最初は動作が遅くなりました。部屋からリビングまで数メートルしかない距離を、ゆっくり一〇分以上欠けて歩き、食事も箸を持ってから料理をつまみ、口の中に入れるまで数十分かかり、一口二口食べると、疲れてそのまま食卓の椅子に倒れて寝てしまいました。
お風呂も数時間かけて入り、トイレに行くのもゆっくりでした。
そんな状態が二週間くらい続いた後、今度は昼夜逆転になりました。ゴールデンウィーク開けには登校するつもりで、寝る時間を徐々に早くし始めたのですが、「誰かに見られている」「恐い」と言って、昼間もカーテンを閉め切って怯えるようになりました。
その後、思春期外来で診てもらい、その日のうちに入院が決まりました。
一ヶ月半後くらいに、医師に呼ばれ「ミミ(娘)さんの病名は。統合失調症です」と告げられました。
初めてその病名を聴いたときは、診断が間違っているのではないか、そんなはずはない、いい加減なことを言わないで欲しいと医師に反論したくなりました。統合失調症は、昔、精神分裂病と呼ばれていましたから、恐いとか、人格が破壊していくとかのイメージが強く、そのような病気にかかったという親族はいませんでしたから。
それでも統合失調症という病気について、噂レベルの知識しかありませんでしたから、関連の本を読み、調べていき、退院後の娘の様子と合わせて、娘はやっぱり統合失調症なのだと納得するまで、数ヶ月かかりました。
娘の症状は、他人が見ていないのに「見ている」とか、人が近くにいると「圧を感じる」とか、光りがダメとか、視覚に対して敏感に反応していました。それと胸がムカムカしてきて、人を殺したくなるとか、死にたくなるとかという症状もありました。それと、集中力が続かず、本も読めない状態でした。身体は、右手を後ろにやって指を鳴らすという動きをしており、本人曰く、「勝手に動く」と言っていました。
私ともう一人のお母さんは、何も言えずにオロオロするだけ。
みんなやっているのにやらないのは、そんなにダメなのでしょうか?
先日、PTAの役員決め。
そんなプライベートな、できれば隠したいことも話して、「PTA役員を辞退したい」とそのお母さんが言ったら、一人のお母さんから冒頭の言葉が出ました。
「みんなやっているのにやらないのは非常識、やらないとこのマンションに住みにくくなる」
その場にいた他のお母さんたちは激しく賛同していましたが、私は「みんなやっている」という言葉が「脅し」にしか聞こえませんでした。
お子さんが精神的に参っているのに、それでも「みんなやっているから」やらないとダメだと言う理屈に凄く嫌な気持ちがしました。
小さい頃から私を苦しめたのがこの「みんなやっている」という言葉でした。
「みんながやっているから」という理由で、本当は気が進まないのだけれどむりやりやったことってありませんか?
例えば、
夏休みのラジオ体操だったり、
マラソンだったり、
義理チョコの配布だったり。
もしかしたら「結婚」も含まれるかもしれませんね。
それでも、怠け者の私にとってその言葉が強制力となってやらざるを得ない状況にさせてくれたこともあり、それはそれで効力があったと思います。
ただ、「みんながやっているから」というのは、「やらされた感」が残り、何となく後悔したと言うのもあります。
この言葉を一時期頻繁に利用したことがありました。
それは、営業をやっていたときです。
「みなさんやってらっしゃいますよ」
この一言でどれだけの人が焦ったか。
同じような効力をもつものとして、「誰もやっていない」という言葉です。この言葉で、どれだけ凄いことが葬り去られたことか。。。
実は「誰もやっていない」というところに本質があったりします。
また、「誰もやっていない」と言う言葉で、その行動を阻止する効力もありますから、それをやられると「困る」側の人たちにとってはとても便利な言葉なのです。
「みんなやっている」と言う言葉を軽く受け流して「私は違う」という行動をとることで人生はものすごく楽になります。
そして「誰もやっていない」ことをすると、人生が変わります。
「みんなやっている」という言葉に振り回されずに、自分の道を進むことでしか人生は切り開かれません。
下降する一方の自尊心にほとほと嫌になっていませんか?
自尊心の低い人は何をしてもうまく行かず、逆に高い人は何をしてもうまく行く。
だからといって、自尊心の低い人が高くするのは簡単なことではありません。
自尊心の低い原因と理由とは?
