急にフッと「SNSなんてな……」という気持ちになったのと、書きたいことがたくさんありすぎてもはや手書きでは追いつかなくなってしまったのが合わさって、誰にも見せない日記帳を作ることにした。作るにあたり要件は以下の通り。
というわけで、notionにした。
notionは2022年から使っているのだがあまり使いこなせていなかった。でもスマホアプリは使いやすくて気に入っていたので、これを機に使い込んでみることにした。
notionの使い方を説明する記事は世の中にたくさんあるので、詳しくは探して読んでね。
ジャーナルというテンプレートをカスタムして、最新が頭に来るようにした。
ギャラリービューで並ばせておくと見返しやすいし一日分のログが溜まっていく感があってよい。ムードは絵文字




に変え、タグは「仕事」「自己分析」「生活」「人間関係」「小説」「創作」「使い方」「感想」「HP」「その他」など、適当に増やしつつ使っている。
日付時刻を入力することでタイムスタンプにしつつ、時刻を参照して並ばせている。
自分は「SNSに書くには適していないし紙をわざわざ出して書くほどでもないが、考えていること」がこんなにあったのか……と思った。全部いちいち書いているとものすごく疲れるので今後はほどほどにしたいが、書きたいときに何でも書いて良いことになってかなりすっきりした。ここしばらくは、30分に1回くらいのペースでとにかく何かを書きまくっている。
そして、それをたたき台に、毎日日記を書いている。「いきなり見せる」のではなく下書きを書いた方が、いざ見せる文章にするときもまとまりがでて、いい。あたりまえすぎる……。
あと、SNSに対するもつれた感情により「呪物」になりかかっていたスマホが「素敵な魔法の板」として蘇った。何ておもしろい板なんだ。悪口でも偏った見解でも愚痴でも、何でも書いていいし……。
日記(人に見せないという本来の用途による日記)っておもしろすぎる。今更日記にハマっている。
]]>デュオリンゴという語学アプリがある。周囲ではけっこうみんななんだかんだでやっていて、わたしも200日くらい続いている。
もともとは韓国語を読むために始めた。というのも、ほぼほぼわたしとその韓国語圏の方しか書いていない(今はわたしも書いていない……)カップリングにハマっていて、是が非でも読みたかったので……。
結果としてハングルを読むこと自体はギリできるようになった、嘘、全然知らなかった頃よりは読めるようになった、これもちょっと嘘か……。知らないわけではなくなった、くらいですかね……。ハングルを覚える期間が過ぎて本格的に単語などを覚える段階に入ったとたん頓挫して頓挫しっぱなしになっている。多分デュオリンゴのみではもうダメなのでテキストをやった方がいいと思われる。テキスト買ってあるんですが。
というわけで、韓国語のことはひとまず置いておいている。同カプの韓国語圏二次創作は、読めると言うほど読めていないが、雰囲気と気合いで萌えています。
というわけで当初の目的は果たしていないのだが、デュオリンゴは他に色々語学が学べるほか、数学のコースがある。すごく初歩の算数から始められる。
実はわたしは算数ができない。
子供の頃から本当に興味がなかったらしく、小学校二年生の成績簿に「算数の授業中、ずっと窓の外を見ていました」と書かれたことがある。つまらないとかわからないとかではなく学ぶ意思を放棄している。万事がこの調子で、大学でも「興味がある回のレポートだけおもしろい」と言われたことがある。関心がないことに本当に関心がなく持つ気もない。わたしが現在社会性のある存在に見えるとしたら大人になってからの努力の成果である。
しかし算数ではそういうわけにはいかない。算数が分からなくてながらく苦労をした。
それがちょっと分かるようになったのである。
話を戻すと、デュオリンゴでは韓国語をいったん放り出して今は中国語をやっている。わたしは一応大学で第二外国語を中国語で取っていたためほんの……少し……わかり、楽しくやっているのだが、デュオリンゴは語学アプリなので基本的にスピーキングがある。パスもできるが。中国語をメインで進めつつ、あんまり喋りたくない気分の時は語学をパスして、数学コースを触ることにした。
算数が分からなくてながらく苦労はしていたので、ながらく算数に親しみたいと思って生きてきた。一番簡単なレベルの数学検定のテキストを毎日解いていた時期もある。しかし相変わらずよく分からないまま生きてきた。
これが、ややわかるようになったのである。快挙だ。
何が分かるようになったのかというと、「1」と「2」の違いが分かるようになった。
