ミュージカル映画の黄金期(1930~1950年代)に活躍していたのに、いまひとつ語られる事が少ないスターの1人にペギー・ライアン(PEGGY RYAN)がいます。
彼女も他の多くの子役スターたちと同じように、ヴォードビリアン(アメリカの寄席芸人)の両親を持ち、3歳ぐらいからすでに舞台に出ていました。1937年に、当時ハリウッドのスターだったジョージ・マーフィーに見出され、彼の主演作「Top of The Town」に出演するチャンスを掴み、当時13歳の彼女はその映画の中で、エレノア・パウエル並みのタップダンスを披露して、その実力のすごさを発揮しました。
以後活躍の場はハリウッドになるのですが、年齢的にまだティーンエイジャーの役には若すぎたので、しばらくは小さな役が多く、注目されることがあまりなかったのですが、1942年に同じユニバーサル映画専属だったドナルド・オコナーとグロリア・ジーンと共演した青春ミュージカル映画が当時の若者にウケて、やっと軌道にのり始めます。
同時期にユニバーサル映画はThe Jivin’ Jacks and Jillsというダンスグループをもうけ、その振付を名タップダンサーのLouis DaPronにまかせ、オーディションで選んだダンスに長けた若いダンサーを自社のミュージカル映画に出演させてました。
そのスタイルはタップダンスに当時流行っていたジタバーグを組み合わせたもので、エネルギッシュなダンスは当時の観客を圧倒しました。ペギーとドナルドもそのグループの一員でしたが、スターとして人気がでてきた為に2人はスター扱いになってゆきます。同じ頃MGMはミッキー・ルーニーとジュディー・ガーランドの青春ミュージカル映画が大ヒットしていて、ドナルド・オコナーとペギー・ライアンはまさしくユニバーサル映画のミッキー&ジュディー的存在として主演作を放っていきます。
1945年にペギーはユニバーサル映画を去り、俳優のJames Crossと結婚して男の子を授かりますが1952年に離婚。
その後に数本の映画で共演したRay McDonald(前回紹介した映画俳優)と結婚します。2人の間にも男の子を授かり、映画以外ではコンビを組んでナイトクラブなどで活動しますが、1957年にRayとも離婚。その後、ハワイのアナウンサーでコラムニストのEddi Shermanと3度目の結婚をします。それを期に一時芸能活動から引退してハワイで暮らしますが、人気テレビドラマ「Hawaii Five-O」に数年間出演。
晩年はラスベガスに引越し、タップダンスを教え始め、年配のタップダンスチームを作ったりして、2004年10月30日に心臓発作で亡くなる数日前までタップを教えていたそうです。ペギーは美人というよりはオールアメリカンガール的な存在で、いつも陽気で明るく、元気でコミカルなキャラクターでした。ダンスはタップが得意で、身体も利くのでどんなスタイルのダンスでもこなせました。これだけ実力があるのに、ミュージカル映画の歴史の中であまり語られない理由の一つが、主演した映画がほとんどB級娯楽作品であったことだと思います。
主に活動したユニバーサルは、どちらかというとミュージカルよりホラー映画に定評がある会社でした。ペギーのミュージカル場面は今でも十分見ごたえのあるナンバーが沢山あるのですが、彼女の出演作のほとんどがソフト化されずに今日まできているのも再評価されない理由の一つだと思います。しかし、彼女の功績はフィルムに残されていますし、最近はYOUTUBEなどでわずかならがも彼女のパフォーマンスを見ることができるので、日本はおろか、本国アメリカでも忘れ去られているスター、ペギー・ライアンに注目してみてはいかがでしょうか。
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レイ・マクドナルドはニューヨークで生まれ、姉のグレースと一緒にタップダンスのチームとして幼少の頃からボードビルの舞台で活躍していました。
レイが16才の頃、ブロードウェイのヒット作「Babes in Arms」でグレースと出演。そこからスカウトされてハリウッドに行く事になります。しかしグレースはパラマウント、そして後にユニバーサルへ、レイはMGMへと、二人分かれて契約。
さっそくレイは「Down in San Diego」(1941)という低予算の映画に主演。彼に対するMGMの期待度が高かった事が伺われます。その後に、当時の人気スター、ミッキー・ルーニーとジュディー・ガーランド主演の「Babes on Broadway」(1941)に助演して、得意のタップダンスのソロを見せています。また「Born to Sing」(1942)という、元々はミッキーとジュディーを主演に企画された作品が、二人の都合がつかず、レイが主演することにもなりました。
「2AM」(BORN TO SING、1942)
MGMで主演した作品。バージニア・ワイルダーとのデュオからソロタップ。
「Tap Number」(BORN TO SING、1942)
もっともレイらしいダンスが見られるタップナンバー
