教人的立場は現在の日本人の無宗教状態と関係があるのではないかという問いが、山本七平の名著「日本教徒」の導線となった。

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【真理と自由】はじめに https://a-history-of-provi.com/2016/10/25/preface/ https://a-history-of-provi.com/2016/10/25/preface/#respond Tue, 25 Oct 2016 09:58:32 +0000 http://j-cgmfreedom.link/?p=198 ヨハネによる福音書8:31-32
イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。
また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。

キリスト教福音宣教会には、人生の意味や目的を聖書を通じて学び、神様への信仰を持って社会生活を送っていきたいと願う人々が集っています。

信徒たちは自らの意思で信仰を受け入れ、また時には残念なことですが、自らの意思で別の道を選択される人々もいますが、その自由な意思はすべて尊重されています。言うまでもなく、信教の自由は日本国憲法第20条においても何人にも保障されています。ところが、自らはこの教会に通う意思を持っていながら、それを無理矢理遮られ、妨害されてきた信徒が多かったのも事実です。

ところで、わたしたちの会員の中には、過去のみならず現在にいたるまで『信仰の放棄』や『教会に通わないこと』を『強要』された会員が少なくありません。ここでいう『強要』とは、心理的圧迫だけではなく物理的圧迫も含みます。

たとえ家族であっても、信仰の自由を奪うことは許されませんが、驚くべきことにその多くの場合において、この『強要』の過程は、本人の意思を全く無視した形で、『救出』という名のもとに、家族ではない第三者によって指導・誘導されてきました。

本宣教会では、とりわけ、第三者の立場で強制的な『救出』方法の指導・誘導をしている人々に対して、現状を改善するべく働きかけをしてきましたが、そのような事実は存在しないものとして結論付けられているのが現実です。問題の解決は、本人の意思を尊重した話し合いによって行われるべきであり、そのために本宣教会も今後さらなる協力と努力を惜しみません。

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【真理と自由】「監禁の先にあるもの」 https://a-history-of-provi.com/2016/12/03/confinement/ https://a-history-of-provi.com/2016/12/03/confinement/#respond Sat, 03 Dec 2016 12:20:40 +0000 http://j-cgmfreedom.link/?p=215 ある時、高山牧師が言った。

「・・・摂理をやめた人はそれぞれふつうに生きているよ。ただ、教会に行ったり聖書の勉強をし続けている人は少ないけどね・・・。」

何の気なしに聞いていたら素通りしたかもしれないこの発言に、私は凍りついた
。…あなたが‘救った’はずの人はほとんどが信仰自体を捨てている・・・!?。
この人は牧師でありながら平然と言っているのか?
本分であるはずの牧師という使命に対して自覚があるとは思えない発言だった。

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【真理と自由】「信教の自由」 https://a-history-of-provi.com/2016/12/07/religion-free/ https://a-history-of-provi.com/2016/12/07/religion-free/#respond Wed, 07 Dec 2016 12:27:05 +0000 http://j-cgmfreedom.link/?p=217 千葉大学が大学という立場でありながら、このように個人の信仰の自由を侵害するというのは、本来あってはならないことだと思います。
千葉大学が、摂理をカルトと決めつけた認識の下にそのような行動をしてしまったことを、卒業生として残念に思います。

当時20歳くらいだった私は、脅されているような感覚さえ覚え、人格を否定されるような言動に非常に苦しい思いをしたことを覚えています。
さらに大学だけではなく、第二東京弁護士会所属の渡辺博という弁護士から私の両親に対して、「息子さんを摂理から脱会させなければ大変なことになる」という内容の手紙まで届くようになりました。

>>この記事の詳細を読む>>

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【真理と自由】愛澤牧師による監禁工作・脱会説得 https://a-history-of-provi.com/2016/12/10/aizawa-2/ https://a-history-of-provi.com/2016/12/10/aizawa-2/#respond Sat, 10 Dec 2016 12:38:55 +0000 http://j-cgmfreedom.link/?p=226 摂理の信徒たちの親御さん方にぜひともお願いしたいことは、
摂理の“専門家”と称する金銭目的の悪徳牧師や弁護士による一方的な批判や中傷、無責任なマスメディアやネットメディアの垂れ流す扇情的な報道を盲信するのではなく、拙くとも真実に自分の考えと経験を語り、摂理と自身の信仰について父母に正しく理解してほしいと切に願っている子どもたちとの対話を通じて、その実相を知り、不安を解消していただきたいということです。

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【書評&コラム】脱・「肩書き人生」 https://a-history-of-provi.com/2016/11/12/titlelife/ https://a-history-of-provi.com/2016/11/12/titlelife/#respond Sat, 12 Nov 2016 11:57:04 +0000 http://j-cgmfreedom.link/?p=211 「人は人として生きるものだ」私の好きな説教のひとつです。(以下御言葉より)