デュオリンゴは大体3択くらいの中から選択する作りなので、「1と2と3の中から正しいのを選んでください」という感じで出題される。少なくとも1か2か3であるということは事前に分かっている。
つまりこの出題において、1と2と3は違うのである。
というか、「1」と「2」の違いがあるという設定をしたので、以後は「大体小さい」とか「取るに足らない」という同カテゴリの存在として分けないでください、という話が、数学なのではないか。もちろん「3以下取るに足らないです」という場合もあるが、その場合はそう書くからいったん1と2を峻別するシーンだと受け入れてください、という話をしていると、今更ようやく理解した。
これが何を示すかというと、「1件のエラー報告が上がったということは、0件ではないから、対応した方が絶対に良い」という認識ができるようになった。「10件上がったら考えるわ」ではなく、「1件でもエラーはエラー」と思うようになった。
もっと言うと、「床にゴミが落ちているけどもっと散らかってから片づけても一緒」と思わなくなった。まあその瞬間拾うかどうかはさておき、「1個のゴミは1個のゴミ。10個未満のゴミだから0、とかではない」と思うようになった。
あと、「8時間まで働くと決めたのだから7時間までは無と同じ」とかも思わなくなった。というかこれまでそう思っていたということに気づいた。全然、無なことはない。
これまで「量」というものを、全然理解していなかった節がある。
量ってすごい。
画期的見解だ。
もしかして数学ってすごいのではないか。
というわけでようやく目が開いたような、新鮮な日々を送っている。わたしはもうじき41歳になるが、ようやく、「3以下取るに足らないので対処しなくてヨシ」の世界ではない、もっと細かい世界が見えるようになった。
]]>数えたら、フリーランスになって9年でした。
自分の生活を振り返ってみていたので、ここにもログ代わりに残しておこうと思います。
だいたい7時くらい、遅くても9時くらい。早いときは4時に起きてることもあってかなりまちまち。
わたしは起きたらすぐにパッと起き上がる方なのでベッドでウダウダしている時間はとくにない。目が覚めた瞬間飛び起きてしまうせいで4時間くらいしか寝られていないことは、ある。
今飲んでいる薬は飲んだあと食事まで少し間を開けないといけないので、その間にカーテンと窓をあけ、植物に水をあげて、軽い家事をやり、手帳に今日の天気、気圧、体調、睡眠時間を記録、少し本を読む。今読んでいるのはレオ・レオーニ『平行植物』。
薬を飲み始めてから発生したこの「少しの間」をどうしたらいいのかながらく悩んでいたが、慣れて、こんな感じにギュッと詰め込まれた「少しの間」を満喫している。案外いろんなことができる。
牛乳をかけたBAKEDオーツ(カルビーが出しているオーツ麦シリアル)と、カニカマレタスサラダを食べる。軽くも重くも美味しすぎもまずくもなく全て丁度良いのだが、もっとタンパク質を摂った方がいいような気がしている。
去年の夏くらいに、「働き過ぎだから食事中にアニメやドラマを観てきちんと休もう」と思って観る習慣を付けたら、我ながらウケるくらい盛り上がって人生に支障が出るレベルで楽しんでしまったため、極力ゆるいものを観るようにしていったら結果的にYouTubeでvlogとかを観る生活に落ち着いた。赤の他人の生活をおともにご飯を食べている。有り難う、赤の他人のみなさん。
午前中は考え事全般をざくざくやる。考えたいこと、思考整理、自分の中で深めておきたいこととかの他に、整理しておきたいこととか、見通しを立てたいこととか、タスク管理とかも含む。
「考えることと考えている時間」全体を示すアイコンをどうしようかいろいろ考えた結果、健康管理スタンプの「お水(コップ?)」のマークを使っている。「自分という器の中に入っているものを取り出す」というようなニュアンスです。
本来、飲んだ水の量を記録したり、規定量の水が飲めたかどうかを記録したりするスタンプだと思うのだけれども、わたしはログつける必要ない程度に飲んでるので、使っていなかった。ので、ちょうどよかった。
というわけで、「自分の内側から引っ張り出してくる必要があるものすべて」のことを自分としては「水」と呼んでいる。別に他の誰かに伝える必要のない表現なので「今日はお水3時間でしたね~」とかひとりでブツブツ言っているだけだが。
起床時間によっては水ばっかりいじる時間が8時間とかあることがあり、あんまりやっていると疲れるので、合間を縫って風呂に入ったり、ジムに行ったりすることもある。
わたしはとにかく考えが整理されていないと前に進めないし日々が気持ち悪く過ぎてしまうので、思い切って「毎日何時間も自分の中の水を汲む生活にしてみよう」と思って、こうなった。