その後、徴兵で映画から数年遠のきますが、ブロードウェイの舞台で知り合った女優、エリザベス・フレーザーと結婚して、後に3人の子供をもうけます。そしてその舞台から映画化された「Winged Victory」(1944)で映画界に戻ってきたものの、その後は端役ばかりになります。それでもまだMGMにいる間は多少の見せ場が与えられ、
「Till The Clounds Roll By」(1946)ではジューン・アリスンと主題歌を歌い踊り、
レイが出演した映画の中ではMGMが予算をかけた作品。映画のタイトルになっている主題歌を歌い、ジューン・アリスンといっしょに踊ります。
「Till The Clounds Roll By」(TILL THE CLOUDS ROLL BY,1946)
「Good News」(1947)では主役のピーター・ローフォードの気のいい親友の役で「Pass That Peace Pipe」のダンスナンバーなどで活躍しましたが、MGMとの契約が切れた後は、他社でB級作品が続きました。
「Pass That Peace Pipe」 (GOOD NEWS、1947)
ジョアン・マクラケンと中心になって踊るナンバー。青いセーターの男性がレイ。
エリザベスと離婚した後に、別の女優、ペギー・ライアンと2度目の結婚をして、子供も1人生まれます。二人は数本の映画でも共演しました。映画界から遠ざかると、ペギーとナイトクラブなどで活動するようになりますが、後にペギーとも離婚。ある時、ホテルで食べ物を喉に詰まらせ、37才の若さで他界してしまいました。
先にざっと彼のプロフィールを紹介いたしましたが、さて、そのレイ・マクドナルドとはどんなスターだったのか?風貌はスリムでちょっと気の弱そうな青年というのが第一印象。
加山雄三の若大将シリーズでいうと江原達怡が演じた江口役のポジションと似ています。ボードビル出身だけあり、歌も芝居も器用にこなしますが、一番得意だったのはやはりタップダンスでした。その細いカラダでバランスをとりながら軽やかにリズムを刻む姿は独特で、エレガントなシアタータップというよりは、むしろリズムタップ的な感じがします。回転しながらのステップも得意でした。
今見ても、実力は十分あったと思うのですが、それでも映画界でスターダムにのし上がれなかったのは、銀幕のスターで一番大事なカリスマ性がなかったことが大きな原因だったと思います。また出演した映画に名作がなく、最注目される機会が少ないのも不運ですが、映画のいいところは「残っている」ということで、タップダンサーの目から見ても、今でも十分通用するレイのパフォーマンスは、YOUTUBEなどで取り上げられ、静かに生き続けてゆくことでしょう。
ダンスナンバー (ALL ASHORE,1953)
ペギー・ライアンと夫婦だった時に踊ったナンバー。
All Ashore 1953 Peggy Ryan Ray McDonald from Andrew Choreographer on Vimeo.
]]>中でもMGMミュージカルは他の映画会社より群を抜いていて、スターや制作スタッフの質の高さがわかります。
その時代に活躍したMGMの専属スターのひとりがジェーン・パウエルです。
1945年から約10年間の間に、他社の作品も含め16のミュージカル作品に主演しました。
この時代はクラシカルなソプラノ歌手のスターが多く、その代表的なスターにジャネット・マクドナルドなどがいました。
のちに「オーケストラの少女」に主演したディアナ・ダービンが10代のソプラノ歌手としてユニバーサルで人気を博すと、MGMも第2のダービンを狙うようにジェーン・パウエルを主演に青春コメディ作品を作り始めます。
そのチャーミングな美貌と美声が売りのスターだった為か、歌に合わせて軽く動く程度の場面が多く、ダンスナンバーは少ないのだが、1950年の「Nancy Goes To Rio」のフィナーレで歌の後に男性ダンサーを従えて見事に踊れるところを見せたのである。
それは、けして歌手がご愛敬に踊るレベルではなかった。
Love is like this 「Nancy Goes To Rio」1950年
そして1951年の「恋愛準決勝戦」ではフレッド・アステアと共演。最後のナンバーでは彼女は歌わずダンサーとして登場。
ダンサーとして見たら、特別上手とは言えないのだが、ここでも歌手が無理してダンスをやらされた感はまったくない。
むしろこれぐらい踊れるのに何でダンスナンバーをあまり与えられなかったのか疑問すら感じる。
「I left my hat in Haiti」「恋愛準決勝戦」1951年
Fine Fine Fine 「Small Town Girl」1953年
この映画でダンスの技量を立証したかのように、ジェーンはワーナーに借り出されて撮ったThree Sailors and A Girl(1953年、ワーナー)ではジーン・ネルソンやゴードン・マクレアともダンスを披露している。
The Lately Song 「Three Sailors and A Girl」1953年