能力は高いけれども自尊心が低いならば、それなりに生きていけます。
しかし、能力が低く自尊心も低い場合、資本主義の競争からふるい落とされ行き場を失ってしまうのです。
私と私の弟は、能力も自尊心も低いタイプ。私の弟はニートにこそならなかったけれど、その一歩手前。心を閉ざしてしまいました。
自尊心が低い原因は、他人との比較とか存在を否定されてきたなどの養育環境にあると言われています。
私も全くその通りだと思います。
しかし、もっと重要なことは、「自尊心の低い人から育てられた」という事実です。
つまり、「親の自尊心が低いために、子どもも自尊心が低くなった」のが原因であり、理由です。
子どもの外見が親に似るように、心や性格も親に似ます。
親の低い自尊心は、じわじわと子どもの心にも増殖し、知らず知らずの間に汚染。
自尊心の低い親は無意識で、自尊心が低くなるような子育てをやっています。
例えば、
他の家の子どもや兄弟と比較して「お前はダメだ」と言ったり、
子どもの心を無視して、外の世界の理想や常識を強要したり、
頭から子ども否定したり。
子どもの自尊心を親の自尊心以上に低くしてズタズタにしまっているのです。
しかし、親は自分の子どもを自尊心を低い子どもにするためにわざとやっているのではありません。
親の心も相当ボロボロになっています。
自尊心の低い親に育てられ、自尊心が低いままだと、何をやってもうまく行きません。
世間での評価はこんな感じです。
「うまく行かないのはあなたのせい」
「誰も助けてやらないよ」
世知辛い世の中ですね。
だけど、実力主義のスポーツ選手や企業ではそれがスタンダードなのです。
能力の高いレベルの人はそこで勝負して負けても逃げ道はあります。
自尊心が高い状態をキープしてれば何かしらの道は切り開けますから。
だけど、能力は人並み以下、仕事の結果も平均以下しか出せないならば、資本主義市場では負け組。
負け組が簡単に自尊心を高めることなど、不可能に近いです。
それでも、自尊心を高く保つために一刻も早くしなければならないこと。
それは、「自尊心の低い親の心からの自立」です。
知らず知らずのうちに自分の心を蝕んでいた自尊心の低い親を断ち切って、自分の足で一歩を踏み出すことが自尊心を高くするため必要なのです。
自尊心は急に高くなりません。自尊心の低い人が高く見せようとすると、
そんな人間になってしまうのです。
自尊心が低い状態から高くするためには、自らの心を受け入れて慈しみ育てていくことです。
失敗しても、振り落とされても自分自身を肯定して、挑戦し続ける。
自尊心の低さや自己否定感に襲われても、自分自身を肯定。
小さな失敗と挑戦、そして成功の繰り返しで自尊心は育ちます。
偉大な仕事は、企業で結果を出し、社会で名誉ある賞を取ることではありません。
自尊心の低い人が自尊心を高く育てる。
これこそが、今の時代、もっとも尊く偉大な仕事かもしれません。
なぜなら、資本主義経済の競争原理で振り落とされた、同じように自尊心が低くて悩んでいる人に明るい道しるべを作ることですから。
かつてヘレンケラーが、たくさんの人に勇気を与えたように、周りの人たちに勇気を与えるでしょう。
まずは、自尊心の低い親からの自立。そして自分自身をありのまま受け入れる勇気。
ここからがスタート。
今年は自尊心を高めること、頑張ります!
今週のお題「2017年にやりたいこと」
なぜなら・・・
パワースポットと呼ばれるような有名どころの神社は、特にお正月の間は日頃の数百倍もの参拝客が訪れてニュースにもなっています。
しかし、そういった人が多く集まる時はできれば行かない方が良いのです。
その理由は、人の念や邪気が集中しているからです。
参拝客の多くは、恋愛成就、一攫千金、病気回復、受験合格など我欲を満たすため「神頼み」しに来ています。
神様と言えども、一度に数百万人の一人一人の願いに対応するのは不可能ですし、そもそも神様は人の願望を叶えるためにあるのではないのです。
日本中、たくさんの神社がありますが、それらの神社は有史以前からあるようです。
そして、いつからあるのか分からない神社がほとんど。
こららの神社は、その土地を開拓した人を祭ったのが起こりとか、いやしろ地と言われて高い波動を持つ場所に作ったなどで、神様が住んでいるわけではありません。
それでも、代々その土地に住む人たちが守り存続させてきました。
それらの日本全国の神社が組織化されたのが明治時代。
皇居を組織のトップに置いて、古事記などで既にメジャーな神社などは、一宮などに。
組織のトップの方に選ばれた神社には、格下の神社からお金が流れて行きました。
その結果、立派な神社とそうでない神社の差が広がっていってしまいました。
パワースポットで有名な神社は、組織のトップの方の神社です。
昨今のパワースポットブームで、たくさんの参拝客が集まり、お金を落とし、どんどん栄えていっています。
元々、波動の高い場所であっても、我欲がむき出しの人たちが集まってしまうと、その効力は落ちていきます。
人間の念や意識ほど強いモノはありません
念の強い人は、地球の裏側にいる人でも殺してしまうほどの力があります。人間って本当はそれほど凄いパワーを持っているのです。
そんな我欲をむき出しにした人がたくさん集まってしまったら・・・
想像しただけでぞっとしますね。