もう長い間ベース焼きそばを食べている。朝と同様カニカマサラダも食べる。カニカマサラダの材料はコンビニで買うので、コンビニでついでに買ってきたおにぎりなどがベース焼きそばに入れ替わることもないではないが、基本的にベース焼きそばを食べている。
お湯を沸かしている間に家事を少しやりコーヒーの準備をする。お湯が沸いたらベース焼きそばを作りドリップコーヒーを淹れる。わたしは猫舌なのですぐにコーヒーは飲めず、昼食を食べ終わった頃には丁度良い温度になっているので、コーヒーを飲みながらまたvlogを眺める。
昼食を食べる頃には割と疲れているので、何も考えなくて済む道を進んだ結果、こうなった。
木曜から土曜までの昼13時から18時まで、パソコンをつかった作業をする。週15時間。ずっと体調がギリギリセーフ程度に微妙なので、15時間まで! と決めてやっている。自分のディスコードサーバーで作業通話をしていることが多い。
いわゆる、金銭収入に直結する作業はこの枠に入っている。だから便宜上手帳の上では「労働」とか「WORK」とか「仕事」とか記載している。が、別に仕事というわけではない作業も全然ここに割り込ませている。重要なのは内容それ自体ではなく、パソコンをいじる時間を制限すること。ちゃんと区切らないと、本当に永久に際限なく仕事ないし準仕事をやってしまうので。
わたしはパソコン作業をするデスクの横にド・明るい電球をまるだしでつけていて、点灯させると激しく明るくなり、頭の奥までスッ!! と晴れてなんでもできるという気持ちになるので、切り替えて頑張るぞ! というわけで昼になるとこの「光」をつけ、パソコンをつけ、作業を開始する。どう考えてもドライアイの原因なので、極力、集中力スイッチが入った頃には「光」は消すようにしている。
日・月・火は雑事に追われている、というか、雑事をこなさないで楽しく働き散らかしていると人生が止まるので雑事を消化している。水曜は定休日。
18時になったら即座に終わる。即座に終わらないと睡眠に差し支えるので本当に即座に終わって欲しい。よく切り上げられずに続けているが……。
決まってない。というか、これ以上食べるものを決めたらそれはそれでなんかメンタルに良くない気がして、決めてない。
何か作ることもあるし、買ってくることもあるし、宅配してもらうこともあるし、食べに行くこともある。ジムの近くが駅で店がたくさんあるので夕食のついでにジムというかジムのついでに夕食というか、そういうこともある。夕食は決めなくていいんだけどジムのペースはいい加減何曜日に行くとか何時に行くとか決めたいと思っているが、10ヶ月くらい通っていまだにだらっと思いついた時に行っている。それはそれでゆるく続けやすくていいのかもしれないが……。
晩ご飯を食ベ終わったら、デュオリンゴ(語学学習アプリ)を少しやって、そのあとは勉強をする。今は経済学の本を(仕事にやや関係あるので)ウンウン言いながらどうにか読んでいる。
光量を落とした部屋で本を読むと、「光」によってパーッとクリアにアッパーになっていた頭がクールダウンされる。文字を追う自体の効力というより、わたしは本を読んでる最中音を聞かなくて静かだということと、具体的な姿勢として視線を下に落とすからだと思う。
最近、家にカフェエリアを作ったので、読書が楽しい。あまりわかりのないジャンルの本であっても……。
朝お風呂に入っていないときは、ここでお風呂に入ってKindleを読んでいることもある。Kindleの本はノートが取れない状態で読むことが多いので基本的に勉強とかではなく普通の読書。今は『ボルヘス怪奇譚集』を読んでいる。
ちゃんとうまく時間を管理できていればそろそろ自由時間ができる。
大体は本をもうちょっと読むか、不要不急の手帳タイムとったり、文房具をいじって遊んでいる。手芸をやったり、絵を描いていることもある。デュオリンゴをもうちょっとやることもある。
まあでもSNSをつついていたら終わることもある。SNSって以前と比べてあんまりやらなくなったのだがいちおう毎日何かしら書きたいとは思っている。
上記の一日を送りながらやったことやあったことをデイリーログ手帳につけているので、読み返して振り返りをやる。
「今日できたこと(あるいは、起こってしまった不測の事態など)」を3つ、そのできたことそれぞれの「感想」「よかったこと」「改善したいこと」を書く。
これを踏まえて、「明日への申し送り」をまとめて、タスクに落とし込んで、明日のタスクとして手帳につけるか、いずれやるタスクとして別の手帳につけるかしておく。
手帳を細かく書かないと「自分は毎日本当に何にもやっていないな~」という虚偽の自己認識が生まれてしまい落ち込むので、ゴリゴリに手帳を書き、ゴリゴリに振り返ることで何をやっている何者なのかを把握している。