一国の大統領になっても、人は人だ。職責で、肩書で生きるのではなく、人として生きなさい。財閥になっても人として生きなさい。財閥というタイトルで生きるのではなく、人として生きなさい。学者になっても名誉を極めた人になっても芸術家でも、人として生きなさい。牧師になっても講師になっても摂理のどんな職責、 使命をもらっても、人として生きるべきだ。職責、肩書きがなければみんなが認めてくれないからといって職責を中心にし、また牧師か、伝道師か、何の職責もないのか、人々もそういうことを気にします。職責をもって人を扱ったり接するのではなく、 人だから人として生きなさいという話です。

それなら、職責はなぜ与えるのでしょう。何をすればいいのか分からないから、あなたがやるべきことはこれだと、どういうことをすればいいと、その職責を与えるのです。使命を与えなければ自分のなすべきことは何かを知らないから、職責を与えるのです。

それなのに、その職責を主権として治め、導いて、教えます。職責はひとつの肩書きの名前です。豚のように自分の職責で治めてはいけません。階級を与えるから階級で治め、主権を与えるから主権で治めて人々を引っ張っています。それが間違っていることだから、国では民が立ち上がり、教会では聖徒達が騒がしくなるのです。<以上、御言葉より>

昨年、韓国の大統領に対して国民が立ち上がりました。 日本の政治もさることながら、かの国もばたばたです。これと同じく我々もそうだという話です。組織の中で、大事な構成要素の一つに、職務があります。英語ではdutyとかjobにあたります。要は「はじめに仕事ありき」です。
仕事がなければ、肩書きも生まれません。組織もいりません。
説教の中で、「何をすればいいのか分からないから、あなたがやるべきことはこれだと、どういうことをすればいいと、その職責を与えるのです。」とありました。組織の中で、やるべきことを分かっていないと致命的になります。これは摂理の中でも同じです。欧米の会社では、必ず、職務記述(job discription)があります。これを書き、契約をして、それに対して代価を払います。

あなたの仕事は何ですか?と聞かれたら、この職務記述書を答えるのが普通です。日本ではどうでしょうか?
「一杯あります」とか、「仕事が上から降ってきます」

「一言では言えません」とか、いろいろ。日本は良くも悪くも曖昧です。また、社会人は会社に行きます。「あなたは、なぜ、会社に行くのですか?」と聞かれたら、なんと応えますか?

「家族のために?」「お金を稼ぐために?」「生きるために?」・・・?

おそらく一番まともな、回答は「仕事をするために行きます」になります。人生の中で仕事をすることや会社に行くことは大事な人生の一部ですが、全てではありません。戦後60年、特に日本の男性は、会社の中で自己実現してきました。だから会社の外に行っても、肩書きを重んじます。日本だと、課長は会社の外に出ても、課長です。さらにひどいことに、部長の奥さんは部長の奥さんとして、課長の奥さんと会話したりします。プライベートで課長の奥さんと部長の奥さんが親しくなる事は殆ど稀でしょう。

なんでこんな話を書いたかというと、日本人は「肩書き人生」だからです。肩書きで対話し、肩書きで生きていく。これを続けてきました。韓国もほとんど同じです。日本語で課長はハングルではクァジャンだし、部長はプジャンです。つまり全く同じです。韓国の会社組織はある意味、日本から入っていっているようなもので、ほぼ同じ文化だと思って間違いないです。さらに、そこには終身雇用や年功序列という文化が根底に流れています。もっと深いところでは、日本の普通の会社文化は儒教的発想があるともいえます。基本的に、自分より上のPositionに若い人が来たり、若い女性が上にくることはあまりありませんでした。これ当たり前のようですが、東アジア独特なのです。

海外はどうでしょうか?欧米では、会社の外に出たら、肩書きをはずして、話すのが当然になります。神様の下に一人の人間だからです。地域社会でも生き、家族と過ごして生き、トータルな人生として、豊かであるのか、それを考えます。会社を離れたら、肩書きを外して生きる。これは当たり前です。

この話は、日本人のライフスタイルや人生観にかかわる事であり、とても重要な話です。特に、教会で、そういう世の中の文化を持ってきてしまい、指導者も、信徒も気がつかない風土ができてしまうケースが多いです。これを気づいて直せないので、このような説教が出て来るのだと思います。

また、先生が権威的に感じてしまう・・・、という人は信徒の中にもいるでしょうか?先生を良く分からずに、悪口を言う人も、先生が権威により人を動かしていると。まさに自分も、先生は権威的ではないのだろうかと、若い頃に思った信徒の一人でした。

結論を言えば、それは自分が権威的だから、そのように先生を見てしまうということでした。先生は知れば知るほど、権威を捨てて、私たちに接してくれており、これはとんでもないことだと気づくようになるはず。イエス様も肩書きを振りましたりはしませんでした。

このことは、キリストの最大の魅力の一つですし、私たち一人一人が目指すことです。先生が、何かを強調したり、厳しく仰ったりすることは時折ありますが、聞いている私たちがあまりに不完全で、分からず、価値を軽んじていることが多いからです。肩書き人生を捨てて、年が違おうが、価値観が合わなかろうが、人間として、神様、主を愛して、兄弟姉妹と接し、命を愛して、生きていくべきです。これこそ、キリストに学ばなければできないことです。

「~べき」という言葉はあまり使いたくありませんが、これは日本人が意識しなければ、変えられない考えであり、体質です。
特に、御言葉を聞いて、学んでいる人達は、日本の良き伝統・文化は大事にし、また直すべき風習・文化は必ず直していけるように、頑張りましょう!