気持ちが弱っている状態だと、他人の悪いモノをもらってきてしまう恐れもありますし。
結局、見かけの大きさや人の評判で初詣に参る神社を決めるのはナンセンスですよね。
どこの神社もそう変わりないというカラクリが分かったら、初詣するのはどこでもOKということです。
おすすめの神社はできれば家の近くで、人のあまり参拝していないようなところがベスト。
私も、今朝8時半頃、近所の神社に参ってきました。
誰も参拝客はおらず、貸し切り状態。
神社特有のキリっとした空気が感じられ、清々しい気が充満している中を静かに歩きました。
そして、お宮の前で一年の誓いを宣言させてもらいました。
目に見えない力との意志の疎通もできたようでとても満足な初詣となりました。
日本全国、こういった、忘れ去られたような神社は点在しています。
穴場の神社、ぜひこの機会に開拓して独り占めしてみるのも良いかもしれませんね。
ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
それでも私が年賀状を出す意味とは?
なので、毎年、年賀状を出す人は増え続け、ピーク時は100枚近く出していたこともあります。
それでも私が年賀状を出すのは「マナー」という義務ともう一つ別の理由があります。
恐らくこの先も積極的にお会いすることはないだろうという人にも毎年欠かさず年賀状を出しています。
印刷だけされて、直筆のコメントなどないものもあります。
「義務で出しています」という気持ちが見え見えですが、今年も彼らに出してしまいました。
根比べ状態がいつまで続くのか予測不可能ですが、私は相手が出さなくなるまで出すつもりです。
結婚前からお世話になった人たちには毎年出しています。
恩師やらバイト先でお世話になった上司まで。多分、一生出すつもりでいます。
仕事を辞めて20年くらい経つのに年賀状は欠かしたことがありません。それだけ、「お世話になった」と言う気持ちが強く残っています。
なので、こちらが年賀状を出すのは迷惑なのでは?と察して、年賀状を出すのを辞めます。
年賀状を出す人、出さない人でこちらからの相手への気持ちは何も変わりません。
それはそれで意味があるかもしれません。疎遠になればなるほど、なおさらそのように感じます。
彼らとは人生のどこかの時点でお世話になり、意志を通じ合っていた仲です。一年に一度、お互いを気遣う機会があっても良いのでは?
そして、そういう人間関係もあっても良いのでは?
今年は15枚の年賀状を書き上げて先ほど投函してきました。
袖振り合うも多少のご縁。
虚礼と言われても、何となく辞められない。
もらえば嬉しいものだし、誰も年賀状を出さなくなるまで出し続けようと思います。
あの透明感のある歌声は、何百回聞いても心が洗われます。
それにしても、早すぎます。
なぜ???
ジョージマイケルがなぜ亡くなったのかはまだ明らかにされていませんが、彼のここ最近のニュースから何となく推測されました。
2012年にはロンドンオリンピックの閉会式で、ヒット曲と新曲を歌い、新曲を歌ったことについては、オリンピックを宣伝に使ったと非難を浴びていました。
事故をきっかけに、薬物治療専門の施設で治療し、2014年には「完全に辞めた」と宣言していたようです。
2015年は、薬物治療のリハビリ施設で52回目の誕生日を迎え、治療中、その後の情報はほとんど出ていません。
薬物による何らかの体調の悪化があった可能性があります。
今年のクリスマスがジョージマイケルにとって最後のクリスマスになってしまいました。
ジョージマイケルは当然私のことなど知りません。
ただ、私の人生の中にはジョージマイケルは生きていますし、彼の存在を決して忘れることはありません。
ワムが大ヒットした頃、私は中学から高校生くらいでした。
年代的には青春真っ盛りのギャル時代ですが、私はとても暗い子で、毎日が洞窟の中で生活しているようでした。
何をしても面白くなく、友だちなんて当然一人もおらず、毎日泣いて過ごすという、世界中の不幸を背負った少女でした。
世界中の不幸の原因は家族にあったのですが、とても悲しい家族だったのです。
この家族が私の世界だったわけだから、家族が不幸であれば世界も暗いという状況でした。
そんな中、唯一の楽しみは、ラジオ。ラジオからは世界中のヒット曲が、そんな不幸な家にも届けられました。
確か土曜日の午後に、世界のヒットチャートベスト10が流れる番組があり、それが唯一の楽しみ。ラジオから流れるヒット曲を録音して何度も聞いていました。
ワムの、「ウェイクミーアップ!フォーユーゴーゴー」と歌っている曲はとてもウキウキするテンポで、私の堅くて冷たくなった心を楽しませてもらいました。
Wham! – Wake Me Up Before You Go-Go
今でも時々無性に聞きたくなるときがあり、ユーチューブで聞いて心をウキウキさせていました。
これだけ影響力のある人が亡くなるのはとても寂しいです。
私の青春も終わった???(もうとっくに終わっていますが。。。)
ショックですね、かけがえのない心の支えだった人の旅立ち。
天国での幸せをお祈りします。
ありがとう、マイケル。
旦那だけが何も分かっていないんじゃないかと。
そんな旦那が子どもに「親に感謝しろ」と言ったところで益々反感を買うだけです。
旦那が子どもにブチ切れた理由とは?