振り返りが終わったら寝る。23時には寝たいと思っている。が、クトゥルフ神話TRPGで遊ぶ日もあり、そうなると卓後のクールダウンも含め26時とかになってしまうことがある。まあ、そういうこともある。本当は普段は22時就寝くらいでいいとも思うのだが、TRPGで遊ぶ日とあまり睡眠時間が乖離していてもどうかと思うので、まあ23時から24時くらいに寝る程度でいいのだと思う。
寝室にはスマホを持っていかない運動を続けており、寝室ではKindleを読むか、持ち込んだノートに雑記を書いている。
最近はこんな感じの生活をしています。案外カツカツに決まった生活をしているし、紙の手帳を書きまくっているので、SNSは以前ほどにはやらなくなりました。
持病が微妙で、最近は健康になるように努めており、副産物的にメンタルはすこぶる快調です。「ぼんやり散歩する」とかの要素を人生に取り入れたいのですが、どこに挟むのがいいのか全然わからないんですよね。まあ、涼しくなるまでは、軽く散歩なんて夢ですが……。
]]>結果、今年は結構いろんなことをやっている。新メンバーも旧メンバーも取り混ぜてこんな感じ。シナリオ執筆、手帳と文具、短歌、イラスト、インテリア、デザインの勉強、歴史の勉強など、ずっとやっているものも別途ある。
ハマったものもあるし、続いているものもあるし、あんまり得意ではなかったものもあるし、楽しかったが優先順位が低くてできてないものもあるし、イヤになっちゃったもの(経済学のことですが)もあるが、とにかく何でも良いので新しいことをガンガンやっていくと、「やったことの中でも特に自分が得意なこと」という手がかりで自分の輪郭がはっきりする感じがする。
すくなくともわたしにとって「自分」というのは、外的な評価や自分自身の思い込みによって「徐々に曇って覆い隠されていき、輪郭が不明瞭になる」もので、その輪郭を明瞭にするためには、感情的な好悪よりも実際に自分の手に取れる具体的な得意不得意を確認する必要があるのかもしれないな、と思った。自分というヴェールを剥がして、輪郭を明瞭にし、核の位置を探しているのだと思えば、いろんなことに手を出してみるのはトータルで繋がったことなのだろう。
ところで、編み物をしばらくやりこんでいたおかげで、自分の核と呼んでも良いような根底のところに「それが進捗になるのであればやりなおしが苦にならない」がある、ということがわかった。いや、全然苦にならないわけではないが、思想としての「やり直すと、綺麗になる」がある。編み物は、ラフの方が良かったとか、下描きのほうがよかったとか、1回目の方がきれいだったとかいうことはあまりなく、どんなシチュエーションでも大抵、間違ったらやり直した方がいいから。これは掘った穴を埋めるのが苦にならないという意味ではなく、役に立つならやりなおしを厭わないという意味です。
そういうこと、まっすぐに良い方に進むことって、特に創作をやっていると意外とない。シンプルな努力でまっすぐに良い方向に進むタイプのおこないを増やした方がよく、向いていて、人生が安定するのだろうな、と思った。何か思いつくといいな。
今のところ、ゲームを作るのは自分に向いているように思っているが。まっすぐ良い方に進むかどうかはともかく、ある程度のよさが生まれるまで人の意見を聞きつつやりなおし続けるのはそうだから、やりなおしがつらい人は向いていないだろう。
]]>やっておりますというか、激烈なスピードでアクセルをべた踏みにして、暴走しております。
冬インテに出て、それも楽しかったしかなりいろいろあったのですが、インテから帰ってきてから一ヶ月間にあったことの話をさせてください。
13万字くらいか。いや~。
ていう……生活を……四週間くらい……。
二次創作と手芸ばっかりやっているわけではもちろんなくて、当然ながら普通の人生に関係する諸々が諸々し、TRPGセッションの予定も何故か通常より多くあり(週5くらいで遊びまくっており)、全てが融合して、体を休めているといえるような休日が消滅した状態で、1ヶ月駆け抜けて、普通に頭痛くなってきたため、そろそろ止まらないと、死ぬな~と思いました。
全然一段落したとかでは全然、全然ないんですが、自戒のために記録しておきます。
12月からダイエットしてて、食生活を完璧に組み立てた……の、あとでこのようになったので、残念ながらせっかく組み立てた食生活はマイルドに破綻気味、でもまあ大体ベースブレッドとオートミールと納豆ご飯で回してにんじんとキウイは食べてるのでガチやばいとかではない。組み立てといてよかった~! ダイエット中でよかった~!!