このシーンを見ると、歌手のマクレアが若干ぎこちなく踊っているのと対照的にパウエルの方はまったく遜色はない。あとでウィキペディアでパウエルの経歴を見たら、歌よりもダンスの方を先に習っていることがわかり納得。その歌唱力故にか、踊る機会が少なかったことが悔やまれるスターである。
]]>「二人でお茶を」の中で、ドリスがジーン・ネルソンと踊る「I know that You know」というタップダンスナンバーがある。ジーン・ネルソンはワーナーブラザーズの専属スターで、タップからアクロバットまでなんでもこなす名ダンサーですが、この場面でも彼独特の流れるようなムーブメントとステップで踊っているが、ドリスはジーンに見劣りすることなくパートナーを務めている。タップダンスを知っている人なら、それが不慣れな人にもできるようにした優しい振付ではないことは一目瞭然。
I konw that You know 「Tea For Two」1950年
同じくジーン・ネルソンと共演した「ララバイ・オブ・ブロードウェイ」(日本未公開)でも軽快なステップを踏んでいます。扉の開閉を振付に取り込んだナンバーなど、ダンサー的なタイミングの感覚が必要とされる部分も見事にこなしている。
Somebody Loves Me 「Lullaby of Broadway」1951年
Lullaby of Broadway「Lullaby of Broadway」1951年
同時代のアメリカの人気歌手、ダイナ・ショアもハリウッド映画に登場しますが、ドリス・デイほど映画スターとして成功しませんでした。ドリスが映画でも成功したのは、歌う場面でも、さりげないジェスチャーやポーズが様になっていて、人を惹きつける魅力があったことが大きい要因だと思う。それは言いかえれば、基本的にダンサー的な表現力が備わっていたのかもしれない。
以前、何かの書物で、元々はダンサー志望だったが、足を怪我してダンスの道は断念したというのを読んだ記憶がありあます。映画会社や監督の判断か、はたまた本人が希望しなかったかは不明ではあるが、ドリスのダンス技量をもっと発揮させる作品が少なかったことが悔やまれますが、ここに彼女の功績をたたえておきたい。
1968年に最後の主演作品を撮り終えたあと、テレビ番組のシリーズを数年受け持った後は、芸能界から遠ざかり、動物愛護の運動に没頭して、以後マスコミにはほとんど現れなかった。2017年に95歳になり今でも健在なドリス・デイでした。
ジュディー・ガーランドは生まれた時からヴォ―ドビルの世界で育っているので、何でもできるのはあたりまえかもしれないが、その歌唱力とカリスマ性からか、ダンサーとしての見せ場がある作品は多くはない。その中で1943年の「Presenting Lilly Mars」のフィナーレナンバー「Broadway Rhythm」で彼女のダンサーとしての力量を見ることができる。振付師でのちに「イースターパレード」を監督したチャック・ウォルタースはそのナンバーでジュディーのパートナーを務めている。彼の指導力も大きかったと察するが、ここでのジュディーは、それまでの軽いダンスナンバーとはちがい、魅力的なデュオを繰り広げている。
「Presenting Lily Mars」での「Broadway Rhythm」
またジーン・ケリーの映画デビュー作の「For Me And My Gal」(1942年)でジュディーはジーンとタイトルソングの「For Me and My Gal」でソフトシューナンバーをこなしている。「ソフトシュー」というダンススタイルはヴォ―ドビルでは定番で、昔のアメリカのエンターテイナーならできて当たり前的な芸の一つであった。これもヴォ―ドビル出身のジュディーにしてみればできて当然と思われるが、ジーンと楽しそうに踊っているジュディーはお見事である。同じ映画でもうひとつ、「Ballin’ The Jack」でも軽快にステップを踏んでいる。ジーンとは8年後の「Summer Stock」(1950年)でも共演していて、歌った後に踊るナンバーとは違う、完全にダンスで見せる場面がある。保守的な田舎の納屋でのダンスパーティで、都会から来たダンサーたちが見かねてスウィングしだすと、ジーンとジュディーもついのりまくってしまうという場面で、ジーンと対等に踊るジュディーにプロ根性がうかがえる。
「For Me And My Gal」でのソフトシューナンバー
「For Me And My Gal」での「Ballin`The Jack」
ダンスを売りにしているスターのパフォーマンスのような、度肝を抜くテクニックはないのだが、ジュディーのダンス場面はどれもぎこちなさはなく、一見サラッとやっているように踊っている。しかしそれがいかに難しいことか、ダンスをやっている人でないと理解できない部分かもしれない。天才的大スター、ジュディー・ガーランドの力量の素晴らしさを再認識すると同時に、ジュディーと共演して彼女を上手に踊らせたチャック・ウォルターズやジーン・ケリーの指導力も評価すべきだと思う。