子どもに旦那がブチ切れたのは、クリスマスケーキのことです。
3週間ほど前、旦那は市内でも美味しいと評判のケーキ屋さんのクリスマスケーキを注文してきました。
雨の中、わざわざ出かけたようです。
子どもには「クリスマスケーキ注文してきたよ」と言ったら、子どもは「分かった、ありがとう」と返事したようです。
そして、今日になって、子どもが旦那に言いました。
「クリスマスケーキ飽きた」
「他のケーキが良かった」
旦那はそれを聞いてブチ切れ。
「何で今頃そんなこと言うんだ、おまえはクリスマスケーキ食べなくていい!!」
それで子どもはずっと我慢していたことを言ったのです。
それは、
「何でうちに選ばしてくれなかったの??」
「うちは別なケーキを食べたかった」
うちの旦那、何でも先回りして手を打つ性分のため、私も何度か被害に遭いました。
別に欲しくないものを強引に買ってきて、
「買ってきてやったぞ」
そんな風な態度を取るのです。
私は、そのたびに嫌な思いをしていたので、
「私は自分が欲しいモノは自分で買うから」
そう言って、旦那の暴走を止めることに成功しました。
私への暴走が止まったかと思ったら今度は子どもです。
子どもに、何でも先回りしてモノを買い与え、子どもも困っているようでした。
子どもには、このように教えました。
「お父さんいつもありがとう」
「でも、せっかく買ってもらっても気に入らなかったら使わなかったりするから、買わなくていいよ」
「こういう風に言っておくと良いよ」
うちの子、不器用なのでなかなかそんなことを言えず、今回のクリスマスケーキも、旦那は子どもに選ばせることなく勝手にお店とケーキを選んで「高かったんだ」とか「予約の残り、あと3個しかなかった」
などとドヤ顔で言うもんだから、子どもはそれに対して反論。
「何でうちに選ばせてくれなかったの??」
旦那は更にブチ切れ。
「他のうちはクリスマスケーキを子どもに選ばせるか!!」
なんて怒ったのです。
私は、クリスマスケーキを食べるのは子どもなので子どもが選ぶと主のですが他のおうちはどうなんでしょうね?