ダイエットの話はまた別途書いた方がいい気がするんですが、1個だけ書くと、カルビーが出してるBAKEDオーツというオートミール加工商品にガチハマりしていて、ダイエット始めてから5袋くらい食べきって家にないと困るラインに入ったので箱で買いました。
これにヨーグルトかけて食べるだけで正直、気持ちの上では他のものを食べる必要を感じないんですが、栄養の上でもカロリーの上でも全く足りてないので、気をつけて米も炊くようにしています。摂取カロリーが足りないと夜にドカ食いしてしまう可能性が極めて上がるということが、ログつけてようやくわかった。記録って大事だな。
運動量も減ってるんですが、ジムだけギリ少なくとも週1は行ってて、お金がもったいないから。そしてジムに行くためには異臭を放たないようにしないとと思うと最低限清潔にして、ジムウェアを洗うために洗濯も回すので、思ったよりジムに生かされている。
1月前半まではジム2回で毎日1時間の散歩とプランクもやってたので、運動量は減ってて、一旦減った体重1キロ戻ったんですが、1キロ戻った程度で止めててえらいと思っています。まあ1キロくらいなら生活が元に戻ればまた落とせる。
いやー、しかし、暴走のためには体力だな。食生活を律し、運動をしなくては、もう暴走もできない。ジム、あすけん、ありがとう。
それはそうと、人間は基本的に(夜勤の人、夜の方が元気な人、1日が24時間でない方が快適な人など色々いると思うが)、最悪でも4時半までには布団に入った方がいいです。
いや~。とりま直近HARUコミ(3/16)を目指しているのですが、新刊は別に……もう2冊……入稿が済んでいて……他の書けた分どうしよう。HARUコミ合わせで刷ってもいいし、刷らなくてもいい、なんの目的もなく、締切があるでもなく、ただ書きたいから書いているだけの、この大量の小説をいつまで書き続けるのだろう。何も分からない……。
]]>24歳の時、パニック障害になった。
図書館司書を目指して非正規で働いていた。いろんな雑用をしていたが、図書館の地下倉庫に廃棄処分される本を捨てに行くのが主な業務だった。なんだか少しずつおかしくなっていき、多分わたしは図書館で働くのが向いていなかったとわかったときには、海に飛び込むことしか考えられなくなっていた。
海に飛び込むより病院に行った方がいいとぎりぎりで気付き、病院に行き、ついでに躁鬱もわかり、病名がついてみるとずいぶん子供の頃から不眠と躁鬱の症状が出ていたことに気づいた。
今日は病気の話をしようと思ったのではなくて、パニック障害の薬を飲み始めたらコーヒーが飲めなくなったという話。ハーブティーの話だ。
今は症状が治まっているので、コーヒーでも紅茶でもウーロン茶でも緑茶でもココアでも栄養ドリンクでも何でも飲むのだが、当時はほうじ茶のカフェインでも具合が悪くなった。15年前は、ハーブティーが飲める店は少なく、たまに誰かに誘われて少しいい店で食事をするとカフェイン(か、アルコール、アルコールも薬の関係で飲めなかった)をワンドリンクどうしても頼む必要があって困ったものだった。頼んで口をつけなければいいのだと気づくまでしばらくかかった。
ハーブティーを売っていそうなあらゆる店でハーブティーを買った。複雑なら複雑なほどよく、知らない味なら知らない味であるほうがよかった。自分は劣っているから壊れたのではなく、代替え品を探しているのでもない。わたしは未知の味を求めて見知らぬ名前のハーブを探しているのだ。そう思うことが、あの頃、必要だった。
二十代から三十代までは嵐のように過ぎていったが、ハーブティーを美味しく飲む能力は順調に上がった。ハーブティーを飲むのが趣味になってわかったが、ハーブティーのことを単なるお湯、あるいは色のついたお湯、あるいは一応匂いのするお湯、だと思っている人は多い。体質や嗜好や色々が関係しているとも思うが、多分訓練も必要なのだ。
こんなにも香りが高いことも、こんなにも複雑な味がすることも、訓練しなければわからなかったと思う。
悪くない15年だった。なかなかいい三十代だった。美味しいハーブティーも淹れられるようになった。魔女をやろう。もっと上手に。
]]>これまで、人がいないか歩道が広いか、あるいはその両方の場所にしか住んだことがなかった。歩道が広いというのはたとえ歩道に駐車しても(してはいけないが)なお横をバイクが軽々駆け抜けられる(歩道なので、駆け抜けてはいけないが)程度のことを示す。
広い歩道では散歩し放題だった。
別に広くない歩道でも、というか、歩道なき道ですら、散歩は本来し放題である。気をつけてさえいれば。しかしわたしは散歩中考え込み、更には急に立ち止まってメモを取るため、狭い道は物思いに耽らないよう、気を散らさないよう、頑張っていなくてはならない。それはわたしの求めている散歩ではない。
メモのことは諦めてもいい。安全な散歩がしたいと思った。
これがジムに通う動機の一番である。