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【書評&コラム】日本人の覚醒 https://a-history-of-provi.com/2016/11/07/japanese/ https://a-history-of-provi.com/2016/11/07/japanese/#respond Mon, 07 Nov 2016 11:33:42 +0000 http://j-cgmfreedom.link/?p=209 「日本人が宗教の必要性を認むるまでに五十年経過った、彼等が基督教の必要を認むるまでにさらに五十年経過るであろう。しかして外国人宣教師伝ふる基督教にあらずして日本国自生の基督教の必要を認むるまでにはなほ更に五十年経過るであろう、かくて余輩の主張の認めらるるは早くとも今よりなお百年の後である。余輩の骨が墓の中に朽る頃、余輩は余輩が望むやうなる日本人の覚醒を見るであろう。」大正三年(1914年)二月

内村鑑三、53歳の時の言葉だ。今年は、2017年。日本人がキリストを受け入ることができるよう、生涯を捧げた内村鑑三は、100年後に「日本人の覚醒」を夢みていた。

1861年武士の身分に生まれた。東京英語学校(東京外大の前身)に入学。その後、札幌農学校に進学した。クラーク博士はすでにアメリカに戻ってしまっていたが、クラーク博士の薫陶を受けた一期生の影響を受けキリスト教の精神に満ちた学校で、クリスチャンとなる。日本の公教育の中で、唯一、聖書を開いて授業を行った日本の公教育史上の特異点だ。奇しくもこの学校から明治期を牽引する、 人物を多数輩出した。

I for Japan; Japan for the world; The world for the Christ; And All for God.

彼がアメリカ留学時に記した言葉だ。日本が世界のために何が出来るかという発想自体、当時の日本人には全くなかった。クリスチャンでなければ残すことが出来ない言葉だっただろう。

さて、帰国後、第一高等学校の教員となるが、ここで、「不敬事件」(1891年)を起こす。
1890年10月に「教育勅語」が発布され、それに対して、敬礼をしなかったことから起こった。
この事件はキリスト教、国体、教育の問題を絡めた大論争になってしまった。その後、執筆活動をし、「余は如何にしてキリスト信徒となりしか」「代表的日本人」などを世の中に送り出す。

1899年から「聖書の研究」という冊子を刊行し、日本のキリスト教に新しい風を吹き込む。

例えば、
「乗雲の解」<聖書之研究 6月号>「キリストが雲に乗りて来たり給う」という記事を非科学的なりと嘲笑する者に対し、マタイ24・30において、「雲に乗る」の「乗り」は原語にはない。雲に乗り来るは訳者の意訳である。ヘブル12・1「多くの証人に雲の如く囲まれ・・・」とあるように「雲」は詩的表現とみて「キリスト天の聖徒の群を率いて来り給う」と解して誤りではない。

その後、十数年を経て、彼は「キリスト再臨」の運動を始める。要するにキリストは肉体をもって現れ、我々を救ってくださると、唱え始めるのだ。さらに全身全霊を注いで、ロマ書(ローマ人への手紙)の読解を行う。ここでは、肉体の贖いについて解いている。

・・・救主とは誰ぞ、イエスキリストである、我等は今や彼の来るのを待ち望む、
・・・我らの救いは決して既に完成したのではない、人或いは救い又は救済と言ひて単に悪行者を真人間と化せしむるが如き事実を意味する、而して曰ふ我は救はれたりと、或いは更に他人をも救はんと欲すと、しかしながらパウロに在りては救いとはかかる小問題の謂ではなかった、救いとは何ぞ、曰く霊魂と共にする身体の救いである。(1918年2月)

内村鑑三が説いたキリストへの思いと、そのスタイルは韓国キリスト者にも受け入れられ、現韓国キリスト教の歴史にも、影響を与えたと言われている。良くも、悪くも…。
日本が、軍国主義へ進む中、また自らの主張から受ける迫害の中、晩年は、以下のような言葉を残している。
「今はカトリックに帰るべき時でない、プロテスタント以上に進むべき時である。」(昭和3年4月)
「真のキリスト教は宗教に非ず」(昭和4年2月)

そして、
「『無教会』という考え方が『主義』として、宗教化されるかもしれない…、」と恐れたという。
彼もまた、神様が日本に準備して遣わしてくださった人物であることに疑いはない。
内村鑑三が夢見た「日本人の覚醒」の実現は、100年を経た今、なされているだろうか…。

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