父親が勝手にケーキを選んで予約することがちょっと異質かもしれないと思ったのです。
子どもは負けずに反論していたのですが、旦那はブチ切れて
「お金を一線も稼いでこないくせに生意気なこと言うな」
なんて怒ったのです。
これ言っちゃいけないと思うんですよ、子どもに。
16歳だか15歳未満の子どもはお金を稼いじゃいけないって法律が確かあったはず。
なのに、大人の特権を振りかざして怒るのはもっともダメなパターン。
そんな親を半ばバカにして見下すのも時間の問題です。
旦那は子どもにカンカンに怒っていましたが、親に感謝もできず、生意気な口を叩くのは親のせいでもあります。
親が、先回りしてやりすぎたり、子どもの心配やかわいそうなどの理由でいろいろ世話を焼くのは、子どもにとって実はとても迷惑だったりします。
子どもはそんな親の勝手な妄想でいろいろ先回りして選択肢も与えてくれないのは息が詰まってしまいます。
選ぶ自由を奪われるのは、大人でも嫌な気持ちになります。
そこを旦那はさっぱり分かっていませんでした。
そのことを指摘すると旦那はまた逆ギレ。
「お前がほったらかしているのが悪い」
なんて言ってきます。
確かにほったらかしているけど、小学六年生ともなれば、親の言うことなんてほとんど聞きません。
親が力づくでやらせるのは無理です。
力では無理なので、私は諦めました。
好きにさせて、本人が困ったときに助けるという風に方向転換しました。
だから、クラスでいじめにあったときなどは、親のできることは最大限やって子どもに貸しを作っておきました。
いざというときに頼りになれる親であれば良いと思うけど、旦那のように「感謝しろ」とか「ありがたく思え」なんて恩着せがましいことは子どもには押しつけません。
何でもそうだけど、子どもが自発的に感謝とかありがたみとか感じられなければ、強引にそうさせようとしても無理なのです。
逆に、生意気な反応が返ってきて腹が立つだけ。
旦那はそのあたりを分かっていなかったようです。
親ができることは、子どもの存在をまるごと受け入れることくらいなんじゃないですかね。
子どもが親に対して何か返してきたら、不都合なことも好都合なこともおやのせい。
不都合なことだったら、親自身の心と行動を振り返って、子どもに対して過度な要求や押しつけがましいことをしていなかったかどうかを確認。
子どもに直接聞いてみたりして密にコミュニケーションを取れる状態でいたいですね。
決して威圧的にならずに。
子どもは、そろそろ大人と同じような扱いをして、責任と自立心を育てていく段階になってきたのかもしれません。
世間では、年末恒例のイベントです。
この時期は、子供の頃、家族で聴いた懐かしい曲を聴いて、幼いころの団欒を思い出すのもなかなか良いですよ。
おセンチになっちゃうかも??
懐かしいクリスマスソングを9曲ほど選んでみました。
クリスマスソング「あわてんぼうのサンタクロース」 【onward】
(作詞:織田ゆり子、作曲:上柴はじめ)
(作詞:新沢としひこ、作曲:中川ひろたか 1987年発表)
うさぎ野原のクリスマス【ブラックパネルシアター】(作詞:新沢としひこ 作曲:中川ひろたか 歌:山野さと子)
(作詞:冬杜花代子、作曲:花岡優平 『おかあさんといっしょ』1988年12月の歌)
『おきゃくさまはサンタクロース』からラスト迄・おかいつ1988年放送
(作詞:芹澤廣明、作曲:冬杜花代子 『おかあさんといっしょ』1992年12月の歌)
(原曲:「¿Dónde Está Santa Claus?(英語)」 日本語詞:峯陽)
飛んできたサンタクロース / マーティー・ゴールド児童合唱団
(作詞:若谷和子、作曲:服部公一)
(作詞・作曲:坂田修 『おかあさんといっしょ』1989年12月の歌)
The Jackson 5 I saw Mommy kissing Santa Claus (with lyrics)
実は、私が聴いて懐かしいのは、最初の曲と最後の曲だけです。
最後の曲は、マイケルジャクソンが歌っていたのですね!!
びっくりです。
クリスマスまであと1週間。
クリスマスが終われば年末年始のムードがやって来ます。
泣いても笑っても今年が去っていきます。
ありがとう、2016年。
あなたは今年、どんな思い出を残しましたか?
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その疑問が少しだけ溶けました。
あぁ、そういうことだったのかもしれない・・・
カンパネルラが、突然こんなことを言います。
「おっかさんは僕を許してくれるだろうか?」
「僕はおっかさんが本当に幸いになるのならどんなことでもする。だけど一体どんなことがおっかさんの幸いなんだろう?」
「誰だって一番良いことをしたら幸いなんだね」
「だからおっかさんは僕を許してくれると思う」
これらのカンパネルラの台詞から、カンパネルラが「おっかさんの幸いのため」覚悟した様子が伺えます。
カンパネルラは、お金も友人関係も家族も全く何一つ不自由していなかったのに、ちっとも幸せではなかった。
それは、お母さんが幸せでなかったから。
このストーリーには、カンパネルラのお父さんは登場しますがお母さんはこのカンパネルラの台詞の部分だけの登場です。
カンパネルラのお母さんは、裕福で恵まれた環境にいたけど幸せではなかったという様子が推測されます。
カンパネルラは、「お母さんに幸せになってもらいたい」と思いながら頑張ってみたけど、お母さんを幸せにすることができず、自分の無力さから溺死という選択をしたのかもしれません。
カンパネルラがお母さんの幸せを願っていたように、子どもはいつもお母さんの幸せを願っています。
うちの子が以前同じクラスだったお友達は、
銀河鉄道の夜のカンパネルラは、残念な選択をしてしまいましたが、現実に生きている子どもたちには、カンパネルラと同じ選択はしてもらいたくない。
大人が幸せでいることが、本当の幸い。