他にも動機はいろいろある。たとえば持病。一人暮らしを始めてから、身体の方の持病の加減が加速度的に悪くなった。自宅勤務で運動の機会が消滅したからである。というわけで散歩を始め、旧居ではうまくいっていた。旧居は「広い歩道」(定義前述)のに囲まれており、うろうろしていればよかったからだ。
今は広い歩道が懐かしい。新居に不満はないが旧居というか旧居まわりにあって新居まわりにはないものが色々ある。八百屋、ガストとロイヤルホストと丸亀製麺、そして広い歩道。
しかし移動してしまったので仕方ない。幸い、新居から少し歩けば駅がある。駅のそばにはモスバーガーとタリーズと本屋と甘味処とジムがある。
駅近のジムというのがすばらしかった。
ご存じだと思うが駅からはあらゆる場所に旅立てる。そしてあらゆる場所から帰ってくることもできる。「あらゆる場所に行って帰ってくるためにはまず駅に行かなくてはならない」と、「駅に辿り着いていさえすれば、そのあとはあらゆる場所に行ける」は大きな違いである。ジムに着いていると同時に駅にいるので、そのあとはあらゆる場所に出かけていい(仕事が詰まっていなければ)。
24時間使えるジムだ。新幹線の最終で帰って家までの道を踏ん張る前にひとまずシャワーだけ浴びることもできるし、太腿を鍛えることもできる。家を出て駅について5分プランクをしてからどこかへ旅立ってもいいわけである。おもしろそうすぎる。
しかも全国チェーンのジムであらゆるチェーン店が使い放題なので、日本中でこれができる。おもしろそうすぎる。
週に1~2回程度、駅まで遊びに行く口実を契約した。今のところ、おもしろがっているうちに日々が過ぎている。
ここ数年手帳にはまっていて、あわせて手帳にまつわるあらゆることをやっているのだが、そのなかのひとつにマインドマップがある。マインドマップについて詳細が知りたい人はググってください(最初にでてくるAIは無視するか、あいつを殺せる人は早く殺してください)。
そろそろ来年の計画を練りたい、というか12月になった時点で計画が完了しているべきだったのに何も終わっていないのだが、とにかく2025年の計画のためにマインドマップを書いていて、3箇所で「ジム」というワードが出てきた。それで、ああまあ行きたいんだろうなと思って行き始めた。理由のひとつが持病である。あとひとつは「やったことがないことを何かやってみたい」という理由だった。
最後のひとつは「本質」。
前回のブログエントリで指輪の話をしたが、あれはまだ手に入っていないのだが、その話はおいておいて、最近とみに、自分は「もっと本質的なことが知りたい」と思っている、と気づいた。あんまりいじらない料理が最近好きとか、学問の入門書だけ読むのがそういえば昔から好きとか、天然素材のものを触っているのが好きとか、そういうのの仲間か? と思ったのだった。「体を鍛える」のことである。
「本質」はおもしろい。手で触ってここちよく、理解すれば前に進めて、そんなに難しくないことが好きだ。
「自分の本質」も、もしかしておもしろいのではないだろうか?
というわけでジムに通い始めた。
いずれめんどうくさくなるかもしれないので、どんなにおもしろがって始めたかということを記録しておこうと思い、この文章を書いた。
]]>40歳になった。
誕生日には良い指輪を買った。買ったというか、指のサイズに合わせられるのか見積もりを取り、まだ連絡がない。最大一ヶ月くらい待たせることになるかもしれないと言われているので間違ったことは何もない。かまわない。かまわないが、そわそわと過ごしている。
指が太いので、サイズ調整ができない安い指輪の選択肢があまりない。そのため、記念日に買うようなお値段のするアクセサリーは指輪にしようと決めていた。しかしやはり難しかったのかもしれない。まあでも、こういうときすぐに不安になるのがわたしという人間の悪癖である。そもそも6日しか経っていないし。
少し前にゲームマーケット(※アナログゲームを売る即売会)に出展した。出展は2回目で、多分ゲームマーケットの振り返りも書いた方がいいと思うのだが、今日はその話ではない。
ゲームマーケットでわたしは、いわゆるフェミニンなデザインの、ペールブルーで襟ぐりの開いたかわいいニットワンピースを着ていた。ペールブルーというかシアンからサックスブルーにかけての水色系の色は全部好きなのだが、自分としてはあまり似合わないというかイメージではないような気がなんとなくしていて、あまり着ていなかったワンピースである。
なぜこれをゲムマに着ていったのかというと、ゲムマで『青の砂、銀の手』というタイトルの本を売っていたので、青い服を着て、銀色のアクセサリーを身につけていたというわけです。
承前の通りわたしはこれがあまり似合わないような気がしていたのだが、この日はやたら服を褒められた。好きな色の服を着て褒められるのは喜ばしいことである。あわせて、「こういったフェミニンな服をもっと着るといいのではないか」と友人から助言された。
フェミニン……。
わたしが……?
わたしは自分が「かわいい」柄ではないと思っていた。なんらかの自意識あるいは抑圧の気配を感じるがその話はひとまず略したうえで、そうか……フェミニンな服を……それも、やわらかくてふんわりとした雰囲気の、パステルカラーの服をね……と思いつつ、指輪を買いに行った。
果たして、わたしは、「かわいい」指輪を欲したのであった。わたしの意思を超えたところで、指が「これをここにはめてください!」と言っているように思える指輪を。
「かわいくありたい」という決意を感じた。指から。
こういうブログを書いている場合では全然なく、今この瞬間ものすごく立て込んでいるのだが、軽い気持ちで書き始めたらそこそこの長さになってしまった。
過ぎ去った39歳のトピックはこんなかんじでした。
そういう話もいずれ。また、こんどは立て込んでないときに、と思ったが、立て込んでるときこそ書くのかも。今みたいに。
]]>こんにちは、哉村です。
なんだかんだで無料の頃も含めてだいぶ長いこと……十年くらい……やっていた小説の添削を、自分にできる仕事の量を超えたので今年1月にすっぱり全部やめたのですが、その頃チェックのために使っていたテンプレートと基本的な指導方針をメモしてあったものに、少々手を加えて公開します。
何をやっていたのかもうすっかり思い出せないところもあるので、ざっくりしたものですが、自分で自分の作品をチェックしてみよう! と思った際にお役立てください。小説以外でも問題ないんじゃないかと思います。
このエントリは「小説を書き始めてみたけど/しばらく経ったけど、自分の作品のだめなところばかりが目に付く」とか、「思ったような小説が書けなくて悩んでいる」という段階の方向けのものなので、「書きたいものはわかっているけどもっと上を目指したい!」という方には物足りない内容だろうと思います。その点ご留意ください。
作品の添削というか、よりよい作品にするためのチェックとしては、様々な観点や方法があると思うのですが、わたしが行っていたのは1時間の添削という短いもので、継続的に指導できるわけではなかったこともあり、やることは絞っていました。
というわけで、自分で自分の作品をチェックする際も導入は簡単だと思います。ただできれば相談する相手がいたほうがいいにはいいかもしれません。
指導は基本的に「自分の強みは何か?」を掘り起こして大切にする、という方向で行っていました。
だから正確には、添削というより応援というか、褒めている時間の方が長かったと思います。
わたしがお預かりしていたのは同人小説ないし投稿用小説で、「他に相談する相手がいない」場合がほとんどでした。大抵自分の作品に対して自信がなくなり、指針を求めていらっしゃいました。
お金を払ってまで小説を読んで欲しい、という段階にいる方の作品に読み応えが一切ないことはありません。皆さん、ある程度の自信作を持っていらっしゃいますので、必ず「強み」があります。逆に言うと、「自分は書けているのか、おもしろいのか不安である」と感じる段階にいるということは、大抵「何かしらは書けていて、少なからず強みがあるが、それが何なのか分からない」ということのように思われます。少なくとも、わたしが作品をお預かりした方は大抵そうでした。
「強み」とは、得意分野であり、思い入れのある部分であり、自然にできていることです。
それは捉え方によっては「欠点」と思えることもあります。繊細な心理描写を得意とする方が、自分には勢いがない、推進力のあるストーリーを作れないことで悩んでいる、というような例は非常によくあることです。
また、軽妙な台詞を上手に書かれる方が、これはみんなできることだから強みではない、と思っている、ということもあります。実際には、台詞が書けなくて作品に軽さが出せず悩んでいる方はかなり多いです。
「自分の強みを確認する」とは「自分は何者なのか確認する」ということでもあります。「自分は何者になりたいのか」より先に、「自分はそもそも何者なのか」を確認しましょう。
投稿用小説だとまた話が変わってくると思うのですが、同人小説を同人小説の範囲で、趣味の範囲でと言い換えてもいいですが、楽しく作品作りをしたいという目的で作って行く場合、一番大切なのは、「自分にとって心地よいのはどういう状態なのか?」ということです。
「自分を大切にする」と言い換えることもできます。「なにができていないのか」より、「なぜ、それができていないと嫌だと感じるのか」ないし「何ができていれば、自分にとって快適なのか」を軸に作品を作りましょう。
自分に適した書き方で、気持ちよく定期的に作品を書ければ快適なのか?
それとも、自分の性質上難しいチャレンジだとしても、山を乗り越えるのが気持ちよいと感じるのか?
大体この二択になると思います。
大事なのは「自分を大切にした結果、自分が快適である」という点に創作の軸を置くことです。
「自分にとって快適な状態とは、常に高い評価を得るために研鑽することである」ということなら別にそれでいいのですが、「自分は辛い思いをしてもいいから、高い評価を得ること」を第一の目標に置いて創作を行うと、疲れるだけなうえ、得られた評価が努力に対して順当かどうかの判断ができなくなることもありますので、気をつけましょう。
ということで、以下が、小説をチェックするためのテンプレートです。
1.一番書きたかった部分は?
2.何のために作品を作ったのか?
3.自分としてはこの作品のどこが気になっているか? どこを直したいか?
4.この作品の強みは何か?
5.直したいところは強みになり得るか?
指導時は、1~3をご本人に考えていただいて、4~5を重点的に指導するという形を取っていました。というわけで4~5は本当は誰かと話し合ったり意見を貰ったりしながら進めたほうが楽ではあると思います。
要するにテーマのことですが、「登場人物Aの横顔の美しさを描きたかった」とか、「登場人物Aと登場人物Bが手を繋ぐシーンが書きたかった」とか、「やさしい雰囲気の話を書きたかった」とか、ごく小さなことでも問題ありません(もちろん、壮大なテーマでもいいと思います)。
大事なのは、何を書くつもりだったか? という点を見失った際、思い出せる状態にしておく、あるいは途中でもいいからはっきりさせる、ということです。
テーマと分けていますが、「自分で楽しむため」「友人に読ませて喜んで貰うため」「SNSの更新のため(定期的に更新したい・同好の士と知り合いたい・自分の意見を発表したい等)」「とにかく思いの丈をぶつけて心情を整理したかった」等、具体的に誰に宛てて、何を目指して書いた作品か、ということをはっきりさせましょう。
これも、何のために書いているのか? という点を見失った際、こっちに向かって進めば良いんだな、ということを思い出すためにチェックします。
「書くこと」と「読ませること」はイコールではありません。自分自身でもいいので、読者は何を求めているだろうか? という点を常に意識してください。
自分の作品の問題点と思える箇所を書きだしてみます。
書いてみると、意外と小さなことで悩んでいるなと感じることも、すぐに解決策が思いつくこともあります。
これを掘り出すのが一番難しいと思うので、ここだけでも誰かに相談できるとよいと思いますが、ひとりでやる際は以下のような点を留意してみてください。
さらさらと軽い気持ちで書けた部分は書き手さんが元々持っている強みで、何も考えなくてもできることなので、大切にしましょう。自分にとって「当然できていること」が意外と他の人には苦心する箇所だったりすることもあります。
自分にとっては「ここがだめなんだろうな」「直したいな」と思えている箇所が、特別な個性になっている場合もあります。直した方が良いのか、自分にとって大切な部分なのかは、よく考えて見極める必要があります。
ポイントとしては、「その直したいところを直すことは、自分にとって快適な状態か?」ということです。これまでは「直したいところ」だと思っていたところが、実は自分の「強み」だった、ということはよくあります。
たとえばよくある例だと以下のようなものがあります。
・台詞はさらさら書けるが、台詞ばかりで話が進まない。→台詞を書くのがうまいので、会話劇に力を入れて書いていくのがよい。
・セックスのシーンが重く、「萌え」がなくてウケない。→重厚な性描写を通して描けることもある。「萌え」に行きたいのか、自分の本当に書きたいものを考えてみる必要がある。
・興味のあることばかり書き込んでしまい、全体のバランスが悪い気がする。→興味のあることに特化した作品作りをするとよい。必ずしも興味がないことを描く必要はない。自分の関心を大切に。
「強み」には到底なりえないな、本当に直した方が良い、と思うこともあると思うのですが、とにかく自分の得意分野と不得意分野を認識して、得意なことをぐんぐん伸ばすのが一番大切です。今は無理だなと思ったらあっさりあきらめて、できることをやるのが良いと思います。
大事なのは焦らないこと、そして自分の魅力に対して照れないことです。
それでも絶対に直したいときは……悩もう! 正解はないので、自分にとって心地よい結論に全力で向き合ってください。
ここに書いたのはかなり基本的なことですが、小説(あるいはその他にも色々な創作)を始めよう、と思っている方のお役に立てれば幸いです。やめてそろそろ1年になるのですが、色々思い出して懐かしい気持ちになりました。
これまで関わった皆さんが素敵な創作活動を行っていらっしゃいますように! &このエントリがこれからもお役に立ちますように!
]]>こんにちは、哉村です。
誕生日だったので、2023年というか、前の誕生日から使っていた手帳の振り返りをやりました。一年間、手帳に大層ハマっていた……。
なにを手帳と呼ぶのかは人それぞれで、ここにあるのも、手帳……? ノート……? 雑記……? って感じなのですが、だいたいざっくり16冊くらいあります。

以下のラインナップで紹介していきたいと思います。

雑記帳には「急ぎではないがやりたいタスク」や、あと意外と大事なことが埋もれていたりするので、定期的に読み返して掘り起こし、タスクリスト化します。


















1ヶ月のタスクを書いて習慣化する方法はこちらの動画を見て始めました。
トラベラーズノートにはもう一冊、旅行の記録も挟んでいます。あれっ、リフィルごとに計算したら17冊になるな……。




ここは別にたいして説明もないのでざっくり。




集めたらいっぱいあって怖かった。去年は、勉強用ノートのことはともかく少なくとも手帳は1冊だったのに……。
この他にも勉強用のノートがあと4冊くらいあって(さすがにゴチャゴチャなので最近は勉強はロロマクラシックにつけてるんですが、ノートを結構書き進んでしまっているともうどうしようもなく……)まあ……20冊くらい……かも。なんでだろう……。
でも徹底的にタスクを洗い出したり記録をつけることで、モヤモヤとかイライラ、焦りが確実に減ったので、やっててよかったと思います。
手帳会議をするほどのこともないと思ってたんですが、意外と「使い切るけど次どうしようかな~」があるっぽいと気づいたので、今後も楽しみですね……